酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「邪宗門」再読~<言葉の身体性>を突き付ける壮大な叙事詩

2018-11-21 20:41:14 | 読書
 〝労働者の生き血を吸う醜いコウモリ〟ことカルロス・ゴーン日産会長が逮捕された。莫大な広告宣伝費を鑑み、メディアはゴーン個人を悪者にして、日産本体は叩けないだろう。1%の〝ゴーンもどき〟と安倍政権が手を携え、99%は奴隷になりつつある。

 老い先短い今こそ、来し方を振り返る時機と考え、福永の「死の島」に続き、40年ぶりに高橋和己の「邪宗門」(河出文庫、上下1200㌻)を再読した。記憶を遥かに超える重厚な作品で、初めて読んだ時、全体像を理解出来るレベルになかったことを痛感した。

 本作の舞台は京都北部(神部)を拠点にする宗教団体「ひのもと救霊会」だ。教団を興したのは行徳まさで、2代目教主の行徳仁二郎は人間的魅力に溢れている。大本教をモデルにスケールアップさせたことは明らかだ。救霊会はコミューン的志向が強く、天皇制とも距離を置いていた。農民一揆、大塩平八郎の乱を連想させ、足尾鉱毒事件などの反体制運動の水脈を受け継いでいる。武装化した宗教団体として、「オウム真理教に影響を与えたのではないか」と本作を分析する識者もいた。

 昭和初期、100万人の信者を誇り、製糸工場、新聞社、病院を経営する救霊会はファシズムの嵐に耐えていた。神殿は破壊され、教主も獄中にいる。そんなある日、7歳の少年、千葉潔が本部に流れ着いた。既に地獄を体験していた千葉は出奔後、テロ、放浪、三高、応召を経て本部に帰還し。20年後、自ら餓死を選択する。

 高橋和己は<日本のドストエフスキー>と称されたが、千葉も「悪霊」のスタヴローギンのように明晰な頭脳と魔性を併せ持っている。第3代教主になった千葉の計画――地方の農村共同体を基盤に叛乱を起こし、全国に波及させる――はナロードニキの理念に重なる。

 戦後の混乱期で「邪宗門」は終わるが、戦争法、秘密保護法、共謀罪法が成立し、憲法改悪が射程に入ってきた今、本作は刺激的でフレッシュなままだ。千葉は山口に赴き、<(日本は敗戦で)混乱していても、身体を支える神経はくずれていない。中央から末端まで、財政の機構、通信電話の連絡網がばしっと通っている>と新興宗教の開祖に語り掛けた。<第二の敗戦>といわれた3・11を経ても、日本の構造は変わらなかった。

 「悲の器」(62年)でデビューしてから9年、高橋は心身を切り刻みながら膨大な数の小説と評論を著す。39歳での死は〝時代に殉じた〟というべきで、生き長らえていたら世界で高評価を獲得したに違いない。解説の佐藤優氏は<日本が世界に誇る知識人による世界文学>と評している。

 森友問題で安倍首相を守った佐川宣寿前国税庁長官は学生時代、高橋の愛読者だった。作品の主人公の多くは自壊する。反安倍サイドは佐川氏が〝初心〟に帰り、真実をぶちまけることを期待したが、叶わなかった。佐川氏にとって、高橋は〝通過儀礼〟だったのか。

 「邪宗門」の背景にあるのは、1920年代から敗戦直後に至るまでの抵抗する側から描いた日本の政治思想史、精神史だ。弾圧された宗教団体と左派、満州や南方戦線で棄てられた兵士や移民の塗炭の苦しみを高橋は詳述している。骨太の魂だけでなく精緻な筆致に、高橋の卓越した力量を再認識した。

 千葉を巡る仁二郎の娘阿礼と阿貴姉妹との愛の形が、崩壊にひた走る壮大な叙事詩を彩っている。反逆の意志を抱く登場人物が配されていたが、千葉と一対を成すのが植田文麿だ。植田は陸軍尉官としてテロに関与し、その後、九州で炭鉱夫として働く。強制連行された朝鮮人労働者の悲惨な実態もその目を通して描かれていた。戦後、労働運動のリーダー格になった植田は引き寄せられるように神部に戻る。

 仁二郎には2通の遺書があった。安寧と融和を説くものではなく、反抗を説くもう一通の遺書が教団を動かす。3代目教主に就いた千葉、三高時代の友人、救霊会に加わっていた左派活動家、厭世的な阿礼、そして植田……。彼らの意志が坩堝の中でケミストリーを起こし、救霊会は警察、そして進駐軍と対峙する。

 本作の連載はベトナム反戦、全共闘が種火の時期だった1965年、「朝日ジャーナル」で始まった。高橋は自らの死後の停滞を予感していたのではないか……。俺はそう感じている。中学2年時の11月、自衛隊市ケ谷駐屯地で三島由紀夫が自決し、半年後、高橋和己が病に斃れた。高橋は全共闘に寄り添い、三島は「血が涸れるまで闘うぞ」といった全共闘のアジテーションに危機感を募らせた。

 立ち位置は真逆の両者だが、雑誌での対談から互いに敬意を抱いていたことは明らかだ。両者の共通点は<言葉の身体性>を実践したこと。薄っぺらい言葉がフワフワ舞う今、言葉の身体性が問われている。
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