酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ブラックパワー・ミックステープ」~スウェーデン人が捉えたアメリカの真実

2012-06-08 11:11:59 | 映画、ドラマ
 金子勝慶大教授が仕事先の夕刊紙(5日発行)で、論考を原発に絞って<国民と政治の乖離>を憂えていた。大飯再稼働にまっしぐらの民主党政権は、国民の過半数を占める脱原発の声を封殺しようとしている。

 オウム真理教の菊地直子容疑者が逮捕され、高橋勝也容疑者も捜査の網に掛かっているようだ。サリン散布の罪は重大で、極刑を望む風潮から死刑判決が下るのは確実だ。一方で、東電はどうか。人災で放射能をまき散らし、国の存亡を危うくしたのに司直の手は伸びず、前社長は天下りする。今なお<見えざる黒い手>のスポンサーとして政権の首根っ子を押さえていることは、毎日新聞のスクープ(原子力委内の秘密会議と評価書き換え)からも明らかだ。

 東電といえば、OL殺人事件の犯人として無期懲役刑を執行されていたマイナリ被告が、DNA鑑定などの新証拠に基づき釈放された。日本近現代史を縦軸に、日本とアジアの関係を横軸に据えた「東電OL殺人事件」(佐野眞一著)は、警察と検察が共同謀議で冤罪を作り出す過程を告発していた。東電の隠蔽体質と検察の腐敗が明らかになった今、〝巨視〟佐野による続編を期待している。

 俺はAKBについて何も知らない。大島優子の名前と顔さえ一致しないほどである。普通に近い女の子が互いを補い合っていることが人気の秘密……。そんな風に漠然と考えていたが、いつしか会社並みの世知辛い格付けが導入されている。仕事先の夕刊紙など、辛口で斜に構える論調から、AKB総選挙と狂騒を一刀両断するのが筋だが、秋元康氏との良好な関係からヨイショ記事が多い。この辺りがメディアの限界といえる。

 ようやく、本題。ケイズシネマ(新宿)で「ブラックパワー・ミックステープ~アメリカの光と影」(11年/スウェーデン・アメリカ)を見た。観賞したのは2週間前で、妹の死、1000回記念と想定外のテーマが続き、ここまで延びてしまう。前日の晩飯さえ思い出せないほど記憶力は減退しており、印象は褪せてしまった。HPを参考に大雑把な感想を記すことにする。

 「ブラックパワー――」は1968年から75年に至るブラックパワー運動にスポットを当てている。スウェーデンのテレビクルーが番組用に撮影したフィルムを、時系列に沿って編集して製作された。あちこちに掲げられた死後間もないゲバラの写真に、欧米では既に闘争のシンボルになっていたことが窺えた。

 日本人は当時も今も、<欧米=先進国>と一括りにするが、スウェーデン人にそんな〝常識〟は通用しない。黒人の家庭を訪問して貧困と差別の実態をフィルムに収め、<福祉も医療も遅れたアメリカは、不自由で非人道的な後進国>(要旨)とのナレーションを重ねる。<ベトナム戦争はナチスに匹敵する暴虐>との正論に逆ギレしたのか、アメリカは72年から2年間、スウェーデンと国交を断絶した。

 颯爽と画面に登場したのが格好いいストークリー・カーマイケルで、映像に合わせて流れるコメントの数々も的を射ていた。タリブ・クウェリ(ラッパー)は数年前、FBI関係者に囲まれ、「カーマイケルの演説を次作で用いるというのは本当か」と詰問される。権力者が40年近く前のカーマイケルの弁舌をいまだ恐れていることに、クウェリは感慨を覚えたという。

 マルコムXはかつての仲間の凶弾に斃れ、主導権争いに敗れたカーマイケルも表舞台から姿を消す。同時期の日本の反体制運動と同じく、アメリカのブラックパワーもまた、内紛によって力を殺がれていく。FBIが何より懸念したのは激烈な実力闘争や白人層への支持の広がりではなかった。ブラックパンサーが地域で実践した食事と教育の無料化、安い医療をフーバー長官は危惧した。

 <資本主義独裁国>を牛耳る当時の1%が恐れたのは、平等と公平の精神が広がることだった。世紀が変わってもこの構図は変わらず、先進国に一歩でも近づくことを目指したオバマ大統領の医療改革法案は骨抜きにされた。

 知的に煌めくアンジェラ・デイヴィスの裁判闘争をピークに、ブラックパワーは衰退していく。組織の分裂以上に深刻だったのが薬物の蔓延だ。政治的なスローガンは街から消え、中毒とギャング団の抗争が多くの若者の命を奪っていく。デイヴィスは莫大な量の薬物流通に、FBIの陰謀を示唆していた。ちなみに、デイヴィスを死刑寸前に追い込んだのは、カリフォルニア州知事時代のレーガンである。

 非暴力を前面に掲げたキング牧師はなぜ暗殺にされたのか。<差別撤廃だけでなく反戦を訴えたことで、1%の神経を逆撫でしたことが死を招いた>というコメントに説得力があった。本作は現在のアメリカをも写す秀逸なドキュメンタリーである。

 本編中にあったか定かではないが、HPに掲載されていたカーマイケルの名言を紹介する。

 <私には人権がある。私はそれを知っている。でも、白人は知らない。だから、それを白人に教えてあげるために作られたのが公民権法だ>……
 
 視点は異なるが、黒人差別をテーマに据えた「ヘルプ」(11年)を別稿(12年5月1日)で紹介した。その中で見栄えのいい南部の白人女性たちは、獣性を隠せない差別者として描かれていた。差別と偏見は人を醜く卑しくする。だからこそ、カーマイケルの言葉は、国境や時代を超えて鮮度を保っているのだ。差別と偏見の種は、もちろん俺の心にもある。憎しみの実がならぬよう、常に自らを戒めていきたい。
コメント
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