<543> 人生について
人生は 過去と未来と 現在と まさにこの身の 行きゆくにあり
<人生とは時の旅をしていることにほかならない>
ストア哲学の英知セネカは『人生の短さについて』の中で、「人生は三つの時に分けられる。過去の時と、現在の時と、将来の時である。このうち、われわれが現在過しつつある時は短く、将来過すであろう時は不確かであるが、過去に過した時は確かである。なぜならば、過去は運命がすでにその特権を失っている時であり、またなんぴとの力でも呼び戻されない時だからである」(茂手木元蔵訳)と述べている。で、私もここに「人生とは」という問いにおける一つの詩を作ってみた。
人生とは まさに 生きてあるということ。 生きてあるということは たとえば 過去と現在と未来、 つまり 時の旅をしていること 。 たとえば 息をしていることプラスα、 つまり 肉体と精神の働き。 たとえば 自問自答、 つまり思いの数にあるということ。 たとえば 悲願と祈願、 つまり 願う心と祈る心にあるということ。 たとえば 一期一会、 つまり 縁による他者との関わり 出会いの日々 。 そして それらをひっくるめて イメージすること 。 最高の人生とは 最高に美しくイメージ出来ること。 薔薇色の人生とは よく言ったものである。 しかし 私たちは みな 死に向かって歩み ほんのわずかな時の 妙味のうちにある。 知覚すべきは この妙味であり、 妙味を統べ司る神への納得である 。 人生とは イメージもさることながら この神への信、 つまり 神に寄せる得心への道程ではないか。
ここで、「神」について少し。「神社仏閣は、次から次へとわれらのまのあたり崩壊して来たが、ただ一つの祭壇、すなわちその上で至高の神へ香を焚く「おのれ」という祭壇は永遠に保存せられている」(岡倉覚三『茶の本』)と、また、「神、おそらく、それを考えない民族はほとんどない」(梅原猛『哲学する心』)というように、神とは自己それぞれのうちの祭壇に、実体を明らかにすることなく、畏怖をもって対する精神的な存在としてあり、そこでは個々に至高の香が焚かれるわけである。その神の座を山に例えるならば、それは如何なるにも動じない深く険しい山岳にあると思われる。写真はイメージ(稲村ヶ岳雪の峰)。