弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

リバーベンドが語るイラクの現状

2007-02-15 21:44:05 | 歴史・社会
リバーベンドとは、バグダッドに在住する20代後半の女性で、イラクの現状をブログで発信し続けている人物です。ただしその本人が誰であるかは不明で、実は全くの他人がなりすましている可能性も否定できません。
しかし彼女の文章を読む限り、イラクの現状について真実を語っているように思われます。

私は、最近になって彼女のブログ記事を日本語に訳した著書(バグダッド・バーニング2)をはじめて読み、2月4日2月11日に記事にしました。

彼女のブログの記事については、日本語に翻訳され、インターネットで閲覧することができます。バグダードバーニング by リバーベンドです。こちらについてはつい最近閲覧し、昨年12月末に書かれた記事を読みました。

イラクが、どんどん悪い方向に転がり落ちている状況を見て取ることができます。

2006年12月29日の記事から
「平均的イラク人の1日の生活は、遺体の身元確認や、自動車爆弾を避けることや、監禁されたり、追放されたり、誘拐されたりしている彼らの家族たちを探すことだけに明け暮れている。
2006年は、はっきり言ってこれまでで最悪の年だった。間違いないわ。」

「この年は特に転換点だった。ほとんどのイラク人が多くのものを失った。本当に多くのものを。この戦争と占領によって私達が喪失したものを言い表すことなんて不可能だわ。毎日40体ほどの、切断され腐敗した様々な状態の遺体が見つかっていると知っていることから湧き上がってくる気持ちを言い表せる言葉なんてありはしない。イラク人ひとりひとりに覆いかぶさっている恐怖の黒く厚い雲を埋め合わせてくれるものなんてありはしない。手に負えなく怖しいものは、名前が「スンニ的」か「シーア的」かなんて馬鹿げたことで区別されること。もっと恐ろしいもの-戦車に乗ったアメリカ兵、地域をパトロールする黒いバンダナに緑の旗を持った警察、検問の黒い覆面をしたイラク軍兵士。

もう一度、自らに問いかえさざるを得ないのだけど、なぜこのようなことすべてが起こったのか?修復できないほどにイラクを破壊した理由は何だったのか?イランだけが得をしたように見える。イラクでのイランの存在はとても確固としたものになっていて、聖職者やアヤトラを表立って批判しようものならそれは自殺行為だ。状況はもはやアメリカの力を超えて、修復不可能なところまで行ってしまったのだろうか?それともこれは最初からの計画の一部?考えるだけて頭が痛くなってしまうわ。

今一番わからないのは、なぜ火に油を注ぐようなことをするのかということ。スンニとシーア穏健派は南部の大きな都市や首都から追い出されつつある。バグダードはシーアが立ち去ったスンニ地域と、スンニが立ち去ったシーア地域とに引き裂かれていっている-ある地域は脅迫のもとで、またある地域は襲撃の恐怖のうちに。人々は検問で大っぴらに銃撃されたり、ゆきずりの車から撃たれて殺されていっている...多くの大学では授業を中止した。何千人ものイラク人たちはもはや子供たちを学校にやってはいない-安全ではないからだ。」

「ただ一つ確実に言えることは、アメリカ人たちはイラクから撤退したがっているのだけれど、本格的な内戦にしてから出たいのだろうということ、なぜなら、もし撤退して状況が実際に良くなってきたりしたらかっこ悪いから、違う?

ここ2006年の終わりにきてわたしは悲しい。国の状況のためだけに悲しいのではなく、私たちのイラク人としての人間性の状態のために。わたしたちはみんな、4年前に私たちが誇りにしてきた思いやりや礼節を失ってきている。わたし自身を例にとってみると、4年ほど前には、アメリカ兵の死を聞くたびにわたしは身を縮める思いをしていたものだった。彼らは占領者ではあるけれど、彼らもまた人間で、彼らがわたしの国で殺されていっていることを思うと眠れぬ夜を過ごしていた。彼らは海を越えてこの国を攻撃しに来たのだから気にすることはないのだけど、実際に同情していたのだ。

わたし自身のこういった気持ちをまさにこのブログに書きつづっていなかったならば、かつてわたしがそんな気持ちでいたことがあったなんて信じられなかっただろうと思う。今では、かれらは単なる数字でしかない。この4年近くの間に3000人のアメリカ人が死んだ?本当?それはイラク人の1ヵ月の死者数にも満たないじゃない。アメリカ人には家族がいた?それはお気の毒さま。わたしたちもおんなじよ。道端の遺体や遺体安置所で身元確認を待っている遺体たちもね。今日アンバールで死んだアメリカ兵の命はわたしの従兄弟の命よりもっと大切だって言うの?わたしはそうは思わないわ。従兄弟は6年もの間思い続けてきた女性と婚約したまさに先月のその夜に撃ち殺されたのよ。

アメリカ人の死者数の方が少ないからといって、アメリカ人の死の方がより重要だってことにはならないわよ。」

日本が日中戦争の泥沼に踏み込んでいった状況、アメリカがベトナム戦争の泥沼に踏み込んでいった状況と、今のイラクの状況とが、重なって見えます。
現地で起こっている状況が正確に知らされないまま、アメリカ政府は世論に動かされ、また実権を握った集団の力によって動かされ、悪い方に悪い方に転がっていくようです。

しかし日常の新聞記事にはイラクがあまり登場しません。国連で議論がされているとも報道されていません。新生イラク政府ができ、今ではイラクと米国との2国問題とみなされているのでしょうか。
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