<528> 建国記念の日と御田植祭
緋袴や 立春初侯の 田植祭
建国記念の日の二月十一日、大和(奈良県)では各地で御田植祭のおんだ祭りが行なわれた。中山八幡神社=奈良市、御前原石立命(みかきはらいわたちのみこと)神社=同、笛吹神社(葛木坐火雷・かつらきにいますほのいかづち神社)=葛城市、小泉神社=大和郡山市、広瀬神社=北葛城郡河合町、六県(むつかた)神社=磯城郡川西町、村尾坐(むらやにます)神社(村尾坐弥冨都比賣・むらやにますみふつひめ神社)=磯城郡田原本町といった具合で、今日は大和郡山市小泉町の小泉神社に出かけてみた。
御田植祭(おんだ祭り)は予祝の意味あいを持つ稲作に関わる民俗的な祭りで、大和には多く見られ、一月から五月ごろにかけてよく行なわれるが、建国記念の日の二月十一日には集中して見られる。建国記念の日は初代の神武天皇が即位した日で、昔の紀元節に当たり、この日を昭和四十一年に「建国を偲び、国を愛する心を養う」という趣旨によって国民の祝日にし、翌年の昭和四十二年から実施されたものである。
御田植祭(おんだ祭り)というのは、五穀豊穣によって子孫繁栄が叶うように願って行なわれる祭りで、子孫の繁栄は、即ち、建国に通じ、祭りは建国をも予祝することになるわけで、この建国記念の日に多く行なわれるものと思われる。今や我が国の産業は多種に及んで農耕だけではないが、古くは農耕が中心で、殊に稲作が重要視された。皇居内に水田があり、天皇自らが田植えを行なう慣わしがあるのはこれをよく物語っている。
これは、稲作というものが国の基盤としてあったからで、この御田植祭(おんだ祭り)の予祝の祭りにも通じる。農作というのは今でも言えることであるが、自然の影響を大きく受ける。技術が乏しかった昔は、それがより一層大きかったわけで、神仏に頼ることもそれゆえになされ、予祝の願いをもって祭りにも臨んで来たのである。
小泉神社の祭りでは、田をこしらえる所作の牛にみんなで砂をかけるのが特徴的で、これは広瀬神社の砂かけ祭りに等しく、砂を雨に見立てて、恵みの雨がもたらされることを願うものである。これは旱魃で悩まされた昔の稲作の厳しさを物語るものとして見ることが出来る。つまり、この一連は「今年もどうか雨に恵まれますように」と神前において祈願し、予祝する光景として見ることが出来る。
祈願すれば、叶うという神への信頼がそこにはあるわけで、これが我が国の風土に根ざした根本にある精神性である。我が国は災害も多いけれど、豊穣な恵みにも与かることが出来る土地柄にあるわけで、そこにこの祭りは関わり、今に伝えられているのである。砂漠や凍土のような不毛な土地柄では御田植祭(おんだ祭り)のような祭りは成り立ち難い。これは祈りが通じる我が国の風土に敵う祭りであるということが出来る。
科学技術の進歩した今の時代に、このような予祝の祭りなど時代錯誤だという意見もあるやに聞くが、自然に関わりのないような製造業やサービス業でも仕事が順調に進むことを願う気持ちは変わらないわけで、それは稲作という農耕を基盤にして来た大和民族の精神がそこには伝統的にあると言え、この自然に対する謙虚な心のありようを蔑には出来ない気持ちが私たちにはある。
最近の出来事を例にして言えば、3・11の東日本大地震による津波の被害がこれをよく物語っていると思う。あの津波は第一次産業も、第二次、第三次産業も、すべて例外なく、大波に呑み込んで、大打撃を与えた。しかし、その海は今も多大なる恵みを内包してあるわけで、私たちを育んでくれるべく存在しているのである。ここに祈願がなされ、予祝の祭りも行なわれる次第である。。
祭りにはユーモラスな所作に立ち上がる笑いが見られるが、その笑いの中に人々の真摯な気持ちというものがうかがえる。御田植祭(おんだ祭り)というのは何処の祭りでも見ていて心の和まされる雰囲気に浸ることが出来るが、これは自然と一体であるという心持ちが見物する私たちの方にもあるからではないかと思われる。
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