コロナ禍がもたらす閉塞感、炎暑下の倦怠感のせいにするわけではないが、俺ぐらいの年(63歳)になると日々、失敗や齟齬の連続で、煎餅布団でダラダラ〝永眠へのリハーサル〟状態だ。
ブログを〝遺書代わり〟などと記してきたが、今や〝生命維持装置〟で、中3日更新のリズムを失えば、人間廃業にまっしぐらだ。気力と好奇心が萎えているからネタ切れになり、〝お疲れ雑感〟でお茶を濁すつもりでいたが、予定が変わる。前稿で紹介した「パブリック 図書館の奇跡」のHPの著名人コメントの中にいしいしんじを見つけたからだ。
<本の壁に守られて一夜を過ごす。どんな凍てつく吹雪にさらされようとも、大切な物語が一編さえあれば、胸の灯火はほのかに輝きつづける>……。「そうだ、いしいしんじだ」と閃き、積読本から「トリツカレ男」(2001年、新潮文庫)をピックアップする。160㌻の掌編だが、心を灯す〝大切な物語〟だった。後半は「パブリック――」同様、異常な寒波が回転軸になる。
いしいの作品を読むのは「悪声」、「ぶらんこ乗り」に次いで3作目だ。「悪声」に横溢する土着的パワーに圧倒され、石川淳と辻原登を援用してあれこれ評したが、いしいの原点というべき「ぶらんこ乗り」を読んで、肝心の作家の名が念頭になかったことに気付いた。夢の中で夢を見る浮遊感は、宮沢賢治の世界と重なっている。
「走れメロス」のテーマは友情だったが、「トリツカレ男」は疾走するロマンチックな愛を軸に据えたメルヘンだ。ジュゼッペは常に何かに夢中になっている青年で、周囲は「トリツカレ男」と呼んでいる。オペラ、三段跳び、探偵、昆虫採集など対象を替えるが、風船売りの少女ペチカとの宿命的な出会いで、人生の景色が一変する。
ジュゼッペは情熱的なイタリア人に多い名前、ペチカは寒い国の暖炉……。無国籍風のメルヘンについて詮索しても意味はないが、舞台は恐らくドイツ北部で、ペチカはアイスホッケーが盛んな東欧出身からの移民だろう。ジュゼッペの相棒はハツカネズミだ。宮沢賢治の童話にも多くの動物が登場するが、本作のハツカネズミはジュゼッペに自制を求める〝大人〟だ。
ペドロ・アルモドバル監督の「アタメ」や「トーク・トゥ・ハー」にもトリツカレ男は登場するが、ジュゼッペのペチカに寄せる思いは常軌を逸したストーカーといってもいい。ハツカネズミによって、ペチカに40歳の婚約者がいた事実が伝えられる。アイスホッケー部のコーチだった体育教師のタタンは生徒たちの命を守るため、3年前に亡くなっていた。ジュゼッペは探偵の経験からタタンに変装するだけなく、アイスホッケーにトリツカレた。
悲しい三角関係のはずが、トリツカレ=憑依が生死の境界を超え、物語は神話、寓話の高みに飛翔する。ジュゼッペはペチカだけでなく高潔なタタンに、彼岸からペチカを見守るタタンは純粋なジュゼッペに、そしてペチカもタタンだけでなくジュゼッペにトリツカレた。互いを思いやる愛と優しさが、地に足を生やした理想的な〝三脚関係〟を現出させた。ジュゼッペが最後にトリツカレたサンドイッチ作りがペチカとの絆を紡ぐハッピーエンドだが、行間に漂泊の哀しみが滲んでいた。
メルヘンの基本は自然への畏れと共生への祈りだ。本作では四季折々の鮮やかな描写がジュゼッペたちの心情を反映していた。<62歳にもなって、屁理屈抜きで感情移入出来る小説に巡り合えた幸せを噛みしめている>と「ぶらんこ乗り」の感想を締めたが、65歳間近になって愛を高らかに謳う「トリツカレ男」に心を揺さぶられた。どうやら童心に帰ったようだ。
俺はジュゼッペのようにトリツカレを避けてきた。周囲に嗤われてもトリツカレていれば、人生は変わったかもしれない。才能と情熱に恵まれない俺のこと、とっくに東京砂漠でくたばっていただろうが……。
ブログを〝遺書代わり〟などと記してきたが、今や〝生命維持装置〟で、中3日更新のリズムを失えば、人間廃業にまっしぐらだ。気力と好奇心が萎えているからネタ切れになり、〝お疲れ雑感〟でお茶を濁すつもりでいたが、予定が変わる。前稿で紹介した「パブリック 図書館の奇跡」のHPの著名人コメントの中にいしいしんじを見つけたからだ。
<本の壁に守られて一夜を過ごす。どんな凍てつく吹雪にさらされようとも、大切な物語が一編さえあれば、胸の灯火はほのかに輝きつづける>……。「そうだ、いしいしんじだ」と閃き、積読本から「トリツカレ男」(2001年、新潮文庫)をピックアップする。160㌻の掌編だが、心を灯す〝大切な物語〟だった。後半は「パブリック――」同様、異常な寒波が回転軸になる。
いしいの作品を読むのは「悪声」、「ぶらんこ乗り」に次いで3作目だ。「悪声」に横溢する土着的パワーに圧倒され、石川淳と辻原登を援用してあれこれ評したが、いしいの原点というべき「ぶらんこ乗り」を読んで、肝心の作家の名が念頭になかったことに気付いた。夢の中で夢を見る浮遊感は、宮沢賢治の世界と重なっている。
「走れメロス」のテーマは友情だったが、「トリツカレ男」は疾走するロマンチックな愛を軸に据えたメルヘンだ。ジュゼッペは常に何かに夢中になっている青年で、周囲は「トリツカレ男」と呼んでいる。オペラ、三段跳び、探偵、昆虫採集など対象を替えるが、風船売りの少女ペチカとの宿命的な出会いで、人生の景色が一変する。
ジュゼッペは情熱的なイタリア人に多い名前、ペチカは寒い国の暖炉……。無国籍風のメルヘンについて詮索しても意味はないが、舞台は恐らくドイツ北部で、ペチカはアイスホッケーが盛んな東欧出身からの移民だろう。ジュゼッペの相棒はハツカネズミだ。宮沢賢治の童話にも多くの動物が登場するが、本作のハツカネズミはジュゼッペに自制を求める〝大人〟だ。
ペドロ・アルモドバル監督の「アタメ」や「トーク・トゥ・ハー」にもトリツカレ男は登場するが、ジュゼッペのペチカに寄せる思いは常軌を逸したストーカーといってもいい。ハツカネズミによって、ペチカに40歳の婚約者がいた事実が伝えられる。アイスホッケー部のコーチだった体育教師のタタンは生徒たちの命を守るため、3年前に亡くなっていた。ジュゼッペは探偵の経験からタタンに変装するだけなく、アイスホッケーにトリツカレた。
悲しい三角関係のはずが、トリツカレ=憑依が生死の境界を超え、物語は神話、寓話の高みに飛翔する。ジュゼッペはペチカだけでなく高潔なタタンに、彼岸からペチカを見守るタタンは純粋なジュゼッペに、そしてペチカもタタンだけでなくジュゼッペにトリツカレた。互いを思いやる愛と優しさが、地に足を生やした理想的な〝三脚関係〟を現出させた。ジュゼッペが最後にトリツカレたサンドイッチ作りがペチカとの絆を紡ぐハッピーエンドだが、行間に漂泊の哀しみが滲んでいた。
メルヘンの基本は自然への畏れと共生への祈りだ。本作では四季折々の鮮やかな描写がジュゼッペたちの心情を反映していた。<62歳にもなって、屁理屈抜きで感情移入出来る小説に巡り合えた幸せを噛みしめている>と「ぶらんこ乗り」の感想を締めたが、65歳間近になって愛を高らかに謳う「トリツカレ男」に心を揺さぶられた。どうやら童心に帰ったようだ。
俺はジュゼッペのようにトリツカレを避けてきた。周囲に嗤われてもトリツカレていれば、人生は変わったかもしれない。才能と情熱に恵まれない俺のこと、とっくに東京砂漠でくたばっていただろうが……。