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酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

キュアー、マニックス、ミューズ、ホワイト・ライズ~UKロックの至宝は今

2011-06-09 00:58:19 | 音楽
 大田区の下水処理施設の空気中から、毎時約2・7マイクロシーベルトの放射線量が検出された。小出しにされる深刻な真実からも、原発事故直後、東京が許容量を大幅に超える放射線を浴びていたことは疑いようがない。

 早くも夏バテ気味で、脳は体以上にふやけているが、大連立を企む輩の本音ぐらい想像がつく。彼らはきっと、宗主国アメリカの意向を受け、脱原発の声を石棺化したいのだ。どうせ〝本籍ワシントン〟 が後任に据えられるのなら、俺は菅首相の逆噴射に期待したい。小グループになるのは覚悟で、脱原発を掲げて解散に打って出れば、一票を投じるだろう。

 魑魅魍魎の政界と比べ、棋界では節度と矜持が字義通り保たれている。羽生名人が3連敗後の3連勝で、決着は最終局に持ち越された。名人戦より面白かったのは、日曜のNHK杯だった。2度の千日手の末、18歳の永瀬4段が優勝候補の佐藤9段を破る。研究に裏打ちされた美学が清々しかった。

 さて、本題。今回は関心を抱くUKバンドの動向について記したい。

 アジアン・カンフー・ジェネレーションが主催するナノ・ムゲンフェスにマニック・ストリート・プリーチャーズが出演する。イベント自体はパスしたが、単独公演が実現した。場所は新宿BLAZE(キャパ800)、オープニングアクトがアッシュというから堪らない。申し込んだが、抽選突破は期待薄か。
 
 キュアーがシドニーで、DVD製作を前提にライブを行った。「トリロジー」(03年)に次ぐ試みで、「スリー・イマジナリー・ボーイズ」、「セブンティーン・セコンズ」、「フェイス」の初期3作を全曲演奏した。4時間弱というステージに、ファンへの感謝の気持ちが窺える。

 80年前後のロバート・スミスとローレンス・トルハーストのインタビューは、<オフは読書と映画に充てる。三島も安部も好きだよ>といった具合で、キュアーは高等遊民風の脱力ユニットだった。「イン・オランジュ」(86年にフランスの古城で収録)を見た時、完璧なプロフェッショナルぶりに衝撃を受ける。個人的に同作はロック史上ベストライブ映像である。

 五十路に突入したロバートは、金と時間を掛けずに製作した初期3枚に忸怩たる思いを抱き、<少年の悪夢>をカラフルに彩ってファンに示したいと願ったのだろう。少しは優しくなったのか、幼馴染みのローレンスを「フェイス」のセットに呼んでいる。追放と和解の経緯を知る長年のファンは、ステージに立つローレンスの姿に涙したかもしれない。

 次にミューズ。キッズから熱烈に支持されている彼らは、アメリカでも〝業界の救世主〟と目されている。ヘッドライナー3組が決まった後、ロラパルーザにブッキングされたが、その辺りは格に無頓着なミューズらしい。

 ミューズの今夏のハイライトは二つある。一つは2nd「オリジン・オブ・シンメトリー」から全曲演奏するレディング&リーズだ。ロマの音楽に通底する情念が陽炎のように立ち込めた作品で、5枚のアルバムでも随一のクオリティーを誇る。同フェスは全欧に生中継されるから、パフォーマンスを収めたDVDは西新宿のブート専門店に並ぶはずだ。今から9月が待ち遠しい。

 もう一つはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンと共演する「LAライジング」だ。フジロック'07に来日した時、メンバーは「レイジは音楽性もメッセージ性も別格」と語っていた。HPでも“Mighty”とレイジを表現するなど、共演できるのが嬉しくてたまらないようだ。レイジの影響なくして生まれなかったラディカルな「ザ・レジスタンス」が、保守的なグラミー賞で「最優秀ロックアルバム」というのも不思議な感じだ。

 ミューズに続くスタジアムバンドと期待されるホワイト・ライズの2枚のアルバムを合わせて聴いた。〝21世紀のジョイ・ディヴィジョン〟が売りだが、当人たちは上記のマニックス同様、エコー&ザ・バニーメンに最大の敬意を払っている。失速するのが早かったエコバニだが、放った光芒はタイプが異なる後輩ロッカーたちに受け継がれている。

 数回ずつ聴いた感想だが、音の質はコールドプレイ、エデイターズに近く、歪みや破綻はない。内向的な詩も独特で、完成度は極めて高い。ライブパフォーマンスにも定評があり、近日中にブートDVDを購入するつもりだ。


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獲物に魔女に速足の狐たち~エコな音に浸る日々

2011-05-13 03:35:30 | 音楽
 起きてテレビをつけると、〝効果的な節電〟とか〝冷房抜きの暑さ対策〟なんてコーナーで、方法があれこれ紹介されている。毒まんじゅうを喰らった朝日の朝刊には、「電力不足」の文字が狡い貌で躍っていた。

 寝惚けた脳から警戒警報が発令される。東電と中電が示したデータに基づき、小出裕章氏や広瀬隆氏らは<原発抜きでも電力は大丈夫>との結論を導き出している。政府、東電、保険会社と組んで子羊(国民)を洗脳するメディアに苛立ちを覚えつつ、「俺の方が間違ってるのか」とモヤモヤしてきた。

 職場で整理記者Yさんに見せてもらった東京新聞が、恰好の消化剤になる。<節電PRは原発維持への脅し?>といった見出しなど、政府と東電に厳しい論調だ。さすがは日本で最も早く<二酸化炭素地球温暖化説=原発推進派の命綱>に疑義を呈した東京新聞だけのことはある。

 さて、本題。最近買ったアルバム3枚の感想を記したい。いずれもメッセージを前面に掲げるわけではないが、<脱原発>に共通するオルタナティヴな方法論を志向している。

 まずはジェイミーとアリソンからなるキルズの「ブラッド・プレッシャーズ」から。男女1人ずつの構成はホワイト・ストライプスを彷彿とさせる。虚飾を排したストイックさが両者の共通点だが、キルズの方がメロディアスだ。

 クオリティーの高い曲が並ぶ中、無国籍風の♯2“Satellite”、変調とボーカルの掛け合いが鮮やかな♯5“Wild Charms”、ダウナーなメロディーと硬質のビートがマッチした♯6“DNA”、イントロとサビに懐かしさを覚える♯7“Baby Says”、シンプルな失恋ソング♯8“The Last Goodbye”が印象に残った。

 聴き込むうち既視感ならぬ〝既聴感〟を覚え、スージー&ザ・バンシーズの「スルー・ザ・ルッキング・グラス」(87年)に辿り着く。スージーとアリソンの声質と歌い方に共通点を覚えるのは俺だけだろうか。

 NYのローファイ女性トリオ、ヴィヴィアン・ガールズの「シェア・ザ・ジョイ」を聴いた人は、レインコーツや少年ナイフを思い出すはずだ。6日間で録音され、パブリシティーに金を掛けず市場に出す……。曲のレベルも高いが、エコな姿勢こそ本作の肝かもしれない。読書しながら聴いていると、音は次第に希薄になるが、37分経った時、霧雨の潤いが心をしっとり濡らしていた。

 フリート・フォクシーズの「ヘルプレスネス・ブルース」を簡潔に表現すれば、<境界線を彷徨うアコースティックな音>となる。ダーティー・プロジェクターズ、グリズリー・ベア、ローカル・ネイティヴスと志向性は同じで、民族音楽からフォークまであらゆるジャンルを取り込み、<聴く人の遠い記憶に働きかけるような重層的ハーモニー>(岡村詩野さんのライナーノーツから)で祝祭的ムードを醸している。音の記憶の坩堝からカラフルな煙が立ち込めるのを覚えるアルバムだ。

 最後に、残念なニュースを。1カ月後のPOGドラフトに向け準備を始めようとした矢先、内田博幸騎手が落馬して頸椎を骨折し、長期離脱を余儀なくされる。東西調教師から素質馬の騎乗依頼が引きも切らない内田の不在は、POG参加者にとっても悩みの種だが、そんなことはさておき、一日も早い復帰を待ちたい。



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才気と歌心とお茶目さと~レジーナに癒やされる日々

2011-04-21 00:58:24 | 音楽
 ソフトバンク孫会長が脱原発を目指し「自然エネルギー財団」を設立する。10億円を準備し、内外の研究者を招くというプランだ。原発に年間4500億円の補助金、エネファームには80億円という<官>の姿勢に対抗し、<民>の立場で行動を起こした孫氏の試みに注目したい。

 原発について調べていると、奇妙な構図が浮き上がってくる。俺は<原発=秘密主義、棄民、言論弾圧を前提に成立する暴力装置>と定義したが、自由が隅々まで浸透するフランスは、世界で最も原発依存度が高い国だ。俺の論理は明らかに破綻している。そのフランスも、フクシマの影響で空気が変わりつつある。野党第一党の社会党では大統領選に向け、脱原発を訴える環境派が力を増しているという。

 〝穏やかなアメリカの隣人〟というイメージが強いカナダだが、原発と核兵器に不可欠なウラン鉱石の世界最大の生産国でもある。<恐怖のシステム>に組み込まれたカナダの〝素顔〟に俄然、興味が湧いてきた。ともあれ、上辺だけ眺めていると、闇で蠢く〝悪い奴ら〟を見失ってしまいそうだ。

 今回は久しぶりに音楽について記すことにする。ザ・ナショナルの来日公演(3月17日)は当然のように延期になったが、震災と関係なく、今年に入って残念なニュースが相次いだ。ホワイト・ストライプスは解散し、ローカル・ネイティヴスからベースのアンディが脱退する。

 先日、久しぶりにタワレコに足を運んだ。キルズの「ブラッド・プレッシャーズ」とヴィヴィアン・ガールズの「シェア・ザ・ジョイ」を予定通りゲットしたが、グリズリー・ベアの「ブルー・バレンタイン」(サントラ)は品切れだった。もう一枚買おうか迷っているうち、レジーナ・スペクターの「ライブ・イン・ロンドン」(輸入盤/CD+DVD)を発見した。

 歌心に満ちた最新作「ファー」は、俺にとって文句なしの'10ベストアルバムだった。旧作(国内盤なし)と合わせて聴くうち〝鼓膜の恋人〟になったレジーナは、DVDを通して〝瞼の恋人〟にもなる。この年になって笑えるほどの片思いだ。

 「ファー」から10曲前後、旧作から10曲弱、サントラに提供した曲が3~4曲という構成で、オフステージの様子も収録されている。レジーナに重なったのは、映画「アマデウス」のモーツァルトだ。パフォーマンスは真剣だが、キュートでコケティシュ、お茶目で天真爛漫な素顔に魅入ってしまう。
 
 本作でも曲のクオリティーの高さに圧倒された。骨のない曖昧な音をクリアに加工して売ることが蔓延しているが、レジーナの曲はビビッドだ。メロディーの輪郭がくっきりし、陰影と表情に富んでいる。〝ブロンクスのビョーク〟と評される反骨精神と革新性の土壌で、幅広い音楽的素養――クラシック、ジャズ、ブルースetc――がカラフルな花を咲かせた。整合性を意識的に壊すアヴァンギャルド精神も窺える。

 ウィキペディアの受け売りだが、神話、シェイクスピア、フィッツジェラルド、ヘミングウェイ、ヴァージニア・ウルフらにインスパイアされた歌詞も、独特で奥深い世界を創り上げているという。

 話は逸れるが、<音楽(歌)で被災者を励ます>というフレーズが気になっている。気持ちを込めて作った曲が期待通りの結果を生むとは限らないからだ。戦後混乱期の日本人を励ましたのは「リンゴの唄」で、被災地では現在、「上を向いて歩こう」を口ずさむ人が多いという。ともに励ましを目的に作られたわけではなく、素直な気持ちを等身大で表現することにより、横に繋がるパワーを得た。普遍かつ不変の感情を形にできるソングライターは、果たして今の日本にいるのだろうか。

 俺はといえば、レジーナ・スペクター、PJハーヴェイら女性シンガーに癒やされる日々だ。励まされているというより、心地よく沈んでいるというのが実感だけど……。




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マイケミ、ポンティアックス、PJハーヴェイetc……~衝動買いした新譜たち

2011-02-26 06:54:09 | 音楽
 〝現役ロックファン復帰元年〟だった昨年は、CDを大量に買い集めたが、自らの体温と浸透圧に即した音に収斂していく。行き着いた先は、アーケイド・ファイア、ダーティー・プロジェクターズ、グリズリー・ベア、ローカル・ネイティヴスといった手作り感に溢れるバンドたちである。彼らに共通するのは、ハーモニーを重視して祝祭的ムードを醸し出している点だ。
 
 方向が定まると手当たり次第は修正され、音楽誌をチェックすることもなくなった。先週のこと、映画が始まるまでの時間つぶしで、今年初めてタワレコに足を運んだが、CDを5枚、衝動買いしてしまう。今回はそれぞれの感想を簡単に記すことにする。

 キングス・オブ・レオンの5th「カム・アラウンド・サンダウン」はルーツミュージックの泥臭さ、グランジ的な激しさと脱力感、ニューウェーヴの繊細さを混淆させた〝王道ロック〟を響かせている。ケイレブの声質とバンドとしてのパフォーマンスが、〝ニルヴァーナ・チルドレン〟として人気を博したブッシュに似ていると感じるのは俺だけだろうか。

 マイ・ケミカル・ロマンスの4th「デンジャー・デイズ」の実験性とペタンチックな手触りは、前作「ザ・ブラック・パレード」の延長線上だった。〝力んだ音〟が流行に合わないのか、売れ行きは芳しくないという。ポップの毒は、バンドを崩壊に追いやることもある。マンサンほど狂おしさや陶酔感は覚えないが、マイケミも志のさがあだになり、袋小路に迷い込まないか心配だ。

 浅井健一が昨年、ブランキー・ジェット・シティ時代の盟友である照井利幸、有松益男(元バック・ドロップ・ボム)と新ユニットを立ち上げた。ネイティブアメリカンの蜂起にちなんだポンティアックスというバンド名に、〝反米ナショナリスト〟浅井の心意気が窺える。1st「ギャラクシー・ヘッド・ミーティング」に想定外の衝撃を受けた。

 とりわけ心に響いたのは♯1「アメリカ」、♯5「SHINJUKU」、♯7「STOOGES」、♯12「PINK BLUE」だ。ソリッドでストイック、ダウナーで研ぎ澄まされたロックンロールの刃と、シュールなイメージを重ねた歌詞がマッチしている。46歳にして進化と深化を見せつけた浅井は、〝世界標準のロックモンスター〟といえるだろう。

 モグワイの新作「ハードコア・ウィル・ネヴァー・ダイ・バット・ユー・ウィル」を、デビュー作から通して聴いた(計7枚)が、まだ勘所をつかめない。トランジスタラジオから流れるビートルズの〝目くるめく3分間〟がロックライフのスタートだった俺にとって、ポストロックは敷居が高いジャンルなのだろう。読書のBGMとしては最適だけど……。

 現時点で早くも個人的な'11ベストアルバムが決定した。アーティストとしての成熟を感じさせるPJハーヴェイの「レット・イングランド・シェイク」だ。デビュー当時(91年)の彼女は、痛々しいほど赤裸々でエキセントリックだった。変化の兆しが表れたのは「ストーリーズ・フロム・ザ・シティー、ストーリーズ・フロム・ザ・シー」(00年)で、抑揚が効いた深みのある作品に仕上がっていた。

 デジタル機器で人工的に牽引されるバンドが目立つ中、PJは自然体で飛躍し、ロックを俯瞰で眺める高みに到達した。「レット・イングランド・シェイク」では民族音楽を取り入れ、中近東の雑踏で流れているようなエキゾチックなメロディーを口ずさんでいる。漂泊者の哀感と解放感を味わえる本作と志向性が重なるのは、グリズリー・ベアの「ヴェッカーティメスト」だ。

 次にタワレコに足を運ぶのは1カ月後。いい年して恥ずかしいが、グリーン・デイの激安ライブ盤(CD+DVDで3200円!)を買うためだ。余分なお金を持たないで行くことにしよう。

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ローカル・ネイティヴス~神が宿ったパフォーマンスに酔う

2011-02-02 01:25:25 | 音楽
 上杉隆氏らが〝先進国標準〟のオープンなジャーナリズムを志向する「自由報道協会」を設立した。<記者会見の開放を実践してきた政治家>として小沢一郎氏が初回の記念会見に選ばれた。小沢氏は記者クラブ(大手メディア)と対照的な評価をフリージャーナリストから得ている。

 アメリカ迎合のエジプト独裁政権が揺らいでいる。<アメリカ=イスラエル>を悪の枢軸と見做す俺には好ましい変化だ。フェースブック、ツイッター、動画サイトが抵抗の軸になった<ソーシャルネットワーク革命>で、〝ご臨終メディア〟(森巣博、森達也共著のタイトル)に洗脳されたこの国より進んでいるかもしれない。

 幻想的なブロンド・レッドヘッドのライブ(1月24日)から1週間、余韻が冷めぬままクラブ・クアトロ(渋谷)でローカル・ネイティヴスに圧倒された。フジロックのホワイトステージでも異彩を放っていたが、キャパ数百の閉じられた空間で濃密なエネルギーを放射し、開放と凝縮を同時に表現していた。

 オープニングアクトのアントラーズも、「4ADナイト」のディアハンター、フレーミング・リップスと共演したMEW同様、メロディーとビートを結合させた優れたバンドだが、神が宿ったローカル・ネイティヴスの前では色褪せてしまう。彼らのパフォーマンスはアルバム1枚の段階として奇跡的なレベルに達している。

 彼らと重なるのは、同じ会場で体感したダーティー・プロジェクターズだ。その時の感想を以下に。

 <プリミティヴ、ノスタルジック、牧歌的、祝祭的なパフォーマンスを支えるのは、デイヴと女性3人のボーカル隊だ。バリエーションに富んだ組み合わせで、曲ごとのコンセプトの違いを浮き彫りにしていく。(中略)ダーティ-・プロジェクターズは、加工と手作り、卓越したテクニックとアマチュア精神というアンビバレンツを自然体で調和させていた>(昨年3月19日の稿)

 ダーティー・プロジェクターズがNYなら、ローカル・ネイティヴスはLAと活動拠点は異なるが、ライブの質といい印象といい、志向するものは同じだと思う。

 ローカル・ネイティヴスは担当楽器や立ち位置を曲によって頻繁に変え、ツインドラムの時は重厚なビートで五感に働きかけてくる。NY派と共通するのは〝声の復権〟で、リードを取るのは2人だが、4人のハーモニーが牧歌的、祝祭的なムードを醸し出している。

 静と動のメリハリがはっきりし、淀みと無駄が一切ない。轟音とメロディーを融合させ、表情豊かな曲をコンパクトにまとめている。ロックの良質なDNAと未来形を感じた。終演後、物販に協力する姿にも感心した。ロックは文化であると同時にエンターテインメントで、俺の中で<サービス精神>がバンドを測る大きな物差しになっている。

 彼らぐらいのキャリアだと、大抵は書きためた新曲で客のリアクションを試すものだが、今回のライブで演奏されたのは1st「ゴリラ・マナー」の12曲のみである。これが唯一感じた不安点だった。

 ブロンド・レッドヘッドについて〝独り占めしたい宝物〟と記したが、ローカル・ネイティヴスはダーティー・プロジェクターズとともに、ヘッドライナーとしてフジロックのグリーンステージに立つ日が来ることを願っている。夢が実現した時、俺は確実に還暦を迎えているだろう。棺桶の中だったりして……。


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耽美とエキセントリック~ブロンド・レッドヘッドの世界に浸る

2011-01-27 01:43:52 | 音楽
 アジア杯の日韓激突をじっくり観戦した。「元気がなくて大丈夫?」と内外から心配されている日本の若者だが、サッカーは例外のようだ。個性派揃いで伸びしろも十分、夢を感じさせるチームである。

 先日(24日)、「4ADナイト」(渋谷・O-EAST)に足を運んだ。同レーベル所属のブロンド・レッドヘッド、ディアハンター、アリエル・ピンクス・ホーンテッド・グラフィティが集うイベントである。思いのほか客層が若く、開演前から熱気に溢れていた。気後れした老兵は、2階で全景を視野に収めつつライブを堪能した。

 7時少し前、アリエル・ピンクス・ホーンテッド・グラフィティがステージに現れる。フロントマンはギンギラのグラムロッカーのいでたちで、ウエストコースト、ディスコ、ソウルといったレトロの要素もちりばめられていた。現状では散漫な印象は否めないが、調味料次第で〝カラフルな万華鏡〟に化ける可能性もある。

 ディアハンターの現れ方は、まるでエコー&ザ・バニーメンだった。メランコリックでサイケデリックな音は俺の好みだが、やや情念に欠けている。新作のタイトル「ハルシオン・ダイジェスト」は〝古き良き時代〟という意味らしい。彼らは確かに、ニューウェーヴ、シューゲイザー、グランジら先達のDNAを受け継いで消化し、硬質な統一感を保っていた。

 9時半を回る頃、お目当てのブロンド・レッドヘッドがステージに立つ。カズ・マキノ(ギター&ボーカル)はモデル体形の長身を悩ましげにくねらせ、空間を幻想的かつ頽廃的な美学で満たしていく。上記2バンドのファンには申し訳ないが、格というより次元の違うパフォーマンスで心を震わせてくれた。

 <ブロンド・レッドヘッドは4ADの中核だったコクトー・ツインズの後継者>いうイメージを抱いていたが、ライブが進むにつれ、もう一つの貌が見えてきた。90年代からニューヨークで活動する彼らはソニック・ユースの影響が濃く、ノイジーなビートを刻んでいた。耽美とエキセントリックを調和させるのが、カズの物憂げで官能的な声である。

 <アメデオ(ギター&ボーカル)=懸想する男、カズ=つれない女>がお約束の設定? 2人の立ち位置やしぐさにこんな誤解をしてしまったが、真相は違った。俺と同郷(京都)のカズが柔らかいイントネーションで聴衆に語りかける。「この2カ月、声が出なくて、わたし、おしまいかなって思いました」……。そうか、アメデオはずっとカズの声を気遣っていたのだ。

 カズに重なったのが、作家のカズオ・イシグロだ。長崎出身のイシグロは幼くして家族とイギリスに渡り、英語圏を代表する作家になった。作品の肝になっているのは、矜持、諦念、もののあわれ、形にならないものへの執着といった日本人独特の感性だ。〝英語で書く日本人作家〟イシグロの作品に触れるたび、ノスタルジックな気分になる。

 カズもまた、イシグロと同じではないか……。思いついたばかりの仮説で論理的に説明できないが、カズがブロンド・レッドヘッドのメンバーとして世界標準をクリアしたのは、グローバルを意識して英語で歌ったからではない。和の感性を音やパフォーマンスに浸潤させ、独自の世界を築いたからではないか。4ADからリリースされた3作には、小泉八雲が憧れた切なさと儚さが息づいている。

 最後に4AD史上のベストアルバムを挙げるなら、ディス・モータル・コイル(所属アーティストによるプロジェクト)の3部作だ。ブロンド・レッドヘッド同様、俺にとって〝独り占めしたい宝物〟である。


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ミッシェル・ガン・エレファント~燃え尽きた初期衝動

2011-01-15 05:26:58 | 音楽
 アメフト漬けの日々を過ごしている。NFLのプレーオフだけでなく、カレッジのボウルゲームまで録画して見ているから時間が足らない。BCSチャンピオンシップでオーバーン大が全米王座に輝いたが、創意工夫とギャンブル精神に溢れた敗者オレゴン大の戦いぶりも見事だった。

 相変わらずネタ切れだが、今回は<世界標準>をキーワードに記したい。

 「タイガーマスク運動」が全国に広がっている。民主党政権が社民主義を放棄した今、政府は当てにならない。矛盾に喘ぐ人々の役に立ちたいという<世界標準>の意識が、この国に定着すればいい。

 アジア杯の日本代表は本田圭、香川、長友、内田ら<世界標準>の選手揃いだが、無名軍団を圧倒できない。〝足し算〟が簡単に成立しないのは、サッカーという競技の特性なのだろう。

 言葉の壁が高いロック界はどうか。タカ・ヒロセ(フィーダー=ベース)、カズ・マキノ(ブロンド・レッドヘッド=ボーカル)らがトップシーンで活躍中だが、バンド(ユニット)として海外で評価されたのはコーネリアス、ボアダムス、ブンブンサテライツぐらいではないか。

 国内で活動しながら<世界標準>をクリアしたバンドを挙げるなら、ブランキー・ジェット・シティとミッシェル・ガン・エレファント(以下MGE)だ。両者はフジロックで00年、グリーンステージのヘッドライナーに指名されている。

 日本映画専門チャンネルで先日、「ミッシェル・ガン・エレファント“THEE MOVIE”―LAST HEAVEN―031011」(09年)を見た。幕張メッセに4万人を集めた解散ライブ(03年10月11日)とフジロック'98の映像に、初期インタビューなどが織り交ぜられている。殺気さえ覚えるパフォーマンスで〝鬼〟と評されたアベ・フトシ(ギター)追悼プロジェクトの一環として公開されたドキュメンタリーだ。
 
 CDは数枚持っているが、俺は決してMGEのファンではなかった。いや、ファンになるにはあまりに老いていた。ライブに触れたのはフジロック'98(豊洲、8月2日)の一度きりだが、最後方で目の当たりにした衝撃は忘れられない。死者が出なかったのが奇跡と思えるほどの混乱で、演奏は何度も中断される。聴衆を熱狂させるパワーに、「この瞬間、こいつらが世界一のバンド」と感じた。

 チバユウスケは悪声の部類に属するボーカリストだ。歌うというよりがなっていて、ビートを刻む楽器に近い。メッセージやイメージを歌詞に込めるのではなく、潔いほど日本語をぶっ壊して記号化しているのに、どこか哀調を帯びている。

 MGEの凄まじいライブ映像に触れるたび、「長くはもつまい」と感じていた。解散時、彼らは30代半ばだったが、肉体的にも精神的にも限界に達していたのだろう。一切の虚飾を排して真摯に自らを切り刻み、初期衝動を保ったまま燃え尽きた稀有なバンドだった。

 本作冒頭、メンバーがフジロック'98のステージに向かうシーンに、「俺たちは世界一だと思ってる」というチバのモノローグが重なる。<世界標準>どころか天辺まで突き抜けたことに、当人たちも気付いていたのだ。MGEという熱く乾いた麻薬を体験した若者はその後、どこに漂着したのだろう。

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ロックを聴いて四十余年~光を繋ぐ不思議な音魂

2010-12-17 02:06:25 | 音楽
 ロックについて記すのは今年最後だから、〝現役ファン〟復帰元年を振り返って、アルバムベスト5を記したい。

 圧倒的1位はレジーナ・スペクターの「ファー」だ。ビョークのエキセントリズムにフェアグランド・アトラクションの手作り感が融合したメランコリックな作品で、曲のクオリオティーは極めて高い。通称〝ブロンクスのビョーク〟に、〝当代一のソングライター〟の冠を捧げたい。

 2、3位はアーケイド・ファイアの「ザ・サバーブス」とフォールズの「トータル・ライフ・フォーエヴァー」だ。それぞれ別稿(5月31日、8月20日)に記したが、「ザ・サバーブス」が愛聴盤になったのはブログに記した後である。

 続くのはザ・ナショナルの「ハイ・ヴァイオレット」とハーツの「ハピネス」だ。ザ・ナショナルは〝沈んだ高揚感〟を覚えるバンドで、来年3月の来日公演を楽しみにしている。「ハピネス」に甦ったのは、ティアーズ・フォー・フィアーズとペイル・ファウンテンズ(ともに1st限定)の閃きだ。五十路男が口にするも恥ずかしいが、蒼くて切ない〝青春ど真ん中〟が詰まっている。

 ロックを長く聴いていて、不思議な巡り合わせを何度も経験した。無関係に煌めいているように思えたバンドが、同じ光源で結ばれ、<音魂>で繋がっていたのだ。

 マニック・ストリート・プリーチャーズの来日公演については別稿(11月29日)で記した。マニックスは〝パンクの正統な後継者〟と決めつけていたが、メンバーはエコー&ザ・バニーメンに敬意を払っていた。新作にイアン・マカロックが参加し、終演後のスタジオコーストにバニーズの名曲「キリング・ムーン」が流れていた。

 俺が知る限り、バニ-ズはノンポリで、ラディカルなマニックスと思想的な繋がりはなさそうだ。マニックスの抒情性とバニーズとの関係はわからないが、両バンドは言葉に表せない音魂で結ばれているに違いない。マニックスのメンバーは少年時代、バニーズの至高のライブに度肝を抜かれた可能性もある。何せバニーズは失速するまで〝80年代のドアーズ〟と謳われたバンドだったのだから……。

 最大の音魂空間を形成するのはキュアーだ。レッチリ、メタリカ、グリーンデイ、ナイン・インチ・ネイルズ、デフトーンズらが口々にキュアーから受けた多大なる影響を語っているが、ポストパンク/オルタナ勢とキュアーの絆を論理で説明するのは難しい。こんな時に便利なのが音魂という概念だ。

 キュアーの影響を最も強く感じるのが浅井健一(ベンジー)だ。キュアーの大ファンだった俺は、ブランキー・ジェット・シティに惹かれるようになる。タイプは大きく異なるように映るが、俺の中で妙に整合性が保たれていた。まさに音魂の成せる業である。

 ブランキー・ジェット・シティ、シャーベッツ、JUDE、ソロ、最近のポンティアックと、ベンジーの活動は多岐に渡るが、キュアー色が最も濃いのはシャーベッツだ。シャーベッツに限定すると、イメージを連ねた詞はロバート・スミスの手法に近い。JCBホールでの10周年記念ライブを収録したDVD「ゴースト・フラワーズ」(08年)は、キュアーファン必見のアイテムだ。

 ロックなら音魂、小説なら言魂に数多く出合えたのは幸いだった。女性たちも周りでキラキラ煌めいていたが、俺の方が光を放てなかったので、相手は気付かなかったのだろう。もっと自分を磨くべきだったと反省したって、今更どうにもならない。



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「ドアーズ/まぼろしの世界」~蛹のまま蝶のように舞った男

2010-12-08 00:42:46 | 音楽
 今日はジョン・レノンの命日だ。最近は<愛と平和の啓蒙者>との捏造が甚だしいが、実際のジョンはIRAらと交流した左派だった。故に米当局から骨の髄まで憎まれ、「イマジン」は放送禁止歌のままである。FBIによる暗殺説が根強いのも当然だ。

 ビートルズはノンポリだったが、鋭敏なジョンは〝嵐の60年代〟のパトスに炙られ焦燥を覚えていた。67年1月、センセーショナルに現れたドアーズもまた、ジョンを痛く刺激したに違いない。

 新宿武蔵野館で先日、「ドアーズ/まぼろしの世界」(10年)を見た。ドアーズは革命と喪失を最もビビッドに体現したバンドである。ドキュメンタリーの軸に据えられたのは、虚実ないまぜで語られるフロントマンのジム・モリソンだ。

 モリソンの影響力は死後も衰えず、ロック以外にも伝播した。「地獄の黙示録」(79年)は「ジ・エンド」抜きに成立しない映画だし、マキャモンの「マイン」(90年、文春文庫)には〝生きているモリソン〟に憑かれた女が登場した。WWEのジョン・モリソンは、本家の華やかさを強調したコピーといえる。狂気、孤独、繊細、刹那的……。本作は形容詞が幾つあっても足らないモリソンの実像に迫っている。

 バンドTシャツを買い、カラオケ(随分行ってないな)で「ハートに火をつけて」を何度も歌った。俺は一応、ドアーズファンのつもりだが、本作では発見が幾つもあった。<モリソン=マンザレクがバンドの核>という固定観念をガラガラ崩される。モリソンをインスパイアした主要なソングライターは、ギタリストのロビー・クリーガーだった。

 妖しいルックスと悪魔憑きの声で寵児になったモリソンだが、詩人としては未完成だった。揺りカゴというべきドアーズという空間を、薬物と酒に溺れたモリソンは自らの手で歪めてしまう。惜しいというのは凡人の考えだろう。閃きと煌めきで壁を突き抜ける天才を、小さい物差しで測っても無意味なのだから……。
 
 本作で驚いたのは、ライブ会場での制服警官(私服は恐らく数倍)の多さだ。マイアミ公演での自慰行為もデッチ上げで、モリソンが私生活に至るまで監視されていたことを知る。アメリカは常に〝危険な連中〟を排除してきた。ロックでいえばウエストコーストパンク、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、そしてジョン・レノンもこの伝統に則って圧力を受けた。

 <蛹のまま高みを舞った蝶>……。これが本作を見終えた後の俺のモリソン像だ。傲慢さと自己顕示欲と背中合わせの不安とコンプレックスに、モリソンは苛まれていたのだろう。その資質と死にざまにカート・コバーンが重なる。短い活動期間で自らを焼き尽くし、ともに27歳で灰になった。

 先月末、WOWOWでクリームのフェアウェルコンサート(68年)がオンエアされた。ストイックなクリームはドアーズと対照的なバンドだが、ともに<ロックこそ新時代の音楽>という気概に満ちていた。ちなみにレノンはビートルズ時代、ジャズに対し過剰と思えるほど攻撃を繰り返していた。

 クラシック評論家の石井宏氏は「反音楽史」で、<現在最も才能に恵まれた者はポップスターを目指すだろう>(要旨)と記していた。クラシックとジャズが模倣と解釈の音楽に堕した時、表現と創造を志す天才たちが、可能性を希求してロックの旗の下に馳せ参じる。ドアーズ、そしてジム・モリソンもフォルムを作った先駆者だった。

 今も昔も、資本主義と権力者はロックを飼い慣らそうとする。檻に入ったバンドも少なくないが、今年に入って現役ロックファンに復帰した俺は、新たな息吹を感じている。何ものにも囚われないモリソンの魂は、世紀を超えて受け継がれているのだ。




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マニックス at スタジオコースト~カタルシスに濡れた夜

2010-11-29 00:38:06 | 音楽
女「ミューズで明けてマニックスで締めくくるなんて、最高の一年だったね」
男「フジにも行ったし。来年もいろいろ見よう」

 スタジオ・コーストで26日、マニック・ストリート・プリーチャーズを見た。余韻に浸りつつ新木場駅へ向かう道すがら、カタルシスに濡れたオヤジが真後ろで頷いていたなんて、若いカップルが知る由もない。

 オープニングアクトはレディング'10で再結成したリバティーンズのカール・バラーだ。仲直りした相棒ビート・ドハーティは素行不良(薬物など)だから、バンドとしての来日公演は難しいはず。バラーは25分ほどで引き揚げ、20分弱の短いセッティングを経てマニックスが登場する。

 失踪したリッチー(法律上は死亡確定)のために空けていたスペース(ステージに向かって左)を占めたサポートメンバー(ギター、キーホート)が、不惑を越えたバンドに相応しい厚みと柔らかみを添えていた。

 1曲目の“You Love Us”から涙腺が緩んでくる。帰宅してネットをチェックし、マニックスで潤むのは俺だけではないことを知った。<3曲目の“Motorcycle Emptiness”から涙で視界が霞んでいた>、<終わった後、友人の顔を見たら、頬が濡れていた>……。こんな書き込みで溢れている。

 ジェームズの豊かな高音、親しみやすいメロディーラインだけでなく、悲劇を乗り越えたマニックスの絆が聴く者の情感を揺さぶるのだろう。日本で初めて演奏するという“This Is Yesterday”はリッチーに捧げた曲のひとつだ。リッチーの攻撃性とナイーブさは現在もバンドに受け継がれている。

 新作「ポストカーズ・フロム・ア・ヤングマン」からの曲も反応が良く、イアン・マカロックが(エコー&ザ・バニーメン)がレコーディングに参加した“Some Kind of Nothingness”もセットリストに入っていた。メンバーが去って照明が灯った時、場内に流れていたのは、エコバニの不朽の名曲「キリング・ムーン」である。

 出だしは不調だったジェームズの声も次第に張りを増し、名曲のオンパレードになる。 “Roses In The Hospital”、“Everything Must Go”、“La Tristesse Durera”、“Faster”、“Motown Junk”、“If You Tolerate This Your Children Will Be Next”、“Tsunami”ときて、“A Design For Life”で締めくくった。

 ニッキーは普通のいでたちだったが、ステージにひとり残ったジェームズがアコギで“Stay Beautiful”を演奏した後、お色直しして再登場する。中国か北朝鮮の軍服?の下はスカートで、ジャンプしながら〝世界で一番美しい男のふくらはぎ〟を披露していた。

 知的、ラディカル、反骨精神、誠実が現在のマニックスを表現する形容詞だが、デビュー時から数年は風紀紊乱、アナーキー、頽廃的、暴力的、性的倒錯といったイメージを纏っていた。〝UK国宝バンド〟の称号を得た90年代後半以降も姿勢は変わらない、数万人を集め全欧に中継されたミレニアムギグで新左翼政党のメッセージを流したり、キューバで演奏したりと、信条を曲げることはなかった。

 <レコード会社=プロモーター=広告代理店=メディア>の連携によって成立する音楽産業で、多くのビッグネームは権力者の掌で踊り、若者の反逆を食い止める役割を担っている。だが、マニックスは不毛なシステムを拒絶し、〝等身大のアニキ〟としてステージに立つことを選んだ。俺もまた、彼らの潔さと気概に感銘を受けるひとりだ。

 動員力は前回(05年)より上がっている気もする。単独公演であれフェスであれ、マニックスが来日する機会があれば、最年長ファンとして足を運びたい。

 最後に競馬について。前稿に記したPOG指名馬7頭中、勝ったのはガムランのみで2着、3着が2頭ずつだった。欲を言えばきりがなく、結果には納得している。

 JCのブエナビスタ降着について、当事者ではないムーアが異議を唱えている。パトロールフィルムを見る限り、ブエナは確かに内に切り込んでいるが、ヴィクトワールピサも外によれている。国際化を目指すJRAは、アウトとセーフの基準を明確にする必要があると思う。


コメント (4)
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