北朝鮮がテポドン2号を用いた多段ロケットを打ち上げたのは4月5日、あれから2ヶ月近くが経ちました。あのときは日本国中、本当に大騒ぎでしたね。
この騒動においては、実際の打ち上げ前日である4月4日に、日本政府は「北朝鮮から飛翔体が発射されたもよう」という誤報を発表してしまう不始末をしでかしました。一体なぜこのようなことになったのか。
月刊誌“世界”6月号で、東アジア安全保障研究会著「PAC3『アリバイ配備』の茶番 露呈した危機管理体制の破綻」という記事が載っていたので、こちらにメモしておきます。
最初は、防衛省技術研究本部飯岡支所(千葉県旭市)の航空自衛隊レーダーが飛翔体を検知したことに始まります。
この情報が航空総隊司令部(東京都府中市)に入り、そこから防衛省地下にある中央指揮所に「飯岡探知。SEW(米軍早期警戒衛星)入感。発射。」と流れます。
「SEW入感」は完全な事実誤認です。同司令部の連絡担当者が、日々練習していたためについ口に出てしまいました。
さらに同司令部で連絡を受けた内局運用企画局幹部が、「SEW入感」を「発射」とアナウンス。この音声は官邸でモニターされていたことから、緊急情報は「Em-Net」システムで自治体へ送信、そして報道機関にも流れた結果、誤情報が世界にも駆け巡る羽目になりました。
米軍の早期警戒衛星による探知が事実なら、中央指揮所にも知らされているはずです。ところが前述の内局幹部はこれを確認せずに航空総隊連絡をうのみにした上に「発射」と誤りを上乗せしたのです。チェック機能と冷静さを欠いたミスの連鎖が、深刻な不手際を引き起こしました。
さらに問題なのは、中央指揮所の情報が確認されることなく、モニターを介して官邸に垂れ流しになる手順を採ったことです。情報は本来まず、防衛省が真偽を含めて価値を判断し、官邸や他省庁に連絡する手順だったにもかかわらず、4月3日夜に急遽変更されてしまったのです。しかもこの重大なルール変更、浜田防衛相にも報告されていなかったという、致命的な事務方のミスがありました。
浜田防衛相は誤情報事件の発生後に、徳地秀士運用企画局長から「報告手順を官邸(旧安危室)の指示で3日に変更した」と訊いて唖然とするとともに、徳地らに対する抜きがたい不信感を抱きました。もはや防衛相は大臣を頂点とする国防組織としては機能せず、官邸への中継地点と化していたばかりか、その中継のための伝言さえも満足にできなかったのです。
イージス艦「あたご」衝突事故の際、首相官邸や防衛相への報告が遅れたことが関係者のトラウマとなり、防衛省や官邸では「速報病」が蔓延しているそうです。伝達過程でだれが情報を滞留させたのか「犯人探し」が始まるのだといいます。こうしたムードが「速報重視 チェック欠落」という失態を招いたのです。
この倒錯した風潮を招いたのは石破茂防衛相当時の責任回避と部下への責任転嫁と処分、更迭の結果だそうです。
ところで、防衛省-自衛隊の指揮命令系統に占める運用企画局長の位置づけを知りたいと思ったのですが、よく分かりませんでした。なお、現運用企画局長の徳地秀士氏は1979年東京大学法学部卒です。
運用企画局とは、2006年に以前の運用局から改組されたようです。
1998年8月にテポドン1号が発射されて日本上空を通過したとき、運用局がどのような位置づけだったのか、別の機会に報告します。
この騒動においては、実際の打ち上げ前日である4月4日に、日本政府は「北朝鮮から飛翔体が発射されたもよう」という誤報を発表してしまう不始末をしでかしました。一体なぜこのようなことになったのか。
月刊誌“世界”6月号で、東アジア安全保障研究会著「PAC3『アリバイ配備』の茶番 露呈した危機管理体制の破綻」という記事が載っていたので、こちらにメモしておきます。
最初は、防衛省技術研究本部飯岡支所(千葉県旭市)の航空自衛隊レーダーが飛翔体を検知したことに始まります。
この情報が航空総隊司令部(東京都府中市)に入り、そこから防衛省地下にある中央指揮所に「飯岡探知。SEW(米軍早期警戒衛星)入感。発射。」と流れます。
「SEW入感」は完全な事実誤認です。同司令部の連絡担当者が、日々練習していたためについ口に出てしまいました。
さらに同司令部で連絡を受けた内局運用企画局幹部が、「SEW入感」を「発射」とアナウンス。この音声は官邸でモニターされていたことから、緊急情報は「Em-Net」システムで自治体へ送信、そして報道機関にも流れた結果、誤情報が世界にも駆け巡る羽目になりました。
米軍の早期警戒衛星による探知が事実なら、中央指揮所にも知らされているはずです。ところが前述の内局幹部はこれを確認せずに航空総隊連絡をうのみにした上に「発射」と誤りを上乗せしたのです。チェック機能と冷静さを欠いたミスの連鎖が、深刻な不手際を引き起こしました。
さらに問題なのは、中央指揮所の情報が確認されることなく、モニターを介して官邸に垂れ流しになる手順を採ったことです。情報は本来まず、防衛省が真偽を含めて価値を判断し、官邸や他省庁に連絡する手順だったにもかかわらず、4月3日夜に急遽変更されてしまったのです。しかもこの重大なルール変更、浜田防衛相にも報告されていなかったという、致命的な事務方のミスがありました。
浜田防衛相は誤情報事件の発生後に、徳地秀士運用企画局長から「報告手順を官邸(旧安危室)の指示で3日に変更した」と訊いて唖然とするとともに、徳地らに対する抜きがたい不信感を抱きました。もはや防衛相は大臣を頂点とする国防組織としては機能せず、官邸への中継地点と化していたばかりか、その中継のための伝言さえも満足にできなかったのです。
イージス艦「あたご」衝突事故の際、首相官邸や防衛相への報告が遅れたことが関係者のトラウマとなり、防衛省や官邸では「速報病」が蔓延しているそうです。伝達過程でだれが情報を滞留させたのか「犯人探し」が始まるのだといいます。こうしたムードが「速報重視 チェック欠落」という失態を招いたのです。
この倒錯した風潮を招いたのは石破茂防衛相当時の責任回避と部下への責任転嫁と処分、更迭の結果だそうです。
ところで、防衛省-自衛隊の指揮命令系統に占める運用企画局長の位置づけを知りたいと思ったのですが、よく分かりませんでした。なお、現運用企画局長の徳地秀士氏は1979年東京大学法学部卒です。
運用企画局とは、2006年に以前の運用局から改組されたようです。
1998年8月にテポドン1号が発射されて日本上空を通過したとき、運用局がどのような位置づけだったのか、別の機会に報告します。
北朝鮮の現在の内部状況は窺い知ることができないので、「北朝鮮といえどもこんな損なことは絶対にやらないだろう」という見通しを立てることは困難でしょう。
ただし、日本を狙うとしたらテポドンではなくノドンですから、テポドンで騒いでも仕方ない点は同意です。
自衛隊の実力が投資した防衛費実績から推し量れるかどうかについて。
第1に、自衛隊の装備には相当のムダ遣いがあるように思います。
第2に、自衛隊の第一線部隊は別にして、防衛省内部の組織は「実際には戦争ができない組織」になっていると推測しています。
以上を考えると、日本の自衛隊を費用対効果で評価しようとしたらバカらしいことになるのではないでしょうか。