弁理士の日々

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石原都知事「尖閣を都が買う」

2012-04-18 22:37:40 | 歴史・社会
東京都の石原慎太郎知事が16日午後(日本時間17日未明)、訪問先のワシントンで、尖閣諸島を購入する方針を電撃的に表明しました。
今回の計画は、日本政府に強烈なメッセージとして伝わるよう、ワシントン出張に合わせてごく一部の人間だけで極秘裏に進めてきたといいます。埼玉県に住む所有者の男性との橋渡しをしたのは山東昭子参院議員(自民)です。山東議員によると、所有者の男性とは「30年来の友人」。男性から「『尖閣を譲ってほしい』とあちこちから言われるが、背景のわからない個人には譲れない」「政府に買い上げてもらいたいが、今の政府は信用できない」などと相談を受けていたそうです。
『02年4月から年度ごとに総務省と賃借契約を結び、管理を国に任せてきた。ただ、「個人で所有していくには限界がある」と感じていたため、山東議員が古くからの知人だった石原知事に連絡し、昨年9月に2人でさいたま市の男性宅を訪問した。この場で石原知事は、「東京都が買います」と前向きな姿勢を示し、最終的に男性は「石原さんなら任せられる。腹は固まった」と売却を決意したという。』(読売新聞 4月18日(水)

今回は山東昭子議員が橋渡ししたのですか。
石原氏は、平成8(1996)年1月~10(1998)年8月に「諸君!」に連載され、1999年に単行本になった「国家なる幻影―わが政治への反回想」の中で、尖閣の地権者との交渉について述べています。
石原氏らは尖閣諸島の一部でもいいから地主になってしまおうと、当時すでに地権者であった栗原氏を訪ねたといいます。しかしそのとき栗原氏は、尖閣の権利を他の何に訴えても自力で守りぬくつもりということでした。2010年9月に「石原慎太郎氏と尖閣諸島」で記事にしたとおりです。
そのときに石原氏本人が栗原氏と面談したのかどうかはわかりませんが、少なくとも当時からつながりはあったということです。

ところで、尖閣を巡っては、日中間で極めて微妙な外交問題となっています。
2010年9月の尖閣問題に際して、日中間があれだけこじれたのは、日本と中国との意思の疎通が図れなかったこと、そしてその原因は、日本の中枢において官邸と外務官僚との間に深い溝が存在したことでした。
中国は必死で、「勾留10日で船長を強制送還してくれないと、中国としては強行策に出ざるを得ない」とのシグナルをいくつも出していましたが、日本政府はそのことごとくを見落としていました。中国としては、自国内の問題があるため、あのときは強行策に出ざるを得ませんでした。日本人駐在員の身柄と、日本向けレアメタル輸出とを人質にするという、なんとも大国とは思えない策でした。

昨年12月、私は「尖閣に自衛隊を駐留させてはいけない」を記事にしました。
紛争屋の外交論―ニッポンの出口戦略 (NHK出版新書 344)での伊勢崎賢治氏と宮台真司氏との特別対談では以下のように記されています。
胡錦涛国家主席は、現在の中国首脳の中では比較的親日だといいます。一方中国では、海軍は反日で知られる江沢民ラインですから危なかった。今回の尖閣騒動でも、中国海軍が共産党の支配から離れて尖閣諸島に強硬上陸する危険性もありました。胡錦涛がよく抑えた。
ですから日本としては、胡錦涛主席を立てるように外交しなければなりません。
ところが日本政府は、前原国交大臣が「国内法に従って手続きを粛々と進める」と発言したりして、胡錦涛主席のメンツを潰すような行動に終始しました。これにより胡錦涛の立場は弱くなり、日本の国益が損なわれました。
胡錦涛主席としても、中国国内の強硬派を抑えこむためには、日本に対して強硬路線をとらざるを得なかったのです。
このときに中国首脳が強行策を採っていなかったら、中国海軍は中国共産党の意向に反してでも尖閣に強硬上陸していた可能性すら在ったといいます。

今回、「東京都が尖閣の地主になる」という、中国にとって聞き捨てならない話題が提供されました。今後、中国を過度に刺激して前回の轍を踏まないよう、しかし過度に遠慮して日本の国益を損なわないよう、絶妙の外交バランスで事を運ぶ必要があります。そしてそのためには、日本政府での官邸と外務省官僚との強い信頼関係が不可欠です。
私が危惧するのはその一点です。


ところで、私が昨年12月に上記記事を書いたきっかけというのが、自民党石原伸晃幹事長の発言でした。
石原伸晃氏は昨年12月12日、ワシントン市の政策研究機関で講演し、沖縄県の尖閣諸島を公的所有として、港湾施設を整備するなどして実効支配をより強化するべきだとの考えを示しました。
石原伸晃氏は昨年、尖閣諸島沖で発生した中国漁船衝突事件に言及したうえで、「尖閣諸島は個人所有から速やかに公的な所有にすべきだ」と述べ、国による民有地買い上げが望ましいとの考えを表明し、「漁船の避難港を整備し、自衛隊員の常駐も考えなければならない」とも訴えました。石原伸晃氏はまた、「中国の軍拡の動きを受け、わが国も防衛費を増やす努力をしなければならない」と強調したのです。
このときは、「自衛隊を尖閣に駐留させてはいけない」というスタンスで取り上げました。

しかしこうして読み返して見ると、去年12月に、息子石原氏が「尖閣を国有化すべし」とワシントンで発言したということです。当時すでに、父石原氏は尖閣の地権者と会っていました。そして今回、父石原氏が同じワシントンで、「東京都が購入する」と発表したことになります。
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2 コメント

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Unknown (壁際珍事)
2012-04-19 10:34:31
ネットサーフィンで、貴ブログに至りました。濃密な内容ですね。

確かに、親子で情報のやり取りがあったんでしょうね。父が発言するから、「あ、あのときの息子の発言は……」と気づく。息子の発言時に、「何かあるぞ」と予想する。そんなアンテナを持ちたいものです。
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石原父子 (snaito)
2012-04-19 23:46:44
壁際珍事さん、コメントありがとうございます。

石原親子は、裏でどのように連絡を取りながら今回の一連の演技を行っているのか、聞いてみたいですね。
石原慎太郎氏と尖閣諸島との関係は、もう30年以上になりますし、地権者の栗原一族と連絡を取り始めてからでも15年以上は経過しています。今回のような騒動をぶっ放すアクターとしては最適であったことは間違いありません。
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