弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

アフガニスタン奮闘記

2011-12-10 13:24:34 | 歴史・社会
アフガニスタンの僻地であるチャグチャランで、PRT(地域復興チーム)として4人の日本人文民が派遣されたのは2009年のことです。この中の2名が今井千尋さんと石崎妃早子さんであることは、このブログのクローズアップ現代・アフガニスタンでの日本の復興戦略今井千尋さんがアフガニスタンへでご紹介しました。

2009年5月21日の朝日新聞夕刊では、以下のように紹介されています。

「アフガン復興に臨む2人
  日本初の文民要員
アフガニスタンの北大西洋条約機構(NATO)による地域復興チーム(PRT)に日本が送る初の文民要員として、一般公募の女性2人が赴く。栃木県壬生町出身の在日イラン大使館の元職員、石崎妃早子さん(30)=写真右=と、元NGO職員でアフガン復興にも携わった兵庫県宝塚市出身の今井千尋さん(41)=同左。」
「2人は、リトアニア軍が主に駐留する中西部チャグチャランへ行き、現地の人から何が必要か直接聞き、日本の資金援助につなげる役目を負う。」

上記の記事から2年以上が経過しました。その後のチャグチャランでの日本人文民の活動状況についてはまったく報道に接することができません。どうなっているのでしょうか。
そんな中、たまたま以下の書籍を目にしました。
アフガニスタン奮闘記 国際協力の新たなかたち
クリエーター情報なし
文芸社
折笠弘維、今井千尋、官澤治郎、石崎妃早子4名の共著です。この4名が、チャグチャランに派遣された4名の文民であり、共同で執筆してこの本を出したとのことです。
本が発行されたのは今年2月11日ですが、最近まで気づきませんでした。ネットを含めてまったく注目されていないと言うことでしょうか。最近私が購入した本も、初版第1刷であり、売れていないということでしょうね。

折笠氏が署名した「おわりに」は日付が2010年11月30日とあり、実際に執筆されてから1年以上が経過しています。折笠氏と官澤氏はもともとの外務省外交官です。官澤氏が多分10年夏に転勤でチャグチャランから去ることになり、それもあってこの本の執筆に至ったようです。官澤氏以外の3人が、11年12月現在でもチャグチャランで活動しているのかどうか、そこははっきりしません。

本の原稿は、4人が分担して執筆し、相互にチェックしてできあがったようです。各章には執筆者の名前が記入されていません。そのため、今井千尋さんや石崎妃早子さんが実際に執筆した文章がどれなのか判別できず、そこは残念でした。また、本の中でも4人それぞれがどのように活動しているのかが読み取れません。すべての章で「私たち」と4人まとめての活動が紹介されているのみです。もうちょっと、各人の顔が見えるような文章でも良かったと思います。

4人の任務は、ゴール県の県庁所在地であるチャグチャランを根拠地とし、ゴール県管内で復興支援を行うために日本が何をなすべきか、を調査し実行していくことです。治安が回復していないので、根拠地はリトアニア軍が守る砦であり、砦から県内に出かける際には必ずリトアニア軍の護衛のもとに出かけます。防弾チョッキと防弾ヘルメットを着用し、防弾車に乗車しての移動です。
日本が行うのは、県内各地に例えば学校の校舎を建築するニーズに対応するため、どこに建築するのが有効か、誰に建築させるかを決定し、実施後には再度訪れて実施状況をフォローアップする仕事です。実際に建築するのはNGO団体などであり、建築を行うNGO団体からの申請で検討に着手することが多いようです。

実働10ヶ月間の平成21年度のプロジェクト支援額は3.7億円に達しました。2003年から08年度までの6年間でゴール県への支援額が累計1.7億円でしたので、文民事務所の開設がゴール県に対する支援拡大に貢献していることは確かです。
一方、鳩山政権がインド洋での給油活動を停止する際、見返りとして総額5千億円のアフガニスタンへの援助を約束したはずです。その5千億円と対比すると、3.7億円はいかにも微小であるという気がします。派遣地がゴール県という僻地であるためでしょう。
その意味では、現在日本が現地に密着して復興支援を行っている地がゴール県のみであるということには寂しさを感じます。もちろん、首都カブールではJICAが活動していますが。

アフガニスタンへの日本の復興支援については、日本大使館やJICAが行ってきましたが、治安上の理由から活動地域はカブールなど一部の地域に限定されていました。アフガニスタンの地方に対する援助強化が課題だったのですが、その一つの答えがチャグチャランPRTへの文民派遣でした。
日本からの文民派遣を要請していたPRT派遣国はいくつかあり、そのうちの一つが、チャグチャランにPRTを派遣しているリトアニアでした。リトアニアはPRTとして軍隊を派遣はしているものの、復興支援に回すお金が出せず、そこを日本に依頼してきたのです。日本としても、ゴール県がアフガニスタンの中で治安が相対的に安定していること、他方で最も開発の遅れた県であり、地元からのニーズがきわめて大きいこと、リトアニア主導のPRTが現地住民やNGO関係者と良好な協力関係を構築していることなどを確認した上で、チャグチャラン・チームに対して日本の開発援助調整要員としての文民を派遣することを決めたのです。

チャグチャランPRT文民派遣の特徴は、4名のうちの2名が民間出身の女性だということです。どのような経緯・理由で2名の民間女性が選ばれたのか、そして、女性であること、(官僚ではない)民間人であることが実際にはどのように作用し、メリット・デメリットがあったのか、ということに興味がありますが、この本ではそのような観点での記述が一切ありません。その点は残念でした。

なお、著者プロフィールには以下のように記載されています。
折笠弘維 創価大学経済学部、日本福祉大学卒(修士)。昭和58年外務省入省。現在、アフガニスタン大使館勤務。
今井千尋 関西学院大学文学部、ピッツバーグ大学卒(修士)。内閣府・国際平和協力研究員等を経て、現在、アフガニスタン大使館勤務。
官澤治郎 東京大学法学部卒。平成10年外務省入省。アフガニスタン大使館を経て、現在、イスラエル大使館勤務。
石崎妃早子 中央大学総合政策学部、国連平和大学卒(コスタリカ/修士)。在京イラン大使館勤務等を経て、現在、アフガニスタン大使館勤務。

以下次号。
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オリンパス財テク損失はなぜ一千億円まで脹らんだか

2011-12-08 23:15:06 | 歴史・社会
オリンパス問題の発端については、「バブル期に財テクに走っていたが、1990年のバブル崩壊で損失が脹らんだ。2000年頃に損失隠しのために「飛ばし」を開始した。そして数年前のM&Aがらみで捻出したおカネで損失補填に当てた。その額一千億円に及ぶ。」と理解されています。

私はてっきり、「バブル崩壊と同時に一千億円規模の損失が生じた」と思い込んでいました。

12月6日に第三者委員会報告が公表されました(第三者委員会調査報告について)。その中の「第三者委員会調査報告書_要約版」をざっと読むと、この20年間の一連の流れを理解することができます。「大方の予想通りの流れであった」というのが印象でしょうか。

私がオリンパス問題と海外メディアで紹介した、11月7日付けロイター電には、「助言会社が関係している中川昭夫氏という人物(野村證券OB)」が登場します。今回の第三者委員会報告でも、この中川昭夫氏をはじめとする外部の人物が深く関わっていたことが明らかになりました。

ところで、さらに詳細に踏み込んで「 第三者委員会調査報告書_01」を読んでみると、財テクの損失はバブル崩壊時に一気に噴出したものではないことがわかります。
『いわゆるバブル経済が1990年に破綻したことにより、1989年末には高値3万8000円以上を付けた日経平均株価が、1990年後半には2万円を割り、わずか1年足らずの間に半分まで下落した。』
私はてっきり、このときに一気に損失が脹らんだと思っていたのです。ところが・・・
『オリンパスはこうして拡大していった金融資産の運用損を取り戻すとともに、バスケット方式原価法による含み損の計上を免れるために、特金による運用を増加させた。具体的に判明している金額としては、当初1990年3月期決算における特定金外信託の残高は約36億円であったが、翌1991年3月期決算における特定金外信託の残高は約97億円へと増加し、1992年3月期決算における同残高は約466億円へと急激に脹らんでいった。・・・
このようにオリンパスの金融資産運用による損失額は増加し続け、正確な金額は不明であるが、1995年頃には、含み損の額は数百億円の規模に増大していった。』

バブルが崩壊した1991年3月期の特定金外信託(特金)残高はまだ百億円以下でした。経営者が「ここでやめておけ」と決断できれば、損失は圧倒的に少ない額で済んだのかも知れません。その後もハイリスク投資で損を取り戻そうとした結果、たったの1、2年で、損失は5倍にも10倍にも膨れあがっていったように見受けられます。

もう1点。
上記の記述によると、「1995年頃には、含み損の額は数百億円の規模に増大していった」ということで、一千億円には遠く及びません。2000年頃になぜ一千億円まで損失が脹らんだのか。
伊藤 博敏氏の『「1000億円なんてありえない!」"飛ばし仲間"が驚くオリンパス第三者委員会報告書の裏側に金融庁と特捜部「裁量行政」の思惑』によると、『「特定金外信託(特金)の運用損が一番大きいということですが最大でも300億円。そのほかにペイン・ウェーバー時代に寄せられていた相談などから推計すると、100億円や200億円の"飛ばし"はありましたが、それを総合しても最大で500億円です。その倍の隠さねばならない損失があったとは、考えられない。運用損以外の何か、表に出せない損失が溜まっていて、それを同時に処理したのではないでしょうか」(アクシーズ元幹部)』ということのようです。
『別のアクシーズ関係者は、この発表に捜査・行政当局の"思惑"を感じるという。
「証券取引等監視委員会は、早くから法人としてのオリンパスの罪は問わず、課徴金で行政処分する方針と報じられました。おそらく金融庁は法人の罪は問わず、経営者個人の罪にして上場維持、従業員4万人の大企業を揺るがせたくないのでしょう」』

第三者委員会報告も、損失一千億円の中味には踏み込まず、その意味合いは、損失の中味の悪質性については蓋をし、
『「反社は関与せず、特別背任的なものもなく、悪質ではないということで上場は維持され、事件はコンパクトにまとめられる」
金融庁の裁量行政、特捜部の裁量捜査への逆戻り、という"見立て"である。』

これはこれで恐ろしい話ですね。

もっとも、第三者委員会開設が11月1日、そして委員会への委嘱事項として「損失の先送り」についても委嘱したのは11月8日(森当時副社長の自白が発端)ですから、損失発生の顛末についての調査を詳細に行うには時間が足りなかったのかもしれません。

最近になって、「誰の懐に入った?」71億円…オリンパス(読売新聞 12月8日(木)18時23分配信)で、
『第三者委員会の甲斐中辰夫委員長(元最高裁判事)は8日、損失隠しにかかわった関係者に71億円が流れた可能性があることを明らかにした
オリンパスの損失飛ばしは2003年に1177億円に達し、英医療機器会社と国内3社の買収費用として拠出した1348億円で穴埋めした。
甲斐中委員長はこの差額171億円のうち100億円が正規の手数料や金利、ファンドの維持費だったことが判明したが、残る71億円は「(買収を仲介した)ファンドなどの口座に入り、おそらくは外部協力者の周辺に行っている」と指摘した。』
と報じています。
このような大事な事項が、報告書には記述されていなかったのでしょうか。
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日本の農業改革が止まっている?

2011-12-07 22:04:11 | 歴史・社会
12月6日の日経朝刊に掲載された記事です。
TPP農業対策、具体案遠く 「参加前提とせず」で両すくみ
2011/12/6付 情報元 日本経済新聞 朝刊
『原則10年以内の関税撤廃を求める環太平洋経済連携協定(TPP)。参加に備え、国内農業の体力強化策が欠かせない。強い農業の育成へ、いつどんな対策を打ち出すか――。ところが「賛成派も反対派も口をつぐむ不思議な均衡」(財務省幹部)が広がっている。』

日本の農業は、TPPに参加しようがしまいが、抜本的に改革する必要があることは目に見えています。
現在は基本的に自作農しか認めず、その結果として大部分は兼業農家で農業従事者の平均年齢は67歳という高齢化です。当然能率は悪く、生産原価が高くなるのは当然です。また、農村地帯を電車で通れば、減反だか耕作放棄だかわかりませんが、雑草が生い茂った農地が広がっています。
日本の農業を強くしなければならない。

TPPに参加することになれば、10年間で農業の体質改善を実現する必要に迫られるので、むしろ日本の農業にとって追い風になるのではないか、とすら思います。

ところが、上記日経記事によると、農業改善の議論がすくみ上がっているというのです。
『農業強化策やそのための予算措置が必要な点ではTPPの推進派、反対派とも一致している。具体的な対策造りを阻んでいるのが、「交渉参加に向けて関係国と協議に入る」という野田首相の玉虫色の表現だ。
ある農林水産省幹部は「いま動けば参加前提に転じたと受け止められる」と身をすくめる理由を明かす。
身動きが取れないのは推進派も同じ。首相が「交渉参加」まで踏み込まなかった以上、下手に反対派を刺激して事態を悪化させたくない。今後の交渉次第で必要な対策は変わるため、現時点での予算要求はそもそも時期尚早という面もある。』
『日本のコメ市場の開放が焦点になったウルグアイ・ラウンド交渉(1986~93年)。農水省の有力OBは「米を一粒たりとも入れるなという旗印の下で対策造りが後手に回り、6兆円もの予算が無駄になった」と自戒する。』

新聞紙面でも、一時はあれだけ賑わったTPPに関する報道がめっきり減っています。TPP加盟国、交渉国との間で、日本の交渉参加を認めてもらうための議論が始まっているはずなのですが、どうなっているのでしょうか。
そして、日経記事のように、かえって農業改革の勢いが削がれるようなことにならないよう、願いたいものです。
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11月30日東電報告書・1号機

2011-12-04 21:38:39 | サイエンス・パソコン
2011年11月30日に東電が発表した「福島第一原子力発電所1-3号機の炉心損傷状況の推定に関する技術ワークショップにおける説明資料」の中に「福島第一原子力発電所1~3号機の炉心状態について」という資料が含まれています。
1号機の状況に関して、上記資料の「要旨」には以下のように記されています。
『1 号機については事故後溶融した燃料はほぼ全量が原子炉圧力容器下部プレナムへ落下しており、元々の炉心部にはほとんど燃料が残存していないと考えられる。下部プレナムに落下した燃料デブリは、大部分が原子炉格納容器ペデスタルに落下したと考えられるが、燃料デブリはコア・コンクリート反応を引き起こすものの、注水による冷却、崩壊熱の低下により停止し、格納容器内に留まって、現状は安定的に冷却されていると推定した。また、2、3 号機については、一部は元々の炉心領域、一部は下部プレナムまたは格納容器ペデスタルに落下していることが考えられ、原子炉圧力容器内・格納容器内の燃料デブリはともに現状は安定的に冷却されていると推定した。』
つまり1号機に関しては、燃料棒の大部分は溶融した上で圧力容器から抜け落ち、格納容器の底部に落下しているというのです。

ところで、東電が5月23日に公表した「東北地方太平洋沖地震発生当時の福島第一原子力発電所運転記録及び事故記録の分析と影響評価について(別紙-1-11)」では、1号機の非常用復水器は津波来襲直後から一切機能していなかった、という前提の元で、
『燃料の大部分は原子炉圧力容器内で冷却されていると考えられる。
よって、解析及びプラントパラメータ(原子炉圧力容器周辺温度)によれば、炉心は大幅に損傷しているが、所定の装荷位置からした(下部プレナム)に移動・落下し、大部分はその位置付近で安定的に冷却されていると考える。』
と結論づけています。

5月23日報告書と11月30日報告書は、ともに「津波来襲以降に非常用復水器は機能していなかった」という前提でありながら、5月23日報告書では「燃料の大部分は原子炉圧力容器内に保持されている」と結論づけ、11月30日報告書では「燃料の大部分は圧力容器にはなく、格納容器に落下している」と結論が変化しているのはなぜなのでしょうか。

上記「福島第一原子力発電所1~3号機の炉心状態について」を読み始めたのですが、どうも読みづらい文書で難渋しています。内容把握にはまだ時間がかかりそうです。
コメント (2)
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