大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集 

2013年02月17日 | 祭り

<534> 小夫天神社のおんだ祭 (御田植祭)

       おんだ祭 声に待たるる 春を聞く

 十七日の日曜日、大和高原の一角、桜井市小夫の小夫天神社(おおぶてんじんしゃ)で、一年の無事と五穀豊穣、子孫繁栄の願いを込めた祈年祭とともにおんだ祭(御田植祭)が行なわれた。雪の残る寒さの厳しい日ではあったが、氏子たちが演じる所作の中で暴れ牛の登場などがあり、笑いが立ち上がることもあって、祭りは和やかに進められた。

 小夫天神社は天照大神を主祭神に、春日(天児屋根命)、天神(菅原道真)など五神を祀る神社で、『日本書紀』に由来する伝承地として知られる。『日本書紀』の崇神紀によると、第十代崇神天皇六年に、酷い飢饉に見舞われ、皇居内に祀ってあった天照大神を皇女豊鍬入姫命に託し、神人分離を行なって、倭笠縫邑に神籬(ひもろぎ)をつくって祀ったという。この邑の伝承地は三輪の檜原神社付近など数箇所にのぼるとされ、小夫天神社の所在地付近もその一つに数えられている。

                               

  天照大神はその後、豊鍬入姫命から第十一代垂仁天皇の第四皇女、倭姫命に代わり、倭姫命を御杖代(みつえしろ)に滋賀、岐阜など二十箇所以上の地を経て伊勢の現在地に落ち着いた。このため、倭笠縫邑の伝承地である檜原神社や小夫天神社等は元伊勢と言われている。

  また、小夫天神社は第四十代天武天皇の皇女大来皇女(大津皇子の同母姉、大伯皇女とも呼ばれる)が伊勢神宮の初代の斎王に決まったとき、近くの初(泊)瀬川の支流、化粧川で一年半精進潔斎するため籠った泊瀬斎宮の伝承地で知られることにもよって、天神とは呼ばれるものながら、天照大神に縁の神社であることが伝えられている。

                                                                

  天照大神は記紀の神話で知られる国造りの神であり、崇神天皇は農耕、殊に稲作によって国造りを進めた天皇で、天照大神をこよなく信奉したことを考えると、天照大神を主祭神に祀る小夫天神社の祈年祭におんだ祭(御田植祭)が行なわれることも何か通じるところがあるように思われる。このように歴史を誇るところであることは、もちろん、神社は氏神の意味合いが濃く、地域神として小夫の郷の人々に崇められている点もおんだ祭を見ていると見逃せないところである。

 写真は上段右から、魔除けの弓を引く宮司、魔除けの矢をもらった一家、氏子による田の畦をつくる所作、牛の登場する所作。下段左から、籾を蒔く宮司。松苗を植える氏子の所作、稲藁と榊でつくった花かずらをもらう人たち。花かずらは水田の水口に立てる。