国会前集会に関する様々な感想を読んだ。コメントを頂いたBLOG BLUESさんお薦めの清義明さんの論考は、タイトル<国会議事堂前の「敗北主義」――最後に笑うものが最もよく笑う――>からして刺激的だった。
自公+維新大阪組で敵はさらに強くなる。共産党は独自候補で臨む方針だし、民主党+維新東京組も信用できない。ならば、目盛りを数年後に定めよう。高坂勝さんの言葉を借りれば<まずは5%を変え、地殻変動に繋げる>のだ。来夏の参院選はイマジネーションとリアリティーを併せ持つビジョンで臨み、〝最後に笑う〟準備を整えるべきだ。
菅官房長官は国会前に集まったのは警察発表(3万人)程度で主催者発表(12万人)は水増しと語り、産経新聞と週刊新潮が補強する。仕事先の夕刊紙に掲載された記事が、御用メディアの企みを論破した。野党関係者が国会周辺の最寄り3駅に当日の乗降客数を問い合わせると8万人台。利便性で人気アップの桜田門駅は回答を拒否したが、バスなど別ルートで訪れた参加者を足せば、最低でも10万人になるだろう。
新宿で先日、「ナイトクローラー」(14年、ダン・ギルロイ監督)を見た。ニュース報道の内幕に迫った作品で、緊張は2時間弱、絶えることはなかった。夜のロサンゼルスを舞台に、社会の歪みを抉ったシャープかつリアルな衝撃作である。小さな箱(シネマカリテ)で少ない客とともに観賞したが、DVD化された暁にはぜひレンタルしてほしい。自信を持って推奨できる作品だ。
主人公のルー(ジェイク・ギレンホール)は孤独なミッドナイト・ランブラー(夜の徘徊者)だ。定職も友もなく、ネットサーフィンで社会と繋がっている。真っ赤な愛車で街を飛ばすルーは、事件現場と遭遇し、惨たらしい遺体を撮影する。これがパパラッチ(ナイトクローラー)という天職に出合うきっかけだった。
背景にあるのはテレビ業界の実態だ。ケーブルネットワークには無数の局がひしめき、視聴率戦争を繰り広げている。ルーが動画を持ち込んだ下位局にしても伽藍の趣がある。敏腕女性ディレクターのニーナ(レネ・ルッソ)の口癖は、「視聴者が求めているのは刺激。望ましいのは被害者が裕福な白人で、犯人がマイノリティーか貧困層であること」……。ルーは教えを実践し、頭角を現していく。
ヒスパニック系が多く暮らすロスは格差と貧困が夥しく、資本主義の矛盾を象徴する街だ。ルーの自己アピール、ニーナへの接近に、他者の目で相対的に自身を捉えること出来ない欠落が窺えるが、そのことが逆に武器になっている。〝やらせ〟をためらいなく実行し、スクープのために他者が犠牲になっても心は痛まない。
助手として雇ったリック(リズ・アーメッド)は表情がどこかルーに似ていた。ルーに取って代わる存在になるのかと想像したが、リックは人間的で優し過ぎた。ストーリーが進むにつれ、ルーの目に狂気と酷薄が宿るようになる。<デ・ニーロが演じた「タクシードライバー」のトラヴィスの再来>とはタイム誌の激賞だが、俺がルーに重ねたのは「ゴッドファーザーPARTⅡ」でアル・パチーノが演じたマイケルだった。
ルーを動物に例えれば獰猛な夜禽類といったところだが、良心、矜持、倫理の埒外で拝金主義を追求する悪魔が、紳士の装いで世界を闊歩している。典型例を挙げれば原発コングロマリット、そして戦争法案と繋がっている軍需産業である。
ネットにアップされた小林よしのりと奥田愛基さん(シールズ)の対談を斜め読みした。「もっと遊びたい」が奥田さんの本音かどうか知らないが、インプットの時間は必要だと思う。政治は取材する側も含めて消耗をもたらす。だから、言葉は時に惰性に流れるのだ。まあ、30年以上も遊び続けて復帰した俺の言葉なんか、何の説得力もないことは重々承知している。
自公+維新大阪組で敵はさらに強くなる。共産党は独自候補で臨む方針だし、民主党+維新東京組も信用できない。ならば、目盛りを数年後に定めよう。高坂勝さんの言葉を借りれば<まずは5%を変え、地殻変動に繋げる>のだ。来夏の参院選はイマジネーションとリアリティーを併せ持つビジョンで臨み、〝最後に笑う〟準備を整えるべきだ。
菅官房長官は国会前に集まったのは警察発表(3万人)程度で主催者発表(12万人)は水増しと語り、産経新聞と週刊新潮が補強する。仕事先の夕刊紙に掲載された記事が、御用メディアの企みを論破した。野党関係者が国会周辺の最寄り3駅に当日の乗降客数を問い合わせると8万人台。利便性で人気アップの桜田門駅は回答を拒否したが、バスなど別ルートで訪れた参加者を足せば、最低でも10万人になるだろう。
新宿で先日、「ナイトクローラー」(14年、ダン・ギルロイ監督)を見た。ニュース報道の内幕に迫った作品で、緊張は2時間弱、絶えることはなかった。夜のロサンゼルスを舞台に、社会の歪みを抉ったシャープかつリアルな衝撃作である。小さな箱(シネマカリテ)で少ない客とともに観賞したが、DVD化された暁にはぜひレンタルしてほしい。自信を持って推奨できる作品だ。
主人公のルー(ジェイク・ギレンホール)は孤独なミッドナイト・ランブラー(夜の徘徊者)だ。定職も友もなく、ネットサーフィンで社会と繋がっている。真っ赤な愛車で街を飛ばすルーは、事件現場と遭遇し、惨たらしい遺体を撮影する。これがパパラッチ(ナイトクローラー)という天職に出合うきっかけだった。
背景にあるのはテレビ業界の実態だ。ケーブルネットワークには無数の局がひしめき、視聴率戦争を繰り広げている。ルーが動画を持ち込んだ下位局にしても伽藍の趣がある。敏腕女性ディレクターのニーナ(レネ・ルッソ)の口癖は、「視聴者が求めているのは刺激。望ましいのは被害者が裕福な白人で、犯人がマイノリティーか貧困層であること」……。ルーは教えを実践し、頭角を現していく。
ヒスパニック系が多く暮らすロスは格差と貧困が夥しく、資本主義の矛盾を象徴する街だ。ルーの自己アピール、ニーナへの接近に、他者の目で相対的に自身を捉えること出来ない欠落が窺えるが、そのことが逆に武器になっている。〝やらせ〟をためらいなく実行し、スクープのために他者が犠牲になっても心は痛まない。
助手として雇ったリック(リズ・アーメッド)は表情がどこかルーに似ていた。ルーに取って代わる存在になるのかと想像したが、リックは人間的で優し過ぎた。ストーリーが進むにつれ、ルーの目に狂気と酷薄が宿るようになる。<デ・ニーロが演じた「タクシードライバー」のトラヴィスの再来>とはタイム誌の激賞だが、俺がルーに重ねたのは「ゴッドファーザーPARTⅡ」でアル・パチーノが演じたマイケルだった。
ルーを動物に例えれば獰猛な夜禽類といったところだが、良心、矜持、倫理の埒外で拝金主義を追求する悪魔が、紳士の装いで世界を闊歩している。典型例を挙げれば原発コングロマリット、そして戦争法案と繋がっている軍需産業である。
ネットにアップされた小林よしのりと奥田愛基さん(シールズ)の対談を斜め読みした。「もっと遊びたい」が奥田さんの本音かどうか知らないが、インプットの時間は必要だと思う。政治は取材する側も含めて消耗をもたらす。だから、言葉は時に惰性に流れるのだ。まあ、30年以上も遊び続けて復帰した俺の言葉なんか、何の説得力もないことは重々承知している。