弁理士の日々

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根城訪問

2024-09-27 09:16:38 | 趣味・読書
お城めぐりの旅、九戸城の次は八戸にある根城です。二戸駅から八戸駅までは、新幹線を利用することができました。八戸駅から根城までは路線バスです。


本丸東側空堀と東門

根城は、八戸市街地の西端にあり馬淵川南岸の河岸段丘上にあります。さっき訪問した九戸城も、同じ馬淵川に沿った河岸段丘上にありましたね。
本丸・中館・東善寺・岡前舘・沢里館の5つの館(曲輪)が連なる連郭式の平山城です。現在は、本丸・中館・東善寺の3つの郭が現存しています。

根城案内図

路線バスを降りると、上の地図の右端の八戸市博物館に至ります。ここで百名城スタンプをゲットします。
下写真の旧八戸城東門を通って、東善寺地域に入ります。

旧八戸城東門


東善寺

東善寺の広場から、中館の広場を通り、本丸に至ります。中館と本丸の間は空堀で隔てられ、本丸の外周は柵で囲まれています。
空堀を木橋で渡り、東門に到達します。この門が本丸への正式な門と考えられます。

東門

発掘調査の結果から、本丸の施設は以下の写真のようであったと推測されています。

本丸跡概略図

本丸の中心をなすのは主殿です。

主殿の模型


主殿


主殿内部


主殿・広間(正月十一日の儀式の様子)


主殿

納屋は竪穴式の建物で、茅葺きの屋根が地面近くまで葺きおろされています。

納屋

上馬屋(かみのうまや)は、当主が所有している馬をつないでいたところです。南部地方は、古くから駿馬の産地として知られており、南部駒の中でも特に優れたものが当主の馬に選ばれました。

上馬屋

中馬屋(なかのうまや)は、来客用の馬を繋いでいたところと考えられます。

中馬屋


野鍛冶場


野鍛冶場


鍛冶工房


航空写真と概略図


南部氏の支配圏

今回訪問した盛岡城、九戸城、根城は、いずれも南部氏に関わりのあるお城でした。
奥州南部氏の始祖、南部三郎光行は、甲斐巨摩郡富士川西岸の南部郷(現・山梨県南巨摩郡南部町)を領していました。
文治 5年(1189年)秋の奥州平泉攻撃に、加賀美遠光父子四人が頼朝の本陣に従軍、藤原泰衡軍との合戦に功を立て、その功によって南部光行は陸奥国糠部五郡の土地を給されました。
下の系図には、一戸、三戸(宗家)、四戸、七戸、九戸とともに、八戸(根城南部氏)が登場しています。三戸南部氏(宗家)については前々報の盛岡城で、九戸氏と四戸氏の盛衰については、前報の九戸城で述べました。
南部光行
 │
 │┌行朝 一戸氏の祖
 │├実光 三戸南部氏(宗家)の祖
 │├実長 八戸氏(根城南部氏)・波木井氏・(伊勢南部氏)の祖
 └┼朝清 七戸・久慈氏の祖
  ├宗朝 四戸氏の祖
  └行連 九戸氏の祖
そしてここ根城については、八戸氏(根城南部氏)です。
八戸氏の師行は、南朝方に参加し北畠顕家の陸奥下向に従って甲斐国から八戸に移りました。以後、八戸氏(根城南部氏)は南朝方として活動します。また師行は八戸根城を築いたとされます。
南部師行は1338年、北畠顕家とともに泉州石津(堺市)で討ち死にしますが、その後も根城は師行の子孫らによって守られ、南部氏の居城として数々の歴史や伝説の舞台となりました。
秀吉の時代、根城南部氏は同族の盛岡南部氏の家臣格となり、やがて1627年、八戸氏は八戸から遠野城(岩手県遠野市)に移封となり根城は廃城となりました。

根城から八戸駅までは、往きと逆向きの路線バスに乗って移動しました。
八戸から東京までは新幹線で移動し、2泊3日の今回のお城めぐりを終了しました。
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