大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年07月17日 | 写詩・写歌・写俳

<1047> 境界について

      我らみな向かう三軒両隣 地球は丸く繋がってゐる

 最近、法務局による地所備付地図作成の調査が住民の立会いによって行なわれた。各戸がどのような登記状況になっているかの再確認で、隣との境界に新たな標を付けて行く作業である。元帳と照らし合わせながらの作業であった。我が家の場合は隣との境界がはっきりしているので、作業はスムーズに行なわれた。

 境界というのは所有欲に関わる話で、互いの納得が必要になる。どちらかに納得がなければ、そこには境界の成立はなく、トラブルの可能性が生じることになる。一センチでも譲らないというのは所有欲の現れであるが、日ごろの信頼関係も大きく関わるように思われる。個人の宅地で言えば、先代は大らかな人でよかったと言えば、先代がきっちりしていてくれていたらという不満も出るという具合である。

 とにかく、こうした隣家との境界の話は信頼によって成り立っているところもあるわけで、日ごろの関係が現れて来るということがある。法務局のように中立を旨とする公的機関による調査ということもあって、調査に手間取ることはなかったが、このような境界線の調査には隣家との日ごろにおける関係性というものが現れて来る。

                              

 話は変わるが、大阪奈良府県境には生駒・信貴山系を北に、金剛・葛城山系を南に褶曲山脈が横たわり、この山脈が二つの府県を分かつ境界になっている。普通に考えると、一番高い尾根筋が境界になっていると思われる。しかし、そうなっていないところがうかがえる。例えば、金剛山で言えば、山頂から西に下ったあたりも奈良県の御所市に属する。大阪方面が一望できる国見城址直下はカトラ谷であるが、暫く下った辺りまで御所市である。なぜ、そのようになっているのか、不思議であるが、これは双方の納得によってそういうことになっているのだろう。

 金剛山から北の大和葛城山に向かうには自然歩道に当たるダイヤモンドトレールを水越峠の鞍部まで下りて登り返すが、水越峠が大阪・奈良府県境になっていることはよく知られる。現在はトンネルで抜けることが出来るが、昔は峠を越えて大阪と奈良の行き来をしていた。

 ここの境界では、江戸時代に金剛山の水を巡って大和国側と河内国側の農民が争い、京都所司代に仲裁の提訴がなされ、河内側に流れる水を大和にも分けるという裁きがあったことは有名である。境界というのはそれほどシビアなところがあり、互いに筵旗などを立てて権利を主張し、水の流れを変える行動に出たようである。だが、互いに相手側をおもいやるところをもって仲裁はなった。で、現在もその水は両側に行き渡るようになっている。騒動はあったが、双方にとって話し合いによるこれがベストの解決方法だったのである。

 もっと大きな境界で言えば、この間も触れたが、国境の問題がある。海に囲まれた日本は海が国境線であるが、この海が隣国との接触において緩衝の役目を果たして来た。しかし、最近では、どこの国も海への関心が高く、国境に当たる島がクローズアップされるようになった。この境界は国対国の問題であり、そこに展開する所有欲には国の威信も加味され、問題を一層厳しくさせている。加えて、法務局や所司代のような公平で権威のある裁定者または仲裁者がいないことが問題を余計に難しくし、大国の横暴がまかり通るような仕儀になっている。

 島国の日本では多くの島がこの問題に直面しているが、尖閣諸島での中国との摩擦が最近ではクローズアップされている。この件を理由の楯に、国を守らなくてはならないという理屈によって現政権は平和憲法をなし崩しにし、集団的自衛権行使容認の閣議決定をした。これは水争いで農民が一揆の準備をするに等しいところがある。つまり、喧嘩を見通してのことであるが、こういうやり方では、国境の問題は何も解決しない。

 国境は境界の一つで、境界には必ず相手が存在するということであり、その相手は境界について、こちらと同じように境界への思い入れを持っている。その相手に敵対意識を持って臨めば、相手側もそれ相応に対処して来る。武器を持てば、より大きな武器を持つ。当然のこと、そこには武器を競う心理が働き、武器のエスカレートを見ることになる。緊張と不安は一層つのり、国境問題は解決に向かうどころか、より深刻さを増すことになる。これは国境を接する互いに言えることである。

 だから、そうした武力に頼るよりも、互いに信頼し合えるようにした方が、どれだけよいか知れない。これは個人の宅地における境界の話と少しも変わるものではない。日ごろ信頼関係を築き、仲良く出来ていれば、境界線に触れるようなときでも何の文句も出ることはなく、スムーズにことを運ぶことが出来る。

 国境線に資源があるのであれば、水越峠の水のように互いを慮り、共同開発でもやるくらいでないとこの問題は先に進まない。互いにもっと思いやることが大切なことである。戦備などで、国境の問題は解決せず、決してうまくは行かない。写真は金剛山の国見城址の時計と看板。これより西に下りた辺りも奈良県の県域である。

 

 

 


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