大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2018年12月26日 | 写詩・写歌・写俳

<2548> 余聞、余話 「 おーい 雲 よ 」 

        おーい雲よ旅は道連れ世は情けこの山越えてゆくほどの旅

 奈良の若草山に登って草原に座って山頂方面の空を仰いでいたら白く輝く大きな冬雲が草原の稜線を急ぐように西から東、春日奥山方面へと動いて行くのが見えた。咄嗟に若いときに読んだ山村暮鳥の「雲」の詩を思い出した。

     おうい雲よ

     ゆうゆうと

     馬鹿にのんきさうぢやないか

     どこまでゆくんだ

     ずっと磐城平の方までゆくんか

 ゆく雲はゆく川の流れに等しく、人生の旅路にある私たちの身に重ねて思われる。松尾芭蕉は『奥の細道』の旅のはじめに「片雲の風に誘われて、漂泊の思ひやまず」と思いながら旅に出た。雲はどこまでゆくのか。雲は消え失せるまで果てしなくどこまでもゆく。或るは、憧れと不安な思いの山を越えてなおずっと。やはり流れゆく雲は人生の旅路と同じだとゆく雲を見ながら思った。冒頭の歌の「おーい雲よ」は「おうい雲よ」に等しく、暮鳥の「雲」の詩から拝借したものである。

                    

 暮鳥は「雲」の詩の序の冒頭において次のように言っている。「人生の大きな峠を、また一つ自分はうしろにした。十年一昔だといふ。すると自分の生まれたことはもうむかしの、むかしの、むかしの、そのむかしの事である。まだ、すべてが昨日今日のやうにばかりおもはれてゐるのに、いつのまにそんなにすぎさってしまったのか。一生とは、こんな短いものだらうか。これでよいのか。だが、それだからいのちは貴いのであらう。そこに永遠を思慕するものの寂しさがある」と。

  私たちはずっとどこまでもゆけるような気分なきにしもあらずで、やはり、人生の旅路は雲の行方に似る。おーい雲よ、山の彼方に幸いが住むと言ったのは誰だったか、私たちの人生の旅は幸いを求めてどこまでもゆく思いの旅にほかならない。おーい雲よ、果たして私たちは雲の一団に思いを馳せて手を振る。そして、駆け出し、追う者もいる。 

   命あるものが見上げてゐる雲よはたしてぼくらはあこがれにある


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