米軍主導のアフガニスタン戦争が終結した後、アフガニスタンを支援する活動で日本人女性の活動が目立ちます。
伊勢崎賢治氏の「武装解除 -紛争屋が見た世界 (講談社現代新書)」のあとがきでは、「日本の平和貢献の将来は、女性が担う予感がする。」と期待を込めて書かれています。
まずは瀬谷ルミ子さんです。
アフガニスタン戦争後の旧軍閥の武装解除を日本主導で成功させたとき、在アフガニスタン日本大使館のDDR班で働きました。「瀬谷さんは、シエラレオネで国連スタッフとして僕の下で働いてくれて以来の付き合いであるが、まだ二十台の若さですでに二つのDDRを現場で経験した、これからの日本にとって逸材中の逸材である。(2004年伊勢崎著あとがき)」
現在は、日本紛争予防センター(JCCP)事務局長をつとめ、世界各国の紛争地で、紛争解決の専門家として活躍しています。ここでもNHKプロフェッショナル・瀬谷ルミ子さん、NHKプロフェッショナル・瀬谷ルミ子さん(2)として紹介しました。
次に今井千尋さんです。
瀬谷さんと同じくアフガン戦争後の武装解除に携わります。
「今井千尋さんという一人の若い女性が、国籍も、育った文化も、そしてものの考え方もそれぞれ違う監視団員、それも全員が軍事経験者のつわもの達を一つにまとめる要となって働いている。今井さんは、この任務に就く前、JICA(国際協力機構)のアフガン事務所でDDRのRの部分を担当し、除隊兵士の職業訓練校の開設を実現させた。現在彼女は、公的な権威をもって武装解除の現場を監視する、日本初の女性軍事監視員である。(2004年伊勢崎著あとがき)」
その今井さんが、この6月からアフガニスタンの北大西洋条約機構(NATO)による地域復興チーム(PRT)に日本が送る初の文民要員の一人として派遣されることになりました(今井千尋さんがアフガニスタンへ)。
3人目が石崎妃早子(ひさこ)さんです。
今井千尋さんと一緒に、PRTの文民としてアフガニスタンに派遣されました。
4人目に野村留美子さんがおられます。
JICA職員で、インドネシアジャワ島中部地震の際には、国際緊急援助隊医療チームに参加して現地で活動をされました。1年前からアフガニスタンのカブールにあるJICA事務所に赴任され、危険と隣り合わせの生活を送りながら活動されています。こちらでもアフガニスタンからの便りとして紹介しました。
この4人の女性たちが、不思議な関連でつながりを持っていることが分かりました。
3人目の石崎妃早子さんと、4人目の野村留美子さんが、大学の同級生だったのです。石崎さんがチャグチャランの赴任地に赴く途中にカブールに滞在し、そのときに野村さんに電話連絡してきたのでした。野村さんのブログによると「彼女(石崎さん)は学部時代にイスラム系のゼミに在籍していて、卒業後は在日本イラン大使館で働いていたことは知っていたが、こんなところで再会(電話だったけれど)するとは思わなかった。」ということでした。
つまりこういうことです。
瀬谷ルミ子さん(以前アフガンDDR、現在JCCP事務局長)
∥
∥アフガン戦争後のDDRでともに活躍した。
∥
今井千尋さん(以前アフガンDDR、現在アフガンPRT文民要員)
∥
∥今回のアフガンでのPRT文民要員として一緒に働く。
∥
石崎妃早子さん(現在アフガンPRT文民要員)
∥
∥大学の同級生だった。
∥
野村留美子さん(現在JICAアフガン駐在)
伊勢崎賢治さんの「日本の平和貢献の将来は、女性が担う予感がする。」との予想が現実のものとなりつつあります。
ps 2011.12.14.
今井千尋さんと石崎妃早子さんが共著者に入っている書籍について、アフガニスタン奮闘記、アフガニスタン奮闘記(2)として記事にアップしました。
伊勢崎賢治氏の「武装解除 -紛争屋が見た世界 (講談社現代新書)」のあとがきでは、「日本の平和貢献の将来は、女性が担う予感がする。」と期待を込めて書かれています。
まずは瀬谷ルミ子さんです。
アフガニスタン戦争後の旧軍閥の武装解除を日本主導で成功させたとき、在アフガニスタン日本大使館のDDR班で働きました。「瀬谷さんは、シエラレオネで国連スタッフとして僕の下で働いてくれて以来の付き合いであるが、まだ二十台の若さですでに二つのDDRを現場で経験した、これからの日本にとって逸材中の逸材である。(2004年伊勢崎著あとがき)」
現在は、日本紛争予防センター(JCCP)事務局長をつとめ、世界各国の紛争地で、紛争解決の専門家として活躍しています。ここでもNHKプロフェッショナル・瀬谷ルミ子さん、NHKプロフェッショナル・瀬谷ルミ子さん(2)として紹介しました。
次に今井千尋さんです。
瀬谷さんと同じくアフガン戦争後の武装解除に携わります。
「今井千尋さんという一人の若い女性が、国籍も、育った文化も、そしてものの考え方もそれぞれ違う監視団員、それも全員が軍事経験者のつわもの達を一つにまとめる要となって働いている。今井さんは、この任務に就く前、JICA(国際協力機構)のアフガン事務所でDDRのRの部分を担当し、除隊兵士の職業訓練校の開設を実現させた。現在彼女は、公的な権威をもって武装解除の現場を監視する、日本初の女性軍事監視員である。(2004年伊勢崎著あとがき)」
その今井さんが、この6月からアフガニスタンの北大西洋条約機構(NATO)による地域復興チーム(PRT)に日本が送る初の文民要員の一人として派遣されることになりました(今井千尋さんがアフガニスタンへ)。
3人目が石崎妃早子(ひさこ)さんです。
今井千尋さんと一緒に、PRTの文民としてアフガニスタンに派遣されました。
4人目に野村留美子さんがおられます。
JICA職員で、インドネシアジャワ島中部地震の際には、国際緊急援助隊医療チームに参加して現地で活動をされました。1年前からアフガニスタンのカブールにあるJICA事務所に赴任され、危険と隣り合わせの生活を送りながら活動されています。こちらでもアフガニスタンからの便りとして紹介しました。
この4人の女性たちが、不思議な関連でつながりを持っていることが分かりました。
3人目の石崎妃早子さんと、4人目の野村留美子さんが、大学の同級生だったのです。石崎さんがチャグチャランの赴任地に赴く途中にカブールに滞在し、そのときに野村さんに電話連絡してきたのでした。野村さんのブログによると「彼女(石崎さん)は学部時代にイスラム系のゼミに在籍していて、卒業後は在日本イラン大使館で働いていたことは知っていたが、こんなところで再会(電話だったけれど)するとは思わなかった。」ということでした。
つまりこういうことです。
瀬谷ルミ子さん(以前アフガンDDR、現在JCCP事務局長)
∥
∥アフガン戦争後のDDRでともに活躍した。
∥
今井千尋さん(以前アフガンDDR、現在アフガンPRT文民要員)
∥
∥今回のアフガンでのPRT文民要員として一緒に働く。
∥
石崎妃早子さん(現在アフガンPRT文民要員)
∥
∥大学の同級生だった。
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野村留美子さん(現在JICAアフガン駐在)
伊勢崎賢治さんの「日本の平和貢献の将来は、女性が担う予感がする。」との予想が現実のものとなりつつあります。
ps 2011.12.14.
今井千尋さんと石崎妃早子さんが共著者に入っている書籍について、アフガニスタン奮闘記、アフガニスタン奮闘記(2)として記事にアップしました。
風太さんの「日本は、非武装で、世界に公的技術貢献できる才能が、絶対にあると今も固く信じています」というご意見は、アフガニスタンで武装解除を成功させた伊勢崎賢治さんの主張と共通するものを感じました。
私のブログ記事
http://blog.goo.ne.jp/bongore789/e/3bb629a04d53e29b089504549251aeaa
をご覧ください。
伊勢崎氏の「武装解除」プロジェクトにおける任務遂行の過程で、伊勢崎氏が実感したことは、「日本が憲法九条を有し、戦争を放棄しているという現実が、現地での信頼を得る上で大きな役割を果たした」という点です。
JICAによるアフガニスタン援助(緒方貞子理事長)
http://blog.goo.ne.jp/bongore789/e/7fae333e190dc2ae78337c48a051cdcd
参議院外交防衛委員会での中村哲医師の証言
http://blog.goo.ne.jp/bongore789/e/a33cbc09c3a9a3813aa5f93acfa7f367
そのすべてが同じ方向性を示していると思います。
湾岸戦争のときに日本が大金を出したのに尊敬されなかったのは、その出し方(出し渋り、小出しにした)が下手だったから、という点はあるようです。