弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

島津製作所~創業記念資料館

2010-11-11 22:16:50 | Weblog
10月9~11日の連休には家族で京都を訪問しました。
宿は鴨川の西側、丸太町橋近くです。その宿の近くに島津創業記念資料館があるということで、最後の日に訪問しました。
島津製作所は1875年創業なのですね。1975年に創業100年を記念して、創業者である初代と二代目島津源蔵の遺徳を偲び開設したのがこの資料館だそうです。この地は島津製作所の創業の地でもあるようです。
   
左上写真が資料館です。後のレンガ色のビルではありません。手前の木造家屋がそれです。ウィキには「創業初期に島津の住居・研究所として使われていた建物を保存・公開している。南棟・北棟ともに国の登録有形文化財(1999年12月登録)である。」とあります。右上写真は入館のしおりで、そこに描かれた家屋が創建当時の状況を表しているのでしょう。
外観は古い木造家屋ですが、玄関から中に入ると、コンクリート製の堅固な構造になっています。おそらくコンクリート製の中味を作った外側に、木造家屋の外側をかぶせてあるのでしょう。

私自身は島津製の測定器などを使用した記憶がないのですが、島津製作所の名前はよく知っています。
田中耕一さんのノーベル賞受賞が報じられた直後、記者会見に当たって田中さんの後に旧島津藩の丸十字の紋所が掲げられていました。それを見て“薩摩揚げを作る会社か”と勘違いした人もいるそうです。
私はそのような勘違いはしなかったものの、てっきり創業者の島津さんは薩摩の島津家の縁続きと思っていました。
しかし説明書きによると、島津製作所の創業者である初代島津源蔵は島津家と血縁がありません。江戸時代、薩摩の島津義弘が京都の伏見から帰国の途上に播州姫路の領地に立ち寄った際、そこに住んでいた井上惣兵衛尉茂一が領地の検分などの世話をしました。それに対する褒美として“島津”の姓と“丸十字の家紋”をもらったのだそうです。

創業者の島津源蔵は京都のこの地で仏具製造業を営んでいたそうです。源蔵は近くに開設された工業試験場に通って理化学の知識を深め、明治8年(1875)に教育用理化学器械の製造業へ転進しました。下の写真にある展示品についても、教育用機器が多くを占めています。
初代の長男である二代目島津源蔵も発明工夫の才能を発揮し、さらに医療用X線装置、蓄電池などの新分野を切り開きました。展示品の中に“GSバッテリー”と紹介されたものがありましたが、GSバッテリー(現在は湯浅電池と合併)は島津源蔵の創業だったのですね。
 
 
  
避雷針模型            説明用無線電信機       1781年製作日本最古の顕微鏡

 
教育用組み立てラジオ              円柱に写っているのは?

 
                       島津マネキン

島津には“標本部”という部署があり、そこで国産第一号のマネキンが製造されました。1925年頃、人体模型製造技術を応用して国産化したそうです。1931年には二代目源蔵の次男である良蔵が東京美術学校彫刻科(現・東京芸大)を卒業して入社し、マネキン製作に加わったそうです。
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