弁理士の日々

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日本の国境・領土問題2冊

2012-11-07 19:26:17 | 歴史・社会
日本の国境問題 尖閣・竹島・北方領土 (ちくま新書 905)
孫崎亮
筑摩書房

日本の領土問題 北方四島、竹島、尖閣諸島 (角川oneテーマ21)
保坂正康・東郷和彦
角川書店(角川グループパブリッシング)

今年は、竹島をめぐる日韓関係、尖閣をめぐる日中関係に火がついたとともに、しばらく後退していた北方4島をめぐる日ロ関係が進展する気配を示しています。つまり、日本をめぐる国境・領土問題がめまぐるしく変動する年となりました。
そこで読んだのが上記2冊の本です。
「日本の国境問題」の著者である孫崎亮氏は、前回話題にした「戦後史の正体」の著者でもあります。以下、孫崎氏の「日本の国境問題」から、印象に残った部分をピックアップします。

○ 第二次大戦後の西ドイツ・アデナウアー首相の叡慮
戦後、(東西を合わせた)ドイツは多くの領土を失いました。
しかしドイツは、奪われたものを奪い返す道を選択しなかったのです。1963年、アデナウアー首相は「新しいドイツ人は断固たるヨーロッパ人たるべきである。そうすることによってのみ、ドイツは世界に平和を保障される」と述べました。
『ドイツは国家目的を変更した。「自国領土の維持を最重要視する」という古典的生き方から、「自己の影響力をいかに拡大するか」に切り替えた。』
その結果として、欧州石炭鉄鋼同盟、EEC、そして現在のEUが生まれたのでした。今日ドイツはEU内で最も影響力のある国家となっています。

○ 尖閣諸島をめぐる日中の駆け引き
『背2010年の尖閣諸島での緊迫は突然訪れたわけではない。むしろ、1972年に日中間で国交正常化が図られる中でも、日中双方は尖閣諸島を十分意識している。』
『ここで十分理解しておくべきは、「棚上げ」は決して中国に有利な解決手段ではないことである。棚上げは日中の実効支配を認めることだからだ。かつ中国側は実力で日本の実効支配を変更することを求めないことを意味する。』
1972年、田中角栄が中国を訪問して国交回復を行うに際し、周恩来と会談しています。このとき、田中首相が「尖閣諸島についてどう思うか」と問うと、周恩来は「尖閣諸島問題については、今回は話したくない。」と答えました。このとき、中国側は実質的には「棚上げ」を提案し、日本側はこれを受け入れている、と孫崎氏は評価します。

1978年、日中平和条約締結時、当時の園田直外相と小平が会談しました。
当時の園田氏の言葉は記憶しておくべきでしょう。
『副主席との会談で一番苦労したのは尖閣諸島の領有権の問題を何時のタイミングで言い出すかという一点だけでした。尖閣諸島については今度の話し合いの中では持ち出すべきでないというのが、私の基本的な考えでした。
何故かと言えば、尖閣諸島は昔から日本の領土で、すでに実効支配を行ってる。それをあえて日本のものだと言えば、中国も体面上領有権を主張せざるを得ない。
勇を鼓して尖閣諸島は古来我が国のものでこの前のような“偶発事故”を起こしてもらっては困るとこう言ったんだ。
小平はニコニコ笑って“このまえのは偶発事故だ。もう絶対やらん”とね。
もう私はその時天に祈るような気持ちで気が気じゃない。万が一にも小平の口から“日本のものだ”とか“中国のものだ”なんて言葉が飛び出せばおしまいですからね。
そしたら“今までどおり20年でも30年でも放っておけ。”と言う。言葉を返せば、日本が実効支配しているのだから、、そのままにしておけばいいというのです。でそれを淡々と言うからもう堪りかねてさんの両肩をグッと押さえて“閣下、もうそれ以上いわんで下さい”人が見ていなければさんに“有り難う”と言いたいところでした。』

日中漁業協定(河野太郎氏のブログ「日中漁業協定2010年09月28日」に詳しい)
2000年協定によると、「北緯27度以南は、新たな規制措置を導入しない。現実的には自国の漁船を取締り、相手国漁船の問題は外交ルートでの注意喚起を行う。(尖閣諸島はこの水域に入る)」となっています。日本の海上保安庁が直接中国漁船を取り締まらないとの協定です。漁船をめぐる紛争で日中間の緊張が拡大するのを防ぐ枠組みが形成されているということです。
ところが2010年9月、日本が中国漁船に停船命令を出し、臨検の動きを見せていたことは、明らかに日中漁業協定の合意内容に反する行動である、と孫崎氏は述べます。

「尖閣の領有権問題は棚上げ」という双方の合意に反する行動に先に出たのは中国です。1992年、江沢民政権において、尖閣が中国領土であると明文化されました。
これに対して日本はどのように対処すべきだったでしょうか。
今にして思えば、日本は「領土問題は棚上げ・実効支配は日本」の方針を貫くべきだったかも知れません。
しかし2010年、尖閣をめぐる中国との緊張の中で、当時の前原外相は国会で「棚上げは日中の合意ではなく、小平が一方的に言ったことだ」と発言しました。「棚上げではない」ということは、「尖閣は日本の領土だ」と主張することであり、これは昔園田外相が危惧した『そうしたら中国も「尖閣は中国の領土だ」と主張せざるを得ない』状況に進むことになります。中国強硬派の挑発に乗って、争いの場に出てしまったように思われます。
『日本は尖閣問題を考えるにあたり、中国には一方に軍事力で奪取せんとするグループがいる、別の一方では尖閣諸島で紛争を避けたいというグループがいる、それを認識して政策を進めるべきである。私は、日本は中国の後者といかに互いに理解し協力関係を強化するかが重要なことと思う。』(孫崎氏)

しかし2012年、野田政権は「尖閣国有化」によって上記後者(胡錦涛)をも反日の尖兵に変貌させてしまったのでした。
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