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酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

フレーミング・リップスat ZEPP東京~祝祭的でマジカルな世界

2010-11-21 02:38:27 | 音楽
 早大が18日、豪華リレーで明治神宮大会を制した。最後を締めたのは斎藤佑樹である。野球との〝倦怠期〟が続く俺だが、ドラフトで騒がれた〝実力の沢村、人気の斎藤〟両投手には注目している。

 神宮にも頻繁に足を運ぶ野球通の知人は、ケガが多い沢村の行く末が心配だという。一方で、地肩と運が強い斎藤は、フォーム改善を条件に、北別府、長谷川タイプに成長する可能性ありと期待している。

 同じ18日、ZEPP東京でフレーミング・リップスとMEWのジョイントライブに参戦した。結成30年になるリップスだが、初めて聴いたアルバムは“Soft Bulletin”(99年)だった。ファンというわけではなかったが、グラストンベリー'10総集編のパフォーマンスを見て衝動的にチケットを購入する。

 まずはデンマークからやって来たMEWから。3rd“Frengers”と4th“And The Glass Handed Kites”は北欧のイメージそのもののアルバムで、暑苦しい今夏の愛聴盤だった。ヨーナス・ビエーレの澄んだボーカルを軸に、神秘的かつ抒情的な世界が再現され、逆に破綻のなさが気になるほど完成度の高いステージだった。

 インターバルを経て、フレーミング・リップスが型破りのステージを展開する。この2週間、“Soft Bulletin”に加えて最近の3作、“Yoshimi Battles the Pink Robots”、“At War with the Mystics”、“Embryonic”を繰り返し聴いたが、音楽を超えたパフォーマンスに予習が無意味だったと悟る。

 冒頭でいきなり度肝を抜かれる。正面スクリーンのサイケデリックな映像を背景に、透明のバルーンに入ったウェイン・コインが客席に舞い降り、ファンに次々タッチされる。ウェインがステージに戻ると、カラフルな風船が約20分間、フロアを行き来した。

 〝同期生〟ソニック・ユースはインディーズに移って原点回帰の旅を続けているが、リップスの方法論は対照的といえる。シアトリカル、祝祭的、マジカルなパフォーマンスで、ファンに対する愛に溢れている。優しく潤んだウェインの表情が印象的だった。

 ラスト近くで演奏された“Yoshimi Battles the Pink Robots”のタイトルは、交流のあるボアダムズのメンバー、ヨシミから取られたという。ウェインは日本に憧れと愛着を抱いているのだろう。

 不勉強で臨んだライブゆえ、通り一遍の感想しか書けないが、リップスが真価を発揮するのは夏フェスだと確信した。俺にとって今回のリップス体験は、その時のための格好の予習になった。

 最後に、マイルチャンピオンシップの予想を。女王杯の余韻で外国人ジョッキー騎乗馬が人気を集めている。逆の買い方がしたくなるのは、ひねくれ者ゆえだろう。

 日本にもリップス、ソニックスの米オルタナ界2大巨頭を感嘆させたボアダムズのようなバンドも存在する。競馬だって同じはずだ。日本人騎手=日本馬のコンビに期待し、⑤テイエムオーロラ、⑩マイネルファルケの先行勢から、⑭ガルボ、⑮ゴールスキーあたりに流してみる。

 ガルボの母の名ヤマトダマシイには驚いた。盛岡と水沢で63戦6勝という戦績は、地味ながら耐えるひと昔前の日本の女性像を彷彿させるではないか。



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「ポストカーズ・フロム・ア・ヤング・マン」~マニックスから届いたマニフェスト

2010-09-28 00:05:20 | 音楽
 欧米バンドのメッセージを正しく理解するのは難しい。例えば、字面(邦訳歌詞)上は極めてラディカルなMUSE……。“MTV EXIT”とのコラボ曲のタイトル「MKウルトラ」は、CIAによる洗脳活動のコードネームでもある。

 彼らのメッセージがどこまでリアルなのか、俺には判断がつかない。かつて知人を介して英語圏の音楽通と話す機会があったが、いずれも〝常識〟を吹っ飛ばされ、日本人として洋楽を聴く限界を思い知らされたからだ。

 <黒人のコミュニティーじゃ、プリンスはジョークに過ぎない。スモーキー・ロビンソンの焼き直しで、まともに受け止めてる奴なんていないよ>……。

 元米兵の黒人(輸入業者)は20年前、日本のメディアが神格化していたプリンスを斬り捨てた。

 <メッセージを信じるに足るバンドは、UKじゃマニック・ストリート・プリーチャーズぐらい。高等遊民の僕なんか、連中にとっちゃ敵だろうけど>……。

 5年前、ロンドン出身の英会話教師はいかにもインテリのネイティヴらしく、数多のバンドの仮面を剥いでくれた。
 
 比類なきインテリジェンスを誇るマニックスが、1年4カ月の短いインターバルで新作「ポストカーズ・フロム・ア・ヤング・マン」を発表した。彼らは90年代後半、オアシスの失速を埋める形で<国民的バンド>に上り詰めたが、世紀が変わってからは量的な勝負を避けている。左翼としての矜持から必然の帰結だと思う。

 前作「ジャーナル・フォー・プレイグ・ラヴァーズ」では、リッチー(現在も行方不明)が遺した散文や詩にエッジの利いたサウンドを被せた。アルビニ独特のスタジオライブのアナログ一発録りで、マニックスは原点に回帰した。

 前作のライナーノーツでニッキーはUKニューウェーヴへのオマージュを明かしていたが、新作「ポストカーズ――」にはイアン・マカロック(エコー&ザ・バニーメン)が参加している。両者の接点は知らないが、攻撃性という面では共通点がある。

 最初に聴き終えた時、「失敗作?」と首をひねってしまった。ストリングスとコーラスが導入され、らしからぬマイルドなテーストになっていたからである。繰り返し聴いているうち、マニックスの辛口の本質がジワジワ染み出てきた。

 ポップな♯1「(イッツ・ノット・ウォー)ジャスト・ジ・エンド・オヴ・ラヴ」から、バンドのマニフェストというべきタイトル曲の♯2へと続く。♯3ではゲストのイアンとジェームズがボーカルを取っていた。バニーズの代表曲「ネヴァー・ストップ」のフレーズが流れるのはサービス精神か。

 バンドはカラフルな仕上がりを目指したようだが、アレンジの奥にあるストレートでモノトーンの素の音が広がってくる。ニッキーが中心になって書いた詞は、いつものように濃く、激しく、重くて深い。泣きが入った不惑オヤジたちの成熟と恬淡を示すアルバムがライブでどう化けるか、2カ月後(11月26日、スタジオコースト)が楽しみだ。

 併せて購入したブロンド・レッドヘッドの新作「ペニー・スパークル」も、前作「23」と並んで愛聴盤になっている。日本人女性カズとイタリア人の双子男性のユニットが奏でる音は、4ADレーベルでもあり、ニューウェーヴど真ん中だ。コクトー・ツインズの浮遊感と狂おしさが懐かしい人にはお薦めのバンドである。



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秋の夜長~読書の友には<ジョイ・ディヴィジョンの息子たち>

2010-09-16 01:23:29 | 音楽
 民主党代表選は菅首相が予想外の大差で小沢前幹事長を破った。小沢氏が勝利を収めたとしても、<アメリカ>、<警察+検察>、<官僚機構>の三大権力とメディアに疎まれている以上、政権は茨の道になったはずだ。新自由主義者、エコノミスト、左派、反米ナショナリストと立場を超えた識者から〝劇薬小沢〟に期待する声が上がっていたが、所詮は外野席での話である。
 
 1カ月ほど前、グラストンベリー'10総集編をスカパーで堪能した。密度の濃いパフォーマンスの連続だったが、エディターズとザ・ナショナルが新たにアンテナに引っかかった。ともに俺がロックから遠ざかっている時期(04~09年)に頭角を現したバンドである。新作を発表したばかりのインターポールと併せて紹介したい。

 本を読んでも、映画を見ても、ロックを聴いても、<……に似ている>とカテゴライズし、既成の引き出しに仕舞う悪癖が付いた。俺ぐらいの年になると、〝経験の弊害〟と〝感性の鈍麻〟から逃れるのは難しい。

 新鮮さと同時にノスタルジーを覚えてしまうのは、インターポール、ザ・ナショナル、エディターズも同様だ。いずれもアルバムの完成度は高く、メランコリック、イマジナティブ、リリカル、サイケデリックと形容詞を奮発してしまう。共通する部分は大きいが、<ジョイ・ディヴィジョンの息子たち>と一括りするのは乱暴かもしれない。

 まずはNY派の先駆け、インターポールの新作「インターポール」から。前作「アワ・ラヴ・トゥ・アドマイヤー」(07年)でブレークしたが、1作でインディーズに戻る。主要メンバーの脱退など様々な葛藤を抱えていたようだが、開放感と切なさが混在する灰色のトーンは変わらない。バンド名を冠したタイトルや哀調を帯びたラストのインストゥルメンタルに、再出発への決意が窺える。

 ザ・ナショナルもNYを拠点にするバンドだ。2nd「ボクサー」と3rd「ハイ・ヴァイオレット」を併せて購入したが、底から湧き出るしなやかな情感が染み込んでくる。ニューウェーヴ色は感じるが、そこはアメリカのバンド、ルーツミュージックへのオマージュもちりばめられている。グラストンベリーではホーンセクションやバイオリンを導入していたが、インパクトはいまひとつで、アウトドアは似合わない気がした。

 最後に、一押しのエディターズを。2nd「アン・エンド・ハズ・ア・スタート」と3rd「イン・ディス・ライト・アンド・オン・ディス・イヴニング」は、UKロックの30年分の良質なDNAを結集した音だ。ニューウェーヴにシューゲーザーの薫りがアレンジされ、ダウナーでありながらキャッチーでもある。肝というべきはフロントマン、トム・スミスの伸びやかで表情豊かなボーカルだ。ホラーズ、フォールズとともに今後も追いかけたいUKバンドである。

 音は内向的だが、グラストンベリーでは躍動感に満ちたステージで聴衆の心を掴んでいた。フジロックの稿で絶賛したミュートマスに匹敵するパフォーマンスである。近日中にフルバージョンのブートレッグDVDを購入する予定だが、何より間近で体感したいバンドだ。

 秋の夜長は読書と相場は決まっている。今回記したバンドたちのナイーブで静謐な音もBGMに最適で、枯れかけた俺のイマジネーションに養分を与えてくれる。



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アーケイド・ファイア~心惑うダウナーなアンサンブル

2010-08-20 00:37:11 | 音楽
 スカパーで〝世界最高のフェス〟グラストンベリー'10の総集編を満喫した。レイ・デイヴィス、ジャクソン・ブラウンらロックレジェンドと、ヴァンパイア・ウィークエンド、MGMT、グリズリー・ベアらNY派が競演する。温故知新の匙加減も絶妙だった。

 フレーミング・リップスの祝祭的なパフォーマンスに、来日公演が待ち遠しくなる。遅まきながら発見したバンドも幾つかあるが、近日中にCDを購入し、当ブログで感想を記す予定だ。

 タワーレコードで先日、アーケイド・ファイアのアルバムをまとめ買いする。すべて輸入盤ゆえ、バンドについて基本情報がない。ちなみにウィキペディアには、<オルタナをベースに、重層的でクラシカルなアレンジと陰鬱な歌詞で独自の世界を展開する>と紹介されていた。

 ロックは決して複雑ではない。いや、複雑に感じてはいけないはずなのに、体内に蓄積した質と量によって聴こえ方が違ってくる。NY派もそうだが、〝最先端〟と称されるバンドを聴いてもリバイバルと感じるから不思議だ。年を取ったせいかもしれないが、アーケイド・ファイアも同様だった。

 「懐かしい」が1st“FUNERAL”の第一印象だった。泥臭くてアマチュアっぽく、バンドというより流しの楽団ってムードがある。「この感じ、誰かに似ている」と痒みを覚え、〝正体〟を探ろうとするのだが、候補があまりに多すぎる。ニック・ケイヴ、ピーター・ハミル、モーマスといったソロ系のアーティストが浮かんでは消えた。

 1stから曲のクオリティーを上げたのが、2nd“NEON BIBLE”だ。狂おしい♯4~リリシズムの背後に妖しさを秘めている♯5~ストリングスの使い方が効果的で陰翳くっきりの♯6~一転して吹っ切れた感じの♯7……。組曲風の流れは圧巻で、3枚の中では一番の愛聴盤になりそうだ。ジョイ・ディヴィジョンっぽいイントロからプリファブ・スプラウトを想起させる男女ハーモニーに転じる♯10も聴き応え十分だ。

 最初の2枚で迷路を彷徨っていたが、3rd“THE SUBURBS”で靄が晴れた。ダウナーさは変わらないが、ボーカルも濾過したようにスッキリし、ポップかつナイーブで疾走感も十分だ。「こりゃ、メジャーの音だ」と思ったら、全米、全英チャートでともに1位と一躍ブレークしていた。

 3枚のアルバムを繰り返し聴いたとはいえ、雑食系のアーケイド・ファイアは、いまだ茫洋としてクリアな像を結ばない。最大の理由は、彼らのパフォーマンスに触れていないことだ。ライブは凄まじいという評判で、<ミュートマス+ダーティー・プロジェクターズ>が俺の描くイメージだ。ブートレッグDVDを入手して、その魅力に近づきたい。来日公演にも期待する。

 聴くロックから見るロックへ……。Youtubeの普及でトレンドは変わっている。CDよりDVDがバンドの質を映す時代の申し子がMUSEだが、“As usual”にベストパフォーマンスを求められることは大きなプレッシャーに違いない。



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ロック雑感あれこれ~今野氏の自殺、バンド・オブ・ホーセズetc

2010-08-08 03:48:42 | 音楽
 旧聞に属するが、今野雄二氏の訃報に衝撃を受けた。遺体発見(2日)の数日前に自殺したという。今野氏はロキシー・ミュージック、トーキング・ヘッズ、ニュー・オーダーらに肩入れし、創造性と想像力、プリミティヴとデジタルの融合に価値を置いて論陣を張った。

 フジロック'10ではロキシーがグリーンステージ2日目のヘッドライナーを務め、ヘッズのDNAを受け継いだバンドが大挙参加したが、今野氏は苗場に足を運ぶことなく召された。癒えることのない孤独と絶望に苛まれていたのだろうか。
 
 奥行きと間口の広さで文化を語ること、時に過剰な思い入れを持つこと……。俺が今野氏に学んだのはこの2点だった。慧眼と先見性に満ちた文化人の死を悼みたい。

 バンド・オブ・ホーセズのシークレットギグに参加した。場所は「スペースゆう」のプラネタリウムである。7番目に受け取った整理券は、実は席番号で、最前列の一番端という最悪の場所に座る羽目になる。開演ぎりぎりの来場者が最高の席をキープするというありえない状況に、俺は〝教育的効果〟を踏まえて抗議した。

 現場を仕切った若い男女2人が、興行の常識をわきまえていないのは明らかだ。打ち上げの席で「キモいオヤジが訳わかんねえこと言ってきたよ」なんて話の流れになっていたら、彼らの会社は生き馬の目を抜く競争に勝ち残れないだろう。

 肝心のライブだが、場所柄を勘案すればアンプラグドになるのは仕方ない。プラネタリウムとロックのコラボは全くの期待外れで、バンドは闇の中でただ演奏していた。メンバーが30分ほどで袖に消えて明かりがつくや、後ろの席の青年が「なめてる」と一言。まさに同感である。

 整理券を求めて並ぶファンの横、メンバーは愛嬌を振りまくことなく素通りしていた。ロッカーの基本はサービス精神で、連中が無名である以上、笑顔で挨拶するとか進んで交流するのは当然ではないか。不手際が目立ったイベントの進行のみならず、違和感を覚えたのは俺だけだろうか。

 彼らの最新作「インフィニット・アームス」はあまりに聴きやすい音だ。俺にとってロックというより睡眠導入剤で、薄めのシガー・ロスといった印象である。ついでに、最近購入したCDについて感想をまとめて記したい。

 NYの新星ドラムスのデビュー作は、バンド名から想像するイメージと異なり、キャッチーな玉手箱だ。ヴァンパイア・ウィークエンドとMGMTのいいとこ取りだが、さすがの俺も流行の音に食傷気味になっている。

 フジロックでスケールの大きさを見せつけたローカル・ネイティブスのデビュー作「ゴリラ・マナー」は、ビートとメロディーの混淆、静と動のバランスも絶妙の快作だった。今後が楽しみなバンドである。
 
 来月に新作が出るマニック・ストリート・プリーチャーズの来日公演のチケット(11月)をゲットした。誠実さとインテリジェンスで比類なきマニックスは、俺の萎んだ魂さえ熱くしてくれるに違いない。ヴァンパイア・ウィークエンド(10月来日)はパスすることにした。グラストンベリー'10のフル映像を見て、CDからのプラスアルファを感じなかったからである。

 ロックファン復帰元年、新鋭を中心にいろいろなバンドのCDを聴いたが、総じて草食系にシフトしている。時には消化不良を起こしそうな濃いバンドにも出会いたい。
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雨中のフジロック'10~音楽とピクニックを満喫した日

2010-08-02 03:02:54 | 音楽
 3年ぶりにフジロックに参戦した。今回も初日のみの日帰り強行日程である。単独行の予定が、旧知の女性が同行を申し出る。女子高生風に言うと「チョー雨」で濡れ鼠になりながら、4会場で7バンド――移動中を含めれば9アーティスト――のパフォーマンスを満喫した。

 本数の少ないシャトルバス、リストバンド交換所までの長蛇の列……。主催者の不手際は明らかだが、若者たちは怒るどころか、「ASH、見たかったね。もう1時間前の電車にすればよかった」なんて反省していた。

 越後湯沢駅到着から4時間、ホワイトステージのローカル・ネイティヴスからスタートする。ウエストコースト出身のバンドだが、音はNY派に近い。キャッチーなメロディーとアフロビートが混ざり合い、ハーモニー重視する〝歌心〟も十分だった。

 グリーンステージでミュートマスに度肝を抜かれた。熱くて骨太、泥臭くてリリカルというのが最新作「アーミステス」を聴いた印象だったが、ステージを動き回る奇想天外なライブを展開する。J・P・ベルモンド風の渋いフロントマン、ポール・ミーニーを筆頭に、アヴァンギャルド志向のパフォーマー集団で、シューゲイザーの薫りにEMFを連想した。チャンスがあればもう一度見てみたい。

 ホワイトステージに戻り、ジャガ・ジャジストを見る。夕闇が迫る頃、ダイナミックなアンサンブルが苗場に響き渡る……はずが、豪雨が開放感を削ぎ、音を閉じ込めてしまった気がした。早めに切り上げ、迷いつつ奥へと進む。

 通りかかったフィールド・オブ・ヘヴンで、テイラー・ホーキンスのユニットが演奏していた。歓声とともに後方から人が駆け出したので、まさかデイヴ・グロールの飛び入り……と思ったが、勘違いだった。

 辿り着いたオレンジコートで、ダーティー・プロジェクターズを見る。NY派ではイチ押しで、ライブの素晴らしさは別稿(3月19日)に記したが、彼らもジャガ・ジャジスト同様、雨が災いしたのかもしれない。広い会場へとステップアップする時まで、魔法はとっておけばいい。奏でる音が大自然と融合して化学反応を起こし、プリミティブで祝祭的な空間を現出させる……。そんな瞬間を体感できたら幸いだ。

 次はフィールド・オブ・ヘヴンのサンハウスだ。めんたいロックの先駆けで、30年以上の年月を経て再結成した。同行者は最前列で再会を楽しみ、俺は後方で伝説との一期一会に浸っていた。

 イギー・ポップ風の上半身裸だけでなく、柴山俊之の歌詞にも驚かされた。ルースターズに提供した歌詞から繊細な文学青年と思っていたが、サンハウスの曲の多くは初期ツェッペリンばりのあけすけなセックスソングである。柴山は不良性とナイーブさを併せ持つロッカーなのだろう。ちなみにリードギターは鮎川誠だ。

 グリーンステージへのぬかるんだ山道は、まるでタイムマシンだった。〝ロックの現在形〟MUSEは武道館と位置を変え、最後方でまったり楽しむことにする。バンドが幼鳥から怪鳥に至る過程を〝父性愛〟をもって眺めてきた俺が、今更「史上最高のライブバンド」と〝身内〟を褒めても仕方がない。今回は穿った角度からMUSEを論じる。

 MUSEはTPOに応じてセットリストを変える。日本のファンを〝暴れ系〟と誤解しているのか、グラストンベリー'10の時以上に尖がっていた。草食系の日本の若者は抒情を好む。HPで募ったフェスごとのリクエストで上位を占めた“Bliss”は、今回もなぜか演奏されなかった。

 マシュー・ベラミーとケイト・ハドソンとのゴシップに胡散臭さを覚えた。ケイトの前の恋人A・ロッド(ヤンキース)は、マシューとタイプが全く違う。ケイトはFBIかCIAに因果を含められた〝女工作員〟ではないか。

 MUSEは年間30近くのフェスでヘッドライナーを務め、欧州でのスタジアムツアーをウェンブリー(2日で16万人)で締めくくった後、春の折り返しで北米ツアーを敢行する。〝第二のMUSEを探せ〟が存亡の危機に瀕したロック業界の合言葉で、彼らは遂に米チケットマスターとビルボードのトップアイテムになった。

 アメリカのファンはとりわけ若く熱狂的だ。アリーナに集う2万人が、“Uprising”と“Knights of Cydonia”でマシューのアジテーションに唱和する。「アメリカ当局が9・11を事前に知らなかったはずはない」と断言したマシューは、テロリストの心情を慮った曲(4thアルバム収録)まで作った。

 最新作“Resistance”は、ジョージ・オーウェルの「1984」を下敷きに抵抗を謳うトータルアルバムだ。<俺たちは力尽きたけど、志を継いだ者が世界を変革するだろう>という、白土三平の「カムイ伝」や「忍者武芸帳」に重なる世界観を提示した。

 資本主義独裁主義者にとって、〝危険思想〟が若者に浸透するのは由々しき事態だ。レイジのようにジワジワ締め付ける? それともジョン・レノンのように抹殺する? MUSEにそこまでの影響力はなさそうだから懐柔しようと、ケイトを送り込んだ。効果てきめんで、マシューは次回作で自らの内なる世界と向き合いたいと語っている……。

 なんて妄想に耽っているうち、夜行バスは5時前、新宿西口に着いた。自宅までの距離はグリーンステージからオレンジコートまでと大して変わらない。同行者と別れ、酷使した膝を労わりつつトボトボ歩いて帰った。


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〝グラストンベリー2010〟~MUSEの最新形に陶然

2010-07-21 01:16:18 | 音楽
 全英オープン最終日を見た。門外漢の俺の目に、石川遼は〝150㌔超の速球派〟と映った。細かい技術を身に付ければ、メジャー制覇も夢ではないと思う。

 石川同様、〝荒削りの18歳〟がNHK杯に登場した。里見香奈女流名人(倉敷藤花)である。将棋界では男女の差は極めて大きいが、持ち時間の短いNHK杯では〝事件〟が起きる。中井女流6段は計3勝を挙げ、佐藤9段(当時棋聖)を崖っ縁まで追い詰めた。

 終盤に定評ある里見は既に〝男性キラー〟の片鱗を見せているが、今回は勝手が違った。小林裕士6段は里見と同じ関西所属で、練習将棋など普段から接する機会も多いのだろう。余裕ある指し回しで圧倒した。

 感想戦に加わった解説(師匠でもある)の森9段が、「悪手(3六同歩)がなければチャンスもあったのに」と指摘すると、里見の表情が和らぐ。屈託ない笑みは、勝負師ではなく10代の少女そのものだった。

 前置きが長くなったが本題に。フジロックの予習を兼ね、MUSEのブートレッグDVDを買った。エッジ(U2)との共演が話題になったグラストンベリー'10のプロショット映像である。DVD化されたグラストンベリー'04と見比べると進化は明らかで、数万の聴衆とともに自然体で祝祭的空間をつくり上げていた。

 スタジアムロックの原点は、ロシアアヴァンギャルドを換骨奪胎したナチスのイベントにある。ナチス宣伝相ゲッペルスに顔が似ているマシューもまた、熱狂を生むシステムを本能的に理解していても不思議はない。更に言えば、マシューの母方は霊媒師の家系だ。俺もまた、魔法かトリックか集団催眠に引っ掛かっているのだろうか。

 俺がMUSEに入れ揚げたのは、アンチが多かったからだ。音楽通の友人、サラリーマン時代のロックファンの後輩たちは、概してMUSEに冷淡だった。好き嫌いならともかく、〝この程度のバンドのどこがいいの〟と嘲う者さえいた。となれば、俺も意地を張るしかない。

 バンドを見る目には自信があったが、多勢に無勢で気弱になる。勇気付けてくれたのは米オルタナ界のカリスマ、ペリー・ファレルだった。主催者としてロラパルーザ'07のヘッドライナーにMUSEを据える。MUSEはファレルの愛のこもったアジテーションでステージに送り出された。

 あれこれ難しく考える向きもいる。俺も時に理屈っぽく語ってしまうが、ロックとはつまるところ、10代もしくは、俺のように10代の荒野にとどまった者のための音楽なのだ。公式サイトからMyspaceにアップされたMUSEのシアトル公演では、10代の少年少女が歌いながら体を揺らしていた。これぞロックの理想形だと思う。

 1月の武道館に続き、日々刻々進化するMUSEを苗場で体感できる。MUTEMATH、ダーティー・プロジェクターズ、サンハウスも楽しみだが、このスケジュールではデイヴ・グロールの新プロジェクトは見られない。

 マシューは最近、ニルヴァーナのイントロをステージで掻き鳴らしている。デイヴの飛び入りなんてサプライズが用意されていないだろうか。マシューもデイヴもロッカーとして最高の資質〝サービス精神〟の持ち主だから、ありえない話ではない。




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花田裕之50歳記念ギグ~めんたいロッカーの熱い絆

2010-07-09 05:14:59 | 音楽
 参院選の最終情勢分析が出揃った。記者クラブ制度をめぐって民主党と対立するメディアは、自民党復調の流れにほくそ笑んでいる。この間の報道(世論誘導)を、半世紀にわたる贈収賄(官房機密費)の結果とみるのは、ひねくれ者の俺だけだろうか。

 W杯準決勝でスペインがドイツを圧倒し、オランダと決勝で相まみえる。36年間の夢が叶って、<オレンジの呪縛>から解放されることを俺は切に願っている。ちなみに、1日余分に休めるオランダ有利が俺の〝客観的予想〟だ。ロッベンか誰かの劇的決勝シュートに、俺の心臓はパッタリ止まるかもしれぬ。まあ、それでもいいかな。腹上死ほどじゃないが、最高に幸せな召され方だし……。

 一昨日(7日)、新宿ロフトで<花田裕之50歳記念ギグ>を見た。「花田って何者?」が皆さんの正直な感想に違いない。花田とはデビューから解散までルースターズを支えたギタリスト&ボーカリストである。

 コアなロックファンにとって、<1988年はボウイではなくルースターズが解散した年>が定説だ。この20年、邦楽ロックを底上げしたブルーハーツ、ブランキー・ジェット・シティ、ミッシェルガン・エレファントの面々は折に触れ、「彼ら抜きに僕たちは存在しなかった」とルースターズへの敬意を語っている。ルースターズは<日本のヴェルヴェット・アンダーグラウンド>といっていいほどの影響力を誇るバンドなのだ。

 大江慎也脱退後のルースターズに関心を示さない者、大江だけでなく花田と下山淳のコンビにも愛着を抱く者……。ルースターズへのスタンスは二つに大別できる。俺のように後者に属する側は、ルースターズについて語る時、おのずと涙目になる。生々流転したルースターズは、悲劇の数々に彩られた不遇のバンドだったからだ。

 3rdアルバム「インセイン」、45㌅シングル(4曲入り)「ニュールンベルグでささやいて」と「CMC」で世間を瞠目させた大江の才能は、自らの内側をも抉る。6th「φ」録音時、花田らは大江を病室から担ぎ出してスタジオに運んだという。大江の絶望を織り込んだ「φ」はヴェルヴェッツの3rdに匹敵するダウナーで美しい作品だ。今回のギグでは、同作でカバーしたヴェルヴェッツの「宿命の女」もセットリストに含まれていた。

 (A)=花田・下山・池畑潤二によるロックンロール・ジプシーズ、(B)=プライベーツ+池畑のセッション、(C)=ルースターズ中期、(D)=ルースターズ最終形と、イベントは四つのパートに分かれ、終演は11時近くになる。膝治療中の身には堪える4時間だったが、中身の濃さに痛みも忘れていた。

 (A)では「クレイジー・ロマンス」、(B)では大江在籍時の「ヘイ・ガール」など、ルースターズの曲も演奏され、(C)から本番モードになる。過小評価されがちな中期ルースターズの雄姿を待ち侘びていた多くのファンは、花田に合わせ「ネオン・ボーイ」を歌っていた。

 リスタートとなったライブ(渋谷公会堂だっけ?)で、花田の「大江です」のとぼけたMCに続き、「ストレンジャー・イン・タウン」のイントロが流れた。喪失感に覆われた詞は、30歳を前にした自身の状況と絡まり、胸を揺さぶられた記憶がある。当時の情感が四半世紀を経て鮮やかに甦り、脆くなった俺の涙腺を刺激した。 

 ブルース色が濃いストーンズ風⇒骨太のビートバンド⇒脱力感漂うニューウエーヴ⇒オーソドックスなロックバンド……。どの時点でもライブはうまくなかったルースターズだが、解散直前に突然変異する。世界標準の轟音ギターバンドに上り詰めた瞬間を捉えたのが「FOUR PIECES LIVE」だ。「再現できないジグソウパズル」、「パッセンジャー」など「FOUR ――」収録曲が(C)と(D)のセットで次々と演奏されていく。

 俺は曲順に違和感を覚えていた。「何かが用意されている」という予感は見事に的中する。花田が「九州から大江慎也です」と紹介するや、俺の前は映画「十戒」状態になる。ファンが一気にステージに押し寄せ、空いたスペースを俺は悠々と進んだ。いかにもロッカーという風情の花田と下山に挟まれた大江は、中年太りの普通のおっさんだが、カリスマ特有のオーラを放っていた。「恋をしようよ」の強烈なフレーズ、♪ただ俺はおまえとやりたいだけ……を絶叫するなど、計3曲でボーカルを取る。

 ビートだけでなく自らまで刻んだ大江、大江に殉じてバンドを去った池畑、創設メンバーとして唯一残った花田、途中加入ながら花田と伍した下山……。この4人に限らず、10人のルースターたちには確執もあったはずだが、恩讐を超えて、同じフレームに立っていた。花田と下山が大江に向ける優しい眼差しが印象的だった。

 人は老いるにつれ、絆を失くしていく。家族の絆さえ、お金が絡んで断たれることさえある。俺が七夕の夜に感じたのは、妬ましいほどの〝男たちの絆〟だった。苦難を共有した者たちが、時を経て支え合う……。そんな奇跡に触れることができて幸いである。




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「ディスインテグレーション」リマスター盤~キュアーと過ごす至福の時

2010-06-30 01:58:51 | 音楽
 決勝ト-ナメント1回戦、日本はPK戦の末、パラグアイに敗れ、準々決勝進出はならなかった。辛口のオシム氏は日本チーム全体の疲労と勝つ意志の欠落を指摘していたが、遠めからシュートを狙うなどアグレッシブな姿勢も見受けられた。

 今大会でようやく、日本が目指す〝サッカーの形〟が定まったのではないか。緻密さ、勤勉さ、創意工夫、和の重視という日本人の資質に根差したサッカーに徹し、野性を味付けできれば、さらに上を狙えるだろう。

 グラストンベリーにおけるMUSEとエッジ(U2)の共演が世界中で話題になり、Youtubeでの再生数も驚異的だ。プロショットのブートDVDが新宿界隈に並ぶのが待ち遠しい。U2はこの四半世紀、日本でも欧米と変わらぬ評価を得てきた。MUSEも英国と6年(グラストンベリー'04)、アメリカと3年(ロラパルーザ'07)のタイムラグを経てようやく今夏、フジでヘッドライナーを務める。

 一方で、誤解と偏見にまみれたバンドも存在する。それがキュアーだ。代表作「ディスインテグレーション」(89年)のデラックス・エディション(輸入盤)を先日購入した。<オリジナルアルバムのリマスター>+<「エントリート」のリマスター>+<レア音源>の3枚組だが、認知度の低さゆえ、国内盤のリリース予定はない。

 バンドの価値は売上高や動員力だけでは測れない。例えば、ビートルズとヴェルヴェット・アンダーグラウンド……。数字は3ケタ違ったが、後世への影響力はイーブンだ。同じ理屈で80年代以降、最も偉大なバンドを挙げるなら、影響力で際立つキュアーではないか。

 俺が通う整骨院にロック好きの施療師、A君がいる。レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、ナイン・インチ・ネイルズ、グリーン・デイ、メタリカ、デフトーンズらを支持する〝世界標準の正統派〟ゆえ、キュアーも聴いているに違いないと確信した。

俺「3年前、フジでキュアーを見たよ」
A君「ビジュアル系の元祖ですか」

 ショックでベッドから落ちそうになる。「君が好きなバンドの面々が最も敬意を払い、多大なる影響を口々に語るのはキュアーなんだよ」……。こう言いたかったが、無力感を覚えてやめた。この国のロック磁場は大きく歪んでいる。蛇足ながら、上記に挙げた米国勢だけでなく、レディオヘッドやMUSEなど多くのUK勢も、キュアーにインスパイアされている。

 <バンド臭のなさ>も、キュアーが日本で人気のない理由を一つかもしれない。ギャラガー兄弟のオアシスを筆頭に、人気バンドには周囲を惹き付けるドラマやストーリーがあるが、キュアーにおいてはロバート・スミスという絶対的才能がすべてだ。ちなみに初期のキュアーは現在のMGMTに似て、音楽と遊ぶアート系のユニットというイメージだった。

 「ディスインテグレーション」のオリジナル盤はくぐもった感じで、俺の〝素人耳〟にもプロデュースの失敗は明らかだった。2年後に収録曲限定のライブアルバム「エントリート」を発表した点にも、ロバートの忸怩たる思いが窺える。だが、曲のクオリティーの高さは「ウイッシュ」(92年)と双璧で、キュアーの名をグローバルに広めた。ソニック・ユースの「デイドリーム・ネイション」(88年)とともに、80年代を総括し、新たな地平を切り開く傑作アルバムといえるだろう。

 曲ごとの表情が豊かでポップな「ウイッシュ」と対照的に、「ディスインテグレーション」は統一感のあるアルバムだ。狂おしくメランコリックにうねり、ダウナーでありながら柔らかな光を帯びている。ティールグリーンを基調に、パープルやマルーンを織り交ぜた作品といえるだろう。♯1"Plainsong"から♯12"Untitled"まで72分18秒、俺はほぼ正確に記憶している。CDを聴く時は、脳内のスピーカーでも同じ音が鳴っているのだ。

 「ディスインテグレーション」が与えてくれる、内と外が平衡を保った至福の時……。本を読んでいると心地よい睡魔が襲ってきたが、11時が近づくとスカパーにチャンネルを合わせてしまう(冒頭へ続く)。明日というか、今日の仕事は大丈夫だろうか。大過なく一日を終えることを願うばかりだ。



コメント (6)
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「トータル・ライフ・フォーエヴァー」~エモーショナルに深化したFOALS

2010-05-31 00:19:23 | 音楽
 ビートジェネレーションの精神を継承したアウトサイダーが召された。デニス・ホッパー、享年74歳。「イージー・ライダー」で世界に衝撃を与え、「アメリカの友人」、「地獄の黙示録」、「ブルーベルベット」で強烈な存在感を示す。「スピード」の悪役も魅力的だった。

 ♪吐く息が白くなるほど 冷たいコーラ飲み干し 豹柄のヴェスパで あの子を迎えに行かなくちゃ 今すぐ デニス・ホッパーみたいに 路上で吹き飛ばされる前に……

 ブランキー・ジェット・シティ時代、こう歌った浅井健一も、手向けの酒を酌み交わすに違いない。

 芯が詰まったホッパーと比べたら、俺の生き様など泥池で息を潜めるボウフラの如くで、成虫(蚊)になれぬまま老いさらばえている。右膝の不調は治まらず、幾つかの予定を中止した。レントゲンを撮ったら、「年のせいで骨の噛み合わせが悪くなってます。減量した方が」と医者に言われた。

 気持ちだけでも若くありたいと現役ロックファンに復帰すると、NY派がビルボードのアルバムチャートを賑わせ、世界を闊歩していた。UKの若手は押され気味で、高評価のホラーズでさえあまり売れていない。今回紹介するFOALSも同様で、満を持して先日発表した2nd「トータル・ライフ・フォーエヴァー」がコケてしまった。俺の脳裏をよぎったのはマンサンの悪夢である。

 マンサンの2nd「SIX」は狂おしいほどメランコリックな究極のポップアルバムだが、<真にいいものは売れない>という〝ロックの法則〟を証明し、バンドは失速した。俺のようなしがないブロガーでさえ、気合を入れて書いてもアクセス数が増えないと落胆するものだ。傷心のFOALSは、マンサンの道を辿るのだろうか。

 研ぎ澄まされ、際立った輪郭を持つ曲が並ぶ1st「アンチドーツ」超えを目指したFOALSは、細部まで工夫を凝らしつつ、エモーショナルに深化した。ニューウェーヴの影はさらに濃くなり、初期デペッシュ・モードを彷彿とさせるリリカルな曲調もある。俺にとってはノスタルジックで心地良い作りだが、ファジーで切れに欠けるといえぬこともない。〝時代の寵児〟MGMTだって、印象は変わらないけれど……。

 ロックは俺にとって魂を抉るナイフ、気分を活性化させる刺激剤、そして心を洗う濾紙だった。現役ファン復帰後、最大の効能である〝癒やし〟に気付く。ミルクに浸されたパンのようにFOALSの音に和みながら読書するのが、俺にとって至高のひとときだ。

 FOALSは6月15日、アストロホール(原宿)でワンナイトギグを行う。若者が感性を磨く恰好の機会をロートルが奪うこともないから、見送ることにした。ちなみに、チケット(500枚弱)はまだ残っているようだ。かのステレオフォニックスでさえ会場はキャパ1000人クラスと、この国のロック環境は悪化の一途を辿っている。洋楽ロックは若者ではなく、金満中高年のための音楽になったようだ。

 最後に、ダービーの感想を。①②着は早々に切ったので大外れは仕方ない。「競馬予想TV!」で藤沢番のヒロシ氏と調教調査官の井内氏が、ペルーサのソフトな追い切りに疑問を呈していた。前走の好タイム勝ちがこたえていた可能性もある。

 ダノンシャンティの取り消しもあったが、時計が出過ぎる馬場のままでは、一流馬の故障続出に歯止めはかからない。JRAに改善を望みたい。



コメント (2)
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