MUSEの北米ツアーがマイスペースで公開中だ。1万6000余を集めたシアトル・キーアリーナでのライブで、若者(平均年齢は20歳前後?)の熱狂ぶりに、アメリカにおける認知度の高まりが窺えた。
量的成功はロックバンドにとって諸刃の剣で、〝MUSEは資本主義の毒に侵された〟と批判することも可能だろう。レイジをリスペクトするMUSEだが、初期衝動とラディカリズムをいつまで保てるだろうか。
さて、本題。ホワイト・ストライプスの「アンダー・グレイト・ホワイト・ノーザン・ライツ」を購入した。カナダツアー'07の模様を収録したライブCD&ドキュメンタリーDVD(エメット・マロイ監督)の2枚組である。今回はDVDについて感想を記したい。
ストライプスは世紀末、ストロークスとともにシーン最前線に躍り出た。4th「エレファント」(03年)まで追いかけたが、ロックから遠ざかっていた時期に発売された最近の2枚は聴いていない。メロディー志向の老いた情念派にストライプスは敷居が高く、来日公演(03年)もパスしてしまった。
手元にある4枚のアルバムはすべて輸入盤なので、<姉弟の2人組>を唯一の〝知識〟として、フレッシュな気持ちでドキュメンタリーを見た。2ピースバンドのサポート抜きのパフォーマンスに、心をズバッと抉られる。
ドラム担当のメグは無口で声も小さい。デビュー当時はロボット説がまことしやかに囁かれたほどだが、照れながらボーカルを取るシーンは微笑ましかった。普通っぽいメグに〝痛さ〟を覚えるのは、俺の目が歪んでいるからか。ギター&キーボードを縦横無尽にこなすジャックは、普段も冗舌でちゃめっ気に溢れている。静と動の対照的な個性が弾き出す音は、3次元を超えて刺激的だった。
U2、レディオヘッド、MUSEら〝王道〟――ロックの墓場に通じる道でもあるが――を歩むバンドとは対照的に、ストライプスは大掛かりな舞台装置、最先端の機材、デジタル処理とは無縁だ。
初期衝動とアナログ志向を維持するため、ジャックは幾つものルールを自らに課している。時間が限られているからこそ創造力を発揮できると考え、スタジオ入りするや曲を作って数日のうちに録音する。セットリストを用意しないこと、同じギターを10年も使い続けること、楽器の位置を工夫することで、ステージでの緊張感を高めている。
本ドキュメンタリーの肝は、ハプニング的フリーライブだ。「ホワイト・ストライプスが広場に来るよ」といった情報が到着直前、ラジオやネットで流れ、半信半疑で人々が集まると、2人が現れ演奏する。ボウリング場、レストラン、船の上など場所は様々で、公民館でのイヌイットとの交流は興味深かった。
見終えた後、ウィキペディアで復習し、たちまち目が点になる。<姉弟の2人組>がガラガラ崩れたからだ。ドキュメンタリーでも〝僕たちの従兄弟や親族〟と音楽家やスポーツ選手を紹介していたメグとジャックだが、実際は元夫婦で、ともに別の相手と再婚しているらしい。
<ホワイト・ストライプスは嘘ばっかり>と批判されたこともあったようだが、ジャック本人が気に入っているバンド評は、<彼らは最もフェイクだけど、同時に最もリアル>である。本質を穿っていると思う。NY派にも感じることだが、ストライプスも自らをトリックスターと位置付けているようだ。
海外バンドのチケットが売れない現状、日本のロック環境は悪化しつつある。ストライプスの来日公演も難しそうだが、もし実現したら、姉弟を偽装する元夫婦の奇跡のケミストリーを体感してみたい。








量的成功はロックバンドにとって諸刃の剣で、〝MUSEは資本主義の毒に侵された〟と批判することも可能だろう。レイジをリスペクトするMUSEだが、初期衝動とラディカリズムをいつまで保てるだろうか。
さて、本題。ホワイト・ストライプスの「アンダー・グレイト・ホワイト・ノーザン・ライツ」を購入した。カナダツアー'07の模様を収録したライブCD&ドキュメンタリーDVD(エメット・マロイ監督)の2枚組である。今回はDVDについて感想を記したい。
ストライプスは世紀末、ストロークスとともにシーン最前線に躍り出た。4th「エレファント」(03年)まで追いかけたが、ロックから遠ざかっていた時期に発売された最近の2枚は聴いていない。メロディー志向の老いた情念派にストライプスは敷居が高く、来日公演(03年)もパスしてしまった。
手元にある4枚のアルバムはすべて輸入盤なので、<姉弟の2人組>を唯一の〝知識〟として、フレッシュな気持ちでドキュメンタリーを見た。2ピースバンドのサポート抜きのパフォーマンスに、心をズバッと抉られる。
ドラム担当のメグは無口で声も小さい。デビュー当時はロボット説がまことしやかに囁かれたほどだが、照れながらボーカルを取るシーンは微笑ましかった。普通っぽいメグに〝痛さ〟を覚えるのは、俺の目が歪んでいるからか。ギター&キーボードを縦横無尽にこなすジャックは、普段も冗舌でちゃめっ気に溢れている。静と動の対照的な個性が弾き出す音は、3次元を超えて刺激的だった。
U2、レディオヘッド、MUSEら〝王道〟――ロックの墓場に通じる道でもあるが――を歩むバンドとは対照的に、ストライプスは大掛かりな舞台装置、最先端の機材、デジタル処理とは無縁だ。
初期衝動とアナログ志向を維持するため、ジャックは幾つものルールを自らに課している。時間が限られているからこそ創造力を発揮できると考え、スタジオ入りするや曲を作って数日のうちに録音する。セットリストを用意しないこと、同じギターを10年も使い続けること、楽器の位置を工夫することで、ステージでの緊張感を高めている。
本ドキュメンタリーの肝は、ハプニング的フリーライブだ。「ホワイト・ストライプスが広場に来るよ」といった情報が到着直前、ラジオやネットで流れ、半信半疑で人々が集まると、2人が現れ演奏する。ボウリング場、レストラン、船の上など場所は様々で、公民館でのイヌイットとの交流は興味深かった。
見終えた後、ウィキペディアで復習し、たちまち目が点になる。<姉弟の2人組>がガラガラ崩れたからだ。ドキュメンタリーでも〝僕たちの従兄弟や親族〟と音楽家やスポーツ選手を紹介していたメグとジャックだが、実際は元夫婦で、ともに別の相手と再婚しているらしい。
<ホワイト・ストライプスは嘘ばっかり>と批判されたこともあったようだが、ジャック本人が気に入っているバンド評は、<彼らは最もフェイクだけど、同時に最もリアル>である。本質を穿っていると思う。NY派にも感じることだが、ストライプスも自らをトリックスターと位置付けているようだ。
海外バンドのチケットが売れない現状、日本のロック環境は悪化しつつある。ストライプスの来日公演も難しそうだが、もし実現したら、姉弟を偽装する元夫婦の奇跡のケミストリーを体感してみたい。








