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酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

詩文集「生首」~根が生えた言葉の凄み

2010-05-19 00:39:53 | 読書
 大阪で小2女児が刺され、30代の女性が逮捕された。少女の回復を心から願っているが、メディアはなぜ女性の父親の肉声を流したのだろう。

 加害者家族には必ず有形無形の社会的制裁が及ぶ。事件の背景を探ることは必要だが、報道は可能な限り、当事者のみにとどめるべきだ。俗情と結託するメディアの荒みと奢りはとどまるところを知らない。

 辺見庸の詩文集「生首」(毎日新聞社)を、〝ブロンクスのビョーク〟レジーナ・スペクターをBGMに繰り返し読んだ。俺という濁ったフィルターは無用といえる。五臓六腑から吐き出された断章の数々を、出来る限り紹介したい。

 <言は剥がれ。いかなる実体も描きえず。まして虚体を名状しえず。実体はかえって消失し。言は実体の消失をもはや言いえず。あるはただ符牒のみ。記号のみ>(「剥がれて」から)

 タイトルの「生首」は、空疎な言葉の暗喩でもある。胴体(実体)から切り離された首(言葉)はフワフワ宙に浮き、踏みしめる地面は液状化して重力を失くしている。この国はどこに漂着するのだろう。

 <濃い闇は、無音で淡い闇を侵し、薄い闇は濃い闇の凝縮を音もなく、ほどく。あやういのは、後者である>(「partition」から)
 
 <すべての明け暮れが絶えておわれば、これからは明けるのではない、暮れるのでもまたない、まったきすさみだけの時である。いまやぞっとするばかりに澄明な秘色の色に空と曠野はおおいつくされて、畏れるものはもうなにもない>(「酸漿」から)

 この国が〝無痛の不自由〟に至る道筋を<薄い闇>と表現したのだろうか。真綿で絞められるように若者は活力を奪われた。明け暮れは絶え、昼と夜の区別がない〝明るい閉塞〟に覆われている。

 第3章では連作詩で自らの死と葬列を描いている。安物の不浄屍体用平型並箱をリヤカーに載せて運ぶのが私なら、棺の中の<蒸れくされる屍体?>も私だ。<まるで影の影のように 顔 胸 腹をかくし 腐れてはいつくばっている>。葬列は徒刑のごとき野辺の送りで、悼む者も祈る者もいない。贖罪の意識が濃く反映された「生首」は、著者にとって一冊の〝遺書〟なのかもしれない。

 <私は人と断じられることによってしか私の「人」を容易にあかしえはしない。その逆では慙死するほか行き場はない>(「眠り」から)

 何より自らを穿つが辺見の言葉に感応する者は、〝無菌の温室化〟したこの国では少数だ。

 <おれはとうに 飽いているのだ もう 疲れているのだ マラカイト・グリーンの あの 青丹に似せた 満遍のない いかさまに 怒ったふりをしてみせる 君たちの いかにも いかさまな 猿芝居に>(「緑青」から)

 政治記者を「背広を着た糞バエ」と断じた辺見のメディア批判だ。俺も間もなく空騒ぎに踊らされるだろう。Wカップと参院選の喧騒で和らげられた倦怠は、灼熱に炙られて腐敗し、消臭されて秋を迎える。

 <この国は貧民から権力者まで、上から下までびっしりと裏切り者によってのみなりたっている。(中略)あられもない内応のプロたち、とめどない転向者たちの群れ。内通者たちの楽園。語の肉からの剥離を毫も意に介さぬ者ら>(「挨拶」から)

 根の生えた言葉に殉じる著者が指弾するのはメディアだけではない。大道寺将司さんとの面会を綴った詩文で、<語と身体の懸隔>をもたらした者たちの職業を羅列している。

 <風の根は おそらく そら恐ろしいほど 清い ひとりの思想の青である。こちらでは狂ともいわれる 人外の青である。風の根の青みは しかし 渡らないと 視えない。視た者は 還らない。ただ ひとりの風になり 吹きわたるだけなのだ>(「風」から)

 この一節に、著者が到達した境地と覚悟が窺える。低レベルのブロガーに過ぎぬ俺だが、一瞬でもいいから向こうに渡ってそよいでみたい。たとえそれが、狂いに近づくことだとしても……。



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