弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

モデルナジャパン社長・鈴木蘭美さん

2022-04-25 00:00:41 | Weblog
日経新聞夕刊のシリーズ記事「人間発見」、4月18日~22日は、モデルナ・ジャパン社長の鈴木蘭美(すずきらみ)さんでした。
第1回 4月18日
第2回 4月19日(写真は通学路だった巴波川沿いの遊歩道)
第3回 4月20日(写真はUCLで博士号を得たとき)
第4回 4月21日(写真はエーザイ時代2015年)
第5回 4月22日

私は鈴木蘭美さんについて全く存じ上げませんでした。日経のシリーズ記事を読んでも、全経歴が凄すぎて、まだ全体像がつかめずにいます。ネットでも、鈴木蘭美さんの情報は極めてわずかです。
まずは、年代に沿ってまとめてみます。こちらの情報も援用しました。

母の実家の栃木県栃木市で生まれた。
3歳の時両親が離婚、父の記憶はほとんどない。
小学校1年生まで東京の鶯谷や金町で過ごした。母が働いていたので鍵っ子。
6年生で栃木の祖父母に預けられた。
中学からは埼玉県飯能市の自由の森学園に通い、寮生活となった。鈴木さんはのびのびしすぎて勉強に身が入らなかった。
このまま日本にいたらずっと遊んでしまうと思い、中学卒業後は海外への留学を志した。母からは「高校までは日本にいなさい」と言われたので、高校には行かずに大検に合格しようと考えた。当時は理系は苦手だったが、大検に向けて勉強するうちにサイエンスの世界に引かれていった。
まず向かったのはスウェーデン。英語を猛勉強し、最上級の英語検定とされる英ケンブリッジ大学の「ケンブリッジプロフィシエンシー試験」を受けた。
18歳でウェールズ大学に入学。
エクスター大学で修士課程に進んだ。
ここで学友2人が相次いでガンを患った。2人が苦しむ姿を目の当たりにして、ある朝「私はガンを完治するために生まれてきた」とのメッセージが心に焼き付いた。それをドイツ人教授に話すと、教授は、親友のバウム教授を紹介してくれた。バウム教授はユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の医学部で乳がんを専門とする外科医だった。教授はマイクロ・オヘア教授を紹介してくれた。
オヘア研究室で働くことになり、実験助手的な仕事をした。先生は奨学金の手続きまでしてくださり、おかげで1999年、UCLで博士号を取ることができた。
インペリアル・カレッジ・ロンドン(ICL)でポスドクとなり、乳がんの研究に取り組んだ。
2000年4月、日本のベンチャーキャピタルITXの欧州事務所(ロンドン)に就職した。欧州とイスラエルのヘルスサイエンスに投資をする仕事だった。
2004年エーザイ・ヨーロッパに転職。2006年にエーザイ入社、2016年にはエーザイ本社の執行役となり、がんとアルツハイマー型認知症の治験薬の開発に取り組んだ。
2017年にヤンセンファーマに移り、がん、結核などの薬を出すとともに、重度うつ病の開発にも取り組んだ。
21年秋(ヤンセンファーマからフェリング・ファーマに移って10ヶ月後)、モデルナ・ジャパンの社長になるよう誘いを受けた。
『mRNAは人類の歴史を変える画期的な技術だと確信していたので、「私がやらずに誰がやる」との思いでした。』

上記の経歴の通り、鈴木さんは高校を出ていません。世の若者が高校生活を送る年代を、スウェーデンで独学しています。この時代について、
『オフは近くの森で過ごしました。歴史と自然に富むこの街での2年間は宝物です。』
と記載されているので、普通に日本の高校に通学するより以上の有益な青春時代を過ごしたようです。

博士課程で勉強していた頃、
『周囲の好意で勉強を続けられる幸運に感謝し、「恩返しをしなければ」という思いに駆られるようになりました。がんで知人が亡くなると自分のせいだと思うようにもなりました。カウンセリングでは「背負っている十字架を下ろしなさい」と言われました。
この頃、別の転機もありました。ともに十字架を背負ってくれる伴侶との出会いです。』
2000年に結婚したのは、やはりがん研究者の英国人の男性でした。
3人の息子さんがおられます。2人は大学生、三男は高校生です。
『勤めながらの育児は大変でしたが、研究者仲間だった夫が、日本に帰国した2006年10月から、主夫に専念してくれたので、乗り切ることができました。私のキャリアがあるのは彼のおかげといっても過言ではなく、いくら感謝しても足りません。』
エーザイ・ヨーロッパを経てエーザイに入社した2006年に、日本に移ってきたのですね。そのときから、軽井沢に住み、片道2時間の新幹線通勤を始めました。この4月には東京にも居を構えました。

ベンチャーキャピタルITX時代、投資先を探して欧州とイスラエルの大学を訪ね回る日々でした。ベンチャーを立ち上げた若手経営者たちと熱く語り合い、彼らの夢と野望に心を躍らせました。
ただし、新薬の開発には膨大な時間が必要で、市場に出るまで10~15年かかるのも普通です。一方、VCの投資期間は8~10年程度と短いです。矛盾に悩んだ末、エーザイヨーロッパに転職しました。

もともとエーザイには優れたがんの新薬候補があり、認知症の薬は開発すれば社会に大きく貢献すると考えました。
『製薬会社は負担を他社と分け合っておらず、すべて自社でまかなうビジネスモデルに固執していました。そんな中、米企業と連携し、6つの化合物について、11の適応症を開発したので、かなり周りには驚かれました。』
「ギリアデル」という悪性脳腫瘍の新薬の開発では、ノーベルファーマ(東京・中央)と組みました。開発と販売の権利はエーザイにあったのですが、社内にこの分野のエキスパートがおらず、一方で、この分野に精通したノーベル社のYさんから「私に任せてくれ」とのオファーを受けました。約束通り、Yさんはギリアデルの承認取得をなし遂げ、晴れて日本の患者に届けることができました。
『認知症治療薬の開発も、開発を進めていた米バイオジェン社と共同で行うことにしました。』
『アルツハイマー型認知症の新薬登場が長年滞っていたなか、先頭を走って承認を得たことで、この領域に挑戦する研究者たちを勇気づけることができたと、誇りに思っています。』

日本の新型コロナ対策の問題点として、「リアルワールドエビデンス」(実世界においての証し)が欠けていることだとのことです。英国では毎週、政府がコロナ感染の報告書を出しており、どのようなワクチンを接種した人が、その後どうなったかなどが一目でわかります。
それに対して日本では、接種履歴、医療情報、介護情報という3つの情報がつながっていないので、英国のような調査を定期的に行うのは事実上不可能なのです。

やはりそうでしたか。私は、この2年間の日本でのコロナの対応を見ていて、整理された情報が全く出てこないことを疑問に思っていました。データが出てくるとそれは外国のデータです。「日本ではデータが蓄積されていないのだろう」と想像していたのですが、想像していたとおりだったのですね。

日経新聞の「人間発見」や「こころの玉手箱」では、今まで知らなかった凄い人を知ることができます。このブログでも、国連事務次長・中満泉さん 2020-06-13建築家・早間玲子さん 2020-06-14を紹介してきました。
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