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酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

マニックスat新木場~褪せることなきUK国宝バンドの煌めき

2012-05-19 18:52:00 | 音楽
 「未来シアター」(昨夜放送)を見た。二階堂ふみのコーナーでは鮮烈な「ヒミズ」の記憶が甦ったが、武豊のミニドキュメントには首をかしげる。武不振の真の理由――栄華を極める社台グループが武に破門状を出し、有力厩舎も追随した――なんてテレビが伝えられるはずはない。一方で、勝ち星を減らした武を判官びいきで応援するファンが増えている。

 香川真司のマンチェスター・ユナイテッド入りが濃厚になった。プレミアは年末年始もない過密日程で、持久力とタフネスが求められる。果たして香川は、ファーガソンが求めるフィジカルのレベルをクリアできるだろうか。マンUのエースといえば、ピッチを駆け回り、強烈なシュートを決めるウェイン・ルーニーだ。武骨、誠実、情熱的といったルーニーのイメージと重なるのが、マニック・ストリート・プリーチャーズのジェームズ・ディーン・ブラッドフィールドだ。

 新木場スタジオ・コーストでマニックスを見た。シングル集「ナショナル・トレジャー」収録の38曲を17.18の2日にわたって演奏するという趣向だったが、仕事の関係で足を運んだのは初日だけである。早々に入場し、フロア後方で柵に身を預けた俺は、邪念抜きで右隣の女性に話しかけようと思った。20代前半に見える彼女がいかなる経緯でマニックスを聴くようになったか、興味を抱いたからである。

 以心伝心という。俺の気持ちは右ではなく左隣に伝わった。俺が着ていたマニックスのツアーTシャツがきっかけで、40歳の男性と中高年のマシンガントークが炸裂する。彼は翌日のマニックスはもちろん、モリッシーのジャパンツアーにも4日、足を運んだという。「ザ・ザはU2より上」、「オアシスは最初の2枚、レディオヘッドは最初の3枚以外、聴く価値なし」と耳に心地よい〝暴言〟が続いた。

 俺はダーティー・プロジェクターズとローカル・ネイティヴスを薦めたが、US系には関心を示さない。「UKなら肉親の情でミューズかな」と言うと、「今じゃコールドプレイより格上のバンドですけど、勝手にどうぞって感じです」と素っ気なかった。言葉の端々に反米感情が窺えたが、マニックスのファンなら当然かもしれない。

 Gruff Rhysのサービス精神たっぷりのアコースティックセットのオープニングアクトに和んだ後、「マニックスで聴きたい曲は何ですか」と尋ねられた。2曲挙げたうちの一曲「享楽都市の孤独」でライブはスタートする。アルベール・カミュに捧げられた同曲は、以下のような歌詞だ。

 ♪文化は言語を破壊する。君の嫌悪を具象化し頬に微笑を誘う。民族戦争を企て他人種に致命傷を与え、ゲットーを奴隷化する。毎日が偽善の中で過ぎ去り、人命は永遠に安売りされていく……

 「オーストラリア」、「エヴァーラスティング」と続き、「ツナミ」の前のMCで、東日本大震災に言及する。キャッチーな曲の連続で、稠密な時は軽やかに過ぎていく。日本を意識したのか、桜の木が浮き上がるライティングも鮮やかだった。ニッキー・ワイヤーがいつもより地味と感じたのは俺だけだろうか。

 コンビレーションのタイトルは和訳すれば「国宝」になる。日本人は違和感を覚えるだろうが、ロックが文化として定着している英国において、不在のリッチーを含め3人の詩人が提示する奥深くメッセージ性の強い歌詞により、マニックスは<UK国宝バンド>の称号を得た。初期は風紀紊乱、頽廃的、暴力的といったイメージで語られてきたが、現在は知的、ラディカル、癒やしがマニックスを表現する形容詞だ。全欧に中継されたミレニアムギグで新左翼のメッセージを流したり、キューバで演奏したりと、マニックスは信条を貫く〝労働者階級の英雄〟といえる。

 「モータウン・ジャンク」の後、俺はドキドキした。ラストは二択で、「デザイン・オブ・ライフ」もしくは……。左隣の彼に挙げたもう一曲のイントロが鳴った瞬間、涙腺が壊れそうになる。3・11直後、俺はこの曲をモチーフにブログを書いた(11年3月19日の稿)。スペイン市民戦争にインスパイアされた「輝ける世代のために」である。

 ♪これを黙認すれば、おまえの子供たちが耐えなければならない。これを許容すれば、子供たちの世代が同じ目に遭わなくてはならない……

 歌詞を紹介し、日本にとって「これ」とは常に<棄民>で、3・11に照らせば<救援物資が届かない福島第1原発周辺の住民であり、いずれ放射能汚染に苦しむ可能性が高い人たち>と記した。政官財は俺が危惧した通りの方向に進み、<輝ける世代>は放射能の危険に今も曝されている。

 終演後、固い握手で彼と別れた。彼も、そして右隣の彼女も孤独なんだなと勝手に想像する。ロックを熱く語れる友など、ザラにいるものではない。マニックスは今回のツアー後、活動休止が囁かれている。彼と再会する機会はあるだろうか。

 最後に、オークスの予想を。荒れるとみて、④オメガハートランドを軸に馬券を買う。相手は⑧ミッドサマーフェア、⑨ヴィルジーナの人気どころに、⑬サンシャインを考えている。桜花賞馬の⑭ジェンティルドンナは3連単の3着まで、⑯キャトルフィーユの取捨は直前までゆっくり考えることにする。
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涙にかすんだモリッシー~ロックイコンの褪せぬ煌めき

2012-04-25 23:35:26 | 音楽
 実家のある亀岡で悲劇が起きた。亡くなった2人(胎児を含めれば3人)の冥福を祈るとともに、重傷を負った児童たちの快復を心から願っている。

 バルセロナのCL準決勝敗北、ダルビッシュと黒田の日本人対決、名人戦第2局(羽生が勝ち1勝1敗)と気になる闘いが続いたが、目が点になったのはNHK杯将棋トーナメント(22日放映)である。茶髪にノーネクタイのホスト風いでたちで登場した佐藤紳哉6段が、対局前のインタビューでプロレスラーばりのマイクパフォーマンスを披露する。豊島7段の若さに似合わぬ落ち着いた指し回しに闘志は空回りしたが、慣習を破る勇気に感心した。

 昨24日、ZEPP東京でモリッシーを見た。サマーソニック'02を急な肉離れで断念して以来の来日公演は、俺にとってモリッシー初体験でもあった。オープニングは「ハウ・スーン・イズ・ナウ?」でハイライトは「ミート・イズ・マーダー」、締めは「スティル・イル」と、スミス色の濃いショーだった。大抵のライブと異なり、予習なしで臨む。その声と出会って28年、心に沈潜していたモリッシーが像を結ぶや、涙腺が緩んでしまった。

 ♪十五、十六、十七と 私の人生暗かった 過去はどんなに暗くても 夢は夜ひらく……。「圭子の夢は夜ひらく」を自身になぞれば、<二十五、二十六、二十七と 俺の人生暗かった>となる。大学卒業後、定職も夢も愛もなく東京砂漠で息を潜めていた俺は、スミスの1stアルバム発売と軌を一にして、勤め人になった。

 帯に書かれた<20年ぶりの衝撃>とは、ビートルズ以来の大物という意味である。誇大に思えたキャッチフレーズだが、的を射ていた。NME誌の読者は<最も影響力のある20世紀のバンド>にスミスを選んだ。解散のショックで、多くのファンが後追い自殺したことも知られている。スミス、そしてモリッシーは、最もロックを必要とする者――引きこもり、同性愛者、弱者、繊細で生きづらい少年少女、社会的不適応者――にとり、唯一無比の存在である。

 ライブでは多くの若者がステージに上がってモリッシーに触れ、救われたような表情でフロアに戻る。英国では節度が保たれていたが、アメリカではそうはいかない。突進した若者で大混乱に陥り、公演が中止に至る経緯を収めたのが「ライブ・イン・ダラス」(92年)だ。

 モリッシーのピークは90年代前半までで、52歳の現在、博物館入り寸前と決めつけていたが、声も肉体もフレッシュなライブに触れ、勘違いに気付く。才能枯渇どころか、現在がキャリアのピークなのだ。最新作のチャートアクションをレディオヘッドと比べてみる。レディオヘッドはUK7位、US6位。モリッシーはUK3位、US11位と全く遜色ない。ジャパンツアーではすべての会場で、曲目や曲順を大きく変えていた。日本嫌いと噂されたモリッシーだが、全身全霊を込めてファンに接している。

 モリッシーが二つのアンビバレンツに支えられるロックイコンであることを、生で接して再認識した。一つはチープさと聖性で、映画監督に例えればタランティーノに近いイメージだ。オープニングは画期的で、ニューヨーク・ドールズやサンディー・ショウらお気に入りのアーティストの映像がスクリーンに流された後、幕が上がってモリッシーとバンドが登場する。「ロックなんてチープなもんさ」と言いたげなモリッシーだが、神の如き聖性を纏っている。触れるだけで自分の内側が浄化される……。そんな錯覚に浸れるロッカーは、モリッシー以外に存在しない。

 第二のアンビバレンツは内向性と肉体性だ。オスカー・ワイルドに影響を受けたモリッシーの詩は文学的、耽美的と評される。ライブを支えているのは、ソプラノの声と鍛え抜かれた肉体による不格好なアクションだ。昨日もお約束で上半身裸になっていた。スミス時代から一貫しているのは、政府や王室に刃を突き付ける姿勢だ。昨年のロンドン蜂起を明確に支持した数少ないロッカーのひとりがモリッシーである。

 24日夜はソロ初期の代表作「エヴリデイ・イズ・ライク・サンデー」、「ザ・ラスト・オブ・ザ・フェイマス・インターナショナル・プレイボーイズ」、「モンスターが生まれる11月」がセットリストになかった。その代わりにスミス時代の曲が演奏されたのは、上述した通りである。俺と同世代の人も多く、その目が潤んで見えたのは気のせいか。生まれる前の曲に盛り上がる若者の学習能力の高さも驚きだった。

 引きこもりのモリッシーはジョニー・マーが差し出した手に導かれて世界の扉を開けた。だが、商業的成功を志向するマーに、純粋なモリッシーは耐えられなくなった……。これがスミス誕生と崩壊の神話である。

 俺は今回のライブで確信した。フェス仕様かもしれないが、モリッシーとマーは同じステージに立つと……。リバティーンズやストーン・ロ-ゼスの復活が話題になったが、スミスとなると衝撃度は比較にならない。来年以降のグラストンベリーが、その舞台かもしれない。
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「パール・ジャム20」~ずしりと響く骨太の音

2012-02-10 22:55:13 | 音楽
 石原都知事は俺も署名した「原発都民投票」を否定し、条例を作らないと語った。アメリカでは原発再開が決まり、実現に向けたマネーゲームが始まっている。3・11から11カ月、俺の中でも世界でも、フクシマが風化しつつある。来月には頻繁に取り上げるつもりだ。

 昨秋、期間限定で公開された「パール・ジャム20」を見逃した。その後、パール・ジャム(PJ)が妙に気になり、棚に埋もれていたCDやDVDを取り出すや、たちまちハマってしまう。これまで魅力に気付かなかったのか不思議でならないが、今では通勤、仕事、ウオーキングの最中に“Corduroy”、“Given To Fly”、“Even Flow”、“Do The Evolution”、“Go”が混然一体となって脳内スピーカーで鳴り響いている。

 WOWOWがオンエアした「パール・ジャム20」は、20年のバンド史と神髄に迫る秀逸なドキュメンタリーだった。活気と創造性に満ちた80年代シアトルのロックシーンを捉えたお宝映像も収録されていた。

 PJが悲しみと絶望を乗り越えたバンドであることを知る。前身のマザー・ラブ・ボーンの未来への扉は、フロントマンだったアンディの死で唐突に閉ざされた。残されたストーン・ゴッサードとジェフ・アメンは、再出発を期して模索する。「ボーカル募集」に応じたのがエディ・ヴェダーだ。

 エディは当時、サンディエゴで警備員をしていた。20代半ばまで埋もれていたエディはシアトルにやって来た当初、自分の殻に籠もっていたが、次第に才能とエゴを発揮していく。奇跡の邂逅が怪物を育んだのだ。 エディはフー信奉者で、本作には「ババ・オライリー」のカバー(ロラパルーザ'92)が収められている、

 PJは<フーからキャッチーさを消し、重低音を増したバンド>といえる。連想するのは、稲妻が光る鈍色の空、レンブラントの絵、野間宏やコーマック・マッカーシーの小説だ。灰褐色の世界で、エディの野性の声が人生の影や孤独をシャウトする。歌詞が生命線になっており、言葉の壁がある日本ではブレークしなかった。

 同時期に1000万枚以上のアルバムを売ったニルヴァーナとPJはライバルと見做された。カート・コバーンの「PJは商業主義に走った」との発言が物議を醸したが、後に和解している。カートとエディがハグするシーンが感動的だった。カートとエディの資質は極めて近い。カートはドラムセットに体当たりしたり楽器を壊したり、エディは鉄骨によじ登って落下すれすれのパフォーマンスを見せたりと、異なる方法で自己破壊衝動を表現していた。

 カートの死を真摯に受け止め、ニール・ヤングの姿勢に触発されたPJは、ファンの立場で商業主義に闘いを挑む。干されることも覚悟し、ハイパー資本主義に毒されたロック業界の仕組みそのものに異議を唱えたのだ。かなりの逆風は受けたはずだが、チケットマスター「ボイコットツアー」(95年)以降も、CDの売り上げ、動員力とも高い数字を維持している。

 権威を否定する姿勢も一貫している。グラミー賞授賞式でエディは「これが何を意味するのか分からない」と発言した。9・11以降は、一気に保守化したアメリカの空気に警鐘を鳴らしていた。扮装込みでブッシュをコケにした曲をニューヨークで演奏し、大ブーイングを浴びていたが、屈する様子はまるでなかった。

 「イントゥ・ザ・ワイルド」や「96時間」に描かれていたが、アメリカには定住せず放浪するボヘミアンが数多く存在する。「イントゥ――」の主題歌を担当したエディだけでなく、他のメンバーもボヘミアンが好むサーフィン愛好者だ。ラストでファンがPJのライブに足を運んだ回数を競い合っていた。PJは<来たら見る>ではなく、<旅をして見る>ボヘミアンに愛されるバンドなのだろう。

 フジロックはストーン・ローゼスとレディオヘッド、サマソニはグリーンデイとメーンアクトが早くも決まった。PJが来日するならフェスしかないが、実現は難しそうだ。心身の衰えが著しい55歳は、ここのところライブから足が遠のいている。4月のモリッシー(Zepp Tokyo)がロック卒業記念になるかもしれない。


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十回忌に「ルード・ボーイ」~ジョー・ストラマーの清冽さと真摯さ

2011-12-22 22:30:06 | 音楽
 森田芳光さん、上田馬之助さんが相次いで亡くなった。個性と存在感で多くの人を魅了した二人の冥福を心から祈りたい。

 森田作品は80年代に数本見た程度だが、脚本を担当した「ウホッホ探検隊」を含めスクリーンから才気が零れ落ちていた。「それから」や「(ハル)」など見逃した映画も多いが、オンエアされた機会に楽しむつもりだ。

 プロレスの魅力は村松友視風にいえば<虚実ないまぜ>だが、俺は上田さんを<虚実とも悪>と決めつけていた。偏見が砕けたのは学生時代、上田さんと家族ぐるみで付き合いがあったサークルの先輩に、その穏やかな素顔を聞かされたからだ。当時は意外だったが、俺ぐらいの年になると、善と悪が見せかけと反比例することを理解している。

 さて、本題。きょう22日は、クラッシュのリーダーとしてロックに革命を起こしたジョー・ストラマーの十回忌に当たる。先日、「ルード・ボーイ」(80年)をDVDで再見し、清冽で真摯な姿勢に胸を打たれた。 

 「ルード・ボーイ」はドキュメンタリーとフィクションで構成されている。クラッシュのライブ映像、「ロンドン・コーリング」のセッション、人種差別反対集会でのパフォーマンスに、バンドのルーディーであるレイの行動が重なる。酒浸りのレイは自分を律することが出来ない自堕落な青年だ。メンバーやマネジャーは自然体で演じているが、肝といえるのはレイとジョーの会話である。

 クラッシュは<初期衝動>を体現するパンクバンドと評されているが、実像は異なるのではないか。ジョーは外交官の息子で、全寮制のパブリックスクールに通っていた。下降する過程でロックと出合い、<衝動>ではなく<知性と理性>に基づいてメッセージを発信した。ラディカルな姿勢に異議を唱えるレイに、ジョーは左翼である理由を説明していた。

 バンドは数々の警察沙汰を抱えていた。中には明らかな弾圧もあり、本作でメンバーは、留置場で受けた暴行を生々しく証言している。冒頭で暗示されていた通り、パンク隆盛は労働者階級にとって〝悪夢のサッチャー時代〟の幕開けと軌を一にしていた。

 日本でも大々的に紹介されていたクラッシュだが、アンプが壊れても新品を購入する金はなく、ライブ会場の規模も小さい。ツアーで泊まるホテルも並以下で、移動も車で相乗りだ。環境が劣悪だからこそ、時にロックは輝きを増す。屁理屈は抜きにして、渋谷陽一氏が繰り返し語っていたように、クラッシュほどフォトジェニックな(見栄えのいい)バンドはない。本作でも、メンバーの立ち位置とステージで織り成す角度、所作と表情の格好良さに感嘆するしかなかった。

 本作はジャマイカ系移民の困難な状況をサイドストーリーで描いていた。レゲエの形式だけでなく精神まで取り込んだクラッシュは、ジャマイカ人が認めた唯一の白人バンドだ。ニカラグア革命をテーマに据えた「サンディニスタ」では、あらゆる民族音楽を取り入れた<境界線の音>で評価を高め、その実験性と志向は多くのフォロワーを生む。

 公開当時と現在のロンドンに、相通じる空気がある。この30年、新自由主義とグローバリズムが世界を席巻したが、遂に今年、破綻を迎え、貧困と格差が再び最大のテーマになる。世界で叛乱の連鎖が起きているが、旗幟鮮明に立ち向かうことの意義を、ジョーは身をもって示してくれた。

 フジロックでジョーは関係者、ボランティアとともにゴミを拾っていたという。ジョーは生き様でも尊敬に値する稀有なロッカーだったのだ。


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薬効は癒やしと怒り?~今年のロックを振り返る

2011-12-07 20:42:32 | 音楽
 3・11から9カ月……。仕事先(夕刊紙)であす発売のゲラを眺めているうち、怒りが込み上げてきた。古賀茂明氏(元経産官僚)の<公務員改革の本丸は原発>を裏付ける記事が掲載されていたからである。

 俺は罪深い人間ゆえ、他者を責める資格などないが、政官財に巣食う吸血鬼の悪行には言葉を失う。放射能被害が広範な地域で若い世代を蝕むことは確実なのに、原子力村の住人は推進に舵を切った。深刻な事故が起きたというのに、贖い、悔悟、祈りといった人間的感情と無縁で、既得権益(天下りなど)を守り、血税を濫費して虚偽の情報を現在も垂れ流している。暴力団より先に、紳士の仮面を被った悪魔団を排除するべきだ。

 <追記>当稿を更新後、「報道ステーション」を何となく見ていたら、上記の古賀氏が原発を巡る霞が関の闇について語っていた。偶然としか言いようがない。

 悪魔団の圧力に屈せず言論の自由を守ってきた「朝日ニュースター」が消滅する。来年4月以降、「テレ朝チャンネル」と新チャンネルでCS2局体制に移行するという。ならば、ノウハウを知る全スタッフを解雇する必要はない。同局は原発事故直後に広瀬隆、広河隆一両氏を「ニュースの深層」に招き、現在も様々な番組で放射能汚染を取り上げている。翼賛会(記者クラブ)を牛耳る〝体制派〟朝日新聞にとって同局は、企業(東電など)から広告を取るため早急に切り捨てるべき存在なのだろう。

 苛々する気分を鎮めてくれたのが、先月発売されたダーティー・プロジェクターズ(以下DP)とビョークのコラボ「マウント・ウィッテンベルク・オルカ」だ。7曲(21分強)はすべてDPのリーダー、デイヴ・ロングドレスが作詞・作曲を担当している。タイトルから想像できるように、DPの前作「ビッテ・オルカ」(09年)の延長線上の音だ。<境界線の音>を志向するDPとビョークは互いにリスペクトする関係らしい。

 DPの魅力はライブで爆発する。昨年の単独公演とフジロックでは、7人(正式メンバーは5人)の構成だった。美男4人、美女3人による牧歌的、祝祭的なアンサンブルが聴衆の心を捉えた。本作では〝シャーマン〟の魅力を備えるビョークが、声というよりハープシコードのような響きでハーモニーに深みを添える。

 <放射能に侵され廃墟になった世界で、生き残った者が深山に集まる。奏でられる音は神秘的で、純粋さと静寂さが霧のように立ち昇ってくる>……。本作を形容すればこんな感じで、癒やしと清々しさに溢れていた。

 「現役ロックファン復帰」と力んだ時期もあったが、あれこれ聴いているうち、趣向が限られてきた。今年も大物から新鋭まで買い集めたが、自信を持って推せるアルバムは「レット・イングランド・シェイク」(PJハーヴェイ)、「バイオフィリア」(ビョーク)、「トムボーイ」(パンタ・ベア)の3枚だ。上記の「マウント――」はEP並みの収録時間なので番外ということで……。DPの新作は来年リリース予定で、来日すればライブに足を運びたい。

 先月のザ・ナショナルのライブで、ノスタルジーが溶け始めた。ナショナルと親交が深かったREMは解散し、マニック・ストリート・プリーチャーズは活動を停止する。ソニック・ユースはサーストンとキムの離婚により先行きが不透明で、〝ラストライブ〟と噂されるブラジルのフェスでの映像がブートレッグで発売された。

 上記のバンドを聴いているうち、パール・ジャムを再発見した。DVD「ツアーリング・バンド2000」を繰り返し見て、エディ・ヴェダーの説得力に圧倒される。ニルヴァーナとともにグランジの雄としてシーンに登場したパール・ジャムだが、ザ・フーやニール・ヤングの精神を継承した骨太バンドである。映画館で見逃した「PJ20」のDVD(国内盤)の発売(来月下旬)が待ち遠しい。

 1971年暮れ、NHKのニュース回顧に三里塚など政治闘争の映像が流れ、フーの「無法の世界」が被さった。センスの良さに感心したが、2011年の世界の空気を表す曲はミューズの「アップライジング」(叛乱)ではないか。昨年9月、ウェンブリースタジアムに16万人(2日間)を動員したミューズは、オープニングの「アップライジング」に合わせ、フードを纏った若者をステージに上げる。今年の暴動がデジャヴと思えるシーンだった。

 ロラパルーザでは〝21世紀最大のバンド〟と称されるコールドプレイをセカンドステージに追いやり、メーンステージに立つ。動員数と熱狂度でコールドプレイとの同時刻対決を制した。だが、バンドにとって今夏のハイライトは、〝怒りと抵抗の代名詞〟レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンとの共演だった。レイジから直々オファーを受け、彼らの活動20周年イベントに参加する。

 雛の頃から肉親の情で見守ってきたミューズは、「レジスタンス」(09年)で空気を先取りし、今年ついに時代精神を象徴するバンドに成長した。感慨深いが、あまり褒めると親バカと思われるので、この辺でやめておこう。



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ザ・ナショナル~NYから真正面に吹く風

2011-11-10 19:08:39 | 音楽
 パソコン修理の見積もりが電器店を通してメーカーから届いた。5万円以上かかるはずが、保険に加入していたので1万弱で済むという。週明けには再会できそうだ。

 全てをパソコンに依存しているため、東日本大震災で延期になったザ・ナショナルの代替公演を見逃すところだった。7日に仕事先のパソコンで確認し、「あさって!」と叫んでしまう。元の予定(3月17日)から、今月半ばと思い込んでいたのだ。気付いてよかったが、準備不足でDUO MUSIC EXCHANGEに足を運ぶことになる。早めに行って2階席を確保するつもりが、当日は関係者のみに開放ということで、1階フロアでスタンディングとなる。

 肩凝りがひどくなった分、膝の痛みは和らいでいたので、2時間弱のライブにも十分堪えられた。苛々させられたのは、円柱が3本聳える会場のレイアウトだ。真ん中の柱の後方右に立っていたが、向かってステージ左のドラマーとホーンセクションは全く見えなかった。とはいえ、ナショナルをキャパ数百人のライブハウスで見るという至福を味わえただけで満足するべきだろう。外国人の姿が目立ち、英語の掛け合いをメンバーたちも楽しんでいた。

 この30年、アメリカのオルタナ勢に多大な影響を与えてきた<表番長=REM>は解散を表明し、<裏番長=ソニック・ユース>もサーストン・ムーアとキム・ゴードンの熟年離婚で活動停止の危機にある。ちなみにナショナルも両番長が切り開いた道の交差点に位置するバンドだが、REMと交流が深い。ツアーに帯同した際、マイケル・スタイプから「もっとポップな曲を書けば」とアドバイスされたという。

 ナショナルの面妖さは一筋縄ではない。昨年のグラストンベリーのブートDVDでは、進行役が連想するアーティストとしてブルース・スプリングスティ-ンとジョイ・ディヴィジョンを挙げていた。普通ならあり得ない組み合わせなのに、妙に納得してしまう。10年以上前からブルックリンに活動拠点を置いたナショナルはニューヨーク派の先駆けと見なされているが、出身はオハイオでルーツミュージックの影響も濃い。

 マット・バーニンジャーの声質がイアン・カーティスを、仕草がモリッシーを彷彿させるから、ニューウェーヴ・リバイバルに分類するファンもいる。ライナーノーツによれば、メンバーはクラシックやジャズの素養もあるという。あらゆるジャンルを混沌のまま坩堝でグツグツ似て昇華させ、3~4分の程よい長さにシャープに収縮させた。冗長やペタンティックとは無縁で、ストイックかつリリカルな音は、純水のように心身に染み込んでくる。
 
 サポートメンバーを含め、見た目は普通のおっさん揃いだ。双子のデスナー兄弟、デヴェンドーフ兄弟に、優しい目をしたボーカルのバーニンジャーからなる5人組は、奇を衒うでもなく、オーソドックスにショーを進めていく。5TH「ハイ・ヴァイオレット」を中心に、3rd「アリゲーター」、4th「ボクサー」からも代表曲がセットリストに加えられていた。「ボクサー」収録曲「フェイク・エンパイア」がオバマのキャンペーンに用いられたことで知名度を上げ、「ハイ・ヴァイオレット」は米英チャートでベスト5入りとブレークした。メッセージを声高に説くことなく、中年男の苦悩を孤独を等身大に表現する文学的バンドと評価されている。

 渋く自然体で、グルーヴ感とアヴァンギャルドを併せ持つナショナルだが、ライブではサービス精神を発揮する。曲のクオリティーの高さはアルバムで確認してもらうしかないが、ハイライトというべきはボーカルの掛け合いで盛り上げる「アベル」と、バーミンジャーがステージから下りて客席で歌う「ミスター・ノーベンバー」だ。ちなみにグラストンベリーでもバーミンジャーは同じ曲で群衆にもみくちゃにされていた。

 ラストの「ヴァンダーライル・クライベイビー・ジークス」も感動的だった。バーニンジャーをはじめメンバーはマイクを通さずに歌い、客席と合唱する。図らずも商業的成功を収めてしまったナショナルだが、NY派の伝統であるナロードニキ的初心は忘れない。複数の優れたソングライターを擁して力を蓄えてきたナショナルは、次作で〝REMの後継者〟のポジションを獲得するだろう。

 俺がシーンのトップランナーと位置づけるのは、境界線の音を志向するダーティー・プロジェクターズだ。ビョークとのコラボでイニシアティブを握っていたのは彼らといわれているから、今月末の発売が待ち遠しい。一方のナショナルが目指してきたのは、境界線の取り込みかもしれない。屁理屈で締めてしまったが、ともに心地良い音であることに変わりはない。
 

 

 


 
 
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ビョーク&PJ~<境界線の音>を奏でる魔女の輝き

2011-10-13 01:46:40 | 音楽
 ニューヨーク発の<反資本主義デモ>が英国にも波及した。貧困と格差は是正されるべきだが、ロックを育てる養分であることは証明済みだ。パンクもグランジもヒップホップも、喘ぎと抵抗を母に産声を上げ、世界を揺さぶった。

 妙に静かなアジアの片隅で、俺もまた変化の兆しを心待ちしている。とはいえ体力の衰えは甚だしく、部屋で<境界線の音>に浸る日々だ。今回はビョークの新作「バイオフィリア」と、PJハーヴェイのブートDVD「ライブ・アット・オリンピア」について記したい。

 この2人には共通点が幾つかある。PJは91年、ビョークはシュガーキューブスを経て93年とデビュー時期が近い。ともに衝撃的にシーンに現れ、40代になった今も新鮮さを失わない。ロックの常識を超えた魔女といえるだろう。ビョークは政治的な発言で、PJはスキャンダラスな行動で世を騒がせたが、ピュアで潔癖な佇まいは変わらない。

 エスニックなムードも両者共通だ。ビョークを最初に見た時、「日本人?」と俺は目をパチクリさせた。外見だけでなく、ビョークの日本に対するこだわりはウィキペディアにも詳述されている。一方のPJは、アラブもしくはロマのDNAを受け継いでいるのではないか。

 そんな2人が今年、<境界線の音>を志向するアルバムを発表した。PJの「レット・イングランド・シェイク」を聴いた時点で'11ベストアルバムは決まりと思ったが、「バイオフィリア」も匹敵する傑作だ。ビョークは二の矢も用意している。俺一押しのNY派、ダーティー・プロジェクターズとのコラボ「マウンテン・ウィッテンベルク・オルカ」が来月ようやく日の目を見るのだ。

 寡作といえるビュークは、革新性を義務付けられている。その点では、<ある時代の前衛は次世代のメーンストリームになる>の格言を地で行ったトーキング・ヘッズに近いが、ビョークは評価だけでなく売れること、フェスでヘッドライナーを務めることも求められている。プレッシャーと闘いながら常に期待を超えるビョークの才能には驚くしかない。

 「バイオフィリア」は<自然+テクノロジー+音楽の融合>と銘打たれているが、宣伝文句はどうでもいい。憂いに満ちたダウナーなトーンが心地よく、ビョークの静謐な叫びが心を打つ。ピーター・ハミルがMIDIオペレーターと制作した「アンド・クロース・アズ・ディス」(87年)に重なる本作は、テクノロジーが時に、情念を浮き彫りにすることを教えてくれる。肉声によって境界線を超えたビョークは、俺を異次元に誘ってくれた。
 
 一方のPJハーヴェイはデビュー当時、〝傷だらけの痛い女〟がウリだった。NME誌の表紙をトップレスで飾るなど、エキセントリックで赤裸々だったPJだが、20年後の今、自然体でシーンのトップを走っている。

 オリンピア公演のオープニングで、PJはハープを手にステージに立つ。先入観なしだと、長い黒髪を束ねたPJはワールドミュージックの歌姫に見えるだろう。アジアや中近東の雑踏から聞こえてきそうなアコースティックで祝祭的な音を、おじさんバンドと体を揺らしながら奏でていく。彼女の中で煮えたぎっていた混沌は坩堝で昇華されたのか、水蒸気のような清浄さが会場を包んでいた。

 PJが来日しても、会場は1000人前後のキャパだろう。チケットが取れたら、2階席でまったりライブを楽しみたい。

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映像でロックを楽しむ~グラストンベリー、ソニックス&ニルヴァーナ

2011-10-01 05:18:52 | 音楽
 死刑廃止デーのイベント(10月8日)が1週間後に迫った。憲法9条と死刑制度に矛盾はあるのか、国や司法に人を殺す資格はあるのか……。問題点を自分なりに整理して当日に臨みたい。

 「放射能の影響なし」を繰り返した枝野前官房長官や山下俊一氏、国としての悔恨を放棄して再稼働の布石を打つ野田首相……。若年層の体内被曝が明らかになった時、彼らの<罪>を問う声が上がるだろうが、現実に<罰>を受けるのは国民だ。この忌むべき構図は、死刑制度ときっと底で繋がっている。

 さて、本題。現役ロックファン復帰を宣言したが、体がついていかなくなった。クチクラ化した心身に染み込んでくるのは<境界線の音>だけだ。ダーティー・プロジェクターズ、グリズリー・ベア、ローカル・ネイティヴス、パンタ・ベア、そしてここ2枚のPJハーヴェイのアルバムをBGMにすると読書は進む。

 更なる発見を期待して「グラストンベリー'11」のダイジェスト(スカパー、5時間弱)を見たが、今年はピンとこなかった。U2、ケミカル・ブラザーズ、プライマル・スクリーム、コールドプレイらベテラン連中に付け加えるべき印象はなかったし、フレンドリー・ファイアーズらUKのポップ派にも新鮮さを覚えなかった。

 フィジカルとストイックのアンビバレンツが魅力のモリッシーも、50歳を超えると厳しい。ブリクストンアカデミー(92年)、ダラス(93年)のライブ映像が発散していた魔力と磁力は、残念ながら失せている。とはいえモリッシーは、今も王室や政府に辛辣な言葉を浴びせるなど、〝飼い犬ロッカー〟たちと一線を画する存在である。

 最大の収穫はオーストラリア出身のペンデュラムだ。俺が知らないだけで、メーンステージで万余の観衆を熱狂させていた。スケールが大きくて骨太、メロディアスでエッジが利いた音に魅せられた。

 REMが先日、解散を発表した。ソニック・ユースとともにこの30年、アメリカのロック界を牽引した存在である。そのソニックスをメーンに据えた“1991~The Year Punk Broke”がDVD化された。邦訳すれば、「パンクがブレークした1991年」となる。91年のサマーフェスツアーにブッキングされたソニックス、ニルヴァーナ、ダイナソーJRらを追ったドキュメンタリーである。

 <ある時代の前衛は、次の時代のメーンストリームになる>……。これはロックに限らず、すべての表現の世界に通じる格言だ。60年代のヴェルヴェット・アンダーグラウンドやイギー・ポップ、70年代のNYパンクとUKパンク、日の目を見なかった80年代のウエストコーストパンク……。パンクの精神は3世代にわたって継承され、90年代に花開く。上記のバンドに加え、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、グリーンデイ、マニック・ストリート・プリーチャーズらが主な担い手だ。

 ライブ映像に加え、ロッカーたちの交流も収められている。サーストン・ムーア(ソニックス)とカート・コバーン(ニルヴァーナ)は奇矯な振る舞いを繰り返し、カートの妻になるコートニー・ラブもワンシーンだけ登場している。本作で浮き彫りになるのは、スカウトして媒体として、若手を育てるサーストンの偉大さだ。少年ナイフやボアダムズなど日本のバンドも、サーストンの協力でアメリカ進出のきっかけを掴んだ。

 91年当時は無名だったニルヴァーナだが、「ネヴァー・マインド」の成功により翌92年、レディングのメーンステージでヘッドライナーを務める。たった1年でこれほど立ち位置が変わったバンドはあっただろうか。そのことが、カートを蝕んだ。商業的成功を拒絶することが、クラッシュやソニックスが実践したパンクの伝統なのだから……。
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シャーベッツat赤坂BLITZ~シャープでナイーブな世界に浸る

2011-07-18 06:41:43 | 音楽
 俺は〝みんなと一緒〟が好きではない。震災後の「がんばろう!日本」に乗り切れず、個の重要性を説く小出裕章氏や辺見庸氏の言葉に共感を覚えている。そんなひねくれ者の俺でさえ、なでしこジャパンには胸キュンで、リアルタイムで決勝を観戦する。勝利の瞬間、日本中の〝みんなと一緒〟にガッツポーズをしていた。

 ゴールを〝奇跡的〟に外し続けるアメリカ、耐え忍ぶなでしこ……。120分の死闘は、想像を超えたドラマだった。リードを許しながら追いつくなでしこで、一昔前の日本女性の面影を残す澤の存在感が際立っていた。延長12分の同点ゴールは執念が成せる業だろう。プライドとスピリットを世界に示したなでしこに、心から拍手を送りたい。

 一昨日(16日)、10周年記念ギグ(JCBホール)以来、3年ぶりにシャーベッツのライブに足を運んだ。浅井健一は新たな支持者を着実に獲得しているようで、若者たちが大挙して赤坂BLITZに詰めかけていた。

 ブランキー・ジェット・シティでデビューして以来、浅井はこの20年、様々なユニットで30枚近いアルバムをソングライターとしてリリースしてきた。その都度、ツアーで全国を回り、社長業の傍ら新人バンドをプロデュースする。加えてデザイン展、絵画展の開催、詩集や小説の出版とフル回転の日々だ。

 金属疲労を指摘する声が出るのは当然で、俺も「才能が尽きたかな」と感じたこともあった。そんな不安を一掃したのが、ソリッドで研ぎ澄まされたPONTIACSの1st「ギャラクシー・ヘッド・ミーテイング」と、淡色でダウナーなシャーベッツの新作「フリー」だ。46歳の浅井は〝理想的な老い方〟を提示している。

 水彩画集のような「フリー」を聴き、浅井の創作の秘密に触れた気分になった。浅井は脳裏のスクリーンに映るデザイン、絵、ショートフィルムに、詩とメロディーを重ねているのではないか。「フリー」収録曲「リディアとデイビッド」の詩にイメージが膨らみ、複数の絵が浮かんできだ。浅井が9月に出版する絵本に、「リディアとデイビッド」というタイトルの童話が掲載されていても不思議はない。

 3年前のJCBでのライブは、<サイケデリックなメランコリア>というキュアーへのオマージュがこもったコンセプトが窺えたが、BLITZでは自然体だった。新作「フリー」から8曲が演奏され、代わりに「サリー」、「メリー・ルー」、「シベリア」、「タクシー・ドライバー」といった代表曲がセットリストから外れていた。とはいえ、2回のアンコールを含めた2時間のパフォーマンスは、シャープでナイーブなシャーベッツの世界を余すところなく表現していた。

 俺がシャーベッツに期待するのは、アコースティックセットでのライブだ。シャーベット名義で実質的に浅井のソロといえる1st「セキララ」は、日本語で歌われたアルバムで白眉というべき作品だが、殆ど演奏されない。「セキララ」収録曲を中心に「ナチュラル」、「フリー」からダウナーで繊細な曲をピックアップしたライブを心待ちしている。

 今回実感したのは年齢だ。開演前から3時間弱、立ち尽くした体が悲鳴を上げていた。10月に55歳を迎えるから当然のことである。年内のライブ予定は、震災で延期になった11月のナショナルのみ。来年以降は2階のシルバーシートでおとなしく参加したい。

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<エコ的>と<原発的>~ロックの新たなリトマス紙

2011-06-30 01:40:54 | 音楽
 首相の脱原発への傾斜が、菅降ろし激化の理由ではないか……。「朝まで生テレビ!」(24日深夜)で他のパネリストに冷笑されていた小沢遼子さんの発言を、27日付朝日朝刊1面が補強していた。「電力の選択」と銘打たれた連載は、菅首相の〝脱原発解散〟支持に向けた布石かもしれない。

 各電力会社の株主総会で、原発撤退を求める提案は否決された。岡田民主党幹事長、野田財務相、前原前外相は〝脱原発解散〟を強く否定し、海江田経産相に至っては玄海原発再稼働を地元に求めている。アメリカや財界の意を受けているのだろうが、利権を守ろうとする輩が脱原発にシフトする世論を掻き消そうとする状況下、俺は別稿(6月9日)に記した通り、菅首相の逆噴射解散に期待を寄せている。

 さて、本題。3・11以降、俺もまた、エネルギーについて考えるようになった。自然エネルギーと原発の根本的な志向の違いは、他の分野にも応用できるリトマス紙になるのでは……。そう閃いたきっかけは、2週間前の学生時代の友人との宴席だった。

 ロックに話題が及び、F君は「ロックは進歩していない。ただ循環しているだけ」と主張する。俺も同様の趣旨で記したことがあったが、5年のブランクを経て09年暮れ、現役ロックファンに復帰した後、前言を撤回した。<エコ的>という新しい方法論がロックに根付いていることに気付いたからだ。

 俺が<エコ的>に分類するバンド(ユニット)は民族音楽など幅広い音楽と境界線を共有し、手作り感覚に溢れている。曲ごとに担当楽器が変わり、メンバー全員が歌うという姿勢が祝祭的ムードを醸し出す。しかも自然体で、<改革者>の驕りは微塵もなく、量的な成功にも執着しない。代表格はアーケイド・ファイアで、ローカル・ネイティヴスとダーティー・プロジェクターズにもフレーミング・リップスの域に達する可能性はあると思う。

 最近気に入った<エコ的>アルバムを2枚紹介する。まずは、アニマル・コレクティヴの一員でもあるパンダ・ベアの「トム・ボーイ」。初めて聴いたソロアルバムは、サントラを思わせる作りになっている。脳裏で入念に構成された映像に音を重ねたという印象で、内側に沈みながら、無限に向かうベクトルも感じさせる。

 もう一枚は豪州出身のザ・ミドル・イーストの1st「アイ・ウォント・ザット・ユー・アー・オールウェイズ・ハッピー」だ。全編アコースティックで土着的な匂いがする。有機野菜レストランに行ったような気分だ。淡色だが重厚な曲もあり、聴き込むにつれ表情の豊かさに気付いていく。

 現実においては<エコ的>こそ未来で、<原発的>は克服されるべきと考えるが、俺の一押しであるミューズは<原発的>の典型といえる。個々の表現力をテクノロジーで膨らませ、頓挫したプルサーマル計画が成功した暁のようなパフォーマンスを見せつけている。詞の内容が実際の原発同様、危険というのも彼らの特徴だ

 ロラパルーザ'07でヘッドライナーに抜擢され、〝未開の地〟アメリカでもブレークする。オルタナ界の顔役ペリー・ファレルが愛のこもったアジテーションで、暴れ系若者が待つステージにミューズを送り出した。

 フー・ファイターズ、エミネム、コールドプレイの出演が発表された後、ミューズはロラパルーザ'11にブッキングされた。4年前の恩返しもあり、セカンドステージで演奏すると思っていたら、ヘッドライナーとして初日のメーンステージに立つ。蹴落とした形になるコールドプレイとの〝格的な逆転〟は、ひとつの事件かもしれない。

 <原発的>バンドは、ハイパー資本主義の構造に縛られている。ミューズも既に〝飼い犬〟かもしれないが、来月末には最も敬意を払うレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンとLAライジンングで共演する。辛うじて牙を保っているようだ。


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