<541> 万葉の花 (75) こけ (蘿、薛、苔)=コケ (苔)
冬の果て 苔よみがへる ころならむ
妹が名は千代に流れむ姫嶋の小松が末(うれ)にこけむすまでに 巻 二 (2 2 8) 河辺宮人
み芳野の青根が峯のこけむしろ誰か織りけむ経緯(たてぬき)無しに 巻 七 (1120) 詠人未詳
安太へ行く小為手(をすて)の山の真木の葉も久しく見ねばこけむしにけり 巻 七 (1214) 詠人未詳
奥山の磐にこけむしかしこけど思ふ心を いかにかもせむ 巻 七 (1334) 詠人未詳
集中にコケの見える歌は十一首あり、常緑で、古くから存在する岩などに生える特性をもって詠まれた「こけ生(む)す」の表現によっている歌が十首にのぼり、後の一首は1120番の「こけむしろ」とコケが一面に青々と生える状態を詠んだ歌である。
コケは蘚苔植物と呼ばれる代表的な隠花植物で、スギゴケなどの蘚類とゼニゴケなどの苔類、それにツノゴケ類を含めた三群の総称とされる。また、地衣類や菌類もコケと呼ばれ、花粉に代わる胞子によって繁殖する特徴を有する。前者は湿地や森の中、石の上、樹皮などに生育し、鮮やかな緑色の絨毯を敷いたように生えるものが多く、美しく見える。
『万葉集』の原文表記では蘿が九首、薛が一首、苔が一首で、みなコケと読む。一番多く用いられている蘿はカズラのことであるが、古訓ではコケで、松蘿と言われる深山などの古木に付着して糸屑のように垂れ下がるサルオガセであると言われ、この意に沿えば、蘿は蘚苔植物と見られる。だが、特定の種を指して用いられているのではないことが言えそうである。
薛については259番の歌一首のみに用いられ、これもツタに当てられた字であるが、古訓ではコケと読む。因みに、よく似た薜はヨモギを意味する文字で、薛のコケとは異なる。一方、苔は蘚苔の苔で、柿本人麻呂歌集より選ばれた歌に用いられており、時代的には早くに用いられているのがわかる。これらを総合してみると、蘿、薛、苔は特定のコケを指すものではなく、総称的に用いられていると思われる。
冒頭にあげた228番、1214番、1334番の歌は「こけ生(む)す」の例で、228番の歌は、「妹の名はずっと永久に姫嶋の小松の枝にコケが生えるまで」というほどの意になる。また、1214番の歌は、「安太へ行く小為手の山の真木の葉も久しく見ないのでコケが生えたなあ」となり、1334番の歌は、「奥山の岩にコケが生え、この岩と同じように畏敬の念が湧いて来るけれども、私の心は思うに任せないことです」という意に取れる。なお、1120番の歌は、「吉野の青根が峯のコケのむしろは誰が織りなしたのだろうか、経糸も緯糸もなしに」というもので、この一首のみ時間軸によらない歌であるのがわかる。
『古今和歌集』の賀歌に、「わがきみは千世にやちよにさゞれいしのいはほとなりてこけのむすまで」(読人しらず)とあって、これが我が国の国歌「君が代」の「君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌(いわお)となりて 苔の生(む)すまで」の本歌とされるが、コケにおける『万葉集』の歌を見ると、既に当時、コケという植物が長く続くものに添う意に用いられ、『古今和歌集』へと影響しているのがうかがえる。なお、コケの初見は『古事記』の須佐之男命の八俣大蛇退治の箇所で、大蛇の凄さを、その身にコケと檜榲(ひすぎ)が生えていることで表現している。このコケは長命、檜榲は大きさを表わし、その威力を象徴するのに用いられている。言わば、コケは長命を寿ぐ植物として見られて来たことが言える。
コケというのは温暖で湿潤な日本列島の風土に適った植物で、太古より見られ、水辺の植物であるアシと同じく、日本列島の特性をよく示すものと言ってよい。このコケの特性は私たち日本人に通じるところがあり、そのゆえに国歌にも反映し、歌い上げられている。つまり、このコケの存在は万葉当時からその認識にあったということになる。 写真はコケの様々な姿。
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