小出裕章氏の声明がきっかけになったのか、脱原発両陣営の支持者に互いへの批判を控える動きが広がり、「ガンバレよ オマエモナ」とエールを送るイラスト(座間宮ガレイ作)が拡散している。細川氏は立候補会見で「六ヶ所村ラプソディー」に感銘を受けたと語っていたが、監督である鎌仲ひとみ氏は宇都宮支持を表明している。分裂したものの両陣営の感性は遠くない。選挙後はきっと亀裂を修復できるはずだ。
宇都宮候補の街頭演説を新宿東口で聞いた。司会を務める橋本美香さん(制服向上委員会会長)に目が釘付けになってしまったが、それはともかく、細川陣営の盛り上がりと比べると停滞感は否めない。「選挙フェス」で旋風を巻き起こした三宅洋平氏が前面に立ち、熱を注入する時機ではないか。
首相の肝いりで籾井氏を会長に据えたNHKを筆頭に、辺見庸の言葉を引用すれば<巨大メディアの「安倍機関化」>が進行している。舛添候補が勝てば、脱原発陣営は不公正な報道を敗因のひとつに挙げるだろう。でも、その〝お約束〟に俺は納得しない。東欧や韓国では、徹底した言論弾圧下で夥しい血が流れながら、歳月をかけて変革を勝ち取った。メディアの翼賛化が当分続く以上、闘う者は知恵をひねり出さねばならない。
新宿バルト9でテオ・アンゲロプロスの遺作「エレニの帰郷」(09年)を見た。5年のタイムラグを経ての日本公開で、倒産の危機にあるフランス映画社に代わり、配給は一見〝ミスマッチ〟の東映だ。字幕を担当したのは監督と親交のあった池澤夏樹である。主な登場人物は映画監督A(ウィレム・デフォー)、Aの母エレニ(イレーヌ・ジャコブ)、父スピロス(ミシェル・ピッコリ)、そしてエレニを庇護してきたヤコブ(ブルーノ・ガンツ)の4人だ。
Aが母と父の半生をテーマに映画を撮るという設定で、アンゲロプロスらしく歴史のうねりを背景に据えた作品になっている。1953年から21世紀初頭までの半世紀を遡行しカットバックしつつ、ローマ、ニューヨーク、カザフスタン、シベリア、ハンガリー、トロント、最後はベルリンと舞台を転じながら壮大な物語が紡がれる。
本作のハイライトのひとつで、アンゲロプロスの作意が投影されていたのは、荒らされた撮影班の事務所のシーンだ。「ディーバ」でお馴染みのオペラ「ラ・ワリー」(カタラーニ)のアリアが鳴り響き、Aの目に落書きされた天使の絵が映る。天使の手の先に<第三の翼>が描かれていた。
「ラ・ワリー」は娘ワリーと2人の男を巡る悲劇で、本作におけるエレニ、スピロス、ヤコブが過ごした半世紀にそのまま置き換えられる。「歴史に掃き出された」とスピロスの台詞にあるように、3人は歴史に翻弄されてきた。<第三の翼>の原型は次のシーン(40年遡ったシベリアの収容所)で明かされる。女性詩人が高台からビラを撒き、「天使は叫んだ、第三の翼」と叫んで取り押さえられた。
エレニとヤコブはこの場面を眺めていた。<第三の翼>は天使の沈黙、墜落、望み得るユートピアのメタファーで、ビラを撒く詩人のイメージはその後、死の匂いを纏って現れる。エレニと名付けられたAの娘が佇む廃墟のバルコニー、絶対的な孤独に苛まれたヤコブが立つ船の甲板だ。
ヤコブ役のブルーノ・ガンツが守護天使を演じた「ベルリン・天使の詩」への敬意が窺え、エレニとスピロスの再会の場面には「ひまわり」が重なった。アメリカで反戦運動に関わったAは、50歳前後になった今も、部屋にジム・モリソン、ボブ・マーリー、ルー・リーらのポスターを貼っている。アンゲロプロスはロックに詳しくないはずで、周りの意見を参考にしたに相違ない。
以前の作品とトーンが異なっていると俺は感じた。<俯瞰の構図に個々が収まりラストに向かう>のが従来のアンゲロプロスなら、<個々が背景からくっきりカラフルに浮き上がった>というのが本作の印象だ。「物語だけが僕の居場所。それ以外の所に僕は存在しない」と元妻の背中に語りかけたAの台詞は、まさに巨匠の本音といえるだろう。
崇高な愛と絆に深い感銘を受け、ラストにカタルシスを覚える。スクリーンは大きな濾紙になり、俺の汚れや荒みをしばし浄めてくれた。
宇都宮候補の街頭演説を新宿東口で聞いた。司会を務める橋本美香さん(制服向上委員会会長)に目が釘付けになってしまったが、それはともかく、細川陣営の盛り上がりと比べると停滞感は否めない。「選挙フェス」で旋風を巻き起こした三宅洋平氏が前面に立ち、熱を注入する時機ではないか。
首相の肝いりで籾井氏を会長に据えたNHKを筆頭に、辺見庸の言葉を引用すれば<巨大メディアの「安倍機関化」>が進行している。舛添候補が勝てば、脱原発陣営は不公正な報道を敗因のひとつに挙げるだろう。でも、その〝お約束〟に俺は納得しない。東欧や韓国では、徹底した言論弾圧下で夥しい血が流れながら、歳月をかけて変革を勝ち取った。メディアの翼賛化が当分続く以上、闘う者は知恵をひねり出さねばならない。
新宿バルト9でテオ・アンゲロプロスの遺作「エレニの帰郷」(09年)を見た。5年のタイムラグを経ての日本公開で、倒産の危機にあるフランス映画社に代わり、配給は一見〝ミスマッチ〟の東映だ。字幕を担当したのは監督と親交のあった池澤夏樹である。主な登場人物は映画監督A(ウィレム・デフォー)、Aの母エレニ(イレーヌ・ジャコブ)、父スピロス(ミシェル・ピッコリ)、そしてエレニを庇護してきたヤコブ(ブルーノ・ガンツ)の4人だ。
Aが母と父の半生をテーマに映画を撮るという設定で、アンゲロプロスらしく歴史のうねりを背景に据えた作品になっている。1953年から21世紀初頭までの半世紀を遡行しカットバックしつつ、ローマ、ニューヨーク、カザフスタン、シベリア、ハンガリー、トロント、最後はベルリンと舞台を転じながら壮大な物語が紡がれる。
本作のハイライトのひとつで、アンゲロプロスの作意が投影されていたのは、荒らされた撮影班の事務所のシーンだ。「ディーバ」でお馴染みのオペラ「ラ・ワリー」(カタラーニ)のアリアが鳴り響き、Aの目に落書きされた天使の絵が映る。天使の手の先に<第三の翼>が描かれていた。
「ラ・ワリー」は娘ワリーと2人の男を巡る悲劇で、本作におけるエレニ、スピロス、ヤコブが過ごした半世紀にそのまま置き換えられる。「歴史に掃き出された」とスピロスの台詞にあるように、3人は歴史に翻弄されてきた。<第三の翼>の原型は次のシーン(40年遡ったシベリアの収容所)で明かされる。女性詩人が高台からビラを撒き、「天使は叫んだ、第三の翼」と叫んで取り押さえられた。
エレニとヤコブはこの場面を眺めていた。<第三の翼>は天使の沈黙、墜落、望み得るユートピアのメタファーで、ビラを撒く詩人のイメージはその後、死の匂いを纏って現れる。エレニと名付けられたAの娘が佇む廃墟のバルコニー、絶対的な孤独に苛まれたヤコブが立つ船の甲板だ。
ヤコブ役のブルーノ・ガンツが守護天使を演じた「ベルリン・天使の詩」への敬意が窺え、エレニとスピロスの再会の場面には「ひまわり」が重なった。アメリカで反戦運動に関わったAは、50歳前後になった今も、部屋にジム・モリソン、ボブ・マーリー、ルー・リーらのポスターを貼っている。アンゲロプロスはロックに詳しくないはずで、周りの意見を参考にしたに相違ない。
以前の作品とトーンが異なっていると俺は感じた。<俯瞰の構図に個々が収まりラストに向かう>のが従来のアンゲロプロスなら、<個々が背景からくっきりカラフルに浮き上がった>というのが本作の印象だ。「物語だけが僕の居場所。それ以外の所に僕は存在しない」と元妻の背中に語りかけたAの台詞は、まさに巨匠の本音といえるだろう。
崇高な愛と絆に深い感銘を受け、ラストにカタルシスを覚える。スクリーンは大きな濾紙になり、俺の汚れや荒みをしばし浄めてくれた。
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