弁理士の日々

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東郷和彦著「プーチンvsバイデン」

2022-11-20 14:49:42 | 歴史・社会
Amazon.co.jp : プーチンvsバイデン
東郷和彦

日本の元外務省官僚、元外交官であった東郷和彦氏の上記著書を読みました。

《第一章 プーチンとは何者か》
ロシア軍がウクライナに全面侵攻したことについて、腑に落ちないことが2つ
一つは、プーチンがウクライナ侵攻について「他に選択肢がなかった」と述べたこと。「他に選択肢がなかった」といっている以上、プーチンにはプーチンなりの理屈があるはずだ。
もう一つは、なぜこのタイミングで戦争が始まったのか、ということだ。

ロシアには「第一人者」が政治を支配するという伝統がある。これは専制主義といい換えてもいいだろう。
ロシアでは強力な第一人者が登場したときほど国が安定する傾向がある。それに対して、第一人者が弱くなると国は混乱し、外国の侵略を食い止められず、ときに革命まで起こってしまう。そのため、多少自由を制限されたとしても、安定のために専制主義的な政治を受け入れる人が多いのだ。

NATOの東方拡大の動きとそれに対するロシア(ソ連)の反発は、1990年のゴルバチョフの時代までさかのぼる。このときアメリカのベーカー国務長官は「1インチたりとも拡大させない」と口約束した。その後、ゴルバチョフは1991年7月にワルシャワ条約機構を自ら解体した。その年の12月、ソ連が崩壊する。
1999年、ポーランド・ハンガリー・チェコの3カ国のNATO加盟が了承された。2004年にはバルト三国、スロバキア、スロベニア、ブルガリア、ルーマニアがNATOに加盟した。
2007年、プーチンはミュンヘン安全保障会議で怒りを爆発させたが、プーチンの主張が顧みられることはなく、2008年のNATO首脳会議では、ブッシュ大統領による強い後押しの結果、今度はウクライナとグルジア(現・ジョージア)をNATOに原則的に加盟させることが決定された。ドイツやフランスは難色を示し、原則加盟については合意する一方、実際の加盟は先延ばしになった。
2008年、グルジアの親欧米派の大統領がオセチアに関して軍を動かすと、ロシア側も直ちに軍を動かし、ロシア側の勝利に終わった。この一件によってロシアのレッドラインがどこにあるかが改めて明らかになった。

ロシアは、13世紀にモンゴルに侵略され、19世紀にナポレオンにモスクワまで攻め込まれ、第二次世界大戦時にナチスから攻撃されている。こうした歴史が安全保障観を形作っており、「被包囲メンタリティ」といういい方がされる。これはロシア人特有のメンタリティである。プーチンのNATO批判は、ロシアでは広く受け入れられている。

《第二章 バイデンの思想と行動》
バイデンは2017年、自伝「ジョー・バイデン 約束してくれないか、父さん」を執筆している。自伝での一つのストーリーは、バイデン自身の物語であり、オバマ政権の副大統領として何を考え、どのような政策に取り組んできたかが詳細に記されている。その中核がウクライナ政策なのである。
2011年にバイデンが副大統領として当時首相だったプーチンと会談した。会談は物別れに終わった。
『(プーチンと向き合ったバイデンは)「首相、私はいまあなたの目を見ていますが」笑みを浮かべながら、私は言った。「あなたには、心というものがないようですね」
プーチンは私の顔をじっと見つめてから笑みを返し、「お互いに、わかり合えたようですね」と言った。』
この本(バイデン自伝)はアメリカ大統領選を見据えたバイデンの選挙公約といっていい。その中で、バイデンは、プーチンに侮辱を与えたことを誇らしげに書いているのである。

《マイダン革命》
バイデンのマイダン革命への関与も見落とせない。
マイダン革命とは、2014年2月に、ウクライナの親ロ政権が打倒された動乱である。親ロ派のヤヌコーヴィチ大統領がロシアに亡命し、政権は瓦解した。このとき、バイデンはヤヌコーヴィチと密に連絡を取り、ヤヌコーヴィチを辞任・逃亡に追い込んだことを告白している。
マイダン革命後、ロシアのプーチン大統領はクリミアを併合し、東部の親ロ派の保護に乗り出した。これに対し2015年2月、ウクライナのポロシェンコ大統領と、ドイツのメルケル、アメリカのバイデン副大統領との三者協議が行われた。メルケルは、プーチンのためにある種の「逃げ道」を設けるように求めていた。一方バイデンは、まずロシアが譲歩すべきと考えていた。三者協議後のミュンヘンでのバイデンのスピーチによると、バイデンの立場は、「アメリカの掲げる自由と民主主義という価値は絶対的であり、冷戦後のヨーロッパにおいてその価値を実践する場がウクライナである。そして、それを進めるアメリカは善であり、それを邪魔するロシアは悪だ」というものである。

《ネオコン》
ネオコンの思想は、自由と民主主義を実現するために武力行使さえ辞さない、というものだ。
共和党政権では子ブッシュ政権のチェイニー副大統領が代表格で、イラク戦争を主導した。
民主党のネオコンと言えば、真っ先にビクトリア・ヌーランド、夫のロバート・ケーガンもそうだ。ヌーランドはオバマ政権の国務次官補を務め、バイデン副大統領のもとでウクライナ問題を担当し、マイダン革命にも関わっていた。そのころ彼女がウクライナ側とやりとりしている音声データが流出している。ヌーランドはバイデン政権では国務次官に出世している。ここからもバイデン政権とネオコンとの親和性は明らかである。

《ウクライナの複雑な歴史》
ウクライナを、東部、キエフ周辺、西部の3つに分ける。
東部にはロシア系住民がたくさん暮らしている。
9世紀、キエフ・ルーシ(キエフ公国)が成立し、ギリシャ正教やキリル文字を採用した。13世紀末にモンゴルが侵入してキエフ公国が崩壊し、以後240年間、モンゴルの支配に服する(タタールのくびき)。
西部のガリツィアはハプスブルグ帝国の支配下にあり、帝国崩壊後はポーランドに属した。ウクライナ語を話し、宗教もカトリック系である。
ガリツィアはナチスとの関わりを持っている。ヒトラーがロシアを攻めたとき、ガリツィアの一部の人たちはナチスと協力してでもウクライナを独立させようとした。そのリーダーがステパン・バンデラである。戦争はソ連の勝利で終わり、ガリツィアが歴史的にはじめてソ連邦の統治下に入った。
アメリカのネオコンは、こうした歴史やバンデラ主義者たちの思想を知った上で、ロシアを弱体化させるために彼らを利用したのではないか。

アメリカ国内にもネオコンに批判的な人たちはいる。リアリストと呼ばれ、その1人がヘンリー・キッシンジャーである。キッシンジャーの主張は以下の通りである。
『ウクライナが生き残り、繁栄していくためには、東側、西側のどちらの前線基地にもなってはならない。東西のかけ橋として機能すべき。
クリミアは人口の60%がロシア人だが、1954年にウクライナ出身のフルシチョフがウクライナにクリミアを授与した。
ウクライナはNATOに加盟すべきではない。
ロシアはウクライナのクリミアに対する主権を認めるべきだが、ウクライナは国際監視団の立ち会いの下で行われる選挙により、クリミアの自治権を強化すべきだ。』

もう1人のリアリストはシカゴ大学のジョン・ミアシャイマーである。2014年の論考では、
『2008年、NATOがグルジアとウクライナの加盟を検討し、ブッシュ政権がこれを強力に支持したのに対し、プーチンが強烈に反対した。プーチンはこのとき明確にレッドラインを示したのである。
マイダン革命の際に実際に何が起きたか全貌は明らかになっていないが、ワシントンがクーデターを支援したことは間違いない。
ビクトリア・ヌーランド国務次官補とジョン・マケイン上院議員は反政府デモに参加し、アメリカのジェフリー・ピアット駐ウクライナ大使はヤヌーコヴィチ政権が崩壊すると「この日は歴史に刻まれることになる」と表明した。
ヌーランドはロシア側にリークされた電話での会話で、体制変革を唱え、ヤツェニュクが新政権の首相になるのが好ましいと考えていることを示唆していた。
ウクライナ危機を解決するには、アメリカとその同盟国は、ウクライナとグルジアをNATO拡大策から除外すると明言すべきである』

《第三章 かくして戦争は始まった》
2015年2月、ドイツとフランスによる仲介のもと、ドンバスのロシア系住民の代表者たちも加えて「ミンスクⅡ」が締結された。ドンバスにロシア人特別自治区のようなものを作り、住民の権利を守ることを約束するものである。
2019年2月にポロシェンコは憲法改正を行い、EUとNATOへの加盟を目指すことを明記した。
同年4月にゼレンスキーが大統領に就任した。
2021年1月のバイデン政権の登場のあと、プーチンの目にはゼレンスキーがバイデンの応援や了解のもと、急速に対ロ強硬政策に舵を切ったように映っただろう。
2021年3月、ゼレンスキーのクリミア奪還発言があった。また同年4月にミンスクⅡを拒否する姿勢を示した。ミンスクⅡ後もドンバスではウクライナと親ロ派の間で戦闘が続き、2014年以降で14000人の死者が出たとされている。
2021年12月、ロシアはウクライナがNATOに加盟しないことを求める条約草案を提示したが、アメリカとNATOはロシアの要求を拒否した。

《第四章 失われた停戦のチャンス》
3月29日、トルコで行われた停戦交渉で、ウクライナ側から画期的な提案がなされた。
第1項目:ウクライナは中立国であることを宣言し、国際的な法的保障があるなら、いかなるブロックとも同盟を結ばず、核兵器を開発しないことを約束する。
第2項目:クリミア、セヴァストポリ、ドンバスの扱いについて
第3項目:ウクライナはいかなる軍事同盟にも参加しない。
第8項目:クリミアとセヴァストポリについて、15年の間、ウクライナとロシアによる二国間交渉を行い、外交努力を継続する。

戦争が始まって以来、ロシアとウクライナが最も接近した瞬間だったと思う。

4月2日、ブチャでの惨劇が明らかになった。
ゼレンスキーは「ジェノサイド」だと述べ、EUやイギリスなどから非難の声か上がり、バイデン大統領も「彼は戦争犯罪人だ」とプーチンを批判した。
こうして事態は取り返しのつかない方向へ進んでいったのである。
ブチャの真相追究は著者(東郷氏)の手に余るので専門家に委ねるが、確実に言えることは、このときからウクライナは急速に対ロ強硬姿勢を強めていったということだ。
(なおこのブログでも、ブチャでの惨劇 2022-09-10 を取り上げています。)

《対談 ウクライナ戦争と大東亜戦争 東郷和彦×中島岳志》
この対談は、『「こんなにうまくプーチンが引っかかるとは」ウクライナ戦争をアメリカが引き起こしたといえる残念な証拠』11/9(水)にも掲載されています。
ロシアのウクライナ侵攻を止めるにはどうすればいいのか。元外交官の東郷和彦さんは「米国のバイデン大統領のように『自分が100%正しい』という外交姿勢では、プーチン大統領を止めることはできない」と指摘する。政治学者の中島岳志さんとの対談をお届けする――。

【東郷】最近私は確度の高い情報として、ネオコンとして有名なアメリカのビクトリア・ヌーランド国務次官が「こんなにうまくプーチンが引っかかるとは思っていなかった。これでプーチンを弱体化できる」という趣旨のことをいっていたという話を聞きました。ヌーランドはオバマ政権時代には国務次官補を務め、当時のバイデン副大統領のもとでウクライナの親ロ派政権を転覆したマイダン革命に関わっています。そのころ彼女がウクライナ側とやり取りしている音声データも流出しています。

【中島】現在の日本政府もアメリカ一辺倒で、ネオコンと同じような対応をとっています。岸田政権はこれまでの方針を転換し、対ロ強硬路線に舵を切りました。ここまで特定の国との関係をバッサリ切り捨てた例はほとんどないと思います。

【東郷】そうですね。日本の外交史に残る出来事だと思います。通常、こういうときは外務省から反対意見があがるものです。実際、他の国ではそういう動きが見られます。六月八日のニューヨーク・タイムズには、アメリカの諜報(ちょうほう)機関がウクライナ側から軍事戦略や戦況について十分な情報提供がなされていないことに不満を持っているという記事が掲載されています。これは明らかに政権内からのリークです。バイデン政権の中に対ロ強硬路線を続けることに疑問を持つ人がいるということです。
ところが、日本ではこうした動きはまったく見られません。大変残念ですが、いまの外務省はとにかくバイデンの方針に従うことしか考えていないように見えます。

東郷和彦氏について、当ブログでは以下のような記事を掲載しています。
日本の国境・領土問題2冊 2012-11-07
佐藤優氏の有罪が確定 2009-07-02
東郷和彦「歴史と外交」 2009-04-14
ハル・ノート 2006-08-21
佐藤優氏控訴審に東郷和彦氏2回目の出廷 2006-08-13
東郷和彦氏「A級戦犯合祀問題」 2006-08-07
東郷和彦氏「靖国再編試案」 2006-08-06
佐藤優氏控訴審に東郷和彦氏出廷 2006-06-24
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