酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「世界から猫が消えたなら」~死を待つ青年と悪魔が織り成すメルヘン

2013-02-22 11:05:14 | 読書
 「DAYS JAPAN」最新号を読み、この国を、いや、世界を悪魔が闊歩していることに気付いた。フランス軍がなぜ、マリに侵攻したのか。多国籍企業という名の悪魔に土地を奪われた農民の支持を受け、イスラム系武装組織が勢力を拡大している。だが、マリ政府の要請がフランス介入の真の理由ではない。隣国ニジェールからウラン燃料の33%を輸入している原発大国にとって、同地域の安定は国家の命運に関わる問題なのだ。

 広河隆一編集長がIAEAという名の悪魔の企みを暴いていた。チェルノブイリで現地の医者の声を封殺し、小児甲状腺がんの増加と原発事故との因果関係を否定した悪魔は、同様の所業を繰り返すべく福島に乗り込んでいる。チェルノブイリの現在を狭い日本に置き換えたら、子供たちの深刻な内部被曝は国全域に及ぶ可能性が高い。自民党圧勝で動きやすくなった悪魔は、おとなしい子羊たちを嗤っている。

 きょう2月22日は猫の日だ。1年前は猫が活躍する「夏への扉」を当ブログで紹介した。今年も同じ手を使おうと紀伊國屋に足を運んだら、本屋大賞候補作が山積みされている。その中から「世界から猫が消えたなら」を選びレジに向かった。

 作者の川村元気は「告白」と「悪人」(ともに10年)を手掛けた若き俊英プロデューサーとして、映画界にその名を轟かせている。俺は圧倒的に「告白」派だが、それはともかく「世界から猫が消えたなら」には、「告白」の鋭利な孤独、「悪人」の日本的メンタリティーという対照的なトーンが程良く混ざり合っていた。ラストに向かうにつれて後者の色が濃くなり、俺は涙を滲ませながらページを繰っていた。

 僕は30歳の郵便配達人だ。猫のキャベツと暮らす平凡な主人公は悲運に直面する。末期の脳腫瘍で余命1週間を宣告されるのだ。俺ぐらいの年(56歳)になれば、身近な人を多く亡くした経験で死への構えが整いつつあるが、青年にはあまりに過酷な状況だ。本作では「死ぬ前にしたい10のこと」(03年)が繰り返し言及されているが、誰しもアン(サラ・ポーリー)にように自分の死後を冷静に見据えるわけにはいかない。戸惑う僕の前に悪魔が現れた。

 悪魔といっても、「DAYS JAPAN」で告発されているような冷酷な獣ではない。剽軽で物分かりがよく、自嘲的でユーモアに溢れている。定番とはかけ離れたアロハ姿だが、むろん悪魔の本分は忘れない。「この世界からひとつだけ何かを消す。その代わりにあなたは1日の命を得ることができるんです」と取引を持ち掛けるのだ。

 本作はこの辺りで、読者も引き込む哲学的メルヘンになる。本当に選んだものは世界から消えるのか。それとも、余命わずかな自分が住むパラレルワールドから消えるだけなのか……。俺は想像に耽り始めた。憎しみと嫉妬は愛の裏側だから、消すと愛まで消えてしまう。具体的な形なら、核兵器か原発と勝手に決めて小説に戻る。チョコレートが最初の候補に挙がっていたが、悪魔の反対で頓挫する。

 消失が社会を根底から崩壊させかねない二つのもの選ばれたが、外に出ると不思議なことに、風景は変わっていない。三つ目を消す過程で、かつての恋人との思い出が温かく湿っぽく語られる。「四つ目は猫」という悪魔の囁きに僕は迷う。猫に対する思いは亡き母の記憶に重なっているから、猫と人の関係を痛いほど知っているから……。

 悪魔が登場したり、猫が話し始めたりと仕掛けいっぱいのSFチックなエンターテインメントでもあるが、読み進むうちに、<人間にとって最も大切なものは何か>という普遍的なテーマに気付く。それは、恋人、友人、猫、そして何より父と母との絆だ。川村は人の心を浄化する方法――あざとくいえば涙を搾る手管――を既に習得している。

 僕は最後に、僕自身を消すことにした。前稿で紹介した含蓄ある一節を再度記したい。

 <自分が存在した世界と、存在しなかった世界。そこにあるであろう、微細な差異。そこに生まれた、小さな小さな〝差〟こそが僕が生まれてきた〝印〟なのだ>……。

 本作は確実に映画化されるだろう。俺が監督に推すのは是枝裕和だ。「ワンダフルライフ」は人生で最も煌めいた一瞬を死者に問うという設定で、「空気人形」では業田良家の不条理なメルヘンを完璧に映像化した。この実績から是枝がベストと思えるが、もちろん選ぶのは川村本人だ。「フラガール」と「悪人」の李相日が有力だが、情の部分が前面に出過ぎてしまうのではないか。

 俺は映画版を見ないだろう。いや、独りでは見たくないというべきか。ラストシーンで確実に号泣した後、横に誰かいないと死にたくなる……、そんな寂寥感に満ちた作品になりそうだから。

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