酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

大道寺将司全句集「棺一基」~言葉本来の神的響きに心洗われ

2012-06-28 00:49:37 | 読書
 消費増税法案の採決を苦渋の表情で見守る零細業者が、テレビ画面に映し出されていた。逆進性は放置され、低所得層ほど負担に喘ぐことになるという。一方で、大企業はどうか。田中康夫議員は仕事先の夕刊紙で、<株式会社の7割、連結決算を導入する超大企業の66%が、国税と地方税の法人事業税を1円も納付していない不条理>を指摘していた。

 <1%の獣>が<従順な99%>を蹂躙する構造が3・11以降、揺らいできた。反原発、反TPP、反基地、そして反増税が、寛容で健全なナショナリズムを軸に、緩やかな集合体を築きつつある。<抵抗のゴールデンエイジ>(1930年前後)から80年、この国にもようやく革命の気運が高まってきた。

 元最高裁判事の団藤重光氏が亡くなった。肩書といかめしい名前から想像もつかなかったが、団藤氏は死刑廃止や少年法改定反対に熱心に取り組んでいたことを知る。リベラルで気骨ある法律家の冥福を祈りたい。

 革命、そして死刑……。二つの前振りが像を結ぶのが大道寺将司だ。今回は全句集「棺一基」について記したい。大道寺の経歴、辺見庸が発刊に向け尽力した経緯は別稿(12年5月10日)に詳述したので割愛する。

 辺見は「個体と状況について」と題された講演会(06年12月)で、大道寺を<現在最高の表現者であり、言葉本来の神的響きを提示している>と評していた。辺見の詩集「生首」、「眼の海」と本句集を併せて読むと、両者の共通点に気付く。五臓六腑から血とともに吐き出された言葉は、凝縮された思いとイメージを幾重にも纏い、対峙する側の想像力を喚起する。

 辺見は「棺一基」の序文と跋文を担当しているが,それに触れたら<辺見が読んだ大道寺>をブログに記すことになるだろう。〝辺見信者〟になりたくないのであえて目を通さず、自身の拙い読解力で感じた大道寺を綴りたい。

 タイトルは<棺一基四顧茫々と霞みけり>の句から取られている。棺に横たわった遺体(死刑囚?)の来し方に、自らを重ねたのだろうか。死刑執行に即して詠まれた句を紹介する。

夏深し魂消る声の残りけり 
縊られし晩間匂ふ桐の花
垂るる紐捩れ止まざる春一番

 大道寺の母幸子さんは将司だけでなく、死刑囚や獄中者を励ましてきた。04年に亡くなったが、その遺志は死刑囚の創作活動を支える<大道寺幸子基金>として結実した。母への思いを詠んだ句の中から挙げてみた。

虫の音や杖に縋りて母の来る
小六月童女の如き母なりけり
その時の来て母還る木下闇

 大道寺の句は現実、仮想、記憶、心的風景が交錯する独自の世界で成立しているのだろう。獄舎の日常と季節の移ろいを重ねた句の中で印象に残ったものを選んでみた。大道寺は猫好きなのか、句の中に仔猫が何度も登場する。

寂寞の苔の獄舎に仔猫かな
初雪や濁世の底に救ひあり
海市立つ海に未生の記憶あり
鬼を呑む夕べ哀しき曼珠沙華
セザンヌの暮色めきたる小春かな

 <狼は檻の中にて飼はれけり>と詠む大道寺だが、初心を忘れていない。日本の右傾化、貧困と格差、ホームレスの状況に思いを寄せ、イスラエルのパレスチナ弾圧、アメリカのイラク侵攻もテーマに組み入れている。革命家の矜持を保っていることは、以下の句からも明らかだ。

ゲバラ忌や小声で歌ふ革命歌
アイヌ史に涙を零す弥生かな
君が代を齧り尽せよ夜盗虫
かぎろいて命の消ゆるまたひとつ
春疾風なほ白頭に叛意あり

 大道寺の句で何より胸に迫るのは贖罪の意識だ。自らの罪は贖いようがないと考える大道寺は、死刑制度そのものに言及していない。ここ数年はがんと闘いながら、自らが殺めた死者と向き合っている。慟哭と悔恨に満ちた句を以下にピックアップした。雷鳴や稲光が爆弾のメタファーとして繰り返し表れるのも特徴だ。

死者たちに如何にして詫ぶ赤とんぼ
春雷に死者たちの声重なれり
まなうらに死者の陰画や秋の暮
寝ねかねて自照はてなし梅雨じめり
ちぎられし人かげろふのかなたより
新涼の闇に倒れし人の貌
鬼ならぬ身の鬼として逝く秋か
花冷えや罪業てふ身の火照
まなぶたに危めし人や稲光り

 母は亡くなり、友や支援者の訃報に接する機会も多い。獄舎で孤独と向き合う大道寺にとり、現実(仮想?)の友は虫たちだ。

秋の蝶病気見舞いに来る窓辺
蚊とんぼや囚われの身に影は濃き
死ぬるため夜の独居に羽蟻来む
二の腕もこむらも痩せしちちろ虫
虚空をば蝉の足掻くは一途なり
群れ飛びて独りと思ふ蜻蛉かな
たましひの転生ならむ雪蛍
わが床の熱を慕ひしかまどむし

 空虚な言葉が幅を利かす3・11以降、大道寺の言葉が誰のものよりフレッシュと確信したから、辺見は全句集発刊に奔走した。2時間もがいて数㍍先のトイレで用を足す大道寺は、自らの痛みを爆破事件の死傷者、大震災や原発事故の被災者と重ねている。3・11以降に詠まれた句から以下を紹介する。

暗闇の陰翳刻む初蛍
水底の屍照らすや夏の月
人去りし野霧を牛の疾駆せり
日盛りの地に突き刺さる放射線
若きらの踏み出すさきの枯野かな

 大道寺の句は、読む者の内面に血を滲ませる。大道寺にとって詠むことは苦行であり、救済でもあるのだろう。繰り返し触れるうち刺々しさが薄れ、汚れた魂が浄められるような清々しさを覚えた。これこそが辺見のいう<言葉本来の神的響き>なのだろう。

 今日は仕事を終えた後、実家に向かう。週末は妹の忌明けと納骨だ。死に心を洗われる日々が続く。
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