酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「キッズ・オールライト」~変わった家族の普遍的な物語

2011-05-31 00:52:39 | 映画、ドラマ
 G8で「アラブの春」を支援する付帯決議が採択された。上から目線の先進国の思惑とは別に、エジプトで民主化の成果が表れる。パレスチナとの連帯を訴える民衆の声に押され、ガザとの境界が開放されたのだ。

 原発マフィアの操り人形であるオバマ大統領は、<自然エネルギーへの移行>を打ち出した菅首相のパフォーマンスを苦々しく思ったはずだ。脱原発は恐らく基地問題と底で繋がっている。自由、民主主義、独立への道程に立ちはだかるのは、アメリカという巨大な壁だ。

 チャンピオンズリーグ決勝にカタルシスを覚えた。バルセロナは見る者を陶然とさせつつ、マンチェスターUの堅固な守備を食い破る。リスクと背中合わせの美学を追求し続けたからこそ、儚さと煌めきをリアルな強さに織り込めた。バルサはアートの領域に踏み入れた奇跡のチームになった。

 さて、本題。ここ数年、斬新な家族の形を表現する小説や映画に触れてきたが、「キッズ・オールライト」(10年、リサ・チョロデンコ)もその範疇に含まれる。全編に女性監督ならではの感性がちりばめられていた。

 ニック(アネット・ベニング)とジュールス(ジュリアン・ムーア)のレズビアンカップル、同一の精子提供者によって生を享けたニックの娘ジョニ(ミア・ワシコウスカ)、ジュールスの息子レイザー(ジョシュ・ハッチャーソン)……。この4人家族は自由が横溢するカリフォルニアの街に、違和感なく溶け込んでいる。

 だが、一家が本当に自由かというと、そうともいえない。医者として家族の大黒柱であるニックは、収入に比例して支配的に振る舞う〝父〟かつ〝夫〟で、ドロップアウトしたジュールスは常に人生を模索中だ。その個性は子供たちにも引き継がれ、可憐なジョニは大学進学を控える優等生で、レイザーは不良とツルむなど危うい側面もある。

 姉弟がDNA上の父親ポール(マーク・ラファロ)をたやすく見つけたことで、一家にさざ波が生じた。ポールはヒッピーに通じる自由人でありながら、オーガニック農場とレストランを経営する成功者だ。ジョニとレイザーにとって、ポールは父というより目線の高さが近い友であり、ニックとジュールにとって房事の供であるゲイビデオから抜け出てきたようなマッチョマンである。

 レズカップルとか人工授精とか、設定は変わっているが、ストーリーは極めて予定調和的だ。同じくアメリカ発の「ブルーバレンタイン」(5月19日の稿)と対照的で、年齢が高めの仮面夫婦や隙間カップルにお薦めのホームドラマである。

 「ブルーバレンタイン」はNY派のグルズリー・ベアがサウンドトラックを担当していたが、本作も音楽映画の要素が濃い。ジョニやレイザーの青春の風景にはヴァンパイア・ウィークエンドやMGMTがマッチし、親たちがメーンのシーンではデヴィッド・ボウイやボブ・ディランが流れる。世代を音楽で際立たせる手法も見事だ。

 原題の「ザ・キッズ・アー・オールライト」はフーの曲で、彼らのドキュメンタリーフィルムのタイトルでもある。耳を澄ましていたが、いずれのシーンでも使われなかったようだ。本作の聞かせどころは、ニックがそれまで毛嫌いしていたポールと意気投合し、ジョニ・ミッチェルの曲をハモる場面だ。「ストレート(異性愛者)でジョニを聴く女性は珍しかった」という台詞が興味深かった。ニックが娘にジョニと名付けた理由も明かされる。

 軋轢が生じても、そっと紡がれる。本作にはそんな普遍的で不変な家族の姿が、ユーモアとペーソスで味付けされていた。一見すると心温まる結末だが、腑に落ちない部分もある。ポールって、そんなに悪いことした? あの一家、妙に潔癖過ぎない? 

 ヒール扱いされたポールに同情したのは、ルックスは完敗だが、俺自身と資質が似ているからかもしれない。いかなる構成であれ、家族は時に排他的で不寛容になる。まあ、それは必ずしも家族だけとは限らないけれど……。その点も本作から得た教訓だった。





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