<2571> 余聞、余話 「梅原猛さんの逝去に寄せて」
師は常に我が行く先にありながら意識の端に顕ち現るる
平成最後の年に哲学者の梅原猛さんが亡くなった。九十三歳だった。独創的な仮説による『隠された十字架 ―法隆寺論―』に始まり、『水底の歌 ―柿本人麻呂論―』、『赤人の諦観』、『神々の流竄』など既成の概念や見解に対し、権威的でない当事者目線をもってその資料に真っ向から挑み、次々に特異の論を展開し、発表した。これらの著作に、私などは歴史の真実が何処にあるのかという点に興味を抱きながら読んだ。
梅原さんの仮説には大胆で鋭いところが感じられるが、それは史実に対し従来の常識的見解に縛られず、当事者の思いを探り、歴史の真実を見つめようとした点にあると思われる。梅原さんはこうした既成概念に彩られた教科書的史実への問いかけを展開する一方、哲学者として現代文明への問いを欠かさず発し続けて来た。私などはこうした梅原さんが発信する考え方に惹かれるところがあった。その論は問いかけの形で展開されることが多かったように思われるが、その問いは日本的自然観に基づくもので、西洋文明の象徴的存在である理性主義のルネ・デカルトに向けられていたことが今も思われる。
デカルトの理性主義は理性を有する人間が一番であるとうい思想で、このデカルトの考えは科学技術に後押しされ、どこまでも理性的人間が優位にあるとし、自然は対立要素に過ぎず、人間に征服される対象と見なされてあった。これに対し、梅原さんは自然があって、その自然の万物の中にいろんな生きものがいて人間も存在するという論を張った。これは神を自然の中に捉える日本的な考えで、和辻哲郎の『風土』の論にも通じ、作家吉川英治の座右の銘「我以外皆我師」にも通じるものの考え方であると、私などは当時からこのように理解していた。
こうした自然に立脚した考えは、自然に対する畏怖と敬意から来ているもので、人間自身を謙虚に見ていることの証と受け止められ、それは死生観にも通じ、死というものを見つめ考えたことでも知られる。親鸞を語り、日本精神の一系譜として書かれた『地獄の思想』などにも反映されている。で、「我思うゆえに我あり」とする理性における人間は死なないとするデカルトの論に真っ向から疑問を呈したのであった。
とにかく、梅原さんの存在は、日本の古代史の捉え方に始まり、西洋哲学に影響されて来た日本における現代文明への懸念まで、その思想的一貫した裾野の広さを持っ梅原ワールドと言ってもよく、一人の哲学者であるが、思想家としての影響力大にして、何か現代日本には重石的存在であると感じられたことが今さらのように思われて来る。
デカルトに発する西洋文明の延長上にある日本の現代文明に疑問を呈し続けて来た梅原さんが見ていた理想の風景というのは日本人の自然観に基づいていたということを思い返すに、その死は何とも淋しい感がある。