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酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

頭脳警察at花園神社~時代は今こそ「銃をとれ」

2019-04-11 22:29:46 | 音楽
 先日7日、歴史的イベント、頭脳警察50周年1stライブ(花園神社水族館劇場)に参加した。PANTAが楽曲を提供し、同会場で開催中のNachleben「揺れる大地」公演との連動企画である。PANTA(ギター、ボーカル)とTOSHI(パーカッション)を4人の若いメンバーがサポートしていた。

 今世紀末を舞台にした奧泉光著「ビビビ・ビ・バップ」(16年)では、1960年代後半の新宿がバーチャルに再現され、新宿騒乱当日、頭脳警察は花園神社で「銃をとれ」を演奏していた。寺山修司、高橋和己、大島渚らとともに、頭脳警察は熱い時代のイコンであり、いまだにフレッシュだ。フルハウスの満員で、若い世代も多く詰めかけていた。

 安田講堂攻防戦、公害への抗議、連続ピストル射殺事件、ベトナム反戦運動の拡大、大菩薩峠での赤軍派逮捕、佐藤首相訪米阻止行動、創価学会の言論妨害……。1969年はまさに嵐の一年で、アングラ演劇とフォークゲリラが時代の象徴だった。

 今回のライブは、当時のパトスを再現しつつ、成熟が加味されていた。PANTAがMCで、「俺たちが半世紀後も生き残っているなんて不思議」と話していたが、発禁処分の連続で抹殺寸前だった頭脳警察は、世界に先駆けたパンクバンドでありながら、フォーク色が濃かった。

 オープニングで寺山修司「アメリカ」を朗読し、寺山と高取英が共作した詩に曲をつけた「時代はサーカスの象にのって」を歌った後、PANTAは高取への弔意を示す。「コミック雑誌なんていらない」からタイトルを引用した内田裕也は、同名の映画で脚本と主演を担当した。今回のライブには、同志たちへの「惜別」の思いが込められていた。

 一番盛り上がったのは「揺れる大地」で、劇団メンバーがセットの上と客席に登場し、PANTAと唱和する。芝居は門外漢だが、歌詞に感銘を覚えたこともあり、楽日(16日)のチケットを申し込んだ。最も心に染みたのは「さようなら世界夫人」だ。原作者ヘルマン・ヘッセは崩壊するドイツへの哀悼を込めたとされる。

 ♪世界はがらくたの中に横たわり かつてはとても愛していたのに 今僕等にとって死神はもはや それほど恐ろしくないさ さようなら世界夫人よ さあまた 若くつやつやと身を飾れ 僕等は君の泣き声と笑い声には もう飽きた

 PANTAは原詩の精神を保ちながら、自身の世界観を織り込んだ。世界夫人とは、そして死神とは何か。日本の現状を踏まえ、あれこれ思いを巡らせている。切なく美しい「さようなら世界夫人」は、俺にとって日本のポピュラーミュージック史上ナンバーワンの曲である。

 頭脳警察は90年、一時的に再結成し、7thアルバムを発表する。収録曲「万物流転」は詩的かつ知的なイメージに彩られていた。MCで「何も変わらなかったことに絶望して作った」と前置きしていた。「銃をとれ」と「ふざけるんじゃねえよ」で締め括る。♪無知な奴らの無知な笑いが うそで固められたこの国に響き続ける……。安倍政権を連想させる歌詞だ。

 昨年から今年にかけ、欧米で熱気が蔓延している。バーニー・サンダースの影響を受けて社会主義を掲げる米民主党オルタナティブは徐々に浸透している。フランスのイエローベスト運動は階級闘争の様相だ。日本でも深刻な貧困と格差で<板子一枚下は地獄>の状況だ。サブタイトル通り、今こそ「銃をとれ」の叫びが相応しい。闘い、抗うため、心を高揚させるためのツールとして……。

 目取真俊の小説を読んで、<暴力の内包>が必要であることを学んだ。<憲法9条があったから、日本は戦争と無縁だった>など、沖縄を捨象して語るリベラルに苛立ちを覚える。「戦争しか知らない子供たち」と歌ったPANTAも、目取真と同じ地平に立つ。

 1969年、日本のGDPは世界2位になり、老人医療無料化が自治体に広まった。富を国民に還元する仕組みが崩壊した50年後、頭脳警察の世界観、知性、そして憤怒が褪せることはない。
  
 2日後、日本橋公会堂に足を運び、第7回「春風亭一之輔 古今亭文菊 二人会」を堪能した。古典を現代風にアレンジする一之輔、伝統に殉じる文菊……。芸風は対照的で、一之輔「新聞記事」→文菊「お見立て」→文菊「長短」で進行し、一之輔が枕抜きで披露した「百年目」に、文菊へのライバル意識を感じた。馴れ合い、楽屋ネタが一切ない清々しい会だが、来年はチケットを取れるだろうか。
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激高老人PART1~〝師走の風物詩〟友川カズキ阿佐ケ谷ライブ

2018-12-20 21:21:20 | 音楽
 イスラエルのパレスチナに対する人権弾圧に、世界中で抗議の声が上がっている。米国を後ろ盾に国連決議を蹂躙するイスラエルに対抗する最後の手段はBDS(ボイコット、資本引き上げ、制裁)であることは承知の上で、先週末のBDS japan結成大会には参加しなかった。

 武器開発、五輪を契機にしたセキュリティー強化で日本とイスラエルは接近中だ。ソフトバンクを筆頭に関係構築を志向する企業も増えている。BDS japanの会員になることで問われる身体性(抗議集会やデモへの参加)に自信が持てないから、当分はカンパを〝免罪符〟にするつもりだ。

 感性の著しい劣化を実感した一年だった。顕著なのはロックで、15年前までは年にアルバム60枚は購入していた。NMEの年間ベストテン発表を待つまでもなく、ランクインした作品はほとんど聴いていた。今年最も期待していたのはThe1975の3rdで、NHEでは年間1位の評価だったが、イマイチというのが俺の感想だ。

 俺にフィットしたのはジュニー・マーの「コール・ザ・コメット」、マニック・ストリート・プリーチャーズの「レジスタンス・イズ・フュータイル」だが、ともにNMEのベスト50以内にランクされていない。NMEが時流に阿っているのか、それとも俺が取り残されたのか……。恐らく後者だろう。

 16日と18日、「激高老人」に圧倒された。16日は第17回オルタナミーティング「友川カズキ 阿佐ケ谷ライブ」(阿佐ヶ谷ロフト)で、18日は「『月』刊行記念~辺見庸講演会」(紀伊國屋ホール)である。激高老人とは辺見が最近の自身を評していた言葉だ。辺見の講演会については新作「月」の感想と併せて次稿で記す。

 辺見より6歳下(68歳)の友川のステージにも荒ぶる魂が溢れていた。ライブを見るのは4回目。いずれもオルタナミーティング主催で、場所は阿佐ヶ谷ロフトだ。微力ながら広報&やチケット販売で協力している俺にとって師走の風物詩になっている。立ち見も出る盛況で、オープニングアクトの尾島隆英は友川に敬意を表し、「夢のラップもういっちょ」をカバーしていた。

 晩年の大岡昇平、「戦場のメリークリスマス」にキャスティングしようとした大島渚をも魅了した友川はライブ冒頭、安倍政権の原発政策への怒りをぶちまける。隠蔽と私欲に塗れた政権に抗議しない国民を憂えていたが、俺たち凡人は軋轢を恐れ沈黙が倣いになる。武器(歌)を持つ友川が羨ましくてならなかった。

 覚えている範囲で主立ったセットリストを挙げれば、「コスモスと鬼」、「夜の国へ」、「祭りの花を買いに行く」、「グッドフェローズ」、「一人独りぼっちは絵描きになる」、「トドを殺すな」、「青いアイスピック」、「ピストル」、「家出少年」、「生きてると言ってみろ」となる。

 タイトルを思い出せない曲も幾つかあり、自宅に帰って復習した。そこで気付いたのは、最近のアルバム「青いアイスピック」、「復讐バーボン」、「光るクレヨン」の濃密さとクオリティーの高さだ。デヴィッド・ボウイ同様、友川は還暦を過ぎて表現者としてのレベルを上げている。これは奇跡といっていい。

 「この年になるといろいろある。遠藤賢司、忌野清志郎が亡くなって、チューニングしてくれた人で生きてるのは三上寛ぐらいになった」と寂しげに語る。膵臓がんで闘病中の遠藤ミチロウには触れなかった。ミチロウは同年生まれで、友川の名曲「ワルツ」をカバーしている。

 アメリカやウクライナでのツアーの感想も面白かった。歌詞を英訳する人がステージに立っていたようだが、友川の表現を借りれば〝狂ったような〟反応があったという。言霊ならぬ音霊で、言葉を超えて感応するのは可能なのだろう。

 友川の魅力は、それぞれの曲に静謐と狂気、繊細と野性のアンビバレンツがちりばめられ、諦念、絶望、孤独を叙情に包んでいる点だ。モノローグと叫びで表現し、MCで繰り返す「射殺してやる」は優しさを隠すための偽悪と感じた。

 「自分には何もないから、本、映画、絵画に触れて曲を作っている」と語る友川は、インスパイアされた表現者や光景を明かして歌い出す。画家たるゆえんか、目を瞑ってシュールかつ哲学的な歌詞に集中すると、脳裏に水彩画が広がってくる。ギャンブル中毒(競輪好き)で〝人間失格〟を自任する友川は、社会の底から言葉を刻んでいる。乱射し屈曲するプリズムのような友川ワールドに魅せられた夜だった。
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シャーベッツ20周年記念ライブでロックの極北を体感する

2018-11-17 20:50:06 | 音楽
 ノーベル文学賞発表の時期になると、〝今年こそ村上春樹〟と大騒ぎになるが、日本人作家の本命は多和田葉子かもしれない。別稿(16年11月)で<フィールドワークから生まれたリアルなデストピア>と評した「献灯使」(14年)が全米図書賞(翻訳部門)に輝いた。ドイツ語で執筆した多くの作品は既に欧州で高い評価を受けている。英訳された本作での受賞で、機は熟したか。

 当ブログでも紹介したが、ケン・ローチ、アキ・カウリスマキ両監督ら多くの映画人がイスラエル政府後援の映画祭(今年5月、ロンドン)をボイコットするよう呼び掛けた。事の成否は確認出来ていないが、パレスチナへのジェノサイドに抗議するイスラエルボイコット(BDS)が広がっている。

 世界の流れに逆行するイベントが今月6日、オペラシティで開催された。「イスラエル建国70周年記念コンサート」に知人の杉原浩司さん(武器輸出反対ネットワーク代表)は十数人の仲間とオペラシティで抗議活動を行う。武器とセキュリティーを巡って防衛装備庁と連携するイスラエルは、トランプ大統領の庇護の下、国連でも歯止めが利かないテロ国家になっている。

 EXILEのメンバーがイスラエルの人気歌手と「イマジン」をデュエットしたという。平和、平等、反戦の思いが込められた同曲は湾岸戦争の折、英国で放送禁止になったプロテストソングで、ガザでこそ歌われるべきだ。当夜の行為はジョンの貴い魂を冒瀆するものといえる。

 ロッキング・オン誌HPで、日本のガールズバンド「CHAI」の存在を知る。ボン・イヴェールのジャスティンが、NYで初ライブを行ったCHAIのインタビューに、<CHAIみたいな人たちが世界をよりよい場所にしてくれる>とリツイートした。世間が決めた<美>に縛られた女性の解放を目指すCHAIに、女性の権利を訴えてきたジャスティンが感応したのだろう。

 「20th Anniversary Tour 2018~8色目の虹」と題されたシャーベッツのツアーファイナル(14日、TSUTAYA O-EAST)に足を運んだ。シャーベッツ、いや、浅井健一(ベンジー)のライブを見るのは赤坂BLITZ(2011年7月)以来、7年ぶりで、当時もシャーベッツだった。

 シャーベッツのライブに予習は不要だ。皮膚に染みついた音の欠片が進行とともに溶け出し、表面に滲みてくる。アンコール2回で2時間10分、心も体も冷たく焦がされた。10周年ライブ(08年、東京ドームシティホール)は照明や映像をフルに用いた壮大なメランコリアだったが、今回は演出は控えめで、前半から「カミソリソング」などエッジが利いた曲が多かった。

 オープニングの「トカゲの赤ちゃん」、「グレープジュース」、「タクシードライバー」「フクロウ」、「水」、「ジョーンジェットの犬」、「わらのバッグ」とお馴染みの曲が続く。画家でもあるベンジーは水彩画、童話の挿絵を描くように、脳裏に映る光景に詩とメロディーを重ねて曲作りしているのだろう。絵本化される「ベイビーレボリューション」(奈良美智)もセットリストに含まれていた。

 3~4年おきの新作発表はツアー&フェスのスケジュールに織り込まれ、代理店、メディア、SNSが後押しする……。ベンジーは内外のバンドが従っている<システム>と異次元の存在だ。ブランキー・ジェット・シティ(BJC)でデビュー以降、シャーベッツ、YUDEなど複数のユニットでフロントマン(ボーカル&ギター)、作詞・作曲を担当し、27年で30枚前後のアルバムを発表したギネス級の〝ロック体力〟を奇跡的に保ち、53歳の今もザ・インターチェンジキルズでツアーを展開中だ。

 キュアーの大ファンである俺が、異質と思えるベンジーになぜ魅せられたのか。BJC初期は暴力的、不良といったイメージだったベンジーと、言霊ならぬ〝音魂〟に導かれて出合ったのだ。

 ベンジーは好きなギタリストを問われ、「スージー&バンシーズのギタリスト」と答えていた。バンシーズ来日時のギタリストはロバート・スミス(キュアー)である。“Last Dance”はBJCのファイナルライブを収録した作品のタイトルだが、キュアーの“Disintegration”に同名の曲がある。シャーベッツの「ナチュラル」のジャケットは、“Kiss Me, Kiss Me, Kiss Me ”の裏ジャケと酷似していた。

 キュアーへの傾倒が何より窺えるのはベンジーの歌詞だ。絵を描くようにイメージの連なりを紡ぐ手法を確立したのはロバート・スミスである。ベンジーはオーロラのような蒼い焰を放射しながら独楽のように回り続け、ファンを<ロックの極北>に導く。今回のセットリストから漏れた名曲の数々を聴くためにも、シャーベッツのライブに足を運びたい。
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フジロック、ジェスロ・タルetc~初秋のロック雑感

2018-09-13 21:45:01 | 音楽
 俺の家系は老いて耳が遠くなる。兆候が既に現れているから、歩行中あるいは車内で音楽を聴いたりしない。時代が変われば習慣も変わるが、定食屋やラーメン屋で音楽を聴きながら食べる姿には苛立ちを覚えてしまう。

 欧米ロック界では<イスラエルとパレスチナ>がキーワードになっている。レディオヘッドは今夏のNY公演で、〝トランプのアメリカ〟への怒りを滲ませていたと「ロッキング・オン」誌は好意的に報じていた。音楽メディアによる忖度といったところか。

 レディオヘッドは昨年、アメリカと〝悪の枢軸〟を形成するイスラエルで公演を行った。ツツ主教、ケン・ローチ監督も名を連ねる「アーティスト・フォー・パレスチナUK」の反対を押し切った形だが、イスラエル当局者は「ライブ実現は我が国が民主国家であることを示す好例になった」(論旨)と手放し喜んでいた。

 一方で「アーティスト――」のスポークスマン、ロジャー・ウォーターズの北米ツア-は妨害を受けた。背景にあるのは議会で審議中の<イスラエルに対するボイコット・投資引き揚げ・制裁措置に刑事罰を科す>というイスラエル批判禁止法案だ。波紋は更に広がっている。ラナ・デル・レイは予定通りイスラエル公演を行い、ロードは中止を発表した。ケミカル・ブラザーズは保留中という。

 還暦を過ぎて、アンテナが錆び付いている。ロックでも同じで、この10年以内に開拓し、新作を必ず買うバンドは、The1975、フォールズ、エディターズのUK勢、ダーティー・プロジェクターズ、ローカル・ネイティヴス、グリズリー・ベアのUSインディー系ぐらいか。発見を求めて、フジロック2、3日目の総集編(各5時間)を見た。

 フジを計6回、生体験したが、ベスト3を挙げれば、97年のレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、07年のミューズ⇒キュアー、10年のローカル・ネイティヴスだ。暴風雨下のレイジの熱演は、俺にとって史上NO・1のパフォーマンスだった。

 画面を通じてキャッチしたのは、レイジの影響を感じさせるアーティストたちだった。トム・モレロ風のギターに暴れるボーカルがレイジを彷彿させるフィーバー333、アンダーソン・パーク&ザ・フリー・ナショナルズで、ともにメッセージ性に裏打ちされたエネルギッシュなステージだった。

 再会には事欠かなかった。ザ・バースディ、浅井健一&ザ・インターチェンジキルズには、それぞれミッシェルガンとBJCで邦楽ロックを世界標準に引き上げたチバ&クハラ、ベンジーの底力を再確認した。ジョニー・マーはYoutubeの生配信でも見たが、スミス解散時(30年前)と体形もギタースタイルも変わらない。アッシュもまだまだフレッシュだ。早熟の天才ティムは不惑になっても蒼いビートを刻んでいた。ヴァンパイア・ウィークエンドは以前よりカラフルになっている。

 ダーティー・プロジェクターズは燦めきを取り戻しつつことを知り、安心した。渋谷クアトロ、フジロック10における自由で祝祭的なパフォーマンスに、「数年後はグリーンステージのヘッドライナー」と確信した。ビヨークとのコラボを経て、これからという時、活動を停止する。理由がデイヴ・ロングストレスの失恋というから何をか言わんや……。バンドに美女を集めたデイヴが再度、失恋しないことを願う。

 ロックフェスは<ハレとケ>のハレで、フジロックはその色彩が濃い。<お祭りだから理屈はこねず楽しむ>のが正論だが、<ロックの生命線はメッセージ性>というドグマから抜け出せない。ハイライトは言うまでもケンドリック・ラマーで、開催直前、国会議事堂駅に掲示されたポスターが印象的だった。黒塗りされた文書にラマーの新作タイトル「ダム(クソッタレ)」の文字を貼り付けるデザインがラマーの思いを象徴していた。

 この1カ月、ジェスロ・タル結成50周年記念の3枚組ベストアルバム(全50曲)を聴いている。ブルース、フォーク、トラッド、ジャズを坩堝で煮ジェスロ・タルは、タワーレコードでプログレに分類されていた。

 ロックレジェンドには自称、他称のフォロワーが連なっているが、ジェスロ・タルは唯一無二だ。「天井桟敷の吟遊詩人」というアルバムタイトルが示すように、フルートを奏でるリーダーのイアン・アンダーソンの放浪者風のいでたちはジプシー(ロマ)を彷彿させ、牧歌的なトラッドの裏に、映画「ウイッカーマン」に通じる闇も潜んでいる。想像力を刺激する名曲群は、読書のBGMに最適なのだ。
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酷暑の愛聴盤~K・ラマー、D・バーン、ダーティー・プロジェクターズ&ジョニー・マー

2018-08-22 17:19:48 | 音楽
 高校野球が終わった。金足農の快進撃は見事の一語で、同校の文学的な校歌が印象に残る。「愛」が3回続き、「やがて来む 文化の黎明」とくる。作詞者の近藤忠義(法大名誉教授、国文学)と金足農がどう繋がっているのか調べているうち、ある答えに行き着いた。

 近藤は敗戦直前、治安維持法違反で逮捕されている。左翼学生だった近藤は、阿仁前田小作争議(北秋田郡)に関わっていても不思議はなく、当地は金足村(当時)と近い。当時の社会主義者はユートピア志向が強かった。言論弾圧下、近藤は「文化の黎明」に変革の夢を託した……というのが、俺の妄想だ。

 アレサ・フランクリンが亡くなった。偉大なソウルシンガーの死を悼みたい。<公民権運動とフェミニズム運動の女神>と評されるアレサは黒人解放運動家アンジェラ・デービスが不当逮捕された時(1970年)、保釈金を払った。アンジェラは「デモクラシーNOW!」で、「彼女は集団的変革への願望を永遠に鼓吹するだろう」と語っている。

 真摯に社会と向き合うロッカーが減っているが、ヒップホップにカテゴライズされるミュージシャンがカバーしている。まさに、アレサの遺志を継ぐ者たちだ。酷暑の時季、4枚のアルバムが読書の供になった。ケンドリック・ラマーの「DAMN.」をメインに記したい。

 ヒップホップやラップは門外漢だが、ピュリツァー賞受賞につられて買ってみた。ラマーの出身地は、N.W.Aが産声を上げたヒップホップの聖地、カリフォルニア州コンプトン出身だ。イージーEの死までN.W.Aの7年間を追った映画「ストレイト・アウタ・コンプトン」(15年)の謳い文句は「言葉で世界をぶっ壊す」だった。〝ぶっ壊される〟覚悟で聴いてみたら、サウンドは意外なほどマイルドだった。

 言葉で世界と対峙したN.W.Aの精神を引き継ぐだけでなく、歌詞には豊饒で詩的なイメージが迸っていた。警察の暴力に抗議し、トランプを支える保守派メディア(FOX)を嘲笑するだけでなく、聖書や原罪に言及する。故郷コンプトンも出てくるが、ラマーの父はギャング団(ブラッズ)の一員だった。黒人が置かれているシビアな状況を示しつつ、自身の立ち位置を明確に<忠誠>を繰り返す。

 「ストレイト――」で「反ユダヤ的ではないか」と指摘されたメンバーは、「俺たち黒人はゲットー(欧州でのユダヤ人居住区)に暮らしている」と反駁していた。「DAMN.」にも、黒人、ヒスパニック、ネイティブアメリカン、そしてユダヤ人を同一の視座で捉える歌詞があった。

 デイヴィッド・バーンの「アメリカン・ユートピア」もトランプ大統領を生んだアメリカを見据えた作品だ。トーキング・ヘッズこそ最もクリエイティヴなバンドと考えているから、バーンが解散後、表舞台に出なかったことを訝っていたが、本作にヘッズ時代のメランコリックかつアンニュイなエッセンスが窺える。和みと癒やしを覚える名盤だった。

 ヘッズの流れを汲んで2000年代後半に開花したのがNYのインディーシーンで、ダーティー・プロジェクターズ(DP)も代表格のバンドだった。8年前、渋谷クアトロとフジロックで見たDPは、美男美女7人が曲ごとに編成を変え、素晴らしいボーカルハーモニーを披露する。オルタナティヴ、実験的、祝祭的なステージはまさに〝ロックの神降臨〟で、フレーミング・リップス級のバンドに成長すると確信した。

 ビョークとの共作アルバム「ビッテオルカ」発表後、活動停止状態になる。デイヴ・ロングストレスの失恋が理由というのもインディーズらしい。5年ぶりの前作はデイヴのソロプロジェクトだった。新作「ランプ・リット・プローズ」も佳作だが、マジカルなムードは感じない。幸いなことにバンド活動を再開したようで、燦めきを取り戻すことを期待している。

 マニックスの「レジスタンス・イズ・フュータイル」を脅かす今年のベストワン候補がジョニー・マーの「コール・ザ・コメット」だ。ニューウエーヴのエキスが詰まった傑作で、聴くたびに甘酸っぱくノスタルジックな気分になる。56歳直前のマーだが、心はまだ蒼いのか。

 マーはフジロックで、新作収録曲のみならずスミス時代の「ゼア・イズ・ア・ライト」や「ビッグマウス・ストライクス・アゲイン」を披露していた。モリッシーも同様で、スミス時代の曲がセットリストに含まれることが多い。米最大のコ―チェラフェス主催者は毎年、スミス再結成をモリッシーとマーに要請し、両者に断られるのがお約束になっている。30年前に壊れた〝恋〟の傷は癒えないようだ。

 年内発売予定のアルバムで心待ちにしているのはThe1975とミューズの新作だ。当ブログで感想を記すことになるだろう。
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「ドローンズ・ワールド・ツアー」~滅びゆくロックの光芒をミューズに見た

2018-07-14 19:28:29 | 音楽
 ビートルズで音楽に目覚めて半世紀、ロックは死に瀕しているというのが偽らざる実感だ。ロッキング・オン誌(電子版)がここ数日、大きく報じたのは、「スコーピオン」収録作のストリーミング再生回数が10億回を超えたドレイク、「ビアボングズ&ベントレーズ」収録18曲が全米チャートでベスト100入りしたポスト・マローンである。

 ともにヒップホップにカテゴライズされているアーティストによる前人未到の快挙だ。ポスト・マローンの「ロックスター」のPVは、日本刀による斬り合いで鮮血が迸る衝撃的な内容で、ロッキング・オンは「終わりゆくロックへの鎮魂歌」と評していた。重なったのは1960年代、「終わった」とジャズをこき下ろしたジョン・レノンだ。鋭い言葉は今、ブーメランになってロックの喉元に刺さっている。

 反逆精神を失ってロックは衰退したが、コアなファンが懸命に支えている。トランプ初訪英に合わせ、グリーン・デイの「アメリカン・イディオット」(2004年)を1位にするプロテストキャンペーンが展開中だ。結果は次稿に記したい。  

 グリーン・デイ、パール・ジャム、マニック・ストリート・プリーチャーズらと孤塁を守っているのがミューズだ。「ドローンズ・ワールド・ツアー」はウェンブリースタジアムに9万人弱を集めたライブを収録しており、全世界で7月12日、一日限定で公開された。新宿ピカデリーでは2日間上映され、俺は11日に観賞した。

 昨秋、横浜アリーナでミューズを見た。日本には大掛かりな機材を搬入出来ないが、ウェンブリーではドローンと気球が空を舞い、ステージが360度回転する。光と映像のコラボも完璧な超絶パフォーマンスだった。無限に拡大しながら、音はタイトかつソリッドに研ぎ澄まされている。ミューズが提示する極大と微小のアンビバレンツに、滅びゆくロックの光芒を見た。

 00、01年の日本公演は満員ではなかったが、好きな子のために全てを曝け出す少年のような真摯なパフォーマンスに、〝いずれ世界一になる〟と直感した。まあ、同様の感想を抱いたバンドは幾つもあったから、たまたま〝大穴馬券〟が的中しただけだろう。

 日本ではミュージシャンや俳優が政治的メッセージを発信すると、SNSで袋叩きに遭う。映画「太陽の蓋」で菅直人元首相を演じた三田村邦彦も有形無形の圧力を感じたという。ミューズのライブが醸し出す空気と、集団化、同調圧力によって〝物言えば唇寒し秋の風〟状態の日本とは対照的だ。

 10年のウェンブリーでは、オープニングの「アップライジング(叛乱)」に合わせ、フードを被って棍棒を手にした数十人の若者が、〝権力との対峙〟というべき寸劇を演じていた。このシーンは数カ月後、ロンドン蜂起で現実になる。「アップライジング」の♪彼ら(権力)は我々を制御できない 我々は勝利する……という全共闘並みのアジテーションを、本作でも9万人が唱和していた。

 ミューズはキュアーチルドレンを自任していたが、07年にフジロックで来日した際、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンへのオマージュを語っていた。レイジはチョムスキーやマイケル・ムーアとも交流があり、ロック史上、最も知的かつラディカルなバンドである。レイジにインスパイアされたミューズは「レジスタンスツアー」で倒立した巨大な三角形を会場に掲げた。その意味を問われ、「ヒエラルキーを打ち破りたいから」と答えている。

 公式DVDだけで本作が5枚目、上記の横浜アリーナを含め、バンド側がネットにアップしたライブ映像は数え切れない。現在最高、いや、史上NO・1のライブバンドの評価にも納得出来る。ミューズが雛から怪鳥になる過程には幾つもの物語があった。バンドには軋轢がつきものだが、10代前半で結成し、3人で成長して現在に至るというのも、ロック界には希な〝神話〟だ。

 パンク以降にデビューしたバンドの中で、俺の中のツインピークスはキュアーとレイジだが、両者がミューズの中で交錯する。リリシズムとメロディー、そして骨太のビートと世界観をミューズは併せ持つ。ロックは終わったと言いつつ、進化と深化を続ける彼らの行く末を見守りたい。
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マニックスの「レジスタンス・イズ・フュータイル」はロック最後の燦めきか?

2018-05-10 23:27:44 | 音楽
 この顔が画面に大写しになるたび、暗澹たる気分になる。麻生太郞財務相のことだ。先進国なら一発レッドの御仁が居座っていること自体、この国が非民主主義国家である証左といえる。セクハラ擁護など女性侮蔑発言に事欠かず、ナチス礼賛は海外で物議を醸した。

 故野中広務氏について「あの男は出身だからトップに据えることはあり得ない」と洩らし、総務会で当人に面罵された。麻生炭鉱は強制連行された朝鮮人を劣悪な条件下で働かせ、多くを死に至らしめた。蓄積された汚れた富が、力の源泉(麻生派は60人弱)になっている。

 麻生氏と対照的に、ロッカーの暴言には知性やユーモアを感じることもある。イアン・マカロック、モリッシー、ノエル&リアムのギャラガー兄弟とUKロックは暴言男の宝庫だが、他の追随を許さないのはジョン・レノンだ。「ビートルズはキリストより有名」発言はアメリカで不買運動を引き起こす。

 レノンは他のジャンル、とりわけジャズに辛辣で、<好むのは一部のインテリ。終わった音楽>と攻撃していた。半世紀を経て、ロックが死に瀕している。欧米の野外フェスではチケット売れ行きに貢献しなくなったことで、〝ロック枠〟を制限する動きがある。ロック衰退を象徴的に示す出来事が今年、連続して起きた。

 ローリング・ストーン誌はビヨンセのコーチェラにおけるパフォーマンスを、<かつて、カルチャーのターニングポイント、記念碑的瞬間として、ウッドストック、モンタレーポップ、アイル・オブ・ワイトがあった。我々には2018年、コーチェラのビヨンセがあった>と絶賛した。

 今夏のフジロックに出演するケンドリック・ラマーはピュリツァー賞を受賞した。クラシック、ジャズ以外では初めてである。ビヨンセはR&Bとソウル、ラマーはヒップホップにカテゴライズされている。廃れゆくロックと心中する俺は、これからも聴くことはないだろう。

 ロッキン・オン誌で〝衝撃的〟、あるいは〝ラディカル〟と紹介されるアーティストはアフリカ系が大半だ。ロックは反骨精神と世界観を失ってしまったのだろう。現役の著名バンドで孤塁を守っているのは、パール・ジャム、ミューズ、そして以下に紹介するマニック・ストリート・プリーチャーズぐらいではないか。

 13thアルバム「レジスタンス・イズ・フュータイル」を購入した。<身内を褒めない>京都人として、馴染みのバンドを激賞するのは気が引けるが、声を大に言う。邦訳すれば「抵抗は無駄」の本作は、5th「ディス・イズ・マイ・トゥルース・テル・ミー・ユアーズ」(98年)に匹敵する傑作だ。

 ロックとは微分係数で、瞬間最大風速だ。デビュー盤が代表作というバンドも少なくない。30歳前の俺は、スミス、アズテック・カメラ、ペイル・ファウンテンズの1stに感応し、擦り切れるまで聴き込んだ。そして、デビュー27年、50歳前後のおっさん3人が奏でる〝青春の音〟が、還暦を過ぎた俺にとって麻薬になった。

 話は逸れるが、「闇の伴走者」(全5話/WOWOW、15年)を再放送で一気に見た。敏腕編集者の醍醐(古田新太)は調査員の優希(松下奈緒)に、漫画における編集の意味を説く。<凡百の漫画家と手塚治虫、白土三平、楳図かずおを分かつものは編集の力だ。画稿を配置する順番を入れ替え、構成を変えることによって、駄作が傑作になり得る>(要旨)。

 ♯2「インターナショナル・ブルー、♯9「イン・エターニティ」を筆頭に、メロディーがキャッチーで全曲シングルカットが可能な本作をさらなる高みに押し上げたのは、上記の編集の力ではないか。曲の連なりがナチュラルで、小説でいえば一貫したテーマに基づく短編集といった赴きだ。躍動感、リリシズム、ノスタルジーに溢れた本作は、廃れゆくロックの〝最後の燦めき〟だと思う。

 暴力的、スキャンダラスなイメージでキャリアをスタートさせたマニックスは、リッチーの失踪と死亡認定を経て、苦悩、成熟、怒りを作品に刻んできた。詩人トリオの一角は崩れたが、本作も知性が溢れている。メッセージ性は相変わらずだが、諦念、人生の断片、老いらくの恋めいたものがちりばめられている。マニックスは四半世紀を濾し取ったのだろう。だから、純水の清々しさを湛えたアルバムが誕生したのだ。

 メンバーの誰かが日本文学に言及していた記憶がある。資本主義への絶望を込めた「享楽都市の孤独」のPVは日本で撮影されたし、本作のジャケットは、ニッキーが偶然発見した侍の写真だ。彼らは日本と縁がある。秋には実現するはずの来日公演に足を運びたい。
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静謐と狂気、繊細と野性~アンビバレンツな友川ワールドに浸る

2017-12-20 21:44:26 | 音楽
 齢を重ねるとは、消しゴムのカスだらけになることだろう。アンテナは錆び付き、好奇心は後退する。素晴らしいシーンに出合っても、既視感を覚えるだけだ。ここ数年、俺のノートから多くのものが消えた。NFL、欧州サッカー、WWEに関心がなくなり、スポーツといえば競馬、そして横浜ベイスターズだ。

 61歳にもなれば、最先端(とされる)のロックを追いかける気にもならない。今年購入したCDは20枚前後だが、フリート・フォクシーズ「クラック・アップ」、グリズリー・ベア「ペインテッド・レインズ」、モグワイ「エブリ・カントリーズ・サン」、ステレオフォニックス「スクリーム・アバヴ・ザ・サウンズ」に加え、The1975の2ndアルバム(昨年発売)が愛聴盤だった。

 ライブに足を運んだのはPJハーヴェイ、遠藤ミチロウ×PANTA、シガー・ロス、PANTA「クリスタルナハト30周年記念ライブ」、ミューズ、そして先日の友川カズキの6回だ。5組のアーティストの共通点は、表現方法は異なるが世界観を確立していることである。

 〝チーム・ミューズ〟の壮大かつ精緻なライブから1カ月、「友川カズキ阿佐ヶ谷ライブ」(阿佐ヶ谷ロフト)はアコギ一本の手作りだった。形式は対極だが、スケール感は引けを取らない。オルタナプロジェクト(大場亮代表)の端くれである俺にとって、友川で一年を締めるのは3年連続になる。

 オープニングアクトの火取ゆきは友川のカバー「サーカス」などを、ギターをかき鳴らして熱演する。火取は来年早々、心臓の手術を受け、しばし休養するとのこと。恒例の友川の年末ライブには元気な姿を見せてほしい。続いて登場した友川は、遠藤賢司への弔意を込めて、「ギターのチューニングしてくれた4人のうち、清志郎と遠藤が亡くなった。三上寛もそのうち……」と語り、笑いを誘っていた。

 順不同にセットリストを挙げると、「生きてるって言ってみろ」、「椿説丹下左膳」、「彼が居た-そうだ!たこ八郎がいた」、「グッドフェローズ」、「夜へ急ぐ人」(ちあきなおみへの提供曲)、「ワルツ」、「エリセの目」、「一人ぼっちは絵描きになる」、「青いアイスピック」、「家出青年」、「三鬼の喉笛」etc……。勘違いで演奏していない曲もあるはずだ。

 それぞれの曲に静謐と狂気、繊細と野性のアンビバレンツがちりばめられ、冷徹、諦念、絶望、孤独を表現しながら叙情に包まれている。友川の創造性と独自性、そして哲学的な詩は、晩年の大岡昇平を感嘆させた。

 頭脳警察のメンバー、遠藤ミチロウと共演することも多く、前衛的なミュージシャンとアルバムを作ってきた。その活動はフォークシンガーにとどまらない。今稿を書くに当たって知ったのは福島泰樹(歌人)との交流だ。情念を身体性で表現するという点で両者には共通点がある。

 友川は先月、アメリカに渡った。ニューヨークでは狂気を秘めた若者が200人集まり、友川の歌に感応する。画家でもある友川はニューヨークとロサンゼルスでは美術館を訪れ、たっぷり時間を費やす。「当然のことだけど、絵は現物を見るに限る」と強調していた。訪米が新曲への刺激になったはずだ。

 友川はモノローグと叫びで表現する。合間のMCもラディカルで魅力的だ。反原発、ホームレスの痛み、政治の腐敗を訴え、自虐的、自嘲的に語る。「射殺してやる」が乱暴な口癖だが、優しさを隠すための〝偽悪〟かもしれない。当夜が仕事納めで、原稿(平松洋子との往復書簡)を書き上げた後、競輪グランプリに向けて深い思索にこもるはずだ。

 友川について一層、興味が湧き、来年1月13日のワンマンライブに申し込もうとしたが、既に落語会の予定が入っていた。いずれにせよ、〝年相応〟のイベントである。友川は33枚のアルバムを発表しているが、俺が持っているのは3枚きりだ。旧作を集めて少しでも理解を深めたい。
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ミューズ@横浜アリーナ~エンターテインメントと世界観の鮮やかな融合

2017-11-16 22:37:52 | 音楽
 一昨日(14日)、横浜アリーナでミューズを見た。新作発表を来年に控えたエクストラツアー(フェスを含む)の一環なのだろう。主力は20~40代だが、俺に近いアラカンの客もチラホラ見かけた。

 デビュー直後(1999年)に彼らを認めたのが「ロッキング・オン」誌で、<今回のステージは、スピード感と洗練度、そしてエンターテイメント度においてピカ一ではないか>との渋谷陽一社長の評は的を射ている。10代前半にバンドを結成してから四半世紀、SMAPは壊れたが、マシュー・ベラミー、ドミニク・ハワード、クリス・ウォルステンホルムの3人は今も強い絆で結ばれている。

 ショーケースライブ(2001年)はガラガラだったし、翌年のZEP東京も満杯ではなかった。それでもマシューは、好きな女の子に自分の全てを伝えようとする少年のように熱かった。過剰なまでのサービス精神こそ、成長の糧だと思う。

 ♯1「ディッグダウン」、♯2「サイコ」、♯4「ヒステリア」、♯5「プラグ・イン・ベイビー」、♯7「ストックホルム・シンドローム」、♯8「スーパーマッシブ・ブラックホール」までタイトで尖った流れに圧倒される。♯11「マッドネス」、♯15「タイム・イズ・ランニング・アウト」、♯16「マーシー」と人気チューンが続き、マシューは♯14「スターライト」で客席に降りてスキンシップした。

 不惑直前にはきついはずだが、外国人がコンサート評を書き込む際の締めの常套句“as usual”そのまま、超絶のパフォーマンスを普通にやってのける。酷な連戦を厭わぬボクサーの如く、不断の鍛錬に支えられているからだ。公式、非公式問わずアップされたライブ映像でファンを増やすミューズは。はYoutube時代の申し子といっていいだろう。 

 フジロック07に出演した際、ミューズはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンに受けた影響を強調し、その後の3枚のアルバムで<世界観>を提示した。レイジ20周年記念フェス「LAライジング」に招請されたことを「キャリア最高の出来事」とマシューは語っていた。ラディカルでコアなレイジのファンにも高い評価を受けた。
 
 ミューズは<世界観>を示してライブを締め括った。♯17は欲望に破壊尽くされた国家をテーマにした「ザ・グローバリスト」から、無人攻撃機への反撃を誓う「ドローンズ」へのメドレーだ。叛乱を呼び掛ける♯18「アップライジング」、「権利ために闘え」とアジる♯19「ナイツ・オブ・サイドニア」にバンドの意志を感じた。「レジスタンスツアー」でステージに巨大な三角形を逆さに吊るした意味を聞かれ、「三角形はヒエラルヒーの象徴。逆さにした意味はわかるよね」とマシューは語っていた。

 大統領選でバーニー・サンダースのキャンペーンに加わったフォスター・ザ・ピープルも新作は全く売れなかった。〝反資本主義的〟と見做されることはショービジネス界で御法度といえる。レイジの〝後継バンド〟ミューズは全米でアリーナツアーを敢行するため、あざとい戦略を用いているはずだ。大統領選でヒラリーと並んだ写真をSNSに載せたのも苦肉の策だったのか。

 当日のライブはバンドのフェイスブックでストリーミング配信された。復習として視聴し、<チーム・ミューズ>の底力に感嘆する。リアルタイムでこれほどの動画を制作するには、メンバーの立ち位置、表情、指の動き、照明、スクリーンの映像、ファンのリアクションを完璧に把握しておく必要がある。綿密に準備された奇跡の一発録りといっていい。

 1stアルバムが全英29位だから、鳴り物入りで来日する他のUK勢と比べて、未来が開けているとはいえなかった。それでも<チーム・ミューズ>は確信を持って雛を怪鳥に育て上げた。さらなるパフォーマンスの進化と世界観の深化を期待している。

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ステレオフォニックス、モグワイetc~読書の供に新譜あれこれ

2017-11-06 23:11:01 | 音楽
 犯罪者(安倍首相)と道化師(トランプ大統領)のツーショットに辟易したが、トランプはいつ失脚しても不思議ではない。大統領選時の選対幹部に続き、ロス商務長官にもロシア疑惑が「パラダイス文書」で発覚した。ロス長官はプーチン大統領の親族が経営する企業から莫大な利益を得ていたという。

 <トランプ=右派>の看板を信じている人は、「なぜロシアと親密なのか」という疑問を抱くかもしれない。陰謀史観に与するつもりはないが、<安倍-トランプ-金正恩>を兵器産業の掌で踊るパペットトリオと見る識者もいる。ちなみに、平和主義者の仮面を被ったオバマ前大統領は兵器産業幹部を引き連れて外遊し、<死の商人の頭目>として名を馳せた。

 冬の気配が忍び寄ってきたものの読書の秋、老眼で文字を追うのに難儀しながらページを繰っている。読書の供として重宝しているアルバムの感想を記す前に、ロック界のゴシップあれこれ……。

 「ロッキング・オン」のHPを毎日チェックしているが、最も登場頻度が高いのはノエル&リアムのギャラガー兄弟だ。解散して8年が経っても、英国でのオアシス人気は不動で、兄弟のバトルが格好のネタになっている。巻き込まれたのが両者と交遊のあるポール・ウェラーだ。「歌詞面については標準以下」と新作を評された〝喧嘩屋〟リアムはすぐさまツイッターで反撃する。ちなみにポールはノエルのソロアルバムに参加していた。

 上記の「パラダイス文書」で租税回避を暴露された著名人の中に、ボノの名があった。アフリカなど途上国のNGOから〝上から目線の慈善は無意味〟と批判されているボノは、親族が経営する化粧品会社(原料はアフリカ産)で富を得ている。今回の件で限界が露呈した。

 ようやく本題……。4枚の新作を紹介する。まずは、グリズリー・ベア(GB)の5年ぶりの新作「ペインテッド・ルインズ」から。メランコリックなメロディーに彩られ、聴き込んでいくうち、脳裏のスクリーンに幾つもの水彩画が浮かんでくる。かといって淡色ではなく、曲ごとにカラフルな表情を見せている。

 2010年前後、俺はGB、ダーティー・プロジェクターズ(DP)、ローカル・ネイティヴズ(LN)の3バンドに多大な期待を寄せていた。その後、彼らはどうなったか。GBは活動停止を経て復活したが、DPは個人プロジェクトに回帰し、史上最高のライブバンドになる可能性を感じたLNは失速した。俺の見る目がなかったといえばそれまでだが、インディーズの壁を越えられなかった。

 一方で、〝インディーズの雄〟というべきザ・ナショナルは着実に地歩を築いてきた。新作「スリープ・ウエル・ビースト」はバンドの不変の姿勢を感じさせるアルバムだ。「アリゲーター」(05年)以降、本作を含め5枚のアルバムを聴いているが、いずれもハイクオリティーで抑揚が効いている。静謐さを増した本作は熟練の職人芸といっていい。長身のフロントマン、マット・バーニンガーのボーカルスタイルはモリッシーを彷彿させる。

 モグワイといえばダウナーな音の塊にぶちのめされる感があったが、9th「エブリ・カントリーズ・サン」に、万華鏡を覗き込んだ時の燦めきと奥行きを覚えた。柔らかく優しくなった世界に吸い込まれていくような気分を味わった。以前のライブでは、壁に遮られて立ち尽くすような感覚に陥ったが、本作を聴いて次の機会が楽しみになった。

 最後に紹介するのは俺にとって今年のベストアルバムだ。といっても還暦を過ぎてアンテナが錆び付いた今、お馴染みのアーティストの新作を聴くにとどまっているから、サンプルは少ないけれど……。

 3日に世界同時発売されたステレオフォニックスの10th「スクリーム・アバヴ・ザ・サウンズ」はロックの普遍性を体現している。骨太なビートと心地良いメロディーがいい案配にブレンドされ、シャープなグルーヴに高揚感を覚えた。成熟の裏返しでもある喪失も歌詞にちりばめられていた。

 ザ・フーの「ババ・オライリィ」に歌われているように、ロックファンは「十代の荒野」を彷徨っている。還暦過ぎの俺も迷い人のひとりだ。ステレオフォニックスのケリー・ジョーンズは〝フーの息子〟のひとりで、ロジャー・ダルトリーに「普通にやっていけばいい」とアドバイスされたことがあるという。ケリーが実践していることを本作が示している。
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