<2573> 大和の花 (708) ヒノキ (檜) ヒノキ科 ヒノキ属
ヒノキ属の仲間は世界に6種、日本にはヒノキ(檜)とサワラ(椹)の2種が自生し、ともに日本の固有種として知られる。ヒノキは山地を生育地とし、標高の高い山岳にも見られる常緑高木の針葉樹で、高さは30メートル、太さは60センチほどになる。樹形は円錐形になるが、先端は丸まり、尾根筋などの風衝地や岩場に生えるものは低木になることもある。
樹皮は赤褐色で、縦に剥がれる。葉は長さが1ミリから3ミリの鱗片状で、十字対生し、単葉で構成されているが、全体では複葉のように見える。表面は濃緑色で光沢があり、裏面は淡緑色で、葉の境に白い気孔帯がY字形に入る特徴がある。
雌雄同株で、花期は4月ごろ。雌雄とも枝先につき、雄花は長さが2、3ミリの楕円形で、赤味を帯びる。雌花は直径3ミリから5ミリほどの球形で、ともに多数つく。球果は直径が1センチほどの球形で、開花年の秋に熟し、赤褐色になる。熟すと果鱗が開き、種子を出す。
本州の福島県以西、四国、九州(屋久島まで)に分布、大和(奈良県)では広く県全域に植林され、どこでも見られるが、自生のヒノキは「県中、南部の崖や岩場、またおおよそ1500m以上の高所に生えている」との報告がある。自然林としては大台ヶ原の温帯性ヒノキ群集(上北山村)、妹山樹叢のヒノキ群落(吉野町)、吉野山地ヒノキ・ツクシシャクナゲ群集(吉野郡一円)が知られる。
ヒノキは『古事記』の須佐之男命の神話に登場するなど古くより知られ、『万葉集』にも檜(ヒ)の古名で9首に見える万葉植物である。殊に檜原、檜山の用例が目につくことや『日本書紀』にスギ、マキ、クスノキなどとともに有用樹の認識による記述があることから、当時すでに植林されていた可能性がうかがえる。
材は緻密で耐久性に富み、精油分を含むことにより特有の芳香と光沢があるので、昔から第一級の建築材として用いられ、世界最古の木造建築物を誇る法隆寺に用いられていることはよく知られる。また、持統天皇代の藤原宮(橿原市)の造営に当たり、近江(滋賀県)の田上山(たなかみやま)から伐り出し運んだ役民(えのたみ)の歌が『万葉集』に見え、宮殿をヒノキで造ったことが伝えられている。
ヒノキはスギとともに日本の造林の主役で木曽のヒノキは名高く、伊勢神宮の20年に一度の遷宮には木曽ヒノキが用いられるという。一般にも高級材として用いられ、檜普請と言えば第一級の木造建築物として高い評価を得ている。また、風呂は檜風呂で知られ、その名を高らしめている。一方、樹皮も檜皮葺と呼ばれ、これで屋根を葺く。神社の屋根はこの檜皮葺が今も通例になっている。他にも使い道が豊富で、仏像の彫像などにも用いられ、葉や材に含まれる精油は薬用にも供せられている。
なお、ヒノキ(檜)の名は一説に「火の木」の意で、この木を擦り合わせて火を熾したことに因むという。また、日の木、霊(ひ)の木との説もある。 写真は左からヒノキ林、風衝地でコメツガ(右)と根を合体させて立つ個体、まだ熟していない球果、成熟した球果(大台ヶ原山ほか)。 名はあるは評価の聞こへたとふれば吉野杉あり木曽檜あり
<2574> 大和の花 (709) コノテガシワ (児手柏・側柏) ヒノキ科 クロベ属
中国原産の常緑小高木の針葉樹で、日本に自生は見られない外来種として知られる。高さは5メートルから10メートルほどになり、園芸品種も多く、育てやすいことから公園などに植えられる。樹皮は赤褐色で、古木になると縦に繊維状の裂け目が出来る。
葉は長さが2ミリほどの鱗状の単葉からなり、ヒノキの葉に似て一見複葉に見える。しかし、直立する枝に側立ちするので容易に判別出来る。葉はくすんだ緑色で、光沢がなく、表裏がないのも判別点になる。この葉の特徴により、『万葉集』の2首に登場を見るコノテカシハ(古乃弖加之波・兒手柏)に当てる説が見られる。
だが、2首には地名が見られ、1首には「奈良山の」とあり、他の1首には「千葉の野の」とあることから、中国原産であるこのコノテガシワに当てるには無理があるとの反論も出ている。歌を詳細に検分するとなかなか難しく、諸説が見られるのも当然と思われる。
『万葉集』に登場する植物には、①現存の植物とはっきり一致するもの、②現存の植物のどの植物に該当するか判断に迷いが生じ断定出来ないもの、③全くはっきりせず推論の方が先走っているものの概して3つのタイプが考えられるが、コノテカシハ(古乃弖加之波・兒手柏)は②のタイプに属するということが出来る。これは極めて情報が限られ、決定的な情報がないからで、言わば、諸説は諸説であって諸説の域を出ていないのが、『万葉集』のコノテカシハ(古乃弖加之波・兒手柏)には言えるということになる。
雌雄同株で、花期は3月から4月ごろ。雌雄とも枝先につき、雄花は黄褐色で多数つき、雌花は乳白色で1個ずつつく。球果の実は長さが2センチ前後の長楕円形で、若い球果は青白色で、秋に熟すと褐色になり、果鱗が裂開して種子を出す。
なお、漢名は側柏または柏で、葉には精油分が含まれ、漢方では側柏葉(そくはくよう)と呼ばれ、煎じて服用すれば、整腸、下痢止めに、種子は柏子仁(はくしにん)と称され、滋養強壮によいと言われる。 写真はコノテガシワ。左から雌花をつけた枝々、雌花のアップ、枝先の雄花群、側立ちする枝葉。 命とは生とはまさに未完なるゆゑにあるなりそしてゆくべく
<2575> 大和の花 (710) ネズ (杜松) ヒノキ科 ビャクシン属
丘陵や山地、または、尾根や岩場の日当たりのよい痩せ地に生える常緑小高木乃至は低木の針葉樹で、樹形は直立して、大きいものでは高さが10メートルほどになる。樹皮は赤褐色で灰色を帯び、枝は古くなると先端が垂れることが多い。葉は長さが2センチ前後の針形で、堅く、尖り、小枝の節ごとに3輪生する。
雌雄異株で、花期は4月ごろ。雌雄とも花は前年枝の葉腋につき、球果は直径9ミリ前後の球形で、翌年の秋に熟し、緑色から黒紫色になる。球果は杜松子(としょうし)と呼ばれ、利尿薬に、種子から採れる杜松子油は灯火に用いられて来た。また、ジンは球果の汁で香りづけした蒸留酒。材は淡褐色で、堅く緻密で、光沢があり、和白檀の名で知られ、ビャクダン(白檀)の代用として床柱や彫刻、細工物に用いられる。
本州の岩手県以南、四国、九州に分布し、国外では朝鮮半島から中国北部に見られるという。ネズの名は別名のネズミサシ(鼠刺)の略で、堅く尖った枝葉によってネズミ避けにしたことによる。杜松は漢名。古名はムロ(室)・ムロノキ(室木)で、『万葉集』の7首に見える万葉植物で、殊に瀬戸内海の海路の要衝鞆の浦(広島県)のムロノキはよく知られ、船旅の目印になっていたのであろう。覚束ない船の旅の心持ちに添い来て旅人を慰めた様子がうかがえ、万葉歌の樹木中、特異な存在として見える。
大和(奈良県)では北中部の低山帯の二次林中に見えるが、多くない。写真は左から直立して生える雄株、枝先の雄花、実をつけて垂れ下がる雌株の枝、裂開し種子が見える球果(當麻町の二上山ほか)。 死は未完なる完成に押印のごとあり訃報意識を強ひる
<2576> 大和の花 (711) コウヤマキ (高野槇) コウヤマキ科 コウヤマキ属
以前はスギ科に分類されていたが、葉や維管束などの形態の違いから独立科として扱われるに至り、現在は1属1種の日本固有の科であるコウヤマキ科に分類されている常緑高木の針葉樹で、北半球の中生代白亜紀以降の地層から化石が見つかっている。しかし、「第三紀末から第四紀初期にかけて、日本以外の場所からは絶滅した。したがって、かつては北半球に広範囲に分布していたものが、気候変動にともなって分布域を縮小し、ついには日本列島だけに残存した」(『日本の固有植物』)という。所謂、遺存植物である。
山地の岩場などに生え、他樹と混生し、高さは大きいもので30メートル超、幹の直径は80センチに及ぶものが見られるという。樹皮は赤褐色で、縦に長く裂けて剥がれる。枝は長枝と短枝からなり、葉は長枝に褐色の小さな鱗片葉が螺旋状につき、短枝に長さが10センチ前後の針葉が輪生状に多数ついて逆傘状になる。針葉は2個が合着し、先端が少し凹み、しなやかで、触れても痛くない。表面は緑色で光沢があり、裏面は淡緑色で、中央の合着部分に白い気孔帯がある。
雌雄同株で、花期は4月から5月ごろ。雄花は長さが7ミリほどの楕円形で、枝先に多数固まってつく。雌花は長さが数センチの楕円形で、枝先に1、2個つく。球果は楕円形で、開花翌年の秋に熟し、褐色になり松ぼっくりに似る。
本州の福島県以西、四国、九州(宮崎県まで)に分布し、大和(奈良県)では主に西南日本を2分する中央構造線の南側外帯に当たる紀伊山地に片寄って自生し、崖地や岩場に見られる。その名は和歌山県の高野山に多いことに因む。材は堅く、耐久性に富み、芳香があって建築材や風呂桶などに用いられ、枝葉は仏前に供えられる。これらの需要により植林され、吉野山のコウヤマキ群落は古くに植えられたものと見られ、奈良県の天然記念物に指定されている。
なお、コウヤマキ(高野槇)は秋篠宮家、悠仁さまのお印(御印章)で知られる。写真は左から崖地にゴヨウマツとともに生える個体、雄花をつけた枝、新旧の球果が見える個体(いずれも大台ヶ原山)。 我といふ生の存在他者といふまたの存在ともに身のほど