パソコン故障でデジタルの軛から逃れたせいか、読書に励んだ年だった。最近、本屋で衝動買する機会が増えている。「読んでくれ」と本が俺に呼びかけているような感覚は学生時代、久しぶりのことだ。今年読んだ作品でとりわけ感銘を受けたのは、「すばらしい新世界」(00年、池澤夏樹)、「水の透視画法」(11年、辺見庸)、そして再読した「神の火」(95年、高村薫)である。
反原発の側に立つ池澤は、自然と人間との理想的な絆を提示した。辺見は<既に崩壊した精神>の隠喩として3・11を捉えている。「神の火」は2人の中年男が原発を爆破する終焉の物語だ。いずれも3・11以前、起き得る事態を見極めていた慧眼による作品だが、俺が'11ベストブックに挙げるのは「だから、鶴彬」(楜沢健著)だ。この国の大衆運動の黄金期(1920年代から30年代前半)、川柳を武器に闘ったパンク魂に心がそよぐ。不可解な獄死を、731部隊による<最初の丸太=実験台>とする研究者もいる。
最も親しんだ作家といえば中村文則だ。今年は「悪と仮面のルール」(10年)、「土の中の子供」(05年)、「最後の命」(07年)の順で読み、いずれも当ブログで絶賛した。今回は最新作「王国」(河出書房新社)について記したい。
まずは注文から。「ムーア人の最後のため息」に悪戦苦闘した俺の脳に、「王国」はある種の消化剤だった。軽すぎる、いや、テーマは重厚なのに短過ぎるのだ。<ドストエフスキー的課題>を継承している作家に、複層的な枠組みで饒舌に語ってほしいと願うのは、時代遅れの感性なのだろうか。
中村の小説は登場人物の設定が肝になっている。「王国」の主人公ユリカも、他の作品同様、秩序や良識を嫌悪している。裏社会に属し、風俗嬢として要人に接近して眠らせる。偽装のセックス写真を撮り、ボスの矢田に送信するのが仕事だ。殺人事件に遭遇したユリカは、巨悪の木崎と出会い、両組織の狭間で裏切りと嘘を繰り返す。
善とは、悪とは、神とは……。重い問いが闇の迷路で礫のように飛び交う。ユリカの心の鋼が折れないのは、予めすべてを失くしているからだ。親友ユリとその息子の翔太は既に召され、身を賭して守る者は存在しない。剥き出しになったユリカの生存への希求が、物語の遠心力になっている。
3・11を経た今、不謹慎な表現だが、ユリカは紙袋に入った小型の核爆弾を、それとは知らず抱えて街を疾走しているかの如くだ。破滅的な凶事が連鎖的に生じるが、ユリカの入手した情報も導火線のひとつになっている。
<太陽が沈んだ後も、その光を盗み、私たちのような存在を照らす――、月>……。<残酷な月も、これを見れば少しは笑うのに>……。<月は薄い雲に覆われているのに、その奥で、溢れるほどの光を出している。ちょうど、エリが死んだ夜のように>……。<男の背後に、満ちた月がある。それは赤く、なぜかどうしようほど赤く、輝いている>……。
本作にはユリカの主観で月の描写が繰り返される。映画化されたら、主題歌はエコー&ザ・バニーメンの「キリング・ムーン」以外に考えられない。死への誘い、届かない幻想に囚われ、逆らえない宿命に翻弄される……。言葉と音が重なり、狂おしい影絵になって俺の心に映し出された。
大きなニュースが飛び込んできた。北朝鮮・金正日総書記の死である。独裁崩壊を願うばかりだが、世襲は既定路線のようだ。3・11以降、日本政府とメディアは、不自由で閉鎖的な顔をあらわにした。この国でもまた、形を変えた独裁が進行しているのではないか。
反原発の側に立つ池澤は、自然と人間との理想的な絆を提示した。辺見は<既に崩壊した精神>の隠喩として3・11を捉えている。「神の火」は2人の中年男が原発を爆破する終焉の物語だ。いずれも3・11以前、起き得る事態を見極めていた慧眼による作品だが、俺が'11ベストブックに挙げるのは「だから、鶴彬」(楜沢健著)だ。この国の大衆運動の黄金期(1920年代から30年代前半)、川柳を武器に闘ったパンク魂に心がそよぐ。不可解な獄死を、731部隊による<最初の丸太=実験台>とする研究者もいる。
最も親しんだ作家といえば中村文則だ。今年は「悪と仮面のルール」(10年)、「土の中の子供」(05年)、「最後の命」(07年)の順で読み、いずれも当ブログで絶賛した。今回は最新作「王国」(河出書房新社)について記したい。
まずは注文から。「ムーア人の最後のため息」に悪戦苦闘した俺の脳に、「王国」はある種の消化剤だった。軽すぎる、いや、テーマは重厚なのに短過ぎるのだ。<ドストエフスキー的課題>を継承している作家に、複層的な枠組みで饒舌に語ってほしいと願うのは、時代遅れの感性なのだろうか。
中村の小説は登場人物の設定が肝になっている。「王国」の主人公ユリカも、他の作品同様、秩序や良識を嫌悪している。裏社会に属し、風俗嬢として要人に接近して眠らせる。偽装のセックス写真を撮り、ボスの矢田に送信するのが仕事だ。殺人事件に遭遇したユリカは、巨悪の木崎と出会い、両組織の狭間で裏切りと嘘を繰り返す。
善とは、悪とは、神とは……。重い問いが闇の迷路で礫のように飛び交う。ユリカの心の鋼が折れないのは、予めすべてを失くしているからだ。親友ユリとその息子の翔太は既に召され、身を賭して守る者は存在しない。剥き出しになったユリカの生存への希求が、物語の遠心力になっている。
3・11を経た今、不謹慎な表現だが、ユリカは紙袋に入った小型の核爆弾を、それとは知らず抱えて街を疾走しているかの如くだ。破滅的な凶事が連鎖的に生じるが、ユリカの入手した情報も導火線のひとつになっている。
<太陽が沈んだ後も、その光を盗み、私たちのような存在を照らす――、月>……。<残酷な月も、これを見れば少しは笑うのに>……。<月は薄い雲に覆われているのに、その奥で、溢れるほどの光を出している。ちょうど、エリが死んだ夜のように>……。<男の背後に、満ちた月がある。それは赤く、なぜかどうしようほど赤く、輝いている>……。
本作にはユリカの主観で月の描写が繰り返される。映画化されたら、主題歌はエコー&ザ・バニーメンの「キリング・ムーン」以外に考えられない。死への誘い、届かない幻想に囚われ、逆らえない宿命に翻弄される……。言葉と音が重なり、狂おしい影絵になって俺の心に映し出された。
大きなニュースが飛び込んできた。北朝鮮・金正日総書記の死である。独裁崩壊を願うばかりだが、世襲は既定路線のようだ。3・11以降、日本政府とメディアは、不自由で閉鎖的な顔をあらわにした。この国でもまた、形を変えた独裁が進行しているのではないか。