弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

石原慎太郎氏と尖閣諸島

2010-09-30 21:06:42 | 歴史・社会
今回の尖閣諸島問題に関連して、
国家なる幻影―わが政治への反回想
石原 慎太郎
文藝春秋

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から尖閣諸島に関する記述を読み返して見ました。この本は平成8(1996)年1月~10(1998)年8月に「諸君!」に連載され、1999年に単行本になったものです。文庫本はこちら(国家なる幻影〈上〉―わが政治への反回想 (文春文庫)国家なる幻影〈下〉―わが政治なる反回想 (文春文庫))。

まず、米国に占領されていた沖縄が日本に返還されるとき、尖閣諸島がその範囲に入っていたか、という点について。
アメリカは沖縄を返還するにあたり、協定文書に、有人無人を問わず、北緯何度何分、東経何度何分と7つの地点を明記しそれを結ぶ線の内側に入る島、環礁、岩礁等の海上の突起物すべてを日本領土として返還すると記しました。尖閣諸島の位置は、返還協定書添付の『合意された議事録』に記載された線内に明らかに入っています。

ところがその後、尖閣諸島近辺の海底に埋蔵量の豊富な油田があるということが分かって、台湾、次いで中国(石原氏の著書ではシナ)が自分の領土だと主張し始めます。
これに対し日本は、ハーグの国際裁判所に提起してその所属を改めてはっきりしたいとするのですね。ところが、アメリカに当の返還者としての証言を依頼したら、何とアメリカは、返還はしたがその領土がいずれの国のものかについてはあくまでその後の紛争当事者の問題であってわが国は一切関与しないと声明しました。
それどころかつい最近(諸君!連載の)辞任したアメリカの駐日大使モンデールは、誰の意向を受けてか尖閣諸島の帰属に関しての実力行使を伴う国際紛争の場合には日米安保の発動はこれを対象とはしない、つまり尖閣がもし外国から侵犯されてもアメリカは日本を共同して守るという安保の名目で動くことはしないといいきりました。これに対し国会では何ら問題にならなかったといいます。

昭和53(1978)年4月に入って今度は中国(著書では中共)からの漁船、それもかなりの重火器で武装した漁船が尖閣諸島海域への侵犯を繰り返すようになり、尖閣の中国領土としての正当性を主張し始めました。このときのいいがかりは大陸棚の延長の上にあるからだというものでした。

北京がおびただしい数の武装漁船、つまり沿岸警備のための海軍舟艇を派遣して尖閣周辺で操業する日本漁船を駆逐して見せても、政府はいつものことなかれ主義で通り一遍の抗議をしただけでした。
それに対して石原氏は青嵐会の仲間に計って資金を集め、頭山満翁の孫に当たる頭山立国氏や大平光陽氏にもちかけて関西の大学の冒険部や山岳部の学生を募り、尖閣の魚釣島に上陸させ、バッテリーで灯を点す粗末な灯台をまず作らせました。計画が事前に漏れてしまい、官憲からの締めつけで島に渡る船が調達できませんでしたが、強引に漁船を一隻雇って島に渡りました。
その後第二次隊から参加し出した日本青年社が、やがて現地にソーラー式の立派な灯台を建設し、東シナ海の難所の一つであった尖閣諸島に毎夜確かに灯を点す灯台が誕生しました。

日本青年社が立派な灯台を建設した年(1978)の10月小平が来日し、日本のメディアから尖閣諸島問題について質され、「あれは厄介な問題なので解決はもっと後の世代の利口な連中にまかせよう」と発言し、愚かな日本のジャーナリズムはなるほどシナ人の智恵だと賞賛したものだそうです。
そうした出来事の余韻のうちに日本の外務省には北京に対する妙な敗北感が醸成されました。

石原氏らは尖閣諸島の一部でもいいから地主になってしまおうと、尖閣諸島の地主として地権を相続している沖縄那覇市在住の古賀ハナ子さんを訪ねます。しかし尖閣諸島に関しては、本土の大宮在住の栗原氏なる一族に売却の約束をしてしまったというのです。そこで栗原氏を訪ねると、栗原氏は尖閣の権利を他の何に訴えても自力で守りぬくつもりということでした。

尖閣の魚釣島には昭和63(1988)年、立派な灯台が建設されてその寄附が申請され、運輸省海上保安庁に正式灯台として認可申請されます。しかし外務省からクレームがつき時期尚早ということで棚上げにされ(執筆当時の)今日まで店晒しにされています。そして正式に認知されぬまま件の灯台は先般北京にアジられるまま香港からやってきて無法に上陸したシナ人たちの手によって破壊されました。
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以上が石原氏の著書から拾った尖閣関連の記述です。今回勃発した尖閣問題で、認識を新たにしました。

昭和の末期における尖閣に対する国民の無関心、政府の弱腰、中国の強攻策の様子がよくわかりました。
それに比較すると、今回の民主党政権の対応は、当初中国漁船の船長を逮捕して強攻策に出ましたが、それに対して中国から国交断絶を辞さないようなさらなる強攻策で応じられ、結局は腰砕けになりました。
この腰砕けがトラウマとなり、また中国に対する弱腰に戻らぬように願いたいものです。しかし今回の事件により、少なくとも(私を含め)国民は無関心から一歩前進するでしょう。民主党政権は「尖閣に領土問題は存在しない」と言い続けたわけで、その点は国民に浸透したものと思います。またマスコミも、小平におもねった頃のような対応はもはやしないでしょう。
アメリカも、今回はクリントン国務長官が23日の日米外相会談で「明らかに(米側の日本防衛義務を定めた)日米安保条約が適用される」と明言し、同日夕には、ゲーツ国防長官とマレン統合参謀本部議長が国防総省で緊急の記者会見を開き、「尖閣諸島地域へのわれわれの関与は、間違いなく変わっていない」「(米国は日本の)同盟国としての責任を十分果たす」と口をそろえました。

以上のような記事を準備していたら、週刊新潮10月7日号が発売になりました。
[石原慎太郎氏]
できあがった立派な灯台を海図に載せる件について、外務省は時期尚早といって記載しなかったが、息子(石原伸晃)が国土交通相になってようやく載せたそうです。
[尖閣諸島地主一族]
尖閣諸島を開拓したのは安政年間に福岡で生まれた古賀辰四郎氏で、明治政府から4島を借り受けて漁業や水産物加工業を営み、昭和初期に払い下げを受けて4島が古賀家の所有となりました。74年頃に辰四郎氏の息子の善次氏が、縁のあった埼玉県の結婚式場経営者の栗原家に譲渡しました。上記石原著書の古賀ハナ子さんは善次氏の未亡人なのでしょう。
インタビューに対して一族を代表して栗原弘行氏は、「政府が、尖閣海域に不法侵入してくる中国人を逮捕しないのであれば、将来的には、島に定住する希望者がいたら許可せざるを得ない、と思っています」と語りました。
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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2010-10-01 07:19:50
いつも、拝見させていただいて降ります。

尖閣諸島についての詳しい経過説明をありがとうございました。
この経緯を中国国内のインターネットに
書き込みをお願いします。
日本の立場が少しは伝わるのではないかと思います。
返信する
中国サイトへの書き込み (ボンゴレ)
2010-10-01 15:36:10
Unknownさん、コメントありがとうございます。

私は中国国内のサイトには疎いので、私が変に発言して国益に反する事態に陥ったら国民に迷惑がかかると懸念しています。
上記私の記事は石原慎太郎氏の著作内容そのものですから、中国サイトの事情に通じている方に石原氏の著作を読んでいただき、その上で上図に書き込みしていただくのがベストであろうと思います。
よろしくお願い申し上げます。
返信する
Unknown (Unknown)
2010-10-01 18:08:53
誠実に対応していただき
ありがとうございました。
返信する
慎太郎支持する (Elvis)
2011-07-31 20:08:36
菅のあとの総理は君がなるべきだ!今の腰抜け政府では中国に占領されてしまう、

返信する
Unknown (タイトル)
2011-09-11 22:44:35
石原慎太郎氏が尖閣諸島に灯台を建設させた伝説は手柄横取りの疑い(★阿修羅♪)
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak50/msg/390.html
返信する
尖閣諸島の灯台 (snaito)
2011-09-11 23:44:14
タイトルさん、こんにちは。

上の私の記事にあるように、石原氏の著作では、
「関西の大学の冒険部や山岳部の学生を募り、尖閣の魚釣島に上陸させ、バッテリーで灯を点す粗末な灯台をまず作らせました。
その後第二次隊から参加し出した日本青年社が、やがて現地にソーラー式の立派な灯台を建設し、東シナ海の難所の一つであった尖閣諸島に毎夜確かに灯を点す灯台が誕生しました。」
ということで、立派な灯台を建てたのが日本青年社であることは明言しています。
日本青年社が石原氏に抗議したというのが、石原氏のどのような発言に対してなのかがよくわからないですね。
石原氏が「国家なる幻影」を執筆する以前に、日本青年社の活動に触れないままに尖閣諸島灯台建設の話をどこかの雑誌に投稿したということでしょうか。
返信する
一方的な見解は (rocky)
2012-09-23 16:57:51
有害でしょう。
石原知事が良いことをしてきたのかどうか、即断できません。まして今回の都有化宣言はわざわざニューヨークで行ったもので、国際問題になることを狙ってやったのです。
双方のナショナリズムに火を付ける、危険な火遊びというべきです。
外交に責任を持たない都知事が勝手に外交を行う。こんなことを許しては成らないと思います。
それを良しとする人は、民主党政権が弱腰だから、と言います。しかし外交は強腰であればいいというものではありません。突っ張りあって軍事衝突になれば、その被害をこうむるのは国民です。その程度の知恵もないのが石原知事です。
経済損失は知ったことではない、中国の属国になるのは嫌だ、と公言しましたが、それでは米国の属国である状態をさらに悪化させることになってしまいませんか。
元気よく対外強硬論を主張するのはカッコいいが、実際は国民のことを顧みず、自分の憂さ晴らし、人気取りに過ぎないのではないですか。
朝日新聞9月19日朝刊 「耕論」 に掲載の、新右翼団体一水会の鈴木顧問が言うように、真の愛国心はそんなものではない、と私は思います。

石原氏の猛省を求めるべきです。氏は無責任で許されない言動を行っています。マスコミはもっと石原知事の責任を追及すべきです。

返信する
石原慎太郎氏と尖閣諸島 (snaito)
2012-09-23 17:09:53
rockeyさん、コメントありがとうございます。
コメントいただいたこの記事は、2010年9月にアップした記事であることをご確認ください。石原氏の都有化宣言のはるか前です。
今回の都有化宣言直後に私が書いた記事としては、以下をご参照ください。
http://blog.goo.ne.jp/bongore789/e/f937d56a9ac5363619dd9291e2ce6817
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