台湾総統選で対中独立、脱原発、同性婚支持などリベラルな方針を掲げた蔡英文候補(民進党)が圧勝した。この結果を導いたのはひまわり学生運動である。2年前の3月、行政院占拠を支持する50万の民衆が総統府を包囲した。その時の様子を空撮した映像に警察車両は見当たらず、笑みを浮かべてアピールする人たちに。<主権者は私たち>という信念が窺えた。直接民主主義が鮮やかに議会の構成を変えたのだ。
台湾の反原発デモには人気俳優やタレントが参加しているが、圧力は一切ない。総統選では常に10代が先頭に立ってきたが、今回も若い世代の意思表示が世論を動かした。韓国のテレビ番組でアイドル(16歳)が台湾の旗を振った。大陸からの批判で、彼女は謝罪に追い込まれたが、この一件が国民のプライドを刺激し、地滑り的勝利の一因になったとされている。自由と民主主義という点で、日本が台湾に追いつく日は来るだろうか。
デヴィッド・ボウイが亡くなって10日……。追悼の声があちこちで上がっている。俺は「別にボウイファンじゃない」と言いながら、まとめて聴こうとCDを探したら15枚あった。レコードのみで聴いたアルバムを合わせたら、20作以上になるだろう。「ファンじゃないか」と言われそうだが、年季の入ったロックファンにとって、ボウイはスタンダード、最低限のたしなみといっていい。
学生時代(1970年代後半)、部屋に遊びにきた先輩が、壁に貼っていたボクサーや映画のポスターの間にボウイのピンナップを見つけ、「おまえ、ホモか」と切り出した。ボウイは当時、グラムロックにカテゴライズされており、ロックを聴かない彼がそんな偏見を抱いていても不思議はなかった。
「ロッキング・オン」のウェブサイトで紹介されていた「ガーディアン」の記事は正鵠を射ている。いわく<ボウイはイアン・カーティス(ジョイ・ディヴィジョン)、ロバート・スミス(キュアー)、モリッシー(スミス)、プリンス、マリリン・マンソンなど、世界中のアウトサイダー、偉大なフリークスたちに心の拠りどころを与え、「異形であることを恐れるな」と鼓舞した偉大なイノベーター>(要旨)。格好悪く凡庸な〝プチ社会不適応者〟だった俺も、ボウイを含めロック(とりわけザ・フー)に救われてきた。
ボウイで一番好きな曲は「ロックンロールの自殺者」だ。スペインの詩人にインスパイアされたといわれているが、当のボウイはボードレールを借用したと話していたそうだ。英米人にも難解な曲らしいが、「君は独りじゃない、差し伸べたこの手を握ってくれ」というフレーズに青春時代の傷が疼く。同曲が収録された「ジギー・スターダスト」を久しぶりに聴いて涙腺が決壊した。
<ある時代の前衛は、次の世代のメーンストリームになる>……。アート全般を貫く公式をロックで実践したボウイは、〝地球に墜ちてきた男〟としてショービジネス界に降り立った。アウトサイダーであることを強く意識していたボウイは、「戦場のメリークリスマス」(83年、大島渚監督)の撮影に特別の思いで臨んだと想像している。ボウイが演じたセリウズ少佐の贖罪を込めたモノローグに、半生と重なる部分を感じたからだ。ボウイは芥川龍之介のように、いずれ訪れる狂気を恐れていたのではないか。
遡行、蛇行を繰り返しながら、ボウイは常にコンセプトを明確に打ち出していた。デビューから「アラジン・セイン」までは<創り上げた虚構で、アウトサイダーとしての自身を表現する>というスタイルだったが、ジョージ・オーウェルの「1984」にインスパイアされた「ダイヤモンドの犬」は画期的な試みだった。薬物中毒克服のために訪れたベルリンで欧州の頽廃が薫る3部作を発表する。中でも「ヒーローズ」はボウイのキャリアでも五指に入る作品だ。
興味深いのはアメリカとの距離感だ。MTV時代にマッチした「レッツ・ダンス」あたりで、ボウイは神の仮面を脱ぎ捨て、華やかで美しいロックスターになった。「ボウイも終わったな」……。俺を含めコアなロックファンは失望したが、ショービジネスと距離を置いたボウイは90年代、見事に復活する。売れなかったし、批評家が持ち上げることもなかったが、「ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ」(93年)、「アウトサイド」(95年)、「アースリング」(97年)など、音楽性とモチベーションが高い傑作を次々に発表する。
「リアリティ」(03年)から10年のインタバルを置き、前作「ネクスト・デイ」からボウイは最終章に突入する。ジャズ畑の新進ミュージシャンを起用した遺作「★(ブラックスター)」はさらに研ぎ澄まされ、ストイックで瑞々しい作品だ。前作から盟友トニー・ヴィスコンティと組んだのも覚悟の表れに違いなく、ともに色調とトーンは「ベルリン3部作」に近い。聴く者を異界に誘う魔力は健在で、ボウイの無尽蔵の才能に感嘆するしかない。
物腰の柔らかさで知られるボウイだが、窮地にあったルー・リードやイギー・ポップを支え続けた。廃人の如きリードが、「ジギー・スターダスト」ツアーの楽屋で横たわっていたという。日本好きでも知られ、目撃情報は枚挙にいとまない。とりわけ京都や奈良では、都市伝説として語り継がれている。
台湾の反原発デモには人気俳優やタレントが参加しているが、圧力は一切ない。総統選では常に10代が先頭に立ってきたが、今回も若い世代の意思表示が世論を動かした。韓国のテレビ番組でアイドル(16歳)が台湾の旗を振った。大陸からの批判で、彼女は謝罪に追い込まれたが、この一件が国民のプライドを刺激し、地滑り的勝利の一因になったとされている。自由と民主主義という点で、日本が台湾に追いつく日は来るだろうか。
デヴィッド・ボウイが亡くなって10日……。追悼の声があちこちで上がっている。俺は「別にボウイファンじゃない」と言いながら、まとめて聴こうとCDを探したら15枚あった。レコードのみで聴いたアルバムを合わせたら、20作以上になるだろう。「ファンじゃないか」と言われそうだが、年季の入ったロックファンにとって、ボウイはスタンダード、最低限のたしなみといっていい。
学生時代(1970年代後半)、部屋に遊びにきた先輩が、壁に貼っていたボクサーや映画のポスターの間にボウイのピンナップを見つけ、「おまえ、ホモか」と切り出した。ボウイは当時、グラムロックにカテゴライズされており、ロックを聴かない彼がそんな偏見を抱いていても不思議はなかった。
「ロッキング・オン」のウェブサイトで紹介されていた「ガーディアン」の記事は正鵠を射ている。いわく<ボウイはイアン・カーティス(ジョイ・ディヴィジョン)、ロバート・スミス(キュアー)、モリッシー(スミス)、プリンス、マリリン・マンソンなど、世界中のアウトサイダー、偉大なフリークスたちに心の拠りどころを与え、「異形であることを恐れるな」と鼓舞した偉大なイノベーター>(要旨)。格好悪く凡庸な〝プチ社会不適応者〟だった俺も、ボウイを含めロック(とりわけザ・フー)に救われてきた。
ボウイで一番好きな曲は「ロックンロールの自殺者」だ。スペインの詩人にインスパイアされたといわれているが、当のボウイはボードレールを借用したと話していたそうだ。英米人にも難解な曲らしいが、「君は独りじゃない、差し伸べたこの手を握ってくれ」というフレーズに青春時代の傷が疼く。同曲が収録された「ジギー・スターダスト」を久しぶりに聴いて涙腺が決壊した。
<ある時代の前衛は、次の世代のメーンストリームになる>……。アート全般を貫く公式をロックで実践したボウイは、〝地球に墜ちてきた男〟としてショービジネス界に降り立った。アウトサイダーであることを強く意識していたボウイは、「戦場のメリークリスマス」(83年、大島渚監督)の撮影に特別の思いで臨んだと想像している。ボウイが演じたセリウズ少佐の贖罪を込めたモノローグに、半生と重なる部分を感じたからだ。ボウイは芥川龍之介のように、いずれ訪れる狂気を恐れていたのではないか。
遡行、蛇行を繰り返しながら、ボウイは常にコンセプトを明確に打ち出していた。デビューから「アラジン・セイン」までは<創り上げた虚構で、アウトサイダーとしての自身を表現する>というスタイルだったが、ジョージ・オーウェルの「1984」にインスパイアされた「ダイヤモンドの犬」は画期的な試みだった。薬物中毒克服のために訪れたベルリンで欧州の頽廃が薫る3部作を発表する。中でも「ヒーローズ」はボウイのキャリアでも五指に入る作品だ。
興味深いのはアメリカとの距離感だ。MTV時代にマッチした「レッツ・ダンス」あたりで、ボウイは神の仮面を脱ぎ捨て、華やかで美しいロックスターになった。「ボウイも終わったな」……。俺を含めコアなロックファンは失望したが、ショービジネスと距離を置いたボウイは90年代、見事に復活する。売れなかったし、批評家が持ち上げることもなかったが、「ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ」(93年)、「アウトサイド」(95年)、「アースリング」(97年)など、音楽性とモチベーションが高い傑作を次々に発表する。
「リアリティ」(03年)から10年のインタバルを置き、前作「ネクスト・デイ」からボウイは最終章に突入する。ジャズ畑の新進ミュージシャンを起用した遺作「★(ブラックスター)」はさらに研ぎ澄まされ、ストイックで瑞々しい作品だ。前作から盟友トニー・ヴィスコンティと組んだのも覚悟の表れに違いなく、ともに色調とトーンは「ベルリン3部作」に近い。聴く者を異界に誘う魔力は健在で、ボウイの無尽蔵の才能に感嘆するしかない。
物腰の柔らかさで知られるボウイだが、窮地にあったルー・リードやイギー・ポップを支え続けた。廃人の如きリードが、「ジギー・スターダスト」ツアーの楽屋で横たわっていたという。日本好きでも知られ、目撃情報は枚挙にいとまない。とりわけ京都や奈良では、都市伝説として語り継がれている。