酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

テレビで芝居は邪道?~シティボーイズ&岩松了を満喫

2011-12-01 19:49:00 | カルチャー
 田中聡沖縄防衛局長の卑劣な発言には愕然としたが、仕事先の夕刊紙が別の側面を報じていた。耳にしていながら黙殺した全国紙の記者たちは、琉球新報が報じるや<正義面>して田中氏を袋叩きした。

 脱原発を謳うCM(カタログハウス)がテレビ朝日に拒否されたことが、同じ面に掲載されていた。3・11以降、マスメディアへの信頼は地に墜ちたが、著しいのはテレ朝の最大株主である朝日新聞で、フリージャーナリストにより、正体を暴露される。記者クラブを牛耳り、翼賛報道を主導した朝日は、「放射能は全く問題ない」発言で告発された山下俊一氏に「朝日がん大賞」を授与し、世間の怒りと失笑を買った。

 さて、本題。今回は門外漢である芝居について記したい。演劇ジャーナリストであり映画ファンでもあるYさん(仕事先の整理記者)によれば、<映画は監督のもの、芝居は観客のもの>……。だが、芝居もカメラを通すと、場に充満する狂おしい熱気が伝わらず、演出や構成を左脳で考えてしまう。芝居をテレビで見るのは邪道かもしれないが、「シティボーイズミックス2011~動かない蟻」と「シダの群れ」(再放送、ともにWOWOW)を録画し、テレビ桟敷で満喫した。

 まずは、シティボーイズから。彼らの公演はWOWOWで毎年見ている。ここ数年、不条理とナンセンスの濃度は薄まり、エンターテインメント度が飛躍的にアップした。今回は大竹まこと、きたろう、斉木しげるの3人、レギュラーの中村有志に、荒川良々と辺見えみりが加わった。中村の芸達者ぶりには毎度ながら驚かされるし、荒川の天然ボケ、辺見のコメディエンヌとしての資質も引き出されていた。

 シチュエーションを結ぶイメージは、動かない蟻と炬燵の脚だ。人間に育てられたオランウータン(荒川)と、オランウータンに育てられた人間(きたろう)の対比は、自然と科学のメタファーだ。声高に叫ぶわけではないが、今回のテーマは原発事故で、3・11を経たからこそ意味を持つキャラや設定が用意されていた。荒涼感、絶望、諦念、崩壊感覚、終末論的思考が台詞に込められ、あやふやな総理、逃げてきた花嫁、防護服の男が登場する。映像や音楽とのコラボも見事だった。

 シティボーイズに限らず、バンド、映画、政治活動などで<青春の延長戦>を謳歌する連中に羨ましさを覚えていた。自分とは無縁と諦めていたが、昨年暮れ以来、大学時代のサークル仲間と再会してからは、頻繁に<青い気分>を味わっている。先日も一席設け、原発やTPPをテーマに熱い議論を闘わせた。タイムマシンに乗って30年前に戻ったみたいだが、お互い進歩していない。25歳までで思考法や感性が固まるという説は、どうやら正しいようだ。

 「シダの群れ」の冒頭に登場した演出家の岩松了を見て、「どこかで見たな」と記憶を辿る。岩松は「恋の罪」(11月22日の稿)でスーパー店長を演じていた。「シダの群れ」は暴力団の一家を舞台にした<任侠ホームドラマ>で、風間杜夫の間、伊藤蘭の艶っぽさ、阿部サダヲのはじけ方が印象的だった。刺すような台詞のずれが蓄積され、予定調和的かつ悲劇的な結末に至る。良くも悪くも日本的な慣習や情念に根付いた作品で、こんな風な創り方もあるのかと感心した。

 残念ながら、人間には時間が限られている。読書、映画、音楽だけで精いっぱいで、これからも芝居に時間を割くのは難しいが、折に触れてWOWOW等でオンエアされる舞台を楽しみたいと思う。


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