弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

キエフの無防備都市宣言はできないか

2022-03-12 18:19:47 | 歴史・社会
ロシア軍がキエフを包囲し、今後1週間か2週間の間に、キエフ市内で大殺戮が敢行される懸念があります。戦線が膠着状態で窮地に立たされたロシアのプーチン大統領が、どんな残虐な作戦を命令するか、予測ができません。
キエフを離れることのできない、百万人を超える一般市民の方々の安全を、何とか確保できないものでしょうか。
私は、ウクライナのゼレンスキー大統領に無条件降伏をしろとは言いません。
キエフを無防備都市とする宣言はできないでしょうか。

第2次大戦でも、都市について無防備都市宣言を行うことにより、都市の破壊と市民の大量殺戮を避けた例はあります。
ナチスドイツの侵攻を受けたパリが、無防備都市宣言をし、ナチスドイツはパリに無血入城しました。

フィリピンでは、日本軍の進撃を受け、米軍のマッカーサー司令官はマニラから脱出し、マニラを無防備都市宣言しました。本間司令官率いる日本帝国陸軍はマニラに無血入城しました。
マッカーサーは、バターン半島先端のコレヒドール島に立てこもり、米軍将兵はバターン半島に布陣しました。マッカーサーのこの行動には納得できません。あんな半島に立てこもって日本軍に立ち向かったら、食糧が尽きて飢餓状態になるのは目に見えています。米軍は日本軍に降伏したわけですが、その日本軍だって飢餓状態で、投降した大量の米兵に供する食料もありません。バターン死の行進は必然的に生じました。

連合軍のパリ反攻時には、ナチスドイツは無防備都市宣言を行わず、パリが破壊される可能性がありましたが、幸いに無傷で残りました。
米軍のマニラ反攻時には、日本陸軍の山下司令官はマニラから移動し、マニラの無防備都市化を計画しましたが、日本海軍その他が賛成せず、マニラは市街戦の戦場となって破壊され尽くしました。

さて、ゼレンスキー大統領がキエフを無防備都市化しようとしたら、結局は亡命するしか手はないかも知れませんが。決断はウクライナ国民と国民に支持された大統領が決するものであって、平和な日本に在住する私が意見を言う筋合いではありません。それでも、キエフ市内で大量殺戮が実行されるよりはよっぽど未来のウクライナのためになるのでは、と愚考する次第です。
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