酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「アレクシエービッチの旅路」~心洗われるドキュメンタリー

2017-03-24 10:15:21 | 社会、政治
 反核運動を支えてきた肥田舜太郎医師が亡くなった。赴任先の広島で被爆(=被曝)した肥田氏は、「ヒバクシャ~世界の終わりに」(03年、鎌仲ひとみ監督)で、<核兵器と原発の廃棄が、世界の終わりから人類を救出する手段>と8年後を見据えていた。享年100、不屈の医師の冥福を心から祈りたい。
 
 先日(20日)、「いのちを守れ! フクシマを忘れない さようなら原発全国集会」(代々木公園)に、オルタナミーティング(OM)のブーススタッフとして参加した。ソシアルシネマクラブすぎなみ第15回上映会「LIGHT UP NIPPON」、OM主宰「神田香織一門会」の告知が主な目的である。

 「アレクシエービッチの旅路~チェルノブイリからフクシマへ」(NHKBS)を再放送で見た。「チェルノブイリの祈り」、「フクシマ未来の物語」の2部構成で、ベラルーシ出身のジャーナリスト、記録文学者で、ノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシエービッチの取材を追うドキュメンタリーだ。

 <小さき人々、自らの声を書き残そうとはしない人々……。彼らの存在が砂や風のごとく闇に埋もれてしまわぬように、私は見向きもされない歴史を書き留める。教科書に載らない本当の歴史を>……。これが彼女の方法論だ。チェルノブイリ事故直後、人類にとってコントロール不能の状況に慄然として取材を始め、10年以上を経て「チェルノブイリの祈り」(1997年)を発表した。第1章は発電所の鎮火のために招集された消防士とその妻の愛の物語で、上記の神田香織が講談化し、全国で口演している。

 「核兵器と原子力は共犯者で、等しく人を殺すことを知らなかった」と自主的帰村者は語る。独裁が続いたベラルーシでは日本同様、医学、科学、メディアが政府の管理下にあり、体内被曝の実態も隠蔽されている。<ここは世界の中に出来たもうひとつの世界。私たちの世界の身代わりなのです>とアレクシエービッチは独白する。

 「チェルノブイリの祈り」のサブタイトル〝未来の物語〟は2011年3月、福島で現実になる。アレクシエービッチは昨年11月、福島を訪れ、斎藤貢氏(小高商業高校元校長)と長谷川健一氏(元酪農家)が案内人を務める。「自分はこの場所を見捨てることが出来ない」という声が印象に残ったようで、<「旅人の宿」になっている現代の世界で、「故郷」という言葉は日本で以前と同じような意味を持っている>と語っていた。

 詩人でもある斎藤氏はアレクシエービッチのリクエストに応え、自作(「いのちのひかりが」)を朗読する。福島の人たちの思いが凝縮されている詩を以下に記す。

 野の草も、木も、花も かつての美しさは色褪せてしまって いのちの気配すら もう、ここには、ないのかもしれない
 ひとが住めない土地に、芽生えるのは ガラス細工のように巧妙な 偽物のひかり
 優しいことばが むしろ、苦役で
 たくさんの、こころを 傷つけていることにも、気づかない
 放射能の薄い皮膜で、覆い尽くされてしまった土地
 廃墟のような、ふるさと
 そこを 歩いているのは、薄い紙のようなひとだろうか 
 ペラペラとした肉体で、いのちの影が、とても薄くなったひと
 しかし、それは、かすかないのちのひかりが 雑草のように、ここではじけ散ったからにすぎない
 だから、ひとよ。虚飾の舌で 優しく、希望を歌うな。偽りの声で、声高に、愛を叫ぶな

 被災者住宅で暮らす人、放射能の恐ろしさを承知しながら帰郷した人、長谷川氏らが語る自殺者の無念……。アレクシエービッチは孤独、哀しみ、絶望、憤りに感応し、同じ目線で、瞳を潤ませながら話を聞く。

 <なぜ彼らは、絶望し、首をくくらなければならないのか? 大規模な原発事故は2度しか起きていないから、抵抗の方法がわからない。被災者は社会と切り離され、「のけもの」にされている。被災を免れた人々は、自分の身にも起こり得たと実感できない>と語り、<チェルノブイリとフクシマの文化を創らねば成りません。新しい知を、新しい哲学を>と旅を総括する。

 福島訪問を終えたアレクシエービッチは東京外大で講演し、<チェルノブイリとフクシマで感じたのは、国家の無責任、冷酷さだが、抵抗の小ささにも驚いた。あなたたちの社会には「抵抗の文化」がありません>と警鐘を鳴らす。そして若者たちに<孤独でも「人間」であることを丹念に続けるしかない>と提言した。
 
 話は戻るが、反原発集会では10代、20代にチラシを配ろうと思った。休日の公園だから若者を多く見かけたが、集会とは無関心で受け取ってくれない。だが、俺も似たようなものだった。20代の頃は政治に関わっていたのに、阪神・淡路大震災を享楽都市東京から他人事のように眺めていた。小泉政権による自衛隊のイラク派遣に抗議するデモに誘われたが、仕事を理由に加わらなかった。

 アレクシエービッチの言葉を借りれば、俺は「人間」ではなく、「人間もどき」だったのだ。「人間らしき」が芽生えたきっかけは、東日本大震災と原発事故、そして翌年の妹の死である。遅きに失した感はあるが、死ぬまでに少しでも心を洗って「人間」に近づきたい。
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