大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2019年01月10日 | 植物

<2562> 大和の花 (700) トウヒ (唐檜)                                               マツ科 トウヒ属

          

 エゾマツ(蝦夷松)の変種で、主に亜高山帯においてシラビソ、コメツガ、ウラジロモミなどと混生する常緑高木の針葉樹で、高さは25メートルほど、幹の太さは直径1メートルに達するものもあると言われ、樹冠は円錐形になる。樹皮は暗赤褐色で、新枝は褐色から次第に赤味を帯びて来る。葉は長さが7ミリから1.5センチの線形で、表面に白い気孔の帯が2本あるが、ウラジロモミやシラビソのように先端が凹むことはない。

 雌雄同株で、花期は5月から6月。雄花も雌花も前年枝の先端につく。雄花は黄褐色の円柱形で、雌花よりも小さい。雌花は鮮やかな紅紫色で、種鱗が外に現れ、模様になってよく目につく。花時には上向きにつくが、球果になると下に向く特徴がある。球果も円柱形で、長さは3センチから6センチ。エゾマツより小さい。また、球果は長く枝に残り、雌雄の花と球果が同時に見られることがある。

 福島県の吾妻山、中部山岳、紀伊山地の高所に分布する日本の固有種で、大和(奈良県)では寒温帯域に当たる台高、大峰山地の標高1600メートル以上に群落が見られ、シラビソやウラジロモミと混生し、台高山地の大台ヶ原や大峰山地の弥山、釈迦ヶ岳などでは純林に近い群集も見られる。近年、台風やシカの食害によって被害が拡大し、奈良県のレッドデータブックは絶滅危惧種にあげている。なお、大峰山地のものは南限として注目種にもあげられている。  写真はトウヒ。左から雌雄の花と球果が同時に見られる枝、雌花、雄花、大量の球果(大台ヶ原ほか)。    

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 ところで、紀伊山地におけるトウヒ(唐檜)の生育状況を見ると、台風やシカによる被害が報告され、シラビソ(白檜曽)ととともに奈良県では絶滅危惧種にあげられ、大切にしたい植物として保護の啓蒙や活動が展開され、その努力の成果か、最近は以前のような被害状況を脱している感がうかがえる。しかし、問題は完全に解決に及んでいるわけではなく、なお、問題点があることが我が観察眼からは指摘出来る。

 大台ヶ原では1959年の伊勢湾台風によって日出ヶ岳から正木ヶ原に至る辺り一帯の斜面に広がるトウヒ林が壊滅的被害を受けて立ち枯れ、その後、徐々に風化し、今はほとんどその姿がなくなり、ミヤコザサの笹原になっているのがうかがえる。このときの被害は、暴風だけでなく、海水の塩分を含んだ風雨、つまり、台風が巻き上げた海水による塩害も考えられるということ。この考えは立ち枯れている被害状況からの推察による。

 台風は毎年やって来るが、この伊勢湾台風は巨大で、湾岸一帯の高潮被害を引き起こした。高潮が猛烈であったことは、南東乃至は南の風が強烈だったことを示すもので、その暴風は海水を巻き上げ、塩分を含んだ状態で大台ヶ原の南東斜面のトウヒ林を襲った。倒木のみならず、立ち枯れを考えるとき、この推論に及ぶ。一時、酸性雨が問題視され、話題になったが、最近言われなくなったのは地球環境がましになったからか。

  とにかく、大台ヶ原のトウヒはそれ以後、シカによる食害なども深刻になり、ピンチが続いて来たわけである。とにかく、伊勢湾台風の後、大台ヶ原の南東斜面のトウヒ林は壊滅的状況に陥り、その姿をなくしてしまった。言わば、このトウヒ林にとって伊勢湾台風は最悪のコースを辿った大型の台風だったということになる。

 その後、シカの頭数が増え、シカの食害による被害が深刻化し、幹の樹皮が剥がされた木々が目立つようになって来た。シカには材質が軟らかいので食べやすく、脂を含んでいるトウヒやシラビソの樹皮は美味しいのか、食害の被害が集中するようになり、対策が求められ、その対策として、幹に金網を巻きつけたり、シカ避けの防護柵やネットを張りめぐらせる対策が施され、シカの駆除も考えられて来た。

  結果、最近、その成果が見られるようになり、シカに樹皮を剥がされたトウヒも見なくなった。しかし、問題が完全に解決したわけではなく、トウヒ林やシラビソ林にはなお指摘される危機が潜んでいることが観察者には見て取れるところがある。それは別の要因も絡んで衰退への状況が見て取れるからである。

  大峰山脈の南の主峰釈迦ヶ岳(1800メートル)の山頂付近一帯にもトウヒの群落が見られるが、その群落の最下部に当たる標高1600メートル付近で立ち枯れが進んでいることである。これも推論に過ぎないが、この現象は温暖化の影響によると考えられるところがある。温暖化とする理由は釈迦ヶ岳だけの現象ではなく、大峰山脈の主峰で、近畿の最高峰として知られる八経ヶ岳(1915メートル)の山頂付近にトウヒと混生して群生するシラビソに見られる現象に重なる。

  『奈良県樹木分布誌』(2012年・森本範正著)は八経ヶ岳のシラビソについて「大峰山地の弥山、八剣山(八経ヶ岳)、明星ヶ岳、頂仙岳の、標高およそ1700メートル以上にトウヒと混生し、上部ではシラビソが優先する。最近台風による倒木・枯死が多く、さらにシカによる食害もひどくて衰退が著しい。シカはシラビソの幼樹を選択的に食べるので、シラビソ林は将来トウヒ林に移行する可能性がある」と指摘している。

 この指摘には温暖化の影響を加える必要があるのではないか。というのは、トウヒとシラビソの植生は垂直分布でトウヒがシラビソの下部に当たり、上部のシラビソと下部のトウヒが混生している分布状況にある。トウヒがシラビソの純林まで及ぶにはシカの要因もさることながら温暖化の要因が加わる必要があるからである。

  この考えを釈迦ヶ岳のトウヒ林下部の立ち枯れが進んでいる状況に当てはめると、温暖化が微妙に影響しているということが言えそうである。つまり、シカの食害がなくても、温暖化の下ではシラビソもトウヒも山の上部へとその群落を移して行くことになり、八経ヶ岳のシラビソにはそれより上はないわけであるから、温暖化がこれ以上進むと、優先樹のシラビソはトウヒに取って代わられ、消滅すると言えるわけである。言わば、生にとって環境は第一であり、これは植生にも言えるということなのである。

 写真は左からシカの食害に遭ったトウヒ(大台ヶ原で、2003年)、立ち枯れが目立つ大台ヶ原の南東斜面(1999年)、立ち枯れが風化によりほとんどなくなった大台ヶ原の南東斜面(2015年)、釈迦ヶ岳西面の標高1600メートル付近のトウヒ林の立ち枯れ(2015年・古田の森付近の登山道より)。       人はひと人を生きゐるものにありみなそれぞれに個性の発露