酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

エヴリシング・マスト・ゴー~1000回目の更新に寄せて

2012-06-05 23:53:56 | 戯れ言
 菊地直子容疑者が逮捕された。「NHKスペシャル~未解決事件」第2弾(3回)の感想を含め、オウム真理教について近日中に記すことにする。

 3・11以降、俺の頭に鳴り響いていたのは、マニック・ストリート・プリーチャーズの「輝ける世代のために」だった。妹の死後、同じくマニックスの「エヴリシング・マスト・ゴー」が俺のテーマソングになる。同曲名をタイトルに冠したアルバムで、マニックスは失踪したリッチー・ジェームスと共に在ることを世界に宣言した。

 彼らの思いは、今の俺に重なっている。一つの死、一つの不在が周りの心を磨き、絆を強めることを、妹は教えてくれた。ちなみに「エヴリシング――」の歌詞は、ラディカルかつ思惟深い他のマニックスの曲と比べ、感傷的なムードが濃い。

 今稿が1000回目の更新に当たることを3日前に気付いた。思えば、亡き妹こそが最も熱心な読者で、誤字、脱字を見つけてはメールで知らせてくれた。妹は営業にも励んでくれたが、その人脈と人望をフル活用しても成果が挙がらなかった。このブログが世間的に決して面白くないことは俺自身、重々承知している。

 居直った俺は、以下のような御託を並べたことがある。

 辺見庸氏と小出裕章氏は3・11以前から、<個>の重要性を繰り返し説いていた。自らの思いを自らの言葉で伝えることがスタートで、<思う個の集合体>が世の中を変える力の源になる。だから俺も、狭い泥池から世間に向けてあぶくを放っているのだ……。

 もっともらしいが、どこか嘘がある。ブログの効用は別にあった。中2日更新(当初は中1日)という自らに課したルールは、〝超小人〟である俺を〝不善〟から遠ざけてくれた。ブログがなかったら、俺は壊れるか、もしくは逆噴射していたかもしれない。ブログは俺にとり、転落を未然に防ぐストッパーといえる。

 意志薄弱の俺が、どうして1000回も続けられたのか。その答えを先月、ネット上で発見した。「ウォール・ストリート・ジャーナル」に掲載された記事の日本語訳で、以下のような内容だった。

 自分について話すことによって、<喜びの感覚>が脳の中に呼び起こされる。それは会話であっても、フェイスブックやツイッター(恐らくブログも)などソーシャルメディアにおける発信でも同様だ。

 ハーバード大の学者チームによれば、自分の考えを明らかにすることによって、脳細胞とシナプスが快感を得るという。セルフディスクロージャー(自己開示)は特に満足度が高く、「人は自分のことを話すためには、お金さえ諦める」と指摘している。テキサス大の心理学教授も、「他人に話を聞いてもらうのが好きでなければ、どうして人はツイートするだろうか」と述べていた。

 上記の研究に則れば、自分の思いや感覚を伝えることで快感を得るために、俺はブログを書いていることになる。なるほど、思い当たる節はある。サラリーマン時代を振り返り、<奢る、貢ぐが最大の趣味だった>と記したことがあった。実態に即せば<後輩を前に話すのが大好きで、そのためには散財(奢り)も平気>となる。「また、俺話」とあきれ顔の女子社員もいたが、焼き肉や寿司付きとなれば、喜んで(?)ついてきた。

 会社を辞めた05年正月から、ブログが俺話に代わるツールになる。仕事がない〝中年引きこもり期〟も、ブログがあれば寂しくなかった。ブログを継続するために付け焼き刃的に学んだことも多いが、その過程で俺が知ったのは、自分の無知である。多少は謙虚になれたのも、ブログの効用のひとつだ。

 妹の死、そして1000回記念を経て、当ブログはリスタートする。駄文に付き合ってくださる読者の皆さまには感謝の気持ちでいっぱいです。



コメント (4)
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