酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「モンドヴィーノ」~文化としてのワインの薫り

2010-03-10 01:03:09 | 映画、ドラマ
 先日、後輩(会社員時代)の結婚式と披露宴に出席した。不器用だったはずの新郎が、<正しく愛せない>俺に、普遍かつ不変の真理を改めて教えてくれた。即ち、<愛とは形を取ることで成立する>……。

 恋愛至上主義者だった俺は、観念と妄想でエロスとタナトスの狭間を彷徨ったが、究極の愛は手に入らなかった。いっそのこと宗旨変えし、ささやかな温もりを探すのもいいが、最近どうも調子がおかしい。30~40代とは一転、シャイな少年に戻っている。〝五十路の純情〟なんて気色悪いとしか言いようがないけれど……。

 さて、本題。披露宴でも口に含んだワインについて記したい。シネフィル・イマジカで1月に放映された「モンドヴィーノ」(04年/仏、米)は、下戸の俺にも刺激的なドキュメンタリーだった。監督はソムリエの資格を持つジョナサン・ノシターである。

 浜田雅功と伊東四朗が進行役を務める正月特番「格付けチェック」では、値段が100倍ほど違うワインを取り違える出演者が続出する。自称ワイン通の芸能人のみならず、評論家もテイスティングに苦戦するという。本作には〝ワインという謎〟を解くヒントが示されていた。

 フランス人やイタリア人にとって、ワインとは個人の窯で焼かれる陶器のように、アイデンティティーを表現するアートだった。ワインと自然との宗教的、形而上的な関わりを強調する伝統重視派にとって、ミシェル・ロラン(ワインコンサルタント)は文化の破壊者である。

 ロランはカリフォルニアワインの名を高めたモンダヴィ一族と盟友関係にある。モンダヴィはロラン同様、ヒール扱いされており、イタリア貴族からワイナリーを買収する経緯が冷ややかに描かれていた。

 モンダヴィ=ロラン連合と提携したシャトー・ムートン・ロートシルトは、他のボルドー勢が衰退する中、シェアを拡大していく。〝悪の枢軸〟と組むロバート・バーガーは、今や<おいしいワイン>を決定する絶対的権力者で、<カースト制や貴族制に支配されたワインの世界を「米国式民主主義」によって解放した革命家>と自らを評していた。

 「米国式民主主義」=「資本主義独裁」だから、伝統、個性、自由に価値を見いだす側にとって、バーカーは<ハメルンの笛吹き>と映る。だが、時代の流れに対応するため、笛の音に合わせて踊ろうとする者も出てくる。歴史を誇るワイナリーに軋轢が生じるケースも紹介されていた。

 ワインがブランド化するきっかけになった大英帝国絶頂期、ムッソリーニとワイナリーとの関係、ロスチャイルド家の影響など、本作によって欧州近現代史とワインとの関係を知ることができた。

 <モンダヴィ=ロラン連合はメディアや評論家を利用して味を均質化し、地場ワインを窮地に陥れた>……。

 反グローバリズムの視点で本作を見れば上記の結論になるが、ワインを嗜む趣味がない以上、空論に過ぎない。自らに翻って考えると、異なる見方も可能になる。

 例えばハンバーガー……。徒歩10分の距離に評判の手作りバーガーショップがある。味は最高で胃にも優しい。なのに足繁く通うのは「マクドナルド」の方だ。値段の安さに加え、「マック」というブランドに操られているからだろう。俺がワイン好きだったら、〝化粧〟を施すことでワインを大衆的な味に変えたロランたちに感謝したかもしれない。

 本作を締めくくるのは、サルデーニャの老醸造家だ。「現代の人間は進歩という幽霊に惑わされている。幽霊から人間を守らなければ」との言葉が胸に響いた。意図は理解できなかったが、本作には犬が頻繁に登場する。ワインと犬って、何か繋がりがあるのだろうか。

 俺は年に3~4回、睡眠障害に陥るが、この半年ほど症状がない。次にそれが来た時は、テーブルワインを導眠剤に用いることにする。



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