酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

獲物に魔女に速足の狐たち~エコな音に浸る日々

2011-05-13 03:35:30 | 音楽
 起きてテレビをつけると、〝効果的な節電〟とか〝冷房抜きの暑さ対策〟なんてコーナーで、方法があれこれ紹介されている。毒まんじゅうを喰らった朝日の朝刊には、「電力不足」の文字が狡い貌で躍っていた。

 寝惚けた脳から警戒警報が発令される。東電と中電が示したデータに基づき、小出裕章氏や広瀬隆氏らは<原発抜きでも電力は大丈夫>との結論を導き出している。政府、東電、保険会社と組んで子羊(国民)を洗脳するメディアに苛立ちを覚えつつ、「俺の方が間違ってるのか」とモヤモヤしてきた。

 職場で整理記者Yさんに見せてもらった東京新聞が、恰好の消化剤になる。<節電PRは原発維持への脅し?>といった見出しなど、政府と東電に厳しい論調だ。さすがは日本で最も早く<二酸化炭素地球温暖化説=原発推進派の命綱>に疑義を呈した東京新聞だけのことはある。

 さて、本題。最近買ったアルバム3枚の感想を記したい。いずれもメッセージを前面に掲げるわけではないが、<脱原発>に共通するオルタナティヴな方法論を志向している。

 まずはジェイミーとアリソンからなるキルズの「ブラッド・プレッシャーズ」から。男女1人ずつの構成はホワイト・ストライプスを彷彿とさせる。虚飾を排したストイックさが両者の共通点だが、キルズの方がメロディアスだ。

 クオリティーの高い曲が並ぶ中、無国籍風の♯2“Satellite”、変調とボーカルの掛け合いが鮮やかな♯5“Wild Charms”、ダウナーなメロディーと硬質のビートがマッチした♯6“DNA”、イントロとサビに懐かしさを覚える♯7“Baby Says”、シンプルな失恋ソング♯8“The Last Goodbye”が印象に残った。

 聴き込むうち既視感ならぬ〝既聴感〟を覚え、スージー&ザ・バンシーズの「スルー・ザ・ルッキング・グラス」(87年)に辿り着く。スージーとアリソンの声質と歌い方に共通点を覚えるのは俺だけだろうか。

 NYのローファイ女性トリオ、ヴィヴィアン・ガールズの「シェア・ザ・ジョイ」を聴いた人は、レインコーツや少年ナイフを思い出すはずだ。6日間で録音され、パブリシティーに金を掛けず市場に出す……。曲のレベルも高いが、エコな姿勢こそ本作の肝かもしれない。読書しながら聴いていると、音は次第に希薄になるが、37分経った時、霧雨の潤いが心をしっとり濡らしていた。

 フリート・フォクシーズの「ヘルプレスネス・ブルース」を簡潔に表現すれば、<境界線を彷徨うアコースティックな音>となる。ダーティー・プロジェクターズ、グリズリー・ベア、ローカル・ネイティヴスと志向性は同じで、民族音楽からフォークまであらゆるジャンルを取り込み、<聴く人の遠い記憶に働きかけるような重層的ハーモニー>(岡村詩野さんのライナーノーツから)で祝祭的ムードを醸している。音の記憶の坩堝からカラフルな煙が立ち込めるのを覚えるアルバムだ。

 最後に、残念なニュースを。1カ月後のPOGドラフトに向け準備を始めようとした矢先、内田博幸騎手が落馬して頸椎を骨折し、長期離脱を余儀なくされる。東西調教師から素質馬の騎乗依頼が引きも切らない内田の不在は、POG参加者にとっても悩みの種だが、そんなことはさておき、一日も早い復帰を待ちたい。



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