大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2018年12月23日 | 植物

<2545> 大和の花 (687) ヤブツバキ (薮椿)                                             ツバキ科 ツバキ属

          

 ツバキ属の仲間は日本を含む東アジアからヒマラヤにかけて約150種が分布し、日本には3種が自生していると言われる。北から言えば、本州の東北から北陸地方の日本海側の多雪地に分布するユキツバキ(雪椿)があり、本州、四国、九州、琉球と国外では台湾など東アジアの一部に見られるヤブツバキ(薮椿)があり、屋久島と沖縄に特産するヤクシマツバキ(屋久島椿)がある。これにユキツバキとヤブツバキの接触地域に見られる両種の雑種が見られるという。

 ヤブツバキ(一名ヤマツバキ)暖地性の常緑高木の照葉樹で、北海道には分布せず、東北地方では暖流の影響を受けている比較的暖かい海岸地方に集中的に見られる程度であるが、南西部の暖かい地域では平地から深山に至るまで自生し、日本のツバキの代表として見られ、世界のツバキの基本種とも見なされている。大和(奈良県)では暖温帯域の全域に分布し、一部冷温帯域でも見られる。

 高さは普通5、6メートルほどであるが、中には10メートルに及ぶものも見られる。滑らかな樹皮は灰褐色から黄褐色で、枝は淡褐色。葉は長さが5センチから10センチの長楕円形乃至は卵状楕円形で、先は鋭く尖り、縁には細かい鋸歯が見られる。質は革質で厚く、両面とも無毛。また、表面は濃緑色で光沢があり、裏面は淡緑色。葉柄は1.2センチ前後で互生する。

  ツバキ(椿)の名は葉が厚いので厚葉木(あつばき)、または、葉に光沢があり、つやつやしている津葉木(つばき)に由来するなど諸説がある。また、「椿」の漢字が当てられているが、これは春に花が咲く木の意によるもので、和製であると言われ、『万葉集』において初めて登場する。所謂、ツバキは万葉植物である。因みに、ツバキの漢名は山茶で、中国の椿(チャンチン)はセンダン科の落葉高木に当てられた名で、ツバキではない。

  また、中国では日本から渡来したツバキに対し海石榴の名をつけた。これはツバキの花がザクロ(石榴)の花に似ていることから海を渡って来たザクロという意で、この名が日本に逆輸入され、ツバキは椿のほか海石榴とも記され、『日本書紀』や『万葉集』などに海石榴の名が見える。これは中国の文化、知識の導入に気色だっていた当時の時代を反映する証左の一つと考えられる。因みに、学名はCamellia japonica Linne.で、Camellia はツバキをいい、この属名は17世紀に東洋で植物を採取したチェコスロバキアの宣教師カメルに由来するという。Linneは名づけ親のスエーデンの植物学者リンネである。

 花期は11月から12月と2月から4月とされるが、椿の字の通り、春が主で、俳句でも春の季語になっている。花は枝先の葉腋に単生し、赤い5個の花弁と茶筅のような形につく多数の雄しべの白い花糸と黄色い葯の彩りが美しい。希に白色や淡紅色の花も見られる。雌しべは1個で、花柱は先が3裂する。花は基部で合着し、普通咲いた状態のままポトリと落ち、木下が散り敷いた落花によって彩られることがよくある。

  また、花は花弁が完開することはなく、筒部の底のところに豊富に蜜を貯めるのでメジロなどの小鳥がよく訪れる。所謂、鳥媒花の一つにあげられる。実は蒴果で、直径2センチほど。ほぼ球形で、熟しても緑色を帯び、裂開して種子を現わす。

 材は堅く、紅褐色で、建築、器具、彫刻などに用いられる。花は花材に、種子からはツバキ油が採れ、生木の灰は媒染剤に用いられ、万葉歌にも詠まれている。また、古来より霊木としてあったこともよく知られ、奈良時代の交易市は海石榴市と呼ばれ、市の象徴として植えられていたのではないかとも言われる。

 現在のツバキはヤブツバキとユキツバキを基に膨大な品種改良によるツバキが現出し、その数は数千とも目され、公園や社寺の庭園などに植えられているほか、ツバキ専門の花の観賞を目的にした椿苑なども見られるという活況にある。 写真はヤブツバキ。左から枝に咲く花、花のアップ、散り敷く花、堅い殻に被われた実。 足らざる身ゆゑに足らぬを埋めるべく励むほかなき人生ならむ

<2546> 大和の花 (688) チャノキ (茶の木)                                          ツバキ科 ツバキ属

        

 中国南西部からベトナム、インド周辺が原産地と言われる常緑低木で、大きいものでは高さが10メートルほどになる。栽培される茶畑などでは畝状に植えられ、1メートルぐらいに刈り揃えられる。日本でも暖かい地方で野生するものが見られるが、自生かどうかはっきりしていない。

 樹皮は灰白色で、滑らか。枝をよく分け、新枝には毛が生える。葉は長さが5センチから9センチほどの長楕円形に近く、先は鈍く尖り、基部はくさび形。縁には波状の細かい鋸歯が見られ、葉の質は薄い革質で、表面にはツバキ属特有の光沢があり、裏面にははじめ長い伏し毛が生えるが、後に脱落する。葉はごく短い柄を有し互生する。

 花期は10月から11月ごろで、葉腋に直径2、3センチの花を下向きにつける。ほぼ円形の白い花弁は5個から7個つき、先が少し凹み、完開時には反る。花糸が白く、葯が黄色の雄しべは多数が総状に集まりつき、わずかに合着する。雌しべは1個で、花柱は上部で3裂する。

 チャ(茶)は中国が本場で、チャノキの学名はThea sinensis Linne.で、Theaは茶の漢音Tchaによる。sinensisは中国の古名である支那の意。Linneは名づけ親であるスエーデンの植物学者リンネ。因みに茶の英名はTeaで、これも漢音の茶(Tcha)から来ているものである。なお、日本の伝統色名の茶色はチャノキの葉を煮出した汁で染めた茶染めの色が基で、飲茶の習慣が広まった室町時代に認識されたという。

 チャノキ(茶の木)は単にチャ(茶)と言われ、中国における茶の歴史は古く、茶が解毒の薬用に用いられたという紀元前3000年の神農の伝説以来見える有用な樹木で、時代が下って唐の玄宗皇帝のとき、陸羽によって『茶経』が世に出て、喫茶が百楽の長として広まったと言われる。日本には遣隋使や遣唐使によって茶が伝えられ、天平時代(8世紀前半)に行基が諸国に49の堂舎を建て、チャノキの種を播かせたことが『東大寺要録』に見えるという。

 日本茶の由来は建久2年(1191年)栄西が宋より種子を持ち帰り、佐賀県の背振山に撒いたことに始まると言われ、同時に『喫茶養生記』を記し、茶の製法から効用までを広く伝えたと言われる。これにさきがけ、大和(奈良県)では、行基の徳行、功績の後、大同元年(806年)に弘法大師(空海)が唐より持ち帰った茶の実を植えて茶の製法を伝えたという伝があり、宇陀市榛原赤埴(はいばらあかばね)に茶の実とともに持ち帰った茶臼が保存されている。大和茶はこれが契機になったとも言われる。

 また、日本の茶道の祖と言われる村田珠光は奈良の称名寺の僧で、茶と禅の一致を説いて茶道を称揚した。500年ほど前のことで、その後、千利休が登場し、茶道の「茶の湯」を確立したことはよく知られるところである。そして、茶道本家は京都に本拠を置き、産地の宇治茶が生まれるわけであるが、大和茶が日本の茶道の元にあるとする見解を有する御仁は結構見られる。それは仏教をはじめ中国の文化、知識を取り入れることに熱を入れた奈良時代の時代的特徴が茶にも見られるということにほかならない。

 言わば、チャ(茶)のチャノキは地味な常緑低木であるが、日本人には物心両面において随分貢献し、親しまれて今にある貴重な樹木ということが出来る。それは茶道の精神性、或いは様式美のみならず、自動販売機で売られている飲茶のペットボトルを見ても、一般家庭の喫茶状況を思い巡らせても、私たちの社会生活に深く浸透し、飲料としてなくてはならない身近な存在としてあることが思われて来る。

 因みに、飲茶にされる荒茶(主に緑茶)の日本における産地は主に本州の関東地方以西、四国、九州に及び、静岡(静岡茶)を筆頭に、鹿児島(鹿児島茶)が群を抜き、三重(伊勢茶)、宮崎(宮崎茶)、京都(宇治茶)、福岡(八女茶)、奈良(大和茶)と続く。ほかでもほとんどの地域で生産され、その量は年間80000トン超に及ぶ。これは日本人が如何に飲茶を必要とし、茶を愛飲しているかを物語るもので、チャノキの貢献度を示すものと受け取れる。 写真はチャノキ。左から花、実、茶畑。

 欲すれば頂くことの叶ふ身のたとへば熱き茶のありがたさ 

 

<2547> 大和の花 (689) サザンカ (茶梅・山茶花)                                  ツバキ科 ツバキ属

               

 温暖地の山地に生えるツバキの仲間の常緑小高木で、普通高さは5、6メートル。大きいもので15メートルに及ぶものもあるという。樹皮は滑らかな淡褐色で、新枝は毛が多く、褐色。葉は長さが3センチから5センチの楕円形に近く、先はやや尖り、縁には細かい鋸歯が見られる。質はやや薄い革質で、表面には光沢があり、裏面は淡緑色。ごく短い柄を有し、互生する。

 本州の山口県、四国、九州、沖縄に分布する日本の固有種で、自生のものは普通ツバキより小さい純白一重の5弁花で、花弁の先が凹み、枝先に無柄の1花をつける。ツバキと異なり花弁が合着しないので花びらがそれぞれに散る。純白の花がサザンカの本来の姿であるが、品種改良による園芸種が多く、花は多彩に及び、一重のほかに八重咲きなどもあり、花期も秋、冬のみならず、春にも見られるものがあり、概して花つきのよいものが多い。俳句の季語ではツバキが春であるのに対し、サザンカは冬である。実は直径1.5センチほどの球形の蒴果で、熟すと3片に裂開し、扁球形の種子が現われる。

 サザンカの名は中国の山茶花(さんさか)から来たものであるが、中国の山茶、山茶花はツバキのことで、どうも日本にその名が伝わったとき、誤ってツバキではなく、ツバキによく似たサザンカに当てたようで、それが、誤ったまま今に至っているという。サザンカの漢名はチャバイ(茶梅)あるいは、チャバイカ(茶梅花)であるが、間違ったまま和名になっているわけである。例えがよくないかも知れないが、「赤信号みんなで渡らば怖くない」というのに似ている。これは間違っていても多数の支持があれば認められる例と言えようか。

 なお、サザンカの学名はリンネの高弟で来日して植物の調査を行なったスエーデンの植物学者ツンベルクによってつけられたもので、Camellia sasanqua Thunb.と命名された。江戸時代後期のことである。なお、英名はSasanqua Teaで、因みに、ツバキの学名はCamellia japonica Linne.である。Camelliaはツバキを意味する。また、ヒメツバキ、コツバキ、コカタシ、ヒメガタシなどの地方名が多く、ツバキと同等に見られていたことがこの地方名は物語る。カタシはツバキのこと。

 サザンカはツバキよりも品種群は遥かに少ないが、冬の花木としては人気があり、各地の公園や公共施設に多く植えられ、花の乏しい冬季に華やかな彩を見せ、知らない人がいないほどポピュラーな花木である。大和(奈良県)には自生しないので、野生然として見えるものもすべて植栽されたものと見て差し支えない。 写真はサザンカ。 哲学は考へること人生は哲学を為しゆく旅ならむ

 

 

 


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