<526> 掌 編 「花に纏わる十二の手紙」 (8) 水 仙 (すいせん) ~<525>よりの続き~
はるかなる海に向かひて咲く花の語らふごとく見ゆる水仙
植物でも動物でも生きものはみんな自然の風土に関わっているという風に常々思っていることもあって、水仙が海流に乗ってやって来たという漂着説に私は心を惹かれるのですが、この水仙郷の地元では、漁師が流れ着いた鱗茎を拾い上げて植えたという話があり、興味が湧きます。信憑性のほどはわかりませんが、人でなくても、鳥が啄んで陸地に運んだとか、台風などの暴風によって陸地に巻き上げられたとか、考えられないことはないと言えます。
地中海から太平洋へというのは考え難いですが、貿易船に乗せられていた鱗茎が何らかの形で海に落ち、漂流する間に、環太平洋の黒潮の海流(暖流)に乗って日本列島に運ばれて来たというのは考えられない話ではないと思います。実際に、南方の椰子の実が漂着したのを友人から聞き及んだ詩人が詩にしています。この椰子の実の例を見ても、暖流によって運ばれ漂着したという水仙の日本への渡来説は荒唐無稽なものではないように思われます。
「椰子の実」 島崎藤村
名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ 故郷の岸を離れて 汝はそも波に幾月
旧の樹は生いや茂れる 枝はなお影をやなせる われもまた渚を枕 独身の浮寝の旅ぞ
実をとりて胸にあつれば 新たなり流離の憂 海の日の沈むを見れば 激り落つ異郷の涙
思いやる八重の潮々 いずれの日にか国に帰らん
これがその詩ですが、椰子の実は堅く、時間が経過しても腐らずにあります。では、水仙の鱗茎はどうかということになりますが、鱗茎は海水に漂う間に腐るということはなく、その命脈をよく保つということです。私にはこの鱗茎の生命力が思われるところで、暖流による漂着説に気持ちが向かいます。
群生する水仙がみんな太平洋の大海原の彼方に向かって花を咲かせている様子が、水仙の渡来の経緯や由来とともに、私には、異郷の地に根づいて生き継ぐものたちの姿として、望郷ということに思いが行き、心に響いて来るものがあります。その望郷は海の明るさの中にあって、いつまでも見飽きることなく、この季節になると、この水仙郷を訪ねたくなります。一面に咲く水仙の花たちは、海面に反射する陽光のきらきらと輝く中で、故郷のいろんな思い出の場面を彷彿させ、私を郷愁人にさせるのです。
私が日本にやって来たのは父上との確執によることが大きかったと思いますが、遠く距離を置いているからでしょうか、五年という歳月によるからでしょうか、私にはわだかまりもほぐれ、以前とは違った気持ちでいられます。こちらでの生活にも慣れ、ずっと日本でやって行ける自信も出来て来ました。けれども、故郷が偲ばれます。不思議なことですが、これは遠くに離れているからかも知れません。水仙を見ながら、故郷というものが何かありがたいような気持ちになりました。
今日は、そういうことで、故郷のことを思い巡らせた次第ですが、母上並びに父上、ジャン、サンドラみんなのことも思い浮かべて懐かしさに浸りました。まさに、水仙のお陰ということです。写真も撮りましたので、二、三プリントを同封いたします。仕事の方は昨年の夏にお知らせした通りです。では、また。お身体を大切に。みんなによろしくお伝えください。 アランより
この手紙は、フランスの青年、アラン・ロベール(二十八歳)から母親に宛てたもので、彼は日本で園芸の勉強をした後、フランスに帰って園芸家になり、三十八歳で結婚、今は四人家族の主である。