「スプリット 二極化するアメリカ社会」(NHKBS)は、民主、共和両党の支持層が価値観、感性、志向性で対峙し、修復不能に至った現状を伝えていた。だが、ミュージシャンやハリウッドは一致してオバマ再選にくみしていた。ブルース・スプリングスティーン、アーケイド・ファイア、NY派のザ・ナショナルやヴァンパイア・ウィークエンドまで、ロック界はオバマ一色に染まっていた。
2大政党は大企業や富裕層のしもべで、格差社会アメリカに必要なのは<真の民主主義>と主張する第三極も存在する。その結集軸のひとつが「デモクラシーNOW!」で、エンディングテーマ「ピープル・ハブ・ザ・パワー」を歌うパティ・スミスが来日した。一昨日、オーチャードホールで、パティのライブを体感する。
パティは20世紀を代表する女性表現者のひとりだ。他に挙げるなら、作家のヴァージニア・ウルフ、カーソン・マッカラーズ、写真家のダイアン・アーバスだが、ウルフとアーバスは自ら命を絶ち、マッカーラーズも不遇のまま死を迎える。パティの生き様は対照的で、詩人、ロッカーとして活躍するだけでなく、アートシーンを縦横無尽に疾走してきた。新作「バンガ」は自らが属するカルチャーへのオマージュといえるアルバムだった。
回想記「ジャスト・キッズ」が全米図書賞を受賞したことで、パティの評価はさらに高まった。詩集「無垢の予兆」の邦訳も同時に発刊され、ツアーと合わせてサイン会も開催されたが、今回の来日でパティが発信したのは、日本への共感と励ましだった。記者会見で「被災地と広島に行きたい」と語った通り、ツアーのスタートは仙台で、広島も日程に組み込まれている。金曜夜の官邸前デモには現れなかったが、「ファッキン! ニュークリア」のパティの思いを代理人が参加者に伝えたという。被災地での体験を基に作った詩をステージで披露していた。
聴衆の年齢層が高く、しかも座席指定とくればノリがイマイチになるのは致し方ないが、パティは終始笑みを絶やさず、愛嬌を振りまいていた。タイプは違うが、俺はパティを紅白で日本中を瞠目させた美輪明宏と重ねていた。聴衆を覚醒させて共感に導く、意志と創意に満ちたパフォーマーの力だ。
オーチャードホールでは「バンガ」収録の「エイプリル・フール」からスタートし、デビュー作「ホーセス」(75年)からの「キンバリー」へと続く。最初のハイライトは3・11後の日本に思いを馳せた「フジサン」で、和太鼓奏者を迎えた白熱のアンサンブルが展開する。エイミー・ワインハウスに捧げた鎮魂歌「ディス・イズ・ザ・ガール」、そしてタイトル曲と新作「バンガ」が中盤までの軸になっていた。
「ビコース・ザ・ナイト」のイントロが流れた瞬間、涙腺が決壊する。35年の年月が凝縮され、濾し取られた感情が涙の養分になった。「ピープル・ハブ・ザ・パワー」、アンコールの「ロックンロール・ニガー」~「グロリア」を声にならない声で叫ぶ俺の乾いた頬を、二筋の涙が伝う。10年前の赤坂ブリッツより時間は短かったが、ステージから放射される優しい焔に、俺の心は浸潤されていた。
「パティって、何であんなに可愛いの」
「信じられないね。名古屋にも行こうかな」
出口に向かう俺の背後で、女性がこんな会話を交わしていた。
パティはデビュー当時、ユニセックスのイメージだったが、ステージからはフェロモンが零れ落ちてくる。66歳のおばさんが髪留めを外しながら歌ったり、口に含んだ水を最前列に吐き出したりする様子を、4列目の中央でドギマギしながら見つめていた。パティは知の女王であり、性や年齢を超越した魔女なのだろう。俺も少しは自分を磨き、70歳を超えたパティに出会いたい。
ライブ前、オーチャードホール近くのラーメン屋で腹ごしらえをしていたら、半袖Tシャツの白人男性が入ってきた。いでたちからして、パティ・スミス御一行であることは間違いない。ショーが始まり、俺は驚いた。パティの右に立つレニー・ケイは、ラーメン屋で見た白髪で眼光鋭い男に似ている。当人である可能性は30%といったところだが、確認する術はない。














2大政党は大企業や富裕層のしもべで、格差社会アメリカに必要なのは<真の民主主義>と主張する第三極も存在する。その結集軸のひとつが「デモクラシーNOW!」で、エンディングテーマ「ピープル・ハブ・ザ・パワー」を歌うパティ・スミスが来日した。一昨日、オーチャードホールで、パティのライブを体感する。
パティは20世紀を代表する女性表現者のひとりだ。他に挙げるなら、作家のヴァージニア・ウルフ、カーソン・マッカラーズ、写真家のダイアン・アーバスだが、ウルフとアーバスは自ら命を絶ち、マッカーラーズも不遇のまま死を迎える。パティの生き様は対照的で、詩人、ロッカーとして活躍するだけでなく、アートシーンを縦横無尽に疾走してきた。新作「バンガ」は自らが属するカルチャーへのオマージュといえるアルバムだった。
回想記「ジャスト・キッズ」が全米図書賞を受賞したことで、パティの評価はさらに高まった。詩集「無垢の予兆」の邦訳も同時に発刊され、ツアーと合わせてサイン会も開催されたが、今回の来日でパティが発信したのは、日本への共感と励ましだった。記者会見で「被災地と広島に行きたい」と語った通り、ツアーのスタートは仙台で、広島も日程に組み込まれている。金曜夜の官邸前デモには現れなかったが、「ファッキン! ニュークリア」のパティの思いを代理人が参加者に伝えたという。被災地での体験を基に作った詩をステージで披露していた。
聴衆の年齢層が高く、しかも座席指定とくればノリがイマイチになるのは致し方ないが、パティは終始笑みを絶やさず、愛嬌を振りまいていた。タイプは違うが、俺はパティを紅白で日本中を瞠目させた美輪明宏と重ねていた。聴衆を覚醒させて共感に導く、意志と創意に満ちたパフォーマーの力だ。
オーチャードホールでは「バンガ」収録の「エイプリル・フール」からスタートし、デビュー作「ホーセス」(75年)からの「キンバリー」へと続く。最初のハイライトは3・11後の日本に思いを馳せた「フジサン」で、和太鼓奏者を迎えた白熱のアンサンブルが展開する。エイミー・ワインハウスに捧げた鎮魂歌「ディス・イズ・ザ・ガール」、そしてタイトル曲と新作「バンガ」が中盤までの軸になっていた。
「ビコース・ザ・ナイト」のイントロが流れた瞬間、涙腺が決壊する。35年の年月が凝縮され、濾し取られた感情が涙の養分になった。「ピープル・ハブ・ザ・パワー」、アンコールの「ロックンロール・ニガー」~「グロリア」を声にならない声で叫ぶ俺の乾いた頬を、二筋の涙が伝う。10年前の赤坂ブリッツより時間は短かったが、ステージから放射される優しい焔に、俺の心は浸潤されていた。
「パティって、何であんなに可愛いの」
「信じられないね。名古屋にも行こうかな」
出口に向かう俺の背後で、女性がこんな会話を交わしていた。
パティはデビュー当時、ユニセックスのイメージだったが、ステージからはフェロモンが零れ落ちてくる。66歳のおばさんが髪留めを外しながら歌ったり、口に含んだ水を最前列に吐き出したりする様子を、4列目の中央でドギマギしながら見つめていた。パティは知の女王であり、性や年齢を超越した魔女なのだろう。俺も少しは自分を磨き、70歳を超えたパティに出会いたい。
ライブ前、オーチャードホール近くのラーメン屋で腹ごしらえをしていたら、半袖Tシャツの白人男性が入ってきた。いでたちからして、パティ・スミス御一行であることは間違いない。ショーが始まり、俺は驚いた。パティの右に立つレニー・ケイは、ラーメン屋で見た白髪で眼光鋭い男に似ている。当人である可能性は30%といったところだが、確認する術はない。














