フォスベリーの背面跳び、ビル・ロビンソンの人間風車、オリバレスを横転させたアルゲリョの左フック……。10代の頃に刻まれたスポーツ名場面は、50歳を過ぎても褪せることはない。
とりわけ鮮やかに、痛みを伴って甦るのが74年W杯決勝戦だ。崩れた予定調和に多くのオランダ人は涙を流し、世界中のサッカーファンは悄然とした。俺もそのうちの一人である。
美しく革新的だったオランダのトータルサッカーはなぜ敗れ、その後も負け続けるか……。この問いに一つの答えを示したのが「オレンジの呪縛~オランダ代表はなぜ勝てないか?」(デイヴィッド・ウィナー著/講談社)だ。歴史、風土、国民性、政治を読み解き、オランダサッカーの本質に迫った優れた文化論である。
大麻所持、同性婚、低年齢層の性行為、安楽死への寛容な態度、女性の社会進出とワークシェアリングの推進……。オランダをリベラル国家に変質させたのは60年代半ばの<プロヴォ=アナキストのムーヴメント>で、革命の象徴と位置付けられたのがヨハン・クライフだ。クライフはトータルサッカーによって、変革のコンセプトを国民に明示した。
<彼はスタンドから眺めているかのようにレースを進めている>……。これは松岡正海の三浦皇成への褒め言葉だが、サッカーでは競馬以上に複眼の天才がゲームを支配する。“空飛ぶオランダ人”と称えられたクライフは、絶対的な“空間の支配者”だった。
ゴッホ、レンブラント、フェルメールといった画家だけではなく、オランダは優れた建築家、写真家を輩出してきた。国土の4分の1が海面下に位置し、人口増加に対応して干拓を進めてきたオランダ人にとって、空間を生かすことが永遠の命題といえる。独特の“空間感覚”は芸術だけでなく、クライフやベルカンプらサッカー選手によっても表現されてきた。
アヤックスとオランダ代表がトータルサッカーで志向したのは、自由で対等な個が相互補完する民主主義ではなかったか……。著者はこのような仮説を立てながら、当時の選手たちにクライフの個人主義、独裁的傾向をも語らせている。
オランダのメディアはクライフの影響で、醜く勝つことより美しく負けることに価値を見いだす傾向が強い。日本の“滅びの美学”に近似的だが、マイナス面も大きい。堅実なスタム、闘争心剥き出しのダーヴィッツは過小評価され、嗅覚で勝負するファンニステルローイはクライフに「二流のストライカー」と酷評された。
かつてクライフは「ファシスト(フランコ)のチームに行くなんてありえない」と、レアル・マドリードのオファーを蹴ってバルセロナを選ぶ。その後、オランダとバルサの蜜月状態は続いたが、現在レアルには5人のオランダ人が所属している、クインテットの中心というべきファンニステルローイの本音は、「クライフのチームに行くなんてありえない」ではないか。
UEFA08でオランダは、グループCでイタリアとフランスを一蹴しながら準々決勝で格下ロシアに敗れ、“らしさ”を存分に発揮する。クライフの愛弟子ファンバステンは芳しい成果を上げることなく、監督の座を退いた。「オレンジの呪縛」とは「クライフの呪縛」と同義かもしれない。
とりわけ鮮やかに、痛みを伴って甦るのが74年W杯決勝戦だ。崩れた予定調和に多くのオランダ人は涙を流し、世界中のサッカーファンは悄然とした。俺もそのうちの一人である。
美しく革新的だったオランダのトータルサッカーはなぜ敗れ、その後も負け続けるか……。この問いに一つの答えを示したのが「オレンジの呪縛~オランダ代表はなぜ勝てないか?」(デイヴィッド・ウィナー著/講談社)だ。歴史、風土、国民性、政治を読み解き、オランダサッカーの本質に迫った優れた文化論である。
大麻所持、同性婚、低年齢層の性行為、安楽死への寛容な態度、女性の社会進出とワークシェアリングの推進……。オランダをリベラル国家に変質させたのは60年代半ばの<プロヴォ=アナキストのムーヴメント>で、革命の象徴と位置付けられたのがヨハン・クライフだ。クライフはトータルサッカーによって、変革のコンセプトを国民に明示した。
<彼はスタンドから眺めているかのようにレースを進めている>……。これは松岡正海の三浦皇成への褒め言葉だが、サッカーでは競馬以上に複眼の天才がゲームを支配する。“空飛ぶオランダ人”と称えられたクライフは、絶対的な“空間の支配者”だった。
ゴッホ、レンブラント、フェルメールといった画家だけではなく、オランダは優れた建築家、写真家を輩出してきた。国土の4分の1が海面下に位置し、人口増加に対応して干拓を進めてきたオランダ人にとって、空間を生かすことが永遠の命題といえる。独特の“空間感覚”は芸術だけでなく、クライフやベルカンプらサッカー選手によっても表現されてきた。
アヤックスとオランダ代表がトータルサッカーで志向したのは、自由で対等な個が相互補完する民主主義ではなかったか……。著者はこのような仮説を立てながら、当時の選手たちにクライフの個人主義、独裁的傾向をも語らせている。
オランダのメディアはクライフの影響で、醜く勝つことより美しく負けることに価値を見いだす傾向が強い。日本の“滅びの美学”に近似的だが、マイナス面も大きい。堅実なスタム、闘争心剥き出しのダーヴィッツは過小評価され、嗅覚で勝負するファンニステルローイはクライフに「二流のストライカー」と酷評された。
かつてクライフは「ファシスト(フランコ)のチームに行くなんてありえない」と、レアル・マドリードのオファーを蹴ってバルセロナを選ぶ。その後、オランダとバルサの蜜月状態は続いたが、現在レアルには5人のオランダ人が所属している、クインテットの中心というべきファンニステルローイの本音は、「クライフのチームに行くなんてありえない」ではないか。
UEFA08でオランダは、グループCでイタリアとフランスを一蹴しながら準々決勝で格下ロシアに敗れ、“らしさ”を存分に発揮する。クライフの愛弟子ファンバステンは芳しい成果を上げることなく、監督の座を退いた。「オレンジの呪縛」とは「クライフの呪縛」と同義かもしれない。