弁理士の日々

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東郷和彦氏「靖国再編試案」

2006-08-06 00:04:04 | 歴史・社会
「靖国問題」について考えをまとめようと思いながら、なかなか手が着かずにいました。

月刊現代の9月号に元外務省高級官僚の東郷和彦氏による「靖国再編試案」というインタビュー記事が載っています。
読んだところ、私が頭の中に描いていた内容をほぼ的確に語ってくださっているようです。

東郷氏は、何もなければ、ただの三代目外務官僚として、現役時は外務省で君臨し、そのまま終わっていたかもしれません。しかし鈴木宗男事件が勃発し、不本意に外務省を追われるのみではなく、逮捕の危険もあって日本から逃れました。その後現在まで、アメリカで教鞭を執り、佐藤優裁判出廷を除いて日本には帰ってきていません。
このような逆境を経験したこと、アメリカで教職に就くことによって日本を外から観察する機会を得たこと、おじいさんが実はA級戦犯(懲役20年)で獄中病死した人であったこと、などがプラスに働き、優れた外交批評家として再出発されるのかもしれません。

「我が国にとって、最善の外交とはなにか。まず日本が一歩引く姿勢を示すことです。先の大戦において、日本が中国社会に深い傷を残したことは紛れもない事実です。日本が中国をはじめ、傷ついた諸外国の心情に理解を表明する方法は一つしかありません。ここで一部の反発を覚悟で提案を述べます。小泉首相の後継者は、靖国参拝の一時停止(モラトリアム)を宣言せよ、と。」

モラトリアム中に日本が国家としてなすべきこと
「具体的には、以下の三点の課題を検討することを提案したいと思います。それは、『靖国神社の再編』『歴史博物館の創設』『戦争責任に対する国家的な議論』です。」

「今日の靖国神社の複雑な立場は、戦後、国家神道を廃止しなければならないことが明らかになったとき、戦死者の追悼が主たる役割であった靖国神社が、他の宗教法人として存続するか、もしくは政府下の非宗教組織となるか、二つのうち一つの決断を迫られたことにあります。結局、GHQ、政府、そして靖国神社自身、宗教法人として残すという決断を下し、結果的には、憲法20条によって定められた政教分離によって、政府が靖国の管理に干渉することができなくなったのではないでしょうか。」
「このことによって、先の大戦時の歴史観をそのまま顕示し、軍事博物館に準じる施設を宗教法人が作ってしまった。遊就館で示される歴史観は、日本国民のなかでもコンセンサスがないし、国際的にはもっとコンセンサスがない。しかし、政治家はそのことについて何も言えない。憲法20条が盾になっているからです。」

創設する歴史博物館には、日本にとって都合の良いことも悪いこともすべて展示すべきとしています。
一つめは、なぜ日本が戦争に入っていったかという当時の日本の見方について。
二つめは、大陸で実際に何が起き、日本の行動が世界でどう受け止められたかについて。「加害者の側面といっても良いでしょう。」
三つ目に、戦争が続いていれば、日本民族が絶滅させられていたかもしれないということ。

第三の課題「戦争責任に対する国家的な議論」
95年の村山談話「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」と05年の小泉バンドン談話を高く評価します。「この抽象的に書かれている謝罪内容について、日本国民ひとりひとりが個人レベルで考え、揺るぎないコンセンサスを形成する努力をすべきです。」

謝罪をする事象についての責任は誰にあるかという問題について「二つの考え方が現れると予測できます」
「一つめは、やはり赤紙一枚で連れていかれた国民と、赤紙で国民を引っ張ったリーダーとでは、明らかに責任が違うとする考え方です。」
「二つめは、時の勢いをサポートした国全体としての責任を探求する考え方です。戦前の世論、メディア、知識人、政治的指導者の大部分が日本が大陸に拡張することを支持していたという否定できない事実があります。」

「国全体の責任を認めることは、その責任を背負って処刑された人を追悼する理由を与えることにもなる。この結論は、中国がとってきた『日本国民には責任なし』という立場とは対立し、もっと反発をまねくかもしれない。しかし、日本国民が本当に『国全体として戦争責任を負う』という並々ならぬ覚悟に到達するならば、これは、いずれ世界が理解する大事な立場になると思います。」
「私自身としては後者の意見です。」

「次の世代が被害者としての苦しみを引き継ぐならば、加害者としての責任問題も引き受けなければなりません。」
これです。
戦後一貫して、「戦前の日本は悪い人たちが跋扈し、悪いことをしてきた。戦後は良い人たちに切り替わり、平和国家を建設している」と教育されてきました。戦前の悪い人たちと現在の善い我々とは別人格であるという考え方です。この考え方が日本を悪くしてきたと思います。
戦前をすべて暗黒時代として捨て去り、また善き自分とは関係ないと考えているので、そこで実は何が起こっていたかについてほとんど知識がありません。

日本人の良いところも悪いところも、被害者としての立場も加害者としての立場も、世代を超えて我々が引き受けるべきものである、そのように考えて初めて、良い点については日本人であることに誇りを覚え、加害者としての点については被害を受けた人たちに対して謙虚に謝罪することができるでしょう。
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