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酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「クリスタルナハト」~30年後を見据えたPANTAの慧眼

2017-10-09 22:48:22 | 音楽
 政治を語る言葉は大抵、薄汚れているが、煌いているものも稀にある。6日付朝日新聞朝刊に中村文則が寄稿した総選挙を巡る論考は、この国の現状を鋭く抉っていた。<選挙はあなたに興味を持っている>から始まる結びの部分に説得力があった。

 最も深く日本を洞察していると見做しているのは星野智幸だが、中村もその域に迫りつつある。二人の作家が追求するテーマは<共生と寛容>で、中村は同稿でも、とりわけネット空間で顕著な<社会のタコ壺化>を憂えていた。ドストエフスキーのテーマを21世紀の現在の日本に甦らせたと評される中村は近年、社会への問いかけを強めている。今回の論考については新作「R帝国」を紹介する際に併せて記したい。

 1970年以降、PANTAは日本を冷徹に見据えてきた。奥泉光は「ビビビ・ビ・バップ」(今年9月21日の稿)で、60年代の狂熱の東京をヴァーチャルに再現していた。作中、花園神社で「銃をとれ!」を演奏していた頭脳警察こそ、パンクロックの先駆けである。PANTA&HAL時代の「マラッカ」と「1980X」はサウンド、コンセプト、予見性で世界最先端に位置していた。

 PANTA&HALの3作目として準備を進められていたが頓挫し、個人名義で発表されたのが「クリスタルナハト(水晶の夜)」(87年)で、発売30周年記念ライブ(7日、Zher the ZOO Yoyogi)に足を運んだ。菊池琢己(ギター)、JIGEN(ベース)、小柳“CHERRY”昌法(ドラム)、今給黎博美(キーボード)のラインアップで、分厚くシャープなロックショーが展開する。ちなみに菊池はアルバム制作に関わっていた。

 マレーネ・ディートリッヒの「リリー・マルレーン」でメンバーが現れ、「クリスタルナハト」を曲順通り演奏する。長めのMCで、各曲の作意、解題がPANTA自身によって示された。タイトルは1938年11月に起きた事件にちなんでいる。ナチスはドイツ全土でユダヤ人が経営する商店やシナゴークを襲撃した。900人以上が殺されたという。砕けたガラスの破片を水晶にたとえ、同夜は〝クリスタルナハト〟と呼ばれるようになった。

 テーマは深くて重いが、予習としてアルバムを繰り返し聴いているうちに抱いた解放感はライブ後、さらに広がった。惨劇が起きた1938年、アルバムが完成した1987年、そして閉塞感に覆われた2017年……。「当時と状況は何も変わっていないのでは」というMCに、俺だけでなく集まった人々は共感していた。同作は今こそ聴かれるべき作品なのだ。

 ソールドアウトの大盛況で、20~30代と思しき姿もあったが、客層の中心はやはり中高年層だった。第1部が1時間強、第2部が約50分、第3部(アンコール)が20分ほどで、開演前から3時間40分以上も立ちっ放し。還暦の俺より10歳は年上に見える方もいて、「倒れそうになったら知らせてください。酸素ボンベはあります」と呼び掛けるPANTA(67歳)も息を切らしていた。

 知人の仲介で反原発集会に〝PANTA隊〟の一員として参加した際、当人と話す機会があった。一期一会と考え、不躾に質問する俺に自然体で答えてくれる。人格と知性に感嘆させられた。「代表作は何ですか」という問いの答えは「クリスタルナハト」だった。構想数年の同作に思いが込められているのだろう。制作中、スタジオに書物や資料が山積みされ、〝学習〟しながら録音したとMCで振り返っていた。

 「メール・ド゙・グラス」の冒頭に、♪ヤバーナ(日本人)のニュースは聞いたかい シノワ(中国)で途絶えたままでいるが……という歌詞がある。水晶の夜の前年、南京大虐殺が始まった。PANTAは同曲を演奏する前後、「日本人が誰も歌っていない南京、重慶、関東大震災(における朝鮮人虐殺)について、いつか曲にしたい。発禁にならなければいいけど」と話していた。

 「クリスタルナハト」の曲を他のライブで演奏する際、「私はイスラエル支持者ではない。パレスチナ弾圧は現代のジェノサイド」とMCしていた。重信房子詩に曲を乗せた「オリーブの樹の下」は大傑作で、パレスチナ解放のために闘った女性活動家に捧げた「ライラのバラード」も収録されている。

 第2部以降、「赤軍兵士の歌」、「マーラーズ・パーラー」、「スカンジナビア」「アゲイン&アゲイン」、「フローライン」など俺にとってのレア曲が多く含まれており、PANTAワールドの間口の広さと奥行きを改めて感じさせられた。

 上記の中村文則は短編集「A」(14年)で、日本軍による中国での虐殺、従軍慰安婦をテーマにした作品を書いている。「日本人が誰も歌っていない――」のPANTAのMCと重なった。PANTAの本名は中村治雄で、二人の中村に魅せられた1週間だった。
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ロックに親しむ冷夏~MANNISH、そして新譜3枚

2017-08-20 17:51:34 | 音楽
 木曜夜、スカパーでチャンネルサーフィンしていたら、8時ちょうどにMANNISH BOYSのライブが始まった。「麗しのフラスカツアー」ファイナル(1月27日/Zepp Tokyo)の模様を収録したものである。元ブランキー・ジェット・シティの中村達也はお馴染みだ。斉藤和義にはフォークシンガーというイメージを抱いていたが、MANNISHのステージはエキサイティングなロックショーだった。

 中村が〝一匹狼〟と評する斉藤は51歳、斉藤が〝予測不能〟と評する中村は52歳……。野性のおっさんコンビが凄まじいエネルギーを放射する。トランペットのセッションが斬新だった。BJC時代はMC専門だ中村のボーカルパート(モノローグ風)の多さにも驚く。斉藤の佇まいが時折、浅井健一(元BJC)に重なる。詩的なイメージに溢れる歌詞に、浅井に通じるものを覚えた。

 俺はアナログ人間の典型で、フェイスブックは開店休業状態だし、ツイッターとは無縁だ。ロック界もSNSが幅を利かせ、新譜発売への過程が小出しにアップされ、メディアがフォローする。アーティストと一蓮托生のメディアが高評価したアルバムを聴いてずっこけたケースは少なくない。肩透かし覚悟して7月に購入した3枚のアルバムだが、いずれも納得の出来栄えだった。

 感想を発売順に記したい。まずはフリート・フォクシーズの3rd「クラック・アップ」から。6年ぶりのアルバムで、<レーベル=プロモーター=代理店=メディア>の縛りと距離を置くフォーク色の濃いインディーバンドだ。♯4「ケプト・ウーマン」のハーモニーはCSN&Yを彷彿させる。

 フロントマンのロビン・ペックノールド゙は日本通という。熊野散策時にインスパイアされて作った曲が♯5「サード・オブ・メイ/大台ケ原」だ。俺の内なるジャパネスクと感応し、安らぎを覚えた。静謐ながら無限のスケールを秘める牧歌的サウンドは、バロックロックとも評されている。東京は今夏、暑くなかったが、涼を取るのに最適な作品だった。音につれて浮かぶ心象風景は、マルセル・カルネのモノクロ映画だった。

 カラフルなポップにダウナーを染み込ませたのがフォスター・ザ・ピープルの3rd「セイクレッド・ハーツ・クラブ」だ。前2作と比べでコンパクトになり、〝弾け〟から〝内向〟にベクトルが変わった。燦めきと初期衝動から〝生みの苦しみ〟という道筋を、彼らも辿っているのだろう。

 フォスター・ザ・ピープルはバーニー・サンダースを支援した。社会への関心の高さは本作の歌詞にも窺え、暴走する資本主義に警鐘を鳴らした曲もある。だが、体制は甘くない。ツツ大主教らとレディオヘッドのイスラエル公演を徹底的に批判したロジャー・ウオーターズに圧力がかかり、北米ツアーの一部が中止になる可能性もある。本作のチャートアクションが芳しくないフォスター・ザ・ピープルにも〝見えざる力〟が働いたのか。

 穏当にヒラリー支持を表明したアーケイド・ファイアの新作「エヴリシング・ナウ」は、良くも悪くも想定通りの中身だった。工学的要素を加味しつつ祝祭的でボーダレスな音を維持するあたりに、貫禄と余裕を感じる。アルバムの完成度だけでなく方向性でもここ数年、アーケイド・ファイアを超えるバンドは存在しないだろう。彼らを脅かすバンドとしてダーティー・プロジェクターズに期待していたが、〝自然体で楽しむ〟ことが出来ず、個人プロジェクトに戻ってしまった。

 ロッキング・オンのHPによれば、シングルをダウンロードして楽しむリスナーの傾向に対応するため、ミューズはアルバム制作を先送りするという。「アルバム勝負」の時代は、既に終わっているのかもしれない。そのミューズは11月に来日する。横浜アリーナに足を運ぶつもりだ。
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シガー・ロスat国際フォーラム~ロックの頂上を体感した

2017-08-04 12:32:04 | 音楽
 馴染み深い築地場外の火災映像にショックを受けた。仕事先は築地から茅場町に引っ越したが、週1回は築地市場駅まで歩いている。〝自己ファースト〟小池知事によって政争の具にされたものの、既定方針通り豊洲移転が決まった今、焼失した店舗の再スタートを心から祈るばかりだ。

 音楽との付き合い方が気になっている。ヘッドホンを着けたまま食事を取るなんて店の人に失礼ではないか。電車で音楽を聴いている人は視線を下げ、時に目を瞑っているから、近くに高齢者が立っていても気付かない。聴きながら歩道を自転車で疾走するなんてもっての外だ。彼らにとって音楽とは、自身と周囲と遮断するためのツールなのだろう。

 俺は半世紀近くロックに親しんできた。ジャンルを問わず音楽ファンは脳内にジュークボックスを備えていて、気分に応じて自由自在に選曲できる。この10日ほどはシガー・ロスが鳴り響き、内側からのヨンシーの声と街の音がいい塩梅でブレンドされていた。音楽は耳だけでなく心と体でも感じるもの……。そう再認識させられたのがシガー・ロスのライブ(1日、国際フォーラム)だった。

 13年5月、武道館でシガー・ロスを初体験した際、ブログのサブタイトルは<まどろみと覚醒>だった。俺にとってこの間、〝読書の供〟であるシガー・ロスは、言葉を研ぎ澄まし、物語を神話に高める魔力を秘めている。星野智幸や中村文則を読む時の必須アイテムで、最もシンクロしたのは「ヘヴン」(川上未映子)だった。コジマの言う<標準>から<天上=ヘヴン>に飛翔する瞬間をキャッチできた。

 4年後、印象は少し変わった。武道館の2階席、国際フォーラムの1階席とシチュエーションの差もあるが、今回覚えたのはまどろみ抜きの、それも刺さるほど痛い覚醒である。スクリーンに映し出された自然や廃墟に、ライティングが形作る人魂や墓標らしきカラフルな幻影が重なり、ソリッドで重厚な音と混然一体になった〝闇のページェント〟が現出する。ロックの彼方を志向しながら、ロックの本質を追求するシガー・ロスの世界に浸った。

 20分の休憩を挟み、1時間ずつの2部構成(全15曲)のサイケデリアに、時空を超えた始原の闇を彷徨っているような感覚に陥る。「みんなが思い思いに歌詞をつけ、タイトルを決めてくれても構わない」(論旨)とヨンシーは語っていたが、彼らのパフォーマンスはファジーと対極で、聴く者に世界観を刻みつける。MCもアンコールもなく、カーテンコール2回というのも点にも、ストイックな姿勢を感じた。

 バンドを追ったドキュメンタリー「ヘイマ」では、故郷アイスランドの文化と自然へのオマージュを感じた。反グローバリズムを明確に、支配し搾取する側への怒りを表明していたが、シガー・ロスの基軸は世界観だけではない。性同一性障害を公言するヨンシーは少年時代、自分が周りと決定的に違うという感覚に苛まれた。味わってきた孤独と苦悩がファルセットボイスとボウイング奏法によって儚げで幻想的な音楽に昇華され、聴く者を癒やしとカタルシスの海に誘う。

 映画「127時間」で主人公アーロン(ジェームズ・フランコ)が避け難い選択をして生き延びた時に流れた「フェスティバル」もセットリストに含まれていた。避け難い選択をして生き延びる……。言い換えれば、疎外からの解放と救済への祈りを音楽に託したシガー・ロスは、ロックの頂上を超え、ボーダレスの空間を行き来している。

 今回のライブは、フジロック97でのレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの歴史的名演に並ぶ、個人的なツインピークスになった。タイプは異なるが、二つのバンドはこの四半世紀、世界観、知性、卓越したパフォーマンスで他のバンドと別次元に聳えている。

 アイスランドはシガー・ロスとビョークを生んだ極寒の小国(人口30万)だ。ともに祝祭的かつマジカルなムードを醸しているのも同郷たるゆえんだろう。フジロックで来日していたビョークが飛び入り……なんて期待したが、そんなサプライズはさすがになかった。

 アイスランドは平和度、男女平等度、医療の充実、人権意識の高さで世界トップと評価されている。グローバリズムに巻き込まれて破綻した経済を女性たちが再建した経緯は、「世界侵略のススメ」(マイケル・ムーア監督)に描かれている。シガー・ロスをとば口に、日本でアイスランドへの関心が高まれば幸いだ。民主主義を学ぶ上で最高の教材といえるからだ。

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ミチロウ&PANTA~稀有な魂の感応に揺さぶられた夜

2017-06-28 17:15:40 | 音楽
 ゴールデンウイークに帰郷し、母の暮らすケアハウスで見たワイドショーに、兆候を感じていた。あれから1カ月半、藤井聡太狂騒曲は今や、常軌を逸した〝ファシズム〟を思わせる状況に至っている。29連勝を達成した夜、ニュース番組は軒並みトップで時間を割いた。将棋を指さない人も号外を手に歓喜し、人々が万歳する五輪さながらの地元の光景が映し出された。

 藤井の才能は〝神の子〟というしかないが、奔流に呑み込まれる国民性に危惧を抱いている。一方で、醜い顔を見過ぎたことが、今回の狂騒曲の背景にあるような気がしてきた。エゴ剥き出しの安倍首相、悪代官面の菅官房長官、怯えひきつった官僚たち、冷酷な打算が滲む小池知事……。彼らと対照的に真っすぐ純粋に生きる藤井は、日本人にとって濾紙のような存在なのだろう。

 先週末、「伝説なんてクソ喰らえっ!~遠藤ミチロウ×PANTA 2マンライブ~」(APIA40)に足を運んだ。本格的に活動を始めたのはPANTAが20歳(頭脳警察)、ミチロウが30歳(スターリン)とタイムラグはあるが、ともに1950年生まれの寅年だ。ミチロウが中心になって山形大学園祭に頭脳警察を呼んだことが出会いのきっかけだった。両者の共演に接するのは2回目で、MCに強い絆と互いへの経緯が窺える。

 ミチロウはドアーズの「ジ・エンド」をバックにステージに現れた。実は俺の中で、PANTAとは決定的な情報格差がある。ミチロウは今回を含めてライブは2本、映画「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」は観賞したが、アルバムは「FUKUSHIMA」を聴いただけ。スターリン時代は映像でしか知らない。

 それでもミチロウに限りないシンパシーを抱いている。学生時代にお世話になった先輩と同窓(福島高)であり、妹の命を奪った膠原病と闘っているからだ。同夜のステージを一言で表現すれば<情念>だった。ナイーブ、猥雑、アナーキー、自虐、叙情が坩堝で煮え、叫びで昇華する。「FUKUSHIMA」からも「NAMIE(浪江)」など3曲(多分)が歌われた。「PANTAさんに敬意を表して」と前置きし、「世界革命戦争宣言」(発禁になった「頭脳警察Ⅰ」収録)のアジテーションで締め括る。

 PANTAのステージを端的に表せば<世界観>だ。ワンマンライブ「悪たれ小僧」(昨年10月、新宿MARZ)は3部構成だったが、インターバルの長さに体調が心配になった。今回はアコギ一本で、喉を潤しながら絶妙のMCを挟み、柔らかに時は流れる。曲の数々は世界と対峙するロッカーの知性に裏打ちされていた。

 「R☆E☆D~闇からのプロパガンダ」から、「クリスタルナハト」への序章になった「Again&Again」、そしてテーマをジェノサイドに定めた「クリスタルナハト」から「ナハトムジーク」、「プラハからの手紙」、「夜と霧の中で」と進行し、「イスラエルを擁護するつもりはない。今や殺戮マシーンだから」のMCを挟んで「七月のムスターファ」(重信房子と共作した「オリーブの樹の下」収録)を歌う。アメリカのイラク侵攻直前、PANTAはバグダッドにいたという。

 俺の中のツインピークス、「マラッカ」と「1980X」の曲はセットリストになかったが、「万物流転」、寺山修司の詩に曲をつけた「時代のサーカスの象にのって」が演奏される。名曲を半世紀近く発表しているPANTAの才能に改めて感銘を覚えた。  

 最後はミチロウとの共演で、「さようなら世界夫人よ」(「頭脳警察Ⅰ」収録)を歌う。本屋で偶然、ヘルマン・ヘッセの詩集を手に取ったというが、俺は信じていない。ヘッセはアメリカのボヘミアン、ヒッピー、ニューヨークに集うアーティストたちに絶大な支持を得ていた。それを承知した上で詩に曲をつけたというのが俺の想像である。

 ラストはスターリンがパンク風にアレンジした「仰げば尊し」だ。この二人が歌うと微妙なダブルミーニングになって楽しめる。俺は時折、自分の老いを嘆いているが、6歳上のPANTAとミチロウは現在も自身の世界を広げている。稀有な魂の感応に揺さぶられた夜だった。
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1975、ブロッサムズ、リップス、そしてDP~錆びついた心身をロックで磨く

2017-03-20 23:09:26 | 音楽
 山城博治氏(沖縄平和運動センター議長)が釈放された。アムネスティ・インターナショナル(本部ロンドン)が展開したキャンペーンも功を奏したのではないか。安倍政権はオリンピックを控え、<弾圧国家>の本質を暴かれることを避けたいのだろう。重い病(悪性リンパ腫)とも闘う山城さんの健康を祈りたい。

 今月上旬、「柳家三三と春風亭一之輔の二人会」(渋谷・さくらホール)終演後、階段から落ちて全身を打ったことは別稿(3日)で記した通りだ。治りが遅く、今も接骨院で左手の治療を受けている。体以上に著しいのは脳の劣化だ。方向音痴に磨きがかかり、記憶力の低下は絶望的だ。30年前、両親は何度目かの「刑事コロンボ」を心から楽しんでいたが、血は争えない。今の俺も「相棒」や「名探偵コナン」の再放送を新鮮な気持ちで見ている。

 ボケ防止を意識しているわけではないが、映画、文学、落語に親しみ、将棋や麻雀の対局番組を見ている。まるでホバリングするハチドリのようだが、心、頭、体の錆びは削げない。ロックの効能に期待し、昨年から今年にかけてリリースされた4枚のアルバムを購入した。

 英米音楽誌で昨年度のベストアルバムと評価されているのがThe1975(英)の2ndアルバムである。「君が寝てる姿が好きなんだ。なぜなら君はとても美しいのにそれに全く気がついていないから」の長いタイトルが、作品のムードを物語っている。初々しい恋人たちの心情、瑞々しい感性、好奇心が込められた75分に及ぶ大作で、俺にとって回春剤のようなアルバムだった。

 ロックを聴く者はピート・タウンゼント(ザ・フー)が言い当てたように、死ぬまで<10代の曠野>を彷徨している。俺もそのひとりで、還暦を過ぎても情けないほど蒼い。初期衝動、繊細さに満ちたアルバムとして感応したのはヴァインズの「ウィキット・ネイチャー」(14年)以来だ。The1975の音はクチクラ化した俺の血管に、純水のように染み渡っていく。

 煌めくポップという点でThe1975の2ndに引けを取らないのがブロッサムズ(英)のデビューアルバムだ。連想したのはプリファブ・スプラウト、ペイル・ファウンテンズ、アズテック・カメラといった80年代のネオアコバンドでノルタルジーに浸ったが、聴き込むうちに印象が変わってくる。上記のバンドには陰り、捻れがあったが、ブロッサムズは色調が異なる。キャッチーかつメロディアスを志向しつつ、ブルートーンズを彷彿させる骨格が窺えた。

 いきなり年齢が上がるが、56歳のウェイン・コインが率いるフレーミング・リップス(米)の新作「オクシィ・ムロディ」を聴いた。ウェインが「遠い未来に作られた宗教音楽」と評した前作「ザ・テラー」は全く売れなかったが、妖しい雰囲気のアシッドロックだった。かつてのリップスは様々な意趣と加工が施す<音の彫刻>を提示してきたが、新作は潜在意識を刺激するシンプルな作りといえる。

 リップスについて、当ブログでも何度も紹介してきた。<メロディーとノイズ、開放感と閉塞感、浮揚感と下降感覚、前衛とエンターテインメント……。数々のアンビバレンツを内包するのがリップスの魅力>と評したが、本作もそのまま当てはまる。

 リップスの魅力が最大限、発揮されるのは祝祭的でマジカルなライブだ。彼らの後を継ぎ、フェスのヘッドライナー級に成長するのではと期待していたのがダーティー・プロジェクターズ(米、以下DP)である。バンド名を冠した新作は本年度のベストアルバム候補に挙げられる出来栄えだが、俺の心にはレクイエムと響いた。

 DPはそもそもデイヴ・ロングストレスのソロユニットとしてスタートしたが、「ビッテ・オルカ」(09年)の頃には7人編成になっていた。育ちの良さそうな美男美女が全員でハモり、担当楽器を変えて演奏する。オルタナティブ、ボーダレスを体現する彼らにロックの未来を感じたが、前作「スウィング・ロー・マゼラン」(12年)以降、シーンから消え、原点(デイヴのソロユニット)として復帰した。

 1980年代、3枚の傑作を発表したスクリッティ・ポリッティも天才ソングライター、グリーン・ガートサイトのソロ名義だったが、DPも同じ道を歩むのだろうか。デイヴは新作のテーマを「別離」とか「失恋」とか語っている。バンド内の色恋沙汰が想像されるが、傷が癒えたらバンド活動を再開してほしい。秀才(エール大卒)の35歳のエリートもまた、<10代の曠野>の放浪者なのだろうか。

 シガー・ロスの来日公演(8月1日、東京国際フォーラム)のチケットをゲットした。還暦過ぎのジジイにとって、冥土の土産になりかねないが……。
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PJハーヴェイの崇高なパフォーマンス~世界観と意志の力で軽やかに壁を超える

2017-02-01 22:44:56 | 音楽
 先週末は「よってたかって新春らくご'17」(よみうりホール)に足を運び、気鋭の噺家たちの話芸を愉しんだ。柳家三三「転宅」→桃月庵白酒「ちはやふる」→春風亭一之輔「夢八」→三遊亭白鳥「天使がバスで降りた寄席」の順に高座は進む。枕もそれぞれ風刺が効いており、2時間余は瞬く間に過ぎた。

 「転宅」は馴染んだ演目だが、「ちはやふる」は年明けの一之輔といい、今回の白酒といい、演者の工夫でアヴァンギャルドに貌を変える。初めて聞く「夢八」で力業を披露した一之輔は「プロフェッショナルの流儀」(3月頃?)に登場する。落語家では柳家小三治に次いで2人目だ。ブラックな白鳥は、一之輔マークの撮影班を意識してか、「NHKではオンエアは無理です」と枕を締めて、ジャニーズをネタに破天荒な新作を披露した。

 一昨日(30日)は辺見庸講演会(紀伊國屋ホール)に足を運んだ。深くて重い言葉が未消化のままなので次稿に回し、今回はPJハーヴェイの来日公演(31日、オーチャードホール)の感想を記したい。22年ぶりの単独公演で、俺にとってPJ初体験である。

 1992年にデビューしたPJは、マーキュリープライズ(UKベストアルバム賞)に2度輝いた唯一のアーティストだ。最初の受賞作「ストーリーズ・フローム・ザ・シティ、ストーリー・フローム・ザ・シー」(01年)からは演奏されなかったが、2度目の前作「レット・イングランド・シェイク」(11年)からは3曲がセットリストに含まれていた。

 「レット――」の延長線上にある最新作「ザ・ホープ・シックス・デモリッション・プロジェクト」(16年)からは全11曲が演奏される。国内盤を買ったのもかかわらず、ゴミに紛れたのか、歌詞カードとライナーノーツが見当たらない。それでも、<壁も境界も超える自由で寛容な精神>に根差したPJの<世界観>が伝わってきた。

 PJを含め10人編成のバンドは、エミール・クストリッツアやトニー・ガトリフの作品に登場するバルカン、あるいはロマの楽団のように登場する。「ザ・ホープ――」は仮想のロードムービーで、コソボ、アフガニスタン、ワシントンDCを巡り、そこで触れた世界の真実――癒えぬ戦争の傷、広がる貧困、差別と軋轢――を作品に組み込んだ。アルバムのコンセプトそのまま、10人が担当楽器を変え、時にハモり、踊る。

 PJは曲によって声を使い分け、シェイプされたセクシーな肉体、表情の変化、柔らかいしぐさで客席の目を惹きつけながら、自身もまたバンドに気を配り、メンバーの〝心の糸〟を手繰り寄せている。痺れるような緊張感と闘いながら、荘厳で祝祭的な音を紡いでいた。初期衝動で世界を瞠目させたPJは、呪縛を解き放つように脱皮し、今では成熟した調和を体現している。

 ことロックに限れば、女神に愛されている時間は決して長くない。ロックとは微分係数、瞬間最大風速だから、勢いを維持するのは簡単ではない。デビュー四半世紀を経て、「ザ・ホープ――」が初めてチャート1位を獲得したように、PJは今、キャリアのピークにある。死の間際に「ザ・ネクスト・デイ」、「★」とベルリン3部作に引けを取らないアルバムを発表したデヴィッド・ボウイは別にして、PJも奇跡の道程を歩んでいるのだ。

 英国のEU離脱が決まった直後、PJはグラストンベリーのステージ上で、ジョン・ダンの詩を朗読した。<いかなる人も大陸の一部であり、全体の一部である。土壌が海に洗い流されても、ヨーロッパが失われないように>という一節が含まれる詩で、PJは離脱を弔鐘のように受け止めたことが窺える。あれから7カ月、壁と境界線を声高に叫ぶトランプの声が、世界を席巻しつつある。

 PJは何かを訴えるかもしれないと予想していたが、MCは一切なく、アンコールでステージに戻った時、日本語でたった一言「ありがとう」……。<私は曲で全てを表現しているから、言葉は必要ない>がPJの真意だと想像している。<壁>を否定するPJが、必要以上に<言葉の壁>にこだわっていたとしたら……。そんなことはないだろう。

 今回のパフォーマンスに触れ、<俺の仮説=PJはパティ・スミスを超えた>が真実だと確信した。PJこそ史上最高の女性ロッカー? いや、ロックという括りでPJを語ることは無意味だろう。PJは世界観と意志の力で、<ロックの境界線>を超越した。ジャンルを問わず現在、最も注目されるべき表現者だと思う。

 PJが示した未踏の境地に、近づいてくれるのでは……。そんな期待を寄せているダーティー・プロジェクターズが5年ぶりに新作を発表する。俺の〝過大〟な期待に応える作品であることを願っている。
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ライブ納めは友川カズキ~ナイーブな荒ぶる魂に魅せられた

2016-12-20 22:50:08 | 音楽
 20~40代は月に5枚以上、ロックの新譜を購入していたが、還暦にもなるとアンテナは錆び、新規開拓は難しい。俺の中で最後のムーヴメントは、数年前の米インディーシーンの隆盛だった。ダーティー・プロジェクターズ(DP)の初発来日公演(10年3月)、4カ月後のフジロック(オレンジコート)での神々しいパフォーマンスに圧倒される。

 同年のフジ(ホワイトステージ)では、日本盤発売前のローカル・ネイティヴズ(LN)が鳴り物入りで登場した。両バンドはメンバーが担当楽器を次々に替え、全員でハーモニーを奏でる。オルタナティヴ、開放的、祝祭的な志向に共感し、未来のヘッドライナーと確信した。ところが2年後、バンドの中の力学が確立したのか、DPからフレキシブルで自由なムードが消えていた。同期生のグリズリー・ベアは、既に活動を停止している。

 インディー勢が停滞する中、今年はビッグネームが新譜を次々にリリースした。<レーベル=広告代理店=プロモーター>と〝利益共同体〟を形成するメディアは絶賛するが、聴いてみると「?」という作品も多々ある。サンプルが少ないので説得力はないが、今年のベストアルバム5枚を選んでみた。

 まずは、デヴィッド・ボウイの遺作「★」。キャリア半世紀を経ても、ベルリン3部作(1976~79年)に比べてもクオリティーは劣らない。ボウイの創造性に感嘆した。次に挙げるのはデビュー25年、いまだ進化と深化を続けるPJハーヴェイの「ザ・ホープ・シックス・デモリッション・プロジェクト」は、ロックの境界線を押し広げた意欲作だ。来年1月の日本公演(オーチャードホール)が楽しみだ。

 LNの3rd「サンリット・ユース」はメディアにスルーされたが、心に染みる純水のようなメロディーは健在だ。驚嘆させられたのは、ロックの初期衝動を甦らせたMitskiの「PUBERTY2」である。Mitskiは日本生まれで、アメリカ人とのハーフという。PVも刺激的だ。

 もう一枚は友川カズキの「光るクレヨン」で、発売記念ライブでもある「オルタナミーティングvol10」(18日、阿佐ヶ谷ロフト)に足を運んだ。テレヴィジョン&ルースターズ、ステレオフォニックス、モリッシー、PANTA、ブロンド・レッドヘッド、マニック・ストリート・プリーチャーズと続いたラインアップの掉尾を飾るに相応しい濃密な3時間だった。

 昨年より動員力はアップし、立ち見の出る盛況ぶりだった。20~30代が目立ち、平均年齢は一気に下がっていた。友川は66歳にして新しいファンを開拓している。オープニングアクトは等身大の目線で真情を吐露する五十嵐正史とソウルブラザーズだ。友川は彼らを「真人間」と評し、「私は今更、あんな風になれない」と語って笑いを取っていた。 

 道端に佇む男に言葉の礫を投げつけられ、血は出ないのに、痛みが心に広がっていく……。回りくどいが、友川の存在感を表現すればこんな感じか。怜悧で熱く、自虐と諦念に満ちた詩は、モノトーンでありながら、カラフルな文化の薫りが漂っている。接近戦で世界に挑んでいるから、言葉に嘘はない。

 友川の名作「ワルツ」を歌った火取ゆき挟み、アンコールを含めれば3部構成で友川のステージが続く。新作からタイトル曲、「愉楽」、「『楕円の柩』アラカルト」らを弾き語ったが、ハイライトは「三鬼の喉笛」で、ソウルブラザーズと山崎春美が登場し、迫力あるセッションを繰り広げた。

 詩、小説、映画、絵画に造詣が深い友川は、様々な表現者からインスパアされたことを明かして歌いだす。今回のライブでも、ビクトル・エリセ、谷川雁、吉村昭らの名を挙げていた。客席に愛読している平松洋子がいて、目を泳がせながらシャイに語り掛けていた。「どこに出しても恥ずかしい人」、「下には下がいることに安心して帰ってください」といった偽悪的、自虐的なMCに、言葉のままの俺は共感していた。

 ヘビースモーカー、飲んだくれ、ギャンブル中毒(特に競輪)の友川は、〝人間失格〟を自任し、底から社会に切り込む。今回のMCでは安倍首相、オスプレイ、マイナンバー、原発、民進党、禁煙ファシズム、米ソ首脳、日和り出した鹿児島県知事を一刀両断し、独裁国家日本を憂えていた。

 比類なき存在感は、ミュージシャンから俳優に転じた泉谷しげるやピエール瀧に劣らない。地のままでも演技者になれると思っていたが、ウィキペディアによると、大島渚は「戦場のメリークリスマス」のヨノイ大尉役にオファーを出したという。秋田訛りを理由に断ったことで坂本龍一が演じた。

 友川は競輪グランプリに向け、妄想の世界にこもるという。はるかに軽症のギャンブル中毒者の俺も、有馬記念を的中させていい年を迎えたい。サウンズオブアースを軸に買うつもりでいる。
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マニックスとの熱く湿った絆

2016-11-10 21:19:30 | 音楽
 アメリカ大統領選は、最終盤の戦略が勝敗を分けたのではないか。ヒラリー陣営には金満シンガーが続々詰めかけた歌を披露したが、<0・001%>が<0・001%>を支持する構図に鼻白んだ人も多かったはずだ。一方のトランプは「セレブの応援なんかいらない。<99%>の皆さんがついている」と演説し、喝采を浴びていた。

 サンダースの主張を盗用したトランプは、自身が侮辱してきた人々も<労働者>や<貧困層>という箱に詰め込み、「あなたたちの味方」というポーズを取った。一方で、ヒラリーが誰の代弁者かを図らずも示したのは、投開票日と翌日の株価下落乱高下である。

 アメリカでも反グローバリズム、反資本主義的のムードは醸成されている。その点に気付かなかったのがヒラリー陣営で、自分たちに投票すると高を括っていた弱者の多くは棄権した。便乗したトランプは<富の収奪>に加担するメディアを痛烈に批判する。エンターテイナーぶりは、WWEでビンス・マクマホン代表と丁々発止を演じていた頃と変わらなかった。

 一昨日(8日)、マニック・ストリート・プリーチャーズの「エヴリシング・マスト・ゴー」発売20周年ライブ(新木場スタジオコースト)に足を運んだ。会場に入ると、驚いたことに同アルバム収録曲がイージーリスニング風にアレンジされて流れていた。〝日本のバンドの平均像〟といった感じのグレープバインがオープニングアクトを務め、30分ほどのインターバルでマニックスが登場する。

 ライブは2部構成で、アナウンスされていた通り、1部で「エヴリシング・マスト・ゴー」が曲順通り再現された。2曲目の「ア・デザイン・フォー・ライフ」が終わった時、隣に立っていたグループは「凄い盛り上がりだな」、「もうアンコールみたい」と話していた。ジェームズのアコギセットで始まった2部では、物議を醸した1stアルバム「ジェネレーション・テロリスト」から4曲が演奏された。

 俺はスキゾ人間の典型で、好きなバンドや作家は数え切れないが、ロックならマニックスを一番に挙げる。3・11直後、俺の脳内で「輝ける世代のために」が鳴り響いていた。スペイン市民戦争時の詩に着想を得た作品で、<これを黙認すれば、おまえの子供たちは苦しみに耐えなければならない>というフレーズがリフレインする。若年層の体内被曝を憂えた俺の心情に連なり、再び政治に関わるきっかけになった曲だった。

 翌年、妹が召された時、俺は「エヴリシング・マスト・ゴー」を毎日、口ずさんでいた。アルバムタイトルでもあるこの曲は、リッチー・エドワーズの失踪(08年に死亡宣告)を経て作られた。受験英語の感覚で〝マスト〟の意味を前向きに捉えていたが、訳詞を見る限り、<全ては過ぎ去っていく>という諦念、無常観に近いようだ。妹の死が、リッチーの不在に打ちひしがれたバンドに重なり、マニックスとの縁はさらに深まった。

 かつてマニックスのライブでは、リッチーの場所(向かって左)が空けられていた。現在は2人のサポートミュージシャンが立っている。ジェームズは繰り返しリッチーへのオマージュを示し、客席から声が飛ぶ。語ること、思い出すことで多少なりとも悲しみを克服出来るのだ。俺、いや、集まったファンは、濡れた糸でマニックスと紡がれている。彼らは<愛と絆>を体現する稀有なバンドなのだ。

 ステレオフォニックスのライブでも感じたが、若い人たちはとにかく歌う。前のカップルなどずっと体を揺らし、歌いっ放しだった。還暦を過ぎて湿度が高くなった俺は、声帯と涙腺が繋がっているから、歌わずにいたが、ラストで最も聴きたかった「享楽都市の孤独」のイントロが流れた時、涙腺が決壊し、沈黙のまま唱和していた。

 ♪文化は言語を破壊する 君の嫌悪を具象化し 頬に微笑を誘う 民族戦争を企て 他人種に致命傷を与え ゲットーを支配する 毎日が偽善の中で過ぎ去り 人命は安売りされていく 永遠に……

 その後のサビで会場の興奮は最高潮に達する。ジェームズ、リッチー、そしてニッキーと3人の詩人を抱えるマニックスは、世界で最も知的なバンドだから、彼らの曲を諳んじることは頭脳の鍛錬にもなる。ちなみに高名な詩人であるニッキーの兄も、バンドをサポートしているという。

 会場の外に出ると、熱く湿った心を冷やすような雨が降っていた。最高のパフォーマンスに、俺は固く誓う。2年後に確実に企画される「ディス・イズ・マイ・トゥルース・テル・ミー・ユアーズ」20周年記念ライブに足を運ぶことを……。俺はその時、62歳になっているが、マニックスとの糸が切れるなんてあり得ない。

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モリッシーという強力な磁界に閉じ込められて

2016-10-02 20:26:17 | 音楽
 新潟知事選が告示された。泉田知事の唐突な出馬辞退に、闇の力を感じたのは俺だけだろうか。野党統一の枠組みは壊れ、原発再稼働に与する民進党は自主投票だ。年内解散が囁かれる今、民進党が連合とともに自公に合流する可能性さえ囁かれている。

 アメリカでは〝擬制の2大政党制〟が維持されそうだ。ヒラリー支持を表明したサンダースに、「なぜ第三極を目指さないのか」という批判の声が上がったが、選挙戦が始まるとメディアの洗脳もあり、民主、共和以外、政党は存在しないことになる。

 「トランプもヒラリーも最悪。アメリカから逃げてきた(先週まで当地でツアー)僕は賢明だった」……。米大統領選をぶった斬った男のライブを29日、オーチャードホール(渋谷)で見た。男の名はモリッシーである。

 スミスの1stアルバム(1984年)の帯に〝20年ぶりの衝撃〟と記されていた。即ちビートルズ以来ということだが、レーベル担当者は予知能力の持ち主だったのだろう。♯1「リール・アラウンド・ザ・ファウンテン」の回転がずれたような音に、俺は異世界に誘われた。

 実働5年、オリジナルアルバム4枚で87年に解散したスミスは、NMEのファン投票で<20世紀最高のUKバンド>〟の項で1位に選出された。コーチェラフェス(アメリカ最大規模)の主催者は毎年、「メーンステージのヘッドライナーとしての再結成」をオファーし、モリッシーとジョニー・マーが固辞するのがお約束になっている。

 ライブの構成は斬新だった。開演から30分、ピストルズ、ニューヨーク・ドールズらモリッシーが敬意を払うアーティストの映像がスクリーンに流される。<僕のことをもっと知ってほしい>というモリッシーのメッセージなのだろう。日本風のお辞儀で始まったライブは、2曲目の「エブリデイ・イズ・ライク・サンデー」など、ソロキャリアの代表曲がセットリストに含まれていた。スミス時代の曲は「ハウ・スーン・イズ・ナウ?」だけだった。

 一番聴きたかった「モンスターが生まれた11月」がセットリストになかったのは残念だった。「モンスター――」のラスト、醜い少年(=モリッシー)は街に出る。導いたのはマーだが、2人は87年に袂を分かつ。ロック史に残る〝男たちの悲恋〟から30年、両者に歩み寄る気配はない。

 女王を「あの陰険な女」と呼び、キャメロン元英首相をぶった斬る。その政治的発言が世界中で話題になるが、ある〝不敬〟でロックファンの不興を買った。マンチェスター公演で今年亡くなったレジェンドに弔意を表したが、かつて親密だったデヴィッド・ボウイの名がなかった。マーといいボウイといい、仲違いすれば絶対許さないのは、病的な潔癖さゆえだろう。

 ソロになって以降の10作を繰り返し聴いて予習した。どのアルバムもクオリティーは高いが、進化は感じない。作詞はすべてモリッシーで、作曲を担当するアラン・ホワイトやボズ・ブーラーらとともに不変の世界を形成している。ソプラノとともにモリッシーのウリといえるビルドアップされた上半身を、1曲目途中から晒していた。

 スミス時代、「クイーン・イズ・デッド」(85年)というタイトルのアルバムを発表するなど、モリッシーは30年以上、<権力者を攻撃し、弱者とアウトサイダーの側に立つ>という姿勢を貫いてきた。10代の頃は引きこもりでパートナーは男性という自身の体験から、社会的不適応、登校拒否、LGBT、格差と貧困をテーマに曲を書いてきた。反戦主義者で菜食主義者のモリッシーの根底にあるのは、<動物であれ人間であれ何も殺さない>という<生物多様性>の概念である。

 今回の来日公演で、モリッシーを唯一無比と見做すファンと絆は深まった……と言いたいところだが、残念な事態が起きた。必要なステージセットを設置出来ないという理由で、横浜公演がドタキャンされる。そういえば、フジロックでも同様なことがあった。57歳のモリッシーは〝がんぜない子供〟のままで、次の来日は難しそうだ。

 最後に、モリッシーにすれば動物虐待以外の何物でもない競馬の予想を……。日本馬が出走する海外GⅠの馬券が購入出来るようになった。第1弾の凱旋門賞はアイリッシュのモリッシーにちなみ、アイルランド馬ファウンドを軸にして馬券を買うことにする。
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ステレオフォニックスの青い焔に焦がされて

2016-07-27 23:09:32 | 音楽
 相模原市で起きたことに言葉も出ない。気持ちを整理して次稿の枕で記すことにする。

 先週末(23日)、横浜スタジアムでDeNA対巨人戦を観戦した。同点の6回表に3点を奪われたが、その裏に6安打を集中して5点を奪う。鮮やかな逆転劇に酔いしれたが、球場の熱狂ぶりにはついていけなかった。

 「8月から派遣先が変わるんだ。経済的にかなりピンチ」
 「うちはブラックだから、クライマックスシリーズ中に有休取れないかも」
 「TSUTAYAなんか3カ月以上、行ってない」
 「ここんとこ、100円ショップのレトルトカレーばっか」
 
 横に座っていた若者グループの会話が聞こえてくる。貧困とまではいかないが、DeNAのチケットを購入するため、生活を切り詰めていることが窺えた。

 俺はこの間、反戦争法、反原発、反貧困などを掲げる集会やデモに参加し、統一地方選と参院選には主体的に関わってきた。「この酷い現実を直視して……」といったスピーチをバックにビラを渡そうとしても、殆どの若者に拒絶される。スタジアムで浸った孤独、街頭で感じた空しさは、目に見えない回路で繋がっているはずだ。

 シカゴの1stアルバム「シカゴの軌跡」(1969年)収録曲「いったい現実を把握している者はいるだろうか」の問いかけは、40年近く経った今もフレッシュだ。そもそも<現実>の捉え方が曖昧になっている。

 バーチャルリアリティー(VR)(対戦型オンラインゲーム)にハマって、派遣労働者になった知人がいる。<現実逃避>と嗤う者もいるだろうが、<酷い現実>を変えようとあがくより、「VRで充実感を覚える方がまし」と彼は言う。スマホを持っていても「ポケモンGO」をダウンロードしないだろうが、「現実を変えるのは不可能」と観念したら、スタンスを変えるかもしれない。

 渋谷で昨夜、ステレオフォニックスを見た。フジロックに合わせた単独公演で、アジアツアーの一環でもある(本日は上海)。ライブに接するのは2010年4月以来だが、今回は新作「キープ・ザ・ヴィレッジ・アライヴ」(昨年9月)が全英1位(通算6作目)に返り咲くなど、キャリアのピークといっていい。個人的にも5rh「ランゲージ・セックス・ヴァイオレンス・アザー?」(05年)に並ぶ愛聴盤である。

 ザ・フーには3人の息子がいる。長男はポール・ウェラー(ジャム)、次男はエディ・ヴェダー(パール・ジャム)、そして三男はステフォのフロントマン、ケリー・ジョーンズだ。俺は2階の座席(1列)の真後ろという特等席で観賞したが、入場した時に流れていたのは、フーの「ビハインド・ブルー・アイズ」だった。スージー&ザ・バンシーズの曲がフェイドアウトする中、バンドがステージに登場する。

 7th以外の8作から万遍なくセットリストに含まれていた(恐らく)。デビュー曲「ローカル・ボーイ・イン・ザ・フォトグラフ」から、「ザ・バーテンダー・アンド・ザ・スィーフ」、「ミスター・ライター」、「メイビー・トゥモロー」などメロディアスでエッジの利いたヒット曲連発で、ケリーのソングライティング能力の高さを再確認する。ちなみに、「キープ――」から5曲が演奏された。

 ステフォは同郷(ウェールズ)の先輩、マニック・ストリート・プリーチャーズのようにラディカルでもなく、詩的でもないが、普遍的な感覚に寄り添う骨太かつオーソドックスな曲を作り続けている。全作を予習してみたが、変化はさほど感じない。でも、齢を重ねることで憂いとコクが染みてきている。

 30代後半でもストレートは150㌔以上、スライダーとツーシームを織り交ぜるものの。軟より硬、緩より急で打者に立ち向かう……。投手に例えればこんなタイプで、シェイプされたロッカー体形を維持している。6年前よりファンは増え、しかも若返っていた。客席との掛け合いも楽しめたが、ストイックな雰囲気で、青を基調にしたライティングが印象的だった。

 アンコール2曲目の「ダコダ」でステージは明るくなったが、お約束のメンバー紹介もなく引き揚げる。焔は最高温度に達すると赤から青に変わるという。ステフォの意志と熱で焦がされた心身を、驟雨で冷ます。ロックの本質を鋭く提示し、余韻が去らないライブだった。
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