酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

自立した個が社会を変える~「終焉に向かう原子力」集会に参加して

2011-05-01 10:04:01 | 社会、政治
 第11回「終焉に向かう原子力」集会(29日、明大・アカデミーホール)に、初対面の女性2人と参加した。当ブログ読者と彼女の大学1年の娘さん(恐らく最年少)である。開場30分前(正午)に待ち合わせたが、既に長い列ができていた。キャパ1200弱の会場は立ち見が出る盛況で、1000人以上が入場できなかったという。反原発の機運の高まりを実感した。

 福島原発事故以前に企画されていたイベントで、メーンテーマは<浜岡原発を止めよう>である。第1部の「現地報告」は生方卓氏(明大教員)、伊藤実氏(「浜岡原発を考える会」)、内藤新吾氏(ルーテル教会牧師)の3人によるパネルディスカッションで、第2部は小出裕章氏(京大原子炉実験所)、第3部は広瀬隆氏(ジャーナリスト)の講演だった。

 科学的な説明を多数含む集会の詳細を、図表やイラスト抜きにリポートするのは荷が重い。ファジーな感想を記すしかないが、全体の印象は〝お得〟だった。参加費(1000円)と引き換えに渡される小冊子(50㌻以上)は、パネリストのレジュメや資料でぎっしり埋まったすぐれものである。〝芸達者が揃った寄席〟といった趣で、ユーモアに溢れた5人の語り口に、笑いの渦が頻繁に起きる。テーマはシリアスなのに、エンターテインメントとしても成立する4時間だった。

 逆風にそよぎながら立ち続けたパネリストは、言葉の端々に互いへの深い敬意を滲ませていた。異口同音に<私たちが無力ゆえ原発反対の声が小さかったことが、福島の事故に繋がった>と無念の思いを語ったことも胸に響いた。

 <地震大国日本で原発は極めて危険。事故が起きた時、有効な対策がない>と主張してきた彼らの正しさは、福島原発事故で証明された。地震調査研究推進本部が<東海地震が今後30年間に起こる確率は87%>と発表しているにもかかわらず、政府は断層の真上に立つ浜岡原発をストップしようとしない。

 広瀬氏は田中三彦氏の見解を紹介し、今回の事故の最大の原因を津波とする自説を撤回した。田中氏は地震当時、施設内にいた作業員の証言などに基づき、揺れそのものが原発に決定的な打撃を与えたと主張している(「世界」最新号)。田中説が正しければ、広瀬氏の著書のタイトル通り、日本は「原子炉時限爆弾」を幾つも抱えていることになる。中でも危険なのが浜岡原発で、脆弱な土壌の上に立つことを伊藤、内藤両氏が証拠(軟らかな岩盤)を示して語っていた。

 話は逸れるが、小佐古内閣官房参与は「年間累積放射線量20SVを上限に、校庭利用を認めた政府の安全基準について、「(同程度の被曝は)原発従事者でも極めてまれ。この数値を乳児、幼児、小学生に求めるのは人道的に受け入れ難い」(要旨)と辞任会見で語った。

 小出氏は上記の数字(20SV)を提示するだけでなく、チェルノブイリ事故時、1100㌔離れた実験所で数日後に放射能を検知したことを報告する。旧ソ連の基準に従えば、半径300㌔以内(565万人が居住)を放射能管理区域に指定する必要があるが、政府はいまだ隠蔽に終始している。菅内閣は100年後――日本が存在していればの話だが――いかなる歴史の審判を受けているだろう。無為無策が刻一刻、福島だけでなく全国の子供たちの肉体を蝕むことに繋がるのだから……。

 辺見庸氏は「瓦礫の中から言葉を」(4月27日の稿)で、「現在試されているのはあくまで個」と繰り返し語っていた。小出氏は講演を、辺見氏の思いと重なる故田尻宗昭氏(反公害活動家)の以下の言葉で締めくくる。

 <社会を変えていくのは数ではない。一人です(少し間を置き)二人です、三人です>……。

 福島原発事故を経て、<自立した個が社会を変える>という意識が広がることを願う。会の平均年齢は高かったが、ツイッターなどを軸に企画される反・脱原発集会には、多くの若者が結集しているという。半世紀以上にわたって補強されてきた〝巨大な汚れた壁〟を倒すのは容易ではないが、未来を担う者の意志に委ねたい。

 ゴールデンウイークは亀岡に帰省する。高浜原発から60㌔、高速増殖炉もんじゅから90㌔と、〝原発銀座〟の至近距離に位置している。原発に関する限り、逃げ道がないというのが日本の現実だ。


コメント (2)
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