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酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

微笑んで降臨した魔女~パティ・スミスの意志の力に浸されて

2013-01-26 21:55:39 | 音楽
 「スプリット 二極化するアメリカ社会」(NHKBS)は、民主、共和両党の支持層が価値観、感性、志向性で対峙し、修復不能に至った現状を伝えていた。だが、ミュージシャンやハリウッドは一致してオバマ再選にくみしていた。ブルース・スプリングスティーン、アーケイド・ファイア、NY派のザ・ナショナルやヴァンパイア・ウィークエンドまで、ロック界はオバマ一色に染まっていた。

 2大政党は大企業や富裕層のしもべで、格差社会アメリカに必要なのは<真の民主主義>と主張する第三極も存在する。その結集軸のひとつが「デモクラシーNOW!」で、エンディングテーマ「ピープル・ハブ・ザ・パワー」を歌うパティ・スミスが来日した。一昨日、オーチャードホールで、パティのライブを体感する。

 パティは20世紀を代表する女性表現者のひとりだ。他に挙げるなら、作家のヴァージニア・ウルフ、カーソン・マッカラーズ、写真家のダイアン・アーバスだが、ウルフとアーバスは自ら命を絶ち、マッカーラーズも不遇のまま死を迎える。パティの生き様は対照的で、詩人、ロッカーとして活躍するだけでなく、アートシーンを縦横無尽に疾走してきた。新作「バンガ」は自らが属するカルチャーへのオマージュといえるアルバムだった。

 回想記「ジャスト・キッズ」が全米図書賞を受賞したことで、パティの評価はさらに高まった。詩集「無垢の予兆」の邦訳も同時に発刊され、ツアーと合わせてサイン会も開催されたが、今回の来日でパティが発信したのは、日本への共感と励ましだった。記者会見で「被災地と広島に行きたい」と語った通り、ツアーのスタートは仙台で、広島も日程に組み込まれている。金曜夜の官邸前デモには現れなかったが、「ファッキン! ニュークリア」のパティの思いを代理人が参加者に伝えたという。被災地での体験を基に作った詩をステージで披露していた。

 聴衆の年齢層が高く、しかも座席指定とくればノリがイマイチになるのは致し方ないが、パティは終始笑みを絶やさず、愛嬌を振りまいていた。タイプは違うが、俺はパティを紅白で日本中を瞠目させた美輪明宏と重ねていた。聴衆を覚醒させて共感に導く、意志と創意に満ちたパフォーマーの力だ。

 オーチャードホールでは「バンガ」収録の「エイプリル・フール」からスタートし、デビュー作「ホーセス」(75年)からの「キンバリー」へと続く。最初のハイライトは3・11後の日本に思いを馳せた「フジサン」で、和太鼓奏者を迎えた白熱のアンサンブルが展開する。エイミー・ワインハウスに捧げた鎮魂歌「ディス・イズ・ザ・ガール」、そしてタイトル曲と新作「バンガ」が中盤までの軸になっていた。

 「ビコース・ザ・ナイト」のイントロが流れた瞬間、涙腺が決壊する。35年の年月が凝縮され、濾し取られた感情が涙の養分になった。「ピープル・ハブ・ザ・パワー」、アンコールの「ロックンロール・ニガー」~「グロリア」を声にならない声で叫ぶ俺の乾いた頬を、二筋の涙が伝う。10年前の赤坂ブリッツより時間は短かったが、ステージから放射される優しい焔に、俺の心は浸潤されていた。

 「パティって、何であんなに可愛いの」
 「信じられないね。名古屋にも行こうかな」
 出口に向かう俺の背後で、女性がこんな会話を交わしていた。

 パティはデビュー当時、ユニセックスのイメージだったが、ステージからはフェロモンが零れ落ちてくる。66歳のおばさんが髪留めを外しながら歌ったり、口に含んだ水を最前列に吐き出したりする様子を、4列目の中央でドギマギしながら見つめていた。パティは知の女王であり、性や年齢を超越した魔女なのだろう。俺も少しは自分を磨き、70歳を超えたパティに出会いたい。

 ライブ前、オーチャードホール近くのラーメン屋で腹ごしらえをしていたら、半袖Tシャツの白人男性が入ってきた。いでたちからして、パティ・スミス御一行であることは間違いない。ショーが始まり、俺は驚いた。パティの右に立つレニー・ケイは、ラーメン屋で見た白髪で眼光鋭い男に似ている。当人である可能性は30%といったところだが、確認する術はない。
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ミューズ at さいたまスーパーアリーナ~世界を舞う雑食性の怪鳥

2013-01-14 22:45:51 | 音楽
 サマーソニックのヘッドライナーが発表された。メタリカ&ミューズと欧米で現在、動員力で一、二を競うバンドである。そのミューズの日本公演を一昨日(12日)、さいたまスーパーアリーナで見た。

 ミューズには雛の頃から注目していた。初期の発掘映像がYoutubeに次々アップされているが、当時の彼らからは、抒情と衝動を体現する蒼と赤の焔が昇っていた。洗練と抑制が加味されたのは初の公式映像「ハラバルー」(02年)の頃である。あれから10年、ミューズは世界を舞う怪鳥になった。

 俺は〝親バカ感覚〟でミューズを周囲に薦めてきたが、耳が肥えていると自任するファンに冷笑されるケースが多かった。ちなみにミューズは音楽評論家には褒められないバンドで、保守的かつ権威主義的な「ローリングストーン」には目の敵にされている。

 一方でミューズを評価するアーティストは多い。クイーンのメンバーは「最高のパフォーマンス」と絶賛し、ジミー・ペイジとも親交がある。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンは、自らの活動20周年記念イベント(11年)にミューズを招いた。米オルタナ界の顔役、ペリー・ファレルは07年、主宰するロラパルーザでミューズをメーンステージのヘッドライナーに据え、全米ブレークのきっかけをつくる。ファレルはさらに11年の〝同日同時刻ヘッドライナー対決〟でミューズをメーンステージに上げ、セカンドステージのコールドプレイとの〝格の逆転〟を演出する。

 あれこれ書いてもきりがないので、12日のライブについて記したい。NME誌認定の<史上最高>はともかく、Q誌認定の<現役最高>に恥じないライブアクトにまたも圧倒された。

 Youtubeにアップされている欧州ツアーほどではないが、これまでの日本公演では見られない大掛かりなセットで臨んでいた。スクリーンを兼ねたピラミッドが吊り下がり、レーザー光線が客席に飛んでくる。エンターテインメント度を増し、変化、進化、深化のいずれの表現にも相応しいライブだった。最初にミューズを見た時の印象は、<好きな女の子に気に入られようと、滑稽な振る舞いを繰り返す少年>だった。サービス精神なんて計算ずくではなく、ファンへの愛を貫いていることが、成功の最大の理由ではないか。愛は時に報われるのだ。

 マシューの「ピラミッドは権力構造の象徴。それが倒立する意味はわかるよね」の言葉に、ステージに逆さまの星条旗を掲げるレイジの影響が窺われる。ウォール街を牛耳る輩を揶揄した「アニマルズ」から<権利のために闘え>とアジる「ナイツ・オブ・サイドニア」への流れ、逃げ惑う若者たちが映し出される「セカンド・ロウ・アイソレイテッド・システム」から「アップライジング(叛乱)」へと繋がるアンコールに、バンドの意思が表れていた。

 話は逸れるが、ライブの翌日の朝日朝刊1面に「夜をさまようマクド難民~非正規の職まで失う」の見出しで、深刻な雇用状況が記されていた。悪運だけで仕事を得ている俺にはグサリと痛い内容である。ミューズの'10欧州スタジアムツアーは、ロンドン蜂起の前触れというべき光景からスタートした。フードを被った怒れる若者が武器を手に立ち上がるという設定である。果たして今の日本に、マクド難民、漫画喫茶難民の心に届く歌は存在するのだろうか。

 俺がミューズに惹かれたきっかけは抒情性だった。母方が霊媒師というマシューの系譜はロマ(ジプシー)に連なるのではないかと勝手に想像している。前日(11日)には演奏されなかった初期ミューズのリリシズムを代表する「ブリス」、「サンバーン」、「ニュー・ボーン」の3曲に胸が熱くなった。新作「セカンド・ロウ」に抒情復活の匂いを感じたのは俺だけだろうか。

 大抵の男は惚れた弱みで、愛する女性を客観的に見られない。バンドもまた同様で、肉親の情まで加われば尚更だ。ウィキペディアの基本情報で、ミューズは<オルタナ、プログレ、シンフォニック、メタル>と紹介されている。聴いたことがない人は「何のこっちゃ」と思うだろう。いや、俺にとってもミューズは<矛盾がグツグツ坩堝で煮えたぎるようなバンド>としか言いようがない。アラカンの俺がもう少し付き合ってみようかと覚悟を決めたのは、その正体不明さゆえである。サマソニはラインアップ次第というところだ。

 パティ・スミスのライブが10日後に迫り、月末にはローカル・ネイティヴスの2ndアルバムが発売される。3月のグリズリー・ベア、5月のシガー・ロスはチケットを購入したが、迷っているのはイアン・アンダーソン(ジェスロ・タル)の単独公演だ。ロマの薫りが漂う匠の技に触れてみたい気もする。

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「狂った一頁」~イブの友はレイジとPANTA

2012-12-24 23:31:12 | 音楽
 原発は再稼働どころか新設にも言及し、TPP参加に含みを残すなど、自公の前政権継承は確実になった。〝安倍州知事〟の最大の使命は、日中軋轢の維持かもしれない。中国市場からの日本企業駆逐は、米財界とワシントンの総意なのだ。

 BS1で放映された「WHY POVERTY? 世界の貧困~なぜ格差はなくならない」(全8回)に刺激され、ここ数日、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのDVDを繰り返し見ている。クリスマスとレイジ? 何たるミスマッチ! と感じる人がいるだろう。だが、餓えと貧困が世界の主調になった現在、レイジこそがクリスマスに相応しいバンドといえる。そのことを証明したのはイギリスのロックファンだ。ネット上の呼びかけで3年前、レイジの「キリング・イン・ザ・ネーム」がUKクリスマスチャートで1位に輝いた。

 ♪この世界を操る権力の中枢には 十字架を燃やす者たちと同類の人間がいる 殺戮の権限を与えているのは誰か 今やおまえは奴らの言いなり バッジを身に着けた選ばれし白人が相手なら 彼らの死を正当化するというのか……

 字面をなぞれば、<彼ら=黒人やヒスパニック、選ばれし白人=警官>の図式で米国内の差別主義者を糾弾する曲と受け取れる。だが、本作が1992年に発表されたことを踏まえれば、<彼ら=イスラム教徒、選ばれし白人=米軍>と捉えることも可能だ。

 レイジ並みの知性と反骨精神を誇るロッカーは稀だが、日本にはPANTAがいる。イブの夜は「2012 PANTA復活祭」(初台)に足を運ぶ。制服向上委員会、アキマツネオ、中川五郎、樋口舞にスペシャルゲストの稲川淳二、飛び入りの松村雄策と、PANTAと親交が深い多彩なゲストのパフォーマンスとトークを満喫した。

 トリのPANTAはMYWAY61バンドを率い、フルスロットルでファンを熱くする。後半は「ルイーズ」、「屋根の上の猫」、「マーラーズ・パーラー」で盛り上がり、アンコール前はステージに出演者が集合して「悪たれ小僧」を歌う。PANTAの人柄に見合ったアットホームなイベントだった。

 選択肢はもう一つあった。「原発全廃、絶対できる! 大集会」(日比谷公会堂、「終焉に向かう原子力」主催)は広瀬隆氏と山本太郎氏が進行役を務める魅力的なイベントだったが、「PANTA復活祭」と時間がバッティングしたので断念した。ソールドアウトでチケットを入手出来なかった広瀬氏と小出裕章氏の講演会(22日、豊島公会堂)ともどもネットで視聴し、心を洗って新しい年を迎えたい。

 閑話休題。今日も2曲セットリストに入っていたが、PANTAは先日、頭脳警察名義で「狂った一頁」を発表した。前衛映画「狂った一頁」(1926年、衣笠貞之助監督/川端康成原作)に感銘を受けたPANTAは、80年余の歳月を超えてサウンドトラックを制作する。ライブ形式で録音されたのは2年前だが、ようやく日の目を見た。

 ラディカルというパブリックイメージが独り歩きしているが、PANTAは情緒と醒めた狂気を詩と音楽で表現する稀有のロッカーといえる。自身が「難しい曲を作って自分の首を絞めた」とMCしているように、日本的な情念に根差した詩を、変調を繰り返す分厚いサウンドに塗り込めている。愛に憑かれた女が、長い髪を振り乱して踊っている……。そんな鬼気迫るシーンが脳裏のスクリーンに浮かんできた。闇を舞う言霊と音霊を捉えたようなアルバムだった。

 ロックをメッセージとアートに領域に飛翔させたPANTA、いや、PANTAさんとは、ともに反原発集会に参加した。人柄に感銘を受けたことは別稿(7月30日)に記した通りである。周囲に気配りする優しいカリスマのパフォーマンスに、来年以降も触れていきたい。
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「ザ・セカンド・ロウ」~ミューズのエネルギーは混沌と矛盾

2012-10-13 11:01:14 | 音楽
 今回は発売されたばかりのミューズ6thアルバム「ザ・セカンド・ロウ」について記したい。タイトル(邦訳=熱力学第二法則)を冠した♯12、♯13のラスト2曲に、「エネルギー問題」のテーマが凝縮されている。

 エネルギーといえば当ブログで、ロックを<再生エネルギー的>と<原発的>に分類したことがある。前稿のダーティー・プロジェクターズは前者に属し、ミューズは今や後者の代表格だ。ラディカルさと<原発的>の同居に、ミューズの特殊さが表れている。混沌と矛盾を糧に飛翔するミューズは、<止揚>を実践するバンドといえる。言動はというと、決して真面目ではない。フロントマンのマシュー・ベラミーには虚言癖がある。

 「次のアルバムでは政治や社会は取り上げず、パーソナルな曲でまとめたい」と語っていたが、完成品は大きく異なる。♯1「スプレマシー」、♯3「パニック・ステーション」、ウォール街の牛耳る<1%>を獣に例えた♯7「アニマルズ」は、21世紀型管理社会に警鐘を鳴らした前作「レジスタンス」の延長線上にある。「テーマのダウンサイジングに伴い、ツアーの規模を縮小する」と語っていたが、これも事実と異なる。ピンク・フロイド並みの巨大なセットで世界を回るという。

 昨夏、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの20周年イベントに招かれ共演したことが、翻意のきっかけか。尊敬するザックやトム・モレロに「期待してるよ」なんて声を掛けられたら、気合が入っても不思議はない。前言を忘れたマシューはインタビューで、現実から目を背けるトップバンドに疑義を呈していた。ちなみに日本では、ミューズのメッセージ性について語られることは殆どない。

 ロンドン蜂起の予言ともいえる「アップライジング(叛乱)」で客をアジる。と思えば、ロンドン五輪公式テーマソングの♯5「サバイバル」を閉会式で演奏した。混沌と矛盾はサウンド面でも顕著だ。メタリック、クラシカル、21世紀のプログレと様々に評されるミューズだが、今回はダブステップへの接近が話題になった。ちなみに、コールドプレイのクリス・マーティンは♯2「マッドネス」を「ミューズのベストソング」と絶賛している。褒め殺しとの穿った見方もあるが……。

 マシューは「作曲権をクリスに譲る」と語っていたが、これも出任せだった。新作発売に合わせて公表されたエピソードも興味深い。クリスはアルコール依存症に苦しんでいたが、ドムがコメントした通り「ライブでは完璧にベースを弾く」。だから、ファンは気付かなかった。「作曲権」発言は依存症を克服したクリスへのご褒美だったのかはともかく、新作でクリスは、作曲とリードボーカルを2曲担当している。うまいというより奇麗な声で、今後はマシューとのツインボーカルがバンドの強みになるかもしれない。

 ミューズは先日、NME選定の<史上最高のライブアクト>の栄誉に輝いた。雛の頃から応援していた俺は、肉親の情ゆえ彼らに甘いが、ストーンズやフーといったロック草創期の伝説より上とは思わない。デヴィッド・ボウイやクラッシュのように、人生を変える衝撃を与えたなんてとても言えないが、<平均点の高さ>ならピカイチだ。Youtubeのコメント欄で目立つのは、「ミューズのライブは“as usual”に素晴らしい」との書き込みだ。

 新作は聴くより見る方が早かった。「クロスビート」誌に酷評されていたし、発売日をぶつけてきたキラーズから逃げた。自信がないのかと訝り、Youtubeで試運転ライブ(ITUNEフェス)を恐る恐る見た。オーバープロデュースで失くした芯をカバーしているのではないか……。そんな風に危惧していたが、想像よりいい。最近の2作よりクオリティーが高く、煌めきは感じないが、丁寧に作られたアルバムという印象だ。初期のリリシズムの復活を感じさせる曲もある。

 チャートアクションも全英1位、全米2位と前作並み。日本で5位という数字には驚いた。2nd「オリジン・オブ・シンメトリー」の曲は'11レディングで封印と伝えられていたが、ITUNEフェスやパリのライブではセットリストに含まれていた。サービス精神旺盛な彼らがファンの好む曲を演奏しないはずはない。真意が伝わらずに流れた噂というべきか。

 ミューズは来年1月、来日する。クリエイティヴマンの会員先行予約が中止になったが、会場変更などで仕切り直しになるという。混沌と矛盾をクリアしてきたミューズだが、越えられない壁が聳えている。それは年齢だ。初めて見た時、20歳そこそこだった彼らも、今や30代半ばのオッサンだ。瞬発力と体力の衰えをどう克服するのか、チケットが取れたらこの目で確認したい。

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進化とともに失うもの~ダーティー・プロジェクターズに感じたこと

2012-10-11 21:12:25 | 音楽
 村上春樹が本命視されたノーベル文学賞を逃し、莫言が高行健に続く中国人2人目のノーベル賞作家になる。不思議なことに日本の多くのメディアは、天安門事件で亡命した高行健を中国人にカウントしていない。仕事先の夕刊紙はどうだろう。

 3・11など起きなかったかのように原発を推進する日本の政官財には、倫理観や世界観は必要ない。アメリカの操り人形であれば事足りることからだ。五十路半ばでナショナリズムに目覚め、反米的言辞を書き散らかしているが、共感できそうな本を見つけた。「戦後史の正体」(孫崎享著)である。

 NFLとWWEに親しむ俺の感性は、<1%>に搾取されている<99%>に限りなく近い。ロックだってここ数年、US勢に注目してきた。ザ・ナショナル、ローカル・ネイティヴスのライブに感銘を受けたし、一番見たいバンドはグリズリー・ベアとアーケード・ファイアだ。とりわけ贔屓にしているダーティー・プロジェクターズのライブを先日(9日)、渋谷O―EASTで見た。

 オープニングアクトのダスティン・ウォングが40分ほど超絶のギターパフォーマンスを披露した後、主役が登場し、新作「スイング・ロー・マゼラン」のタイトル曲でショーが始まった。新作から10曲、前作「ビッテ・オルカ」から4曲、ビョークの客演が話題になったミニアルバム「マウント・ウィッテンベルク・オルカ」から1曲というセットリストである。

 楽曲のレベルは言うまでもなく、バンドアンサンブルも素晴らしい。旬のバンドが見せつけた煌めきに、「ロッキンオン」を含め既に絶賛の嵐だが、会場の中で恐らく俺だけが醒めていた。ひねくれ者と言われたら返す言葉もないが、理由を以下に記したい。

 整理番号が30番台だったので、2階バルコニー席を確保できた。小さな箱だし、弱ったジジイにとって、ステージの全景が眺められる特等席である。だが、ひしめき合う平面ではなく、高い所から見下ろすと、感じるより考えてしまう。

 2年前の3月、CLUBQUATTROで度肝を抜かれ、4カ月後に豪雨のフジロックで彼らと再会する。自由で圧倒的なパフォーマンスにオルタナティヴの精神を実感したのだが、今回は印象が違った。フロントマンのデイヴ・ロングストレスは別格にしても、バンドの序列が窺えた。2年前には気付かなかっただけかもしれないが、アンバー・コフマンは明らかに女王様的な位置付けで、ステージでもデイヴと何度も目配せしていた。2人の女性陣はハーモニーとアクションで盛り上げていたが、リズム隊の男2人は目立たなかった。

 前回より15分短くなり、演奏時間が75分というのにも不満が残った。そういや、お約束のメンバー紹介もなかった。HPでチェックすると、アメリカツアーでも曲数と順番は似通っている。フェス仕様のセットリストというべきか。ソリッドに厚みを増した点は評価できるが、成長に不可欠な遊びの精神、混沌、ズレが消え、<普通のロックバンド>の枠内に収まってしまった感が強い。

 俺が乗り切れなかった最大の理由は、ダーティー・プロジェクターズに過剰な期待をかけていたからか。彼らは2年前、プリミティヴ、ノスタルジック、牧歌的、祝祭的なムードを醸していた。ビョークとの共演を糧に妖しさを纏い、<ロックを超える何か>に脱皮することを今も願っている。タイプは違うが、フレーミング・リップスのように……。

 彼らはまだ進行形だ。<枠内>で頂点を極めた後、<ボーダレス>を志向する旅に出るかもしれない。俺はその頃、ロックとまだ付き合っているのだろうか。
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知性、情緒、そして野性~目を瞠る斉藤和義の現在

2012-10-02 23:22:09 | 音楽
 大間原発の建設工事が再開された。知事(野田)では大統領に逆らえない。日本州は住民の願いを聞かず、ワシントンの意に沿って原発ゼロを放棄した。敵の巨大さが明らかになった以上、抵抗する側にはより強固な紐帯が必要になる。脱原発運動の軸になるのは、<独立の精神+プライド=ナショナリズム>かもしれない。

 「終焉に向かう原子力」事務局からメールが先日届いた。12月22日に開催される講演会(豊島公会堂)の告知である。小出裕章氏と広瀬隆氏のタッグとくれば参加するしかない。同行者を募って申し込んだが、既にソールドアウト。段取り人間の俺には珍しく後手を踏んでしまったようだ。講演会の模様がYouTubeにアップされるのは確実なので、疑似ライブで真摯な言葉と向き合うことにする。

 <3・11以降、言葉は以前と同じであってはならない>(論旨)と語った辺見庸は詩集「眼の海」を著わし、岩井俊二や園子温は震災と原発事故をテーマに映画を撮った。いち早く反原発の意志を表明したミュージシャンは斉藤和義で、昨年4月、自身の曲の替え歌「ずっとウソだった」をYouTubeにアップして話題になった。

 斉藤はその後、干されるどころかブレークした。「家政婦のミタ」の主題歌がヒットし、武井咲と東京メトロのCMで共演していた。反骨とコマーシャリズムの同居といえば、忌野清志郎が頭に浮かぶ。斉藤が反原発をどう表現しているのか気になり、YouTubeでチェックすると、中村達也の豪快なドラミングが目に飛び込んできた。

 15年前、斉藤のアルバムを1枚買った。タイトルは「ジレンマ」だったが、帰省の折、亡き妹に恩着せがましく押し付けた。和み系というイメージしかない斉藤、そして野獣系の中村……。ミスマッチに思えた両者が醸す緊張感が心地良かったので、「45STONES」(11年)と中村と組んだマニッシュボーイズのアルバム(12年)を併せて購入した。

 「こんなに凄い奴だったのか」、いや「15年でこんなに凄くなったのか」……。驚嘆と衝撃に感想を肉付けして以下に記したい。まずは「45STONES」から。

 ♯1「ウサギとカメ」と♯2「桜ラブソディ」はタコツボ化したネット、情報に踊らされるだけの日本社会を抉っている。ドライブ感たっぷりの中村のドラムが印象的な♯4「猿の惑星」は衒いのないプロテストソングで、民主党政権と原子力村を攻撃している。“NO NUKES”の叫びが繰り返される♯7「オオカミ中年」も強烈だ。

 ダウナーな♯5「負け犬の詩」、水彩画のような♯6「虹が消えるまで」も心に染みるが、♯9「雨宿り」に打ちのめされた。五十路半ばのやさぐれ中年が、今さら素直に感動するなんてありえないと思っていたが、それが現実になる。

 ♪あなたに会いたいよ 今ここにいてほしい 神様は忙しくて 連れてく人を間違えてる……。3・11以降の世相を踏まえつつ、斉藤は掛け替えのない人の死を悼んでいる。今の俺がこの詞に重ねるのは亡き妹の面影だ。

 マニッシュボーイズの1stは、ワイルドな中村にインスパイアされたのか、咆哮し疾走するアルバムだ。♯2「ダーク・イズ・イージー」、♯3「ラヴ&ラヴ」、レゲエを取り入れた♯7「オー・エミー」と聴きどころが多いが、俺にとってのハイライトは♯4「ダーティー・バニー」だ。中村のドラムがそう感じさせるのかもしれないが、構成、曲調、イメージの放射は、「幸せの鐘が鳴り響き僕は悲しいふりをする」の頃のブランキー・ジェット・シティを彷彿させる。メッセージ性を前面に出した♯11「ないない!」では、野田首相の演説を嗤い、貶めている。

 マニッシュボーイズのツアー日程を眺め、「行けばよかった。でも、俺も若くないからな」と独りごちた。一瞬後、勘違いに気付く。斉藤は46歳、中村は47歳と、同世代とはいわないが、いい年したおっさんなのだ。才能の絶対値がものをいう音楽の世界で、斉藤はデビュー20年を経てさらなるピークに到達したようだ。この間の経緯を知っているファンが羨ましい。
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「シールズ」に甦る青春の風景~グリズリー・ベアが織り成すカラフルな世界

2012-09-15 15:31:11 | 音楽
 ここ数日の報道で、旧連合国(英米仏)が日本の脱原発に強い懸念を抱いていることが明らかになった。<2030年に原発ゼロ>なんて絶対許さないと言いたげだ。菅原文太の「今こそ反原発の日独伊三国同盟じゃ」は、原子力コングロマリネットの存在を炙り出している。

 至言あれば妄言あり……。石原伸晃幹事長の「汚染された土壌の保管先は福島第1サティアンしかない」との発言に絶句した人も多いだろう。オウム真理教がサリンを製造したのはサティアン、原子力村が放射能をまきちらしたのは福島原発……。石原氏が図らずも浮き彫りにしたのは、スケールの差こそあれ悪の構図だった。

 朝夕涼しくなり、読書に親しむ夜長となる。書物との間にケミストリーを生むBGMを挙げれば、「君に捧げる青春の風景」(アズテック・カメラ)、「パシフィック・ストリート」(ペイル・ファウンテンズ)、「ムーヴィング」(レインコーツ)、「ウエーティング」(ファン・ボーイ・スリー)、「ザ・ハーティング」(ティアー・フォー・フィアーズ)、「マカラ」(クラナド)etc……。

 80年代のUK勢に加え、ダーティー・プロジェクターズ(DP)の「ビッテ・オルカ」とともにローテーションに加わったのが、グリズリー・ベアの「ヴェッカーティメスト」(09年)だ。「ブルーバレンタイン」のサントラを挟み3年ぶりに発表された「シールズ」は、'12ベストアルバム決定と断言できるクオリティーの高い作品である。

 グリズリー・ベアはDP同様、ブルックリンを拠点に活動している。NY派と一括りにしがちだが、①前衛性とサウンドスカルプチャー、②無境界ポップ、③ハーモニーの復権と、目指すものは様々だ。ちなみにグリズリー・ベアは②と③を志向している。富裕層出身で名門大に通うインテリが意識的にドロップアウトし、表現手段としてロックを選んだケースが多いこともあり、NY派には商業的成功より個性と質にこだわる傾向が強い。

 ロックファンはバンドを測る基準を持っている。俺が今使っている〝物差し〟は<トランジスタラジオに堪え得るかどうか>だ。ビートルズの「シー・ラブズ・ユー」に魔法をかけられロックに目覚めた俺にとり、原点復帰というべきか。スタジオで加工し尽くした音を、莫大な費用を投じてステージで再現するバンドが増えた。YouTubeの普及で、ロックは〝見る〟が主流になりつつある。グリズリー・ベアとDPが新鮮だったのは、手作り感が肥大化へのアンチテーゼに思えたからだ。

 「シールズ」は全体としてメロディアスで表情豊か、街角のラジオから流れていても耳に残る芯のある曲が詰まっている。「奇跡の名盤、30年ぶりに再発」と帯に記されていても違和感はなく、明らかにアナログ志向だ。メランコリック、リリカル、アンニュイ、エキセントリックが程良く調合された珠玉のタペストリーに、甘酸っぱい青春の風景が甦った。

 スタジオライブを見た感じでは地味な印象だが、実際に見てみないとわからない。3年前に来日しているが、当時は名前さえ知らなかった。スマッシュかクリエイティヴマンが呼んでくれることを期待している。

 「シールズ」と併せ、解散の噂もあったブロック・パーティーの4年ぶりの新作「フォー」を購入した。おかしな書き方だが、彼らの魅力である〝やり場のないどん詰まり感〟満開のダウナーなアルバムだった。ブロック・パーティーとともに贔屓にしてきたキングス・オブ・レオンも、雲行きが怪しくなっている。

 マンサンやザ・クーパー・テンプル・クロースを筆頭に、俺が肩入れするとロクなことがない。俺はバンドにとって疫病神だが、唯一の例外は怪鳥に成長したミューズだ。俺の〝物差し〟からは外れてしまったが、肉親の情で応援している。
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心に焔を灯すパティ・スミスの新作「バンガ」

2012-08-31 15:33:07 | 音楽
 U―20女子W杯の結果が気になってテレビをつけると、とんねるずの番組が始まっていた。消すのをやめたのは、石川佳純が映っていたからである。常に発見が遅れる俺だが、石川が俺のブログに初登場したのは5年前の4月。中学生の頃、既に注目していたことになる。

 「もっと可愛くなると思ったのに、期待外れだった」とロンドン五輪での石川の印象を仕事先で話していたが、勘違いだったようだ。さすがテレビというべきか、天然ぶりと併せ、彼女の魅力を十分に引き出している。勤め人時代、女子社員の顔を狸と狐に分類して顰蹙を買った俺だが、好みは狸(福原愛)ではなく、狐(石川佳純)の方である。いずれのタイプにも痛い目に遭わされてきたのは、力量不足と言うしかない……。

 別稿(7月30日)に記したが、俺は〝PANTA隊〟の一員として「脱原発~国会大包囲」に参加した。一期一会と腹を括り、あれこれぶつけた質問に、懐の深いPANTAさんは丁寧に答えてくれる。「PANTAさんは俺にとって、パティ・スミスに匹敵する〝ロックイコン〟です」と話すと、「俺はあんなにわがままじゃないですから」と即座に言葉が返ってきた。ちなみにPANTAさんは〝パンククイーン〟のパティより3歳若いが、デビューは3年早い〝パンクの魁〟である。

 PANTAさんのように謙虚な人はレアケースで、大抵のカリスマは分野を問わず周囲に緊張を強いる腫れ物だ。今回は〝ジコチューの狐〟ことパティの新作「バンガ」について綴りたい。

 03年夏、赤坂ブリッツでパティのパフォーマンスに触れ、ステージから放射されるオーラとフェロモンに圧倒された。意志の力が聴衆を覚醒させ共感へと導く<ロックの理想形>があの夜、体現されていた。あれから9年、呟き、囁き、話しかける「バンガ」は静謐でモノクロームな耐暑アイテムだが、心に熱い焔を灯してくれる。

 パティは作家、詩人、写真家、映画監督、ロッカーら多分野のアーティストから指向性を吸収し、屹立する光の塔になった。「バンガ」は人生の集大成であり、同時に自らを創り上げた文化へのオマージュといえるだろう。

 10代の女の子が歌うような♯2「エイプリル・フール」も微笑ましいが、訳詞を眺めながら聴いていると、パティの作意が浮き上がってくる。♯1「アメリゴ」ではアメリカの命名者アメリゴ・ヴェスプッチ、♯11「コンスタンチンズ・ドリーム」ではコロンブスと同時期の画家をテーマの軸に据えている。「1%」を痛烈に批判するパティだが、アメリカ再生への希望が伝わってきた。

 死に彩られた曲も多い。それぞれエイミー・ワインハウスとマリア・シュナイダーに捧げた♯4「ディス・イズ・ザ・ガール」と♯6「マリア」も印象的だが、聴かせどころは♯10「セネカ」だ。60代半ばになったパティは、自らの人生に関わった人たち――夫フレッド、弟、ギンズバーグ、メイプルソープ、バロウズ――を見送った。同曲は鎮魂の思いが込められた美しいレクイエムである。

 ロシアもキーワードのひとつで、アルバムタイトルでもある♯5「バンガ」は、旧ソ連の反体制作家ブルガーコフの小説に登場する犬の名から採られている。♯8「タルコフスキー」はロシアツアーで巨匠の墓を訪れた時にインスパイアされたという。パティは日本文学に造詣が深く、酒好きでもある。南方戦線で日本軍と戦った父からは、原爆の悲劇を教えられた。映画「ドリーム・オブ・ライフ」(08年)で日本への遠近感が表現したパティは、東日本大震災後、イメージとリズムに和風が窺える♯3「フジサン」を作った。

 カーソン・マッカラーズ、ヴァージニア・ウルフ、そしてダイアン・アーバス……。パティと並ぶ20世紀の女性表現者を挙げてみた。ウルフとアーバスは自殺し、マッカラーズの人生は孤独に満ちていた。生き辛かった彼女たちと比べ、パティは奔放さを貫いている。「ドリーム・オブ・ライフ」ではバロウズとの交遊が描かれていた。突進してくる小娘(パティ)を持て余したバロウズは、「僕はゲイなんだ」と呟いたという。

 師、理解者、友、そして恋人を猛烈な勢いで探し求めてゲットする……。パティは〝ジコチューで肉食系の狐〟だが、創り出すものは知的な煌めきに満ちている。年内に刊行される「ジャスト・キッズ」(全米図書賞受賞)、来年1月の日本公演(オーチャードホール)が待ち遠しい。
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流転しながら煌めきを増すPANTAさんの魂

2012-08-14 23:45:53 | 音楽
 ロンドン五輪閉会式でNHKの酷さにあきれ果てた。ミューズのパフォーマンスはアナウンサーのお喋りで台無しされ、掉尾を飾ったザ・フーもタイムアウトとくる。とはいえ、「ババ・オライリー」~「ピンボールの魔術師」~「シー・ミー・フィール・ミー」~「マイ・ジェネレーション」のメドレーに心が疼いた。世紀を超えても色褪せないフーの楽曲の素晴らしさを改めて実感する。

 別稿(7月30日)に記したが、俺にとってPANTAさんは、ピート・タウンゼント(フー)らと並ぶ<ロックイコン>だ。先日、APIA40で行われた「アコースティックライブ」に足を運んだ。菊池琢己との共演(ユニット「響」)で、ユーモアに溢れたMCを含め、PANTAさんの魅力を堪能した3時間弱だった。

 仕事先のYさんに誘われ、国会包囲(7月29日)に〝PANTA隊〟の一員として参加した。その人間性に感銘を受けた以上、呼び捨てにするのは気が引ける。今稿は基本的に敬称(さん)付きで記すことにした。

 オープニングは花田裕之(元ルースターズ)の参加が話題になった「PISS」(89年)から、「ライフ・カプセルの中で」と「切なさが遠すぎて」がピックアップされていた。ルースターズファンだった俺にとり、花田との共作ではないこの2曲は地味な印象だったが、ライブで聴いてみて、映像的で歪んだ感じの秀逸なラブソングであることに気付く。

 「沈黙の中で」~「短恨歌」~「次の一頁」のメドレーに情感を刺激された。「狂つた一頁」(1926年)にインスパイアされた曲という。原作の川端康成、監督の衣笠貞之助が脚本も担当したアヴァンギャルドなサイレント映画だ。CD化は早くて年末、映像とのコラボでDVD化の可能性もあるとのこと。抒情的でノスタルジックな歌詞も、PANTAさんの貌のひとつだ。

 第2部では「オリーブの樹の下で」(07年)から3曲が続けて演奏される。重信房子さんの裁判を傍聴し、往復書簡で交流を深めたPANTAさんは、彼女の詩に曲を付けたアルバムを「響」名義で発表した。

 <みんなどこへ行ったのか ボクは今も独りバリケードの中にいる 夢にはぐれ独り 独り>の歌詞が印象的な「来歴」に続き、今回のハイライトというべき「ライラのバラード」が聴く者の心を熱く揺さぶる。女性革命家ライラ・ハリッドさん(パレスチナ評議会議員)は国を代表して重信さん弁護のために来日する。<重信さんを裁くことは、抑圧された世界の民衆の連帯を裁くことであり、更に正義を、解放闘争を裁くこと>とライラさんは訴えた。

 ♪戦火を逃れて 故郷を追われた 家も街も祖国も なにもかも奪われた あれから半世紀過ぎても 斗いの権利は捨てない わたしの物語 だけどそれはみんなの物語 パレスチナの 世界の友の物語……

 世界を感じるフレーズで結ばれる同曲を、PANTAさんは今年、ライラさんの前で演奏する機会に恵まれた。場所は伝説に彩られた京大西部講堂で、ライラさんは演奏後、ステージに上がり、PANTAさんと菊池にあるものを授けた。ハッパである。言葉の響きは怪しいが、首に掛けるタオル状の布で、<自由の戦士>の文字が縫い込まれていたという。

 荒々しい「七月のムスターファ」の後は、PANTAさんのキャリアの中で「1980X」とともにツインピークスと呼ぶべき「マラッカ」(79年)から「ネフードの風」だ。歌い終わったPANTAさんは息も絶え絶えに「金メダルを取ったみたい」と時節柄のジョークを飛ばす。続くのは沢田研二に提供した「月の刃」で、「反原発や護憲を歌で表現するジュリーにお株を奪われ、裏PANTAになった気分」と笑いを誘う。

 かつてPANTAさんは、一部で〝裏ジュリー〟と呼ばれていたらしい(自称?)。81年正月、帰省中の俺は、昨年亡くなった伯母宅を訪れた。伯母は<男はルックス>と決めつける傾向があった。俳優や歌手なら尚更で、〝元祖イケメン好き〟といっていい。俺が「浅草ニューイヤーロックフェスティバル」にチャンネルを合わせると、偶然にもPANTA&HALが演奏を始める。曲はXデー(天皇の死)の状況を9年前に見通した「臨時ニュース」だ。当時60歳前後だった伯母の第一声、「この人、鼻筋が通ってえらい二枚目やな」には正直驚いた。

 本題に戻る。第1期頭脳警察の曲はセットリストになかったが、第2期から「俺たちに明日はない」、「死んだら殺すぞ」と続く。寺山修司の詩「時代はサーカスの象にのって」の朗読から「万物流転」で第2部は終了した。俺の心がそよぎ始めた。あの曲をPANTAさんは演奏してくれるだろうか……。

 国会包囲の夜、PANTAさんの横で地べたに座り込んだ俺は、「あの曲、やるんですか」と尋ねた。PANTAさんは「どっちともいえないな」と言う。アンコールでは「マラッカ」の後、馴染みのない曲が続き、PANTAさんは立ち上がって挨拶する。終わったと思ったら、ステージでもぞもぞしている。そして「もう一曲やります」と言って、あの曲、即ち「裸にされた街」のイントロが鳴った。

 ♪闇の中を子供の群れが 松明を片手に進む 100 200 300と死に場所をもとめて だれひとり 声もたてずに……。32年後の原発事故を予言するような歌詞が哀切に胸に響いた。

 この経緯をPANTAさんの親友であるYさんに伝えると、「女の子のリクエストだったらあり得るけど」と苦笑していた。俺如きの頼みなどを聞くはずもないことは承知の上である。ちなみにPANTAさんは、イメージの連なりである原曲に、直截的なメッセージを書き加えて歌っていた。

 今回のライブで感じたのは、俺が<PANTA=パンクロックの先駆け>という杓子定規なパブリックイメージに囚われ過ぎていたことだ。頭脳警察をアシッドフォークに分類する論者もいるという。反骨精神と知性だけでなく、温かさとしなやかさを併せ持つPANTAさんは、流転しながら還暦を過ぎた今も煌めきを増している。

 俺にとって〝あの曲第2弾〟はヘルマン・ヘッセの詩に曲を付けた「頭脳警察1」(72年、当時発禁)収録曲「さようなら世界夫人よ」だ。足繁くライブに通えば、遠からず聴けるだろう。
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納涼アイテムはダーティー・プロジェクターズ

2012-07-24 23:00:42 | 音楽
 反原発関連では、様々な集会や講演会の模様が動画サイトにアップされている。視聴による参加は邪道と承知しつつ、グータラなロートルはつい楽な方を選んでしまう。29日の大掛かりな国会包囲行動はパスし、その前日、中野で開催される集会とデモに足を運ぶことにした。初回のアクションで、まだ手作り感覚に溢れていることに期待している。

 政治以上に映像公開が著しいのがロック界だ。ボナルー・フェス(米テネシー州)では、レッド・ホット・チリ・ペッパーズとレディオヘッドのライブを主催者がフルタイムで配信した。フジとサマソニも、オフィシャル映像を流すらしい。

 〝Youtube時代の申し子〟ミューズは1年前、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの結成20周年イベントに招かれた。前作「レジスタンス」の冒頭曲「アップライジング」(叛乱)はタイトル通りロンドン蜂起の空気と近く、ラディカルまっしぐらかと思っていたが、新曲“Survival”がロンドン五輪の公式テーマに選ばれた。ライブ映えしそうな曲だが、競争相手に勝った理由がわからない。

 ミューズだけでなく、成功したバンドに多いパターンは、失くした芯をオーバープロデュースでカバーしていること。俺は10歳の頃、ビートルズの「シー・ラブズ・ユー」の魔法の旋律でポップの世界に迷い込んだ。ストーンズの「サティスファクション」、フーの「マイ・ジェネレーション」、ドアーズの「ハートに火をつけて」etc……。当時の曲は骨量と筋肉を誇り、トランジスタラジオから流れていても胸に響いた。

 ロックは試行錯誤を繰り返しつつ進化したと思うが、声では明らかに後退した。かのピンク・フロイドだって、「エコーズ」で見事なハーモニーを聴かせていたのだから……。ここ数年で発見したバンドで、ローカル・ネイティヴスとともに声を復権させたのがダーティー・プロジェクターズ(DP)だ。担当楽器を取っ換え引っ換えし、曲ごとのコンセプトを明確にしながら、全員で歌うというスタイルを取る。新作「スイング・ロー・マゼラン」を読書のBGMとして、納涼アイテムとして繰り返し聴いている。

 前作「ビッテ・オルカ」で世界にその存在を知らしめ、ビョークを迎えたコラボ「マウント・ウィッテンベルク・オルカ」で評価は一層高まった。新作でも殊更キャッチーさを追求することなく、手作り感覚とアマチュア精神を前面に、自然体でプリミティヴ、ノスタルジック、祝祭的なアンサンブルを奏でている。表情は豊かだが贅肉のない12曲42分だ。

 変化に富みアルバムで一番ロックしている♯1“Offspring Are Blank”、柔らかな女性ボーカルが牧歌的ムードを醸し出す♯10“The Socialites”、歌心に溢れた♯11“Unto Caesar”も耳に残ったが、俺の一押しは変調を取り入れたダウナーな♯3“Gun Has No Trigger”だ。彼らと再会出来るのは10月だ。爽快な至極のライブが待ち遠しい。女性たちもみんな可愛いし……。

 別稿(11年6月30日)で、俺はロックを<原発的>と<エコ的>に分類した。DPなど<エコ的>の典型で、改革者の驕りと無縁で、量的な成功にも執着しない……というか売れない。前作「ビッテ・オルカ」でも本国アメリカで9万枚弱。でも、彼らは気にもしていない。スクエアな目線で矜持を保つのがNY派たるゆえんなのだ。

 そういや、もう一つの贔屓バンド、ローカル・ネイティヴスはメンバー脱退以来、とんとニュースを聞かない。俺という疫病神に憑りつかれて消えたバンドは数知れず。心配になってきた。


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