弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

小林篤「幼稚園バス運転手は幼女を殺したか」(2)

2009-07-10 21:38:44 | 歴史・社会
前々回に引き続き、小林篤著「幼稚園バス運転手は幼女を殺したか」を追います。

《菅家さんの供述の不思議》
公判廷における質問者と菅家さんの問答を解析すると、「○○について教えてくれ」との質問にはほとんど答えられません。一方、「□□ですか(y/n)」と質問するとたいてい「はい」と答えます。「いいえ」とは答えません。結局、質問者が「□□」と言った方向で、菅家さんの答えができてしまうのです。質問者が誘導尋問しようと意図しなくてもです。
後で触れる精神鑑定書では、菅家さんは知能指数が77で、普通域と精神薄弱の中間に当たる「精神薄弱境界域」と判定されます。そして菅家さんの小中学校時代の内申書では、意志薄弱、迎合的、服従的などと評価されています。
このような知能と性格が重なったとき、その人が少年時代から大人になるまでの生活の中で、常に目の前の相手に迎合することによって何とか生き、そのような処世術を身につけたとしても不思議ではないそうです。
このように考えると、取り調べ開始後、警察官や検察官に迎合し、裁判長に迎合し、さらにちょっと恐ろしく感じた自分の弁護士にも迎合して、「自分がやりました」と供述したとしても不思議には感じません。
一審の公判の途中で、菅家さんは家族への手紙で「自分はやっていない」と主張し始めます。一審の弁護士はこのような被告人の態度変化に内心でカチンと来ました。それを敏感に察した菅家さんは、弁護士に怒られるのが怖くて、「やはり自分がやりました」と言ってしまうのです。

《小児性愛者であるとの精神鑑定》
本件では、上智大学の福島章教授が精神鑑定人として鑑定を行っています。
鑑定人は、菅家さんを小児性愛者であると結論づけます。
ところがその根拠というのが、菅家さんがマミちゃんを殺害してイタズラしたという趣旨の供述の内容を元にしているのです。供述が嘘であれば鑑定の根拠が崩壊すると言うことです。
また、菅家さんが尾行されていた当時に勤務していた幼稚園の園長が「菅家さんはすごくねちっこい印象で、童話『赤頭巾』の狼を連想した。子供たちも『変なおじさん』と騒いだ」と証言した内容をそのまま鑑定で採用しています。しかし、以前長期間勤務していた幼稚園の関係者を含め、菅家さんについてそのような印象を持った人は他にはいません。菅家さんをこのように評価したのはこの園長とその息子だけだったのです。「変なおじさん」も志村けんになぞらえたからかいに過ぎませんでした。

《DNA型鑑定》
栃木県警の科捜研から、警察庁科警研の小沢技官へは、その当時開発されたDNA型鑑定をやってもらうよう、再三の依頼をしますが、小沢技官は頑強に拒否していました。最終的には依頼を受けるのですが、なぜこのように頑強に拒否したかは不明です。著者は、「検査資料が少なすぎて鑑定結果に自信がなかったからだろう」と推察しています。そして最後に(しぶしぶ)受けたのは、本庁(警察庁)から何らかの圧力がかかったからだろうと。
そのようにして得られた鑑定結果は信用おけない、と著者は結論づけます。今般の再鑑定の結果、まさにその結論が裏付けられました。
しかしまさか、決して資料が少ないとはいえない菅家さんのDNA型まで誤って鑑定していたとは・・・、そこまでは予測できませんでしたが。


以上のように矛盾だらけの起訴事実であり、控訴審の弁護団はそれを詳細にわたって明らかにしました。弁護団は「裁判所は有罪判決を書けないだろう」と予測します。弁護団からのいくつもの証拠申請を却下した上での審理終結だったので、弁護団はてっきり無罪判決だと予想したようです。しかし、結果は逆でした。控訴審判決では、捜査段階での菅家さんの自白を真実であると断定し、控訴を棄却しました。
法廷で傍聴する著者の小林氏は、判決を朗読する裁判長の言葉を聞いています。
「なぜ3人の裁判官たちは、弁護側の2320枚を費やして踏み込んだ反証に対して、正面から検討した判決内容を提示しないのか。そんな疑念を脹らませながら、毛髪鑑定、精神鑑定・・・と朗読が進むのを聞いていると、高木裁判長の声が途切れた。彼は、判決文からふっと目を離し、菅家被告が被害者の死体を陰部までも舐め回したと供述したことに触れ、こんな感想を漏らした。
『だって、自分から舐めたなんて、ふつうなら言えないですからねえ・・・』
(中略)
高木裁判長が法廷には似つかわしくないくだけた調子でふと漏らした言葉は彼の人間洞察によるもので、本音だったのではないだろうか。ひとことで言えば、これの根っこにある人間観が『犯人以外の者は、幼女の陰部を舐めたとは言わない』と、判断したように思う。それが、菅家被告を有罪とする4つの証拠の信用性を認め、証拠能力や証明力に過大な評価を与えたと考える。」

上告審において、弁護団は菅家さんの毛髪を用いたDNA型鑑定結果を提出します。科警研の判定結果と相違していました。
上告理由の中心は、刑事訴訟法の下記条文のようです。
「第411条  上告裁判所は、・・・・・左の事由があつて原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるときは、判決で原判決を破棄することができる。
一  判決に影響を及ぼすべき法令の違反があること。
三  判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があること。」
しかし、最高裁は丸4年の歳月を費やした後、「原判決に、事実誤認、法令違反があるとは認められない。」として上告を棄却しました。

なぜこのような審理結果になってしまったのか、今後の犯罪捜査や裁判においてどのような点を注意すべきなのか、といった反省が必須です。
しかしこれからはじまる再審では、そのような点は審理されないでしょう。再審の場は、菅家さんの有罪無罪を決定する場であって、捜査や審理の反省をする場ではないからです。
むしろ、菅家さんが国家賠償のような訴訟を起こし、その中で争っていくことの方が有効であろうと思われます。


それからもう1点。
著者の小林氏が最初に評論を公表した雑誌「現代」は、先日休刊になりました。また、この著書を発行した草思社も、何年か前に消滅しました
小林氏が生み出したこのような労作は、雑誌「現代」や草思社によってサポートされていたわけです。これから先、秀逸なノンフィクションレポートを生み出していく土壌はますます涸れていくことになるでしょう。
何とかならないものでしょうか。
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